肆-1:叛逆のCall name

「えっ……?」


 赤髪の少年の言葉に、逃亡者である少女は言葉を失ってしまう。本来なら無視してでも走るべきなのに、ラグナの毅然とした態度はリアの想像の外であった。


「ラグナ。確かにリックの事は辛いけど……だけど、逃げなくちゃ私達も!」

「……ごめん。でも、もう・・、それはできない」


 振り返りすらもせず、ラグナは真っ直ぐとハードメイル同士の戦いを見上げる。

 武器を持たないリックのオルドガは、その鈍重な身体を活かしきれずに徒手空拳による攻撃を避けられ続けている。対する白と黒のミストァは、いたぶるように拳銃で顔を重点的に狙い撃っている。

 どうしようもない状況だ。勝ちの確信なぞ目に見えない。だというのに、少年は見つめ続けている。その現実から目を離さない。

 リアは不安の籠る視線をラグナの隣にいるラグナスに向けるが、幽霊はお手上げを示すように溜め息を吐いた。


『すまねぇ。ラグナはもう逃げる資格はない。そうする選択肢を選べないんだ』

「どうして! 逃げるのは間違いじゃないって、さっき――」

「それは、初めてだから、だよ」


 僅かに震えていた開いた手を強く握りしめる。少女からは顔は見えない。だけど、そこにはやるせなさを感じさせる哀愁が見えていた。


「逃げるのは間違いじゃない。だけど、正しくもない。だって、一度逃げたら、それはずっと付き纏ってくるんだ。呪いのように。永遠に」

「……呪い?」

『――後悔。あの時、なぜそれが選べなかったのかという未練。なぜ自分にそれができなかったのかという無力感。一度逃げだすと、それが枷となって選択肢を拘束する』

「だから、もう逃げられない。僕は、もう、目の前で誰かが、いなくなるのを見たくなんてないんだ!」


 淡々と語るラグナスに対し、ラグナのそれは駄々をこねるような叫びだった。詰まる言葉を吐き出すように、最後は張り裂けるような声で。ここまでクルセアを案内してくれた少年が初めて見せた、痛覚。

 無論、それはラグナの我儘でしかない。現実を見れば逃げるのが最良の選択だ。それはリア個人だけでなくラグナも含めてであり、そのカウントダウンは見えない中でも迫っている。


「ごめん、リア。この先に行くと、君と出会ったあの湖に繋がる階段がある。そこには僕の信頼している人がいるから頼ってほしい。白髪で仮面を被っている人だ」

「……解らない。私には、なんで逃げないかなんて、わからない——」

「お義母さんが、いなくなったんだ」


 吐き捨てるように言ったその言葉に、少女を出しかけた言葉を飲み込んだ。いや、むしろ言葉よりも、彼が振り返ったその視線に言葉を失った。

 虚ろ。まるで穴のように、その目には失った跡の闇しか写していない。それは少女の金の髪の輝きでさえ照らせないほどの、深淵だ。

 それほどにその義母という存在は少年の人生を占めていた。リアには母という存在なんていないが・・・・・・・・・・・・・、大切な何かを喪うことは知っていた。


「誰にも、何も、言わずに。ひとりでに消えた。どんなに探しても、見つからない。失ってしまえば、僕に残るのは後悔だった」

『…………』

「だから、もう逃げられない。義母を失った事を受け入れる事で逃げた僕は、また誰かを失う事を受け入れる事はできない。たとえ、力なんて無くても、今度こそは!!」


 義母を失い、今、友を失うかもしれない恐怖に晒されている。止める術などなく、現実を受け入れるしかない少年は、だからこそ今度は見失わないように立ち止まるしかない。

 リアは、動き出せなかった。不安もあるが、それよりも。ラグナという少年の言葉を無視できなかった。


「なら——私も、もう逃げられない」

『……ほぉ?』


 目の前の少年の虚ろな目とは違う、決まりきった心構えを視線に乗せて少女はラグナを見つめた。凛としたその姿は、どこまでも透き通る湖のような瞳で少年の姿を映す。


「私も失ったものがあるから」


 白騎士との戦い。その最中で共闘した獣の姿をした鎧。黒き守護獣。

 鎧に意志など有りはしない。だけど、少女を排出したあの行為はまさに彼の意志だとリアは信じている。そして、彼女の知らないハルシスの行く末を想い――足を止める。

 睨みつけるように、空を見上げる。疎らに瞬く人口の光。その先にある闇を超えて君臨する、彼女に抱かせた疑問を騙る神へと。


『逃げろよ! ラグナ、リアァッ!!』


 吹き飛ばされながら、オルドガを駆るリックの叫びが二人の耳に届く。巻き起こる粉塵は二人にも届いていた。

 如何に決意をしようとも、足を止めようとも二人は無力であった。赤髪の奥の赤い瞳は、金髪の奥の青い瞳は、傷ついていく友の姿を見上げるしかないのだ。

 もはや継続戦闘は不可能とも言えるほどに茶色のハードメイルは傷ついていた。デフォルメされている右目は潰されているし、左腕はあらぬ方向へ曲がってしまっている。そして、その衝撃はリックにも通じているはずなのだ。

