第4話 ビックバンド・ジャズを聴きながら

「はじめましての方もいると思います。わたしたちは、ST Jazzと申します」

ライブビューイングが始まって最初の1曲が終わると、ボーカルとギターを担当している中根尊則なかねたかのり様が、マイクを使って話し始める。

その後、中根様を筆頭にバンドメンバーの紹介が始まる。今回のAスタジオを利用している利用者ユーザーは、2・3年前にメジャーデビューをしているビッグバンドである。最も、音楽業界の厳しさもあってなのか、普段は他の団体で演奏をしながらこのST Jazzを営んでいると、ライブビューイング開始前に教えてくれた。

 女性もいたので年齢は聞かなかったですが…おそらく、30代後半~40代くらいですかね。彼らの年齢は…

わたしは、機材を操作しながら、そんな事を考えていた。このバンドは、ピアノを担当している越智おち保奈美様以外は男性であり、スタジオへ来た際の第一声やMCを見た現在において大人の落ち着きを持っているのを、わたしは見ていて感じたのである。

因みにビックバンドとは、ジャズにおけるバンド形式の一つだ。一般には大人数編成によるアンサンブル形態のバンドかもしくは、この形態で演奏されるジャズのジャンルのことを指す。今回の利用者であるST Jazzは少人数ではあるが、ビッグバンド・ジャズにあたる。


「さて。次にお送りする曲ですが、少し懐かしいジャズ曲を演奏しようと思っています」

気が付くと、中根様が次の曲紹介に入っていた。

また、今回のST Jazz様も幽世にいる観客が映った映像を見たいと希望されたため、MCが再開するのと同時に、観客オーディエンスのざわめきが響いてくる。また、このST Jazz様はこのAスタジオを何度か利用した事があるため、ある意味常連客といえる。

「曲は、ソニー・クラーク作曲の“ブルー・マイナー”です。この曲は1958年に発売されたアルバム“Cool Struttin'”に収録された曲で、各パートのソロがあり、聴きごたえのある曲となっています。尚、この曲に歌詞は入っていないため、わたしを除く5名にて演奏させて戴きます」

彼はそう告げた後、持っていたギターをストラップごと壁際に立てかけてカメラに映らない方向へと歩いて行ってしまう。

一方、中根様のMCに対し、観客の反応は薄かった。

 まぁ、J-POPやロックと比べると、日本では知らぬ者も多いでしょうからね。ジャズというジャンルは…

わたしは、観客の反応が薄い理由を考えながら、その場の成り行きを見守っていた。

アルトサックス奏者の石戸橋 国夫様がピアノ・コントラバス・トランペット・ドラム奏者の方を一瞬だけ見回した後、自身の中でリズムを刻みながら、音を出し始める。

演奏が始まると、最初は事態を呑み込めていなかった者も、演奏に耳を傾けるようになる。

タルタロスではジャズに詳しい従業員はいないため、後でわたしがインターネットで調べてわかる事ですが…ソニー・クラーク————————————彼は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身のジャズ・ピアニストだ。彼が率いるバンドの演奏はアメリカ本土よりも、割と日本人の間で人気が高く、ジャズ喫茶でもよく流れていたという。

なんでも、日本で彼らのレコードを発売するにあたり、日本国内のジャズファンがブルーノート(=ソニー・クラーク達が出していたジャズのレコードレーベル)のレコード盤の音について、国内メーカーのどれが良いかという議論があったらしい。わたしは日本人の音楽については詳しくないが、それだけ当時は人気も話題性もあったアーティストなのだと、インターネットで調べた上で感じていた。

序盤の動き始めから、アルトサックスとトランペットが音を伸ばす所へ入った際、彼らの音の立ち位置が変わったように感じた。音でいうと何とまではわからないが、後者が高い音を、前者が低い音を吹いている。この2つの楽器はどちらも主旋律を演奏する役割を持っているため、お互い同じ音で張り合っているのではという先入観がわたしにはあった。

しかし、実際はそんな事はなく、お互いがお互いをうまく共存させながら演奏をしている。

 お…視線があがっていますね…

途中、ピアノ奏者の越智おち様がアルトサックスとトランペット奏者に視線を向けながら、鍵盤をたたいているのを見かける。現世側こちらがわにあるスタジオに設置されたミュージックビデオレコーダーは、全部で3台。テレビ番組を収録時に使うカメラほど高性能とはいえないと思われるが、わたしは機材を駆使して曲中の見どころとなる箇所でズームを使用したりして映像を流せるようにしていた。

そして、次第に各パートのソロ部分に突入していく。石戸橋様が指と口元を自在に操りながら、ジャズならではのスウィング入りのソロを奏でる。アルトサックスは吹奏楽にも登場する楽器だが、こういった曲でのソロを聴いていると、この楽器達の本分はジャズにあるのが、素人耳でもよく解る。

 わたしは人間ではないのでよく解らないですが…。サックスは“最も人間の声に近しい音を出す楽器”と云われているらしいですが、はたして実際はどうなのやら…

わたしは、作業をしながら彼らの演奏に耳を傾けていたのである。



「この“ブルー・マイナー”の場合、ピアノは一定の大きさを保つ必要がありそうだから、大変そうですよね」

「確かに、そうよね…」

一方、幽世こちらのスタジオにいる私やたかし君も、自分達の仕事をしながら、ST Jazzの曲に耳を傾けていた。

今の所、この“ブルー・マイナー”でアルトサックスとトランペットのソロが終わり、ピアノによるソロパートに入った所だ。

「そっか。たかし君は、幼い頃にピアノをやっていたんだっけ?」

「えぇ…。ほんの2・3年で、すぐに辞めてしまいましたが…」

私達は、巨大モニターがあるステージの下手側で話す。

優喜が主に担当している現世の“タルタロス”では、ライブビューイング中に自身が声を出すとミュージックビデオに声が録音されてしまい、幽世こちらに音が割り込む可能性がある。その理由もあり、本番中に言葉を発するのはご法度だ。しかし、ミュージックビデオレコーダーで録った映像を映し出す幽世こちら側としては、あまりの大声でなければ多少話をしたところで問題はないのだ。そのため、私が幽世こちらの担当をする日は本番中に、時々話している。

最も、基本的には私が幽世こちらでの作業を担当する事が多いため、ライブビューイングはある意味、休憩時間のようなものだった。

「それにしても…今ソロをやっているコントラバス…だっけ?あれって、英語圏の国ではただの“ベース”とか“バス”って呼ばれているのは知ってた?」

「いえ、初耳ですね。それは…」

「でしょ?私も、イギリスにある“タスタロス”を担当しているどうほうから聞いて知った話。そもそも、ジャズにコントラバスが使われる事すら知らなかったわ」

「成程…」

私がイギリスのロンドンにあるスタジオのどうほうから聞いた話を、たかし君に告げる。

すると、彼は手を動かしながら、興味深そうに首を縦に頷いていた。

「ロンドンスタジオの従業員かただと…アンドレアさんとフィリパさん…でしたっけ。そのどちらが言ってたんですか?」

「アンドレアの方よ。フィリパは…今も昔も、どうも苦手なのよね。あの女性ひと…」

たかし君の問いかけに対し、私はため息交じりで答える。

今話に出てきた二人の人物は、ロンドンにある“タルタロス”で従業員をしている鬼。男性のアンドレアの方は自分と誕生した時期が近いから話しやすいが、人間の社会では“先輩社員”にあたるフィリパという雌のどうほうは、以前から少し苦手に思っているのだ。

 フィリパと二人での仕事って事は、ありませんように…

私は話題に出たのを機に、彼女と一緒に仕事することがないよう心の中で祈った。また、面識のないたかし君が彼らの名前を知っていた事には、もちろん理由がある。

タルタロスの公式サイトには、日本・イギリス・アメリカ・香港にある4スタジオのスタジオ概要と共に、各スタジオの従業員が運営するブログが公開されている。ブログの記事は各スタジオの従業員が執筆を担当しているため、そこで簡単な自己紹介を載せているからこそ、第三者であるたかし君も、彼らの名前を知っているのだ。

そんな他愛もない会話をしながら私達は自分達の仕事をこなし、このライブビューイングの時間が過ぎていく。



『それでは、ST Jazzによる演奏を終了します。ありがとうございました』

ボーカルとギターを兼任する中根さんが、演奏の終了後にそう告げる。

その一声の後にバンドメンバー全体の画面が映し出され、ライブビューイングはここで終了となる。

「さて…。まずは、片づけね!私の方で感想の用紙回収と会場を確認するから、たかし君は、機材の片づけをお願い!」

「はい、わかりました!」

そう彼に告げた後、私は舞台下手側から観客席へ向かって歩き始める。

「…っ…!!?」

すると突然、何かを感じ取ったかのように、私はその場で立ち止まる。

「末若さん…。どうかしましたか?」

その場で立ち止まった私に気が付いたたかし君は、不思議そうな表情かおで尋ねる。

「…今、分身から感想を書かないでスタジオを出ようとする客がいるって通達があったの…。何だか、少し面倒な観客がいるかもしれないわね」

「あ…。宜しくお願いします、末若さん!」

ため息交じりで私が呟いた後、すぐさま歩き始める。

その後ろ姿を見たたかし君は、私に一言告げてから片づけを開始していた。

 実力行使にならない事を、祈るしかないわね…

私はそんな事を考えながら、その観客がいる方へと歩き始めるのであった。

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