 それでも、彼は友達を想う。二人の逃走を願う。


『チッ……しぶえてェなァ? 早くやられちまえよ——あぁそうだ。なんなら、その茶色の鎧は俺が貰ってやるよ。体力HPだけ無駄にあるからよォ……サンドバックには最適だろ』


 身勝手に語るのは白のミストァ。ほぼ無傷のそれは楽しそうに一つ目モノアイを歪ませる――それは錯覚であると知ってもそう見える。

 逃げ出す事も、立ち向かう選択もできなくなった絶対絶命の状況。その中で次に笑みを浮かべたのは亡霊であった。


『逃げ出さないと、言ったな、リア?』


 確かめるようにラグナスは問う。少女はこくりと頷いた。


『力が無いと、嘆いたな、ラグナ?』

「そうだけど……何かあるの?」

『あぁ。理論上では可能な、逆転の方法がたった一つある』


 不安げに見つめる少年に相棒は得意げに呟いた。亡霊はそのゴミ袋を切って型取ったような手を広げ、手を伸ばした。


『この塔には独自のナノマシンが充満している。こいつのせいでラグナのような元外の人間は、外のナノマシンしか持ってないからハードメイルを使えなかった……まぁ飯とかで僅かながら得られるが、蓄積するのに10年はかかる』


 広がる左手から青い光が浮かび上がる——それはミスティアのナノマシン。この塔を支配するルールの素体である。

 一方で広げられた右手には赤い炎が浮かんだ——これが外の世界のナノマシン。この塔における異物。水と油における油だ。

 ラグナスは目を細めるリアの視線を合わせて、更に口角を吊り上げる。


『だが数時間前、ある事実を発見してな。純粋なミスティストここ生まれのナノマシンを培養すれば、例え外の生まれでもハードメイルを使える可能性はあるってな』

「ち、ちょっと待ってラグナス! その、培養に使ったナノマシンの素って……」

『あぁ! お前がリアの心臓マッサージをした時に接吻ちゅーしたあの瞬間の粘液から採取したものだ!』


 一瞬にしてラグナの顔は赤く染まり、そして青く上塗りされた。声すら無く、あるのは彼女にキスをしたと暴露した相棒への恨みだ。

 一方でリアは怪訝な表情でラグナスを見る。


「という事は、ラグナはハードメイルを使えるの?」

『いや、流石に10年が3年に縮むのがやっとだ。何せ接触は5分ぐらいしかしてなかったからな。今必死に培養中だが、今のままじゃ駄目だ』


 それは逆に言えば、何かをすれば可能だという事だ。それにはリアが必要であり、彼女の足が前に向いた今が好機なのだ。

 その事実を察しラグナは目を泳がせるが、対象の少女は真っ直ぐとその事実に向き合っていた。


「大体理解したわ。その行為をもう一度したら、いけるわね?」

「り、リア!? いいの? き、キス、するんだよ!」

『覚悟決めろよラグナ。今一番の一手はこれだ。それに……義母ガリシア遺物おきみやげを、解凍するなら今しかない』


 その固有名詞を聞きラグナは動揺を止める。小さく呼吸が漏れ、言葉の意味を噛みしめるように息を吸う。

 隣に立ち並ぶリアへ目を向ける。金髪の下の青い瞳は揺らぐ事なく少年へ向けられている。

 僅かに揺れる緋色の瞳は一度閉じられて、再び開いてその波紋を止める。


「……もう一度、聞くよ。キスをしても、いい?」

「キスをするのがベストなら、私はする。初めてと同じ相手なら気にはしないわ」


 彼女の目は変わらない。ラグナはそれを認めると盛大に息を吐いて、そして小さく吸った。胸に手をやり、薄く長く息を吐く。よしっと小声で呟いた。


「やろう。その可能性に賭ける」

「えぇ、逃げ出せない私達が始める、私達なりの抗いを」


 言葉はそれだけ。二人は向き合って見つめ合う。赤と金の髪は背後で巻き起こる争いの風で何度も乱れ、触れて交わり熱を持つ。

 動いたのはリアだった。


『くそッ、興が乗っちまった——って!? なーにやってんだてめェらわァァァッ!!』


 沈黙したオルドガを右足で踏み付けながらも、敵である白いミストァを操る男は二人を見て驚愕の声を上げた。

 てっきり逃げ切ったと考えていたのだから、すぐ近くにいて、しかもディープなキスをしている二人に敵ながら呆れを覚えて叫ぶ。


『なっ——!?』


 されど、その自棄にも見えるその行為こそ意味がある。

 粘液を介してリアの純粋なナノマシンがラグナの舌に絡む。それをラグナスが急速で調整し、ラグナの持つナノマシンと中和させていく。

 培養。調整。結合——赤と青の絵の具が絡み合い、白地のキャンパスに意味を灯すように。重なり交わる二人を中心にして、二色のナノマシンの光が渦を巻く。

 強烈なナノマシンの発生は害意の無い閃光であり、地上に咲く花火だ。白のミストァは一つ目を右手で庇い慄くしかない。

 だから——


「コールネームッ!!」


 その名を呼ぶ、少年の言葉を遮る事などできやしない。

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ラグナ/リア 紅葉紅葉 @inm01_nagisa

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