第11話 蛇の道は青大将(あおだいしょう)


 巨大な船が傾いた瞬間、俺は転ぶより先に宙へ投げ出されていた。


「ッお、あっ!!?」


 バランスを取るために伸ばした手が宙を泳ぐ。

 足裏が地を離れ、宇宙遊泳を擬似体験する。


「ヅッ?!」


 数メートル浮遊し、甲板にぶつかる。

 ぶつかり、ぶつかり、ぶつかり――坂に落ちたリンゴのごとく転がり始める。


「―――!! ――――!!」

「――――――――っっ!!!」


 すぐ傍でロッコとシュウの悲鳴が絡み、耳の奥で螺旋を描く。

 二人も傾斜に耐えられず、斜面を転がり落ちているのだ。


 ぎゃりりり、と。ドリルがコンクリを破るがごとき轟音。

 一度は船首側へ流れ込んでいた玉砂利が一斉に右舷へ向かっている。

 時折混じる硬い音の正体はカガチの残した武器だ。

 今、何もかもが斜面を転がり落ちている。


(や、ばっ~~~! ッ!! ~~っ)


 二。三。四。五。

 天地が何度も逆転する。


 横回転なのか縦回転なのかすらわからない。

 頭を打つ。肩を打つ。尻を打ち、腕を打つ。

 ごっ、ごっ、ごごっと。衝撃の度に思考が寸断される。


(この――! ヤ――! 右舷――! 落ち――――!!)


 落ちる。

 このままだと落ちる。

 この勢いで右舷に叩き付けられたら、スキージャンプのように飛び出し、そのまま闇へ落ちる。


「ッ! ッッ!! っっ……!!」


 洗濯機の中かと思うほどの回転。

 自力で踏みとどまることはできない。

 ならば他力。

 何か。何かないか。


「っ灯籠っっっっ!!!!」


 回転しながら吠える。

 声が四方八方へ飛ぶ。


「脚伸ばせっっ!! ふ!! 船べ! りにっっ!! 灯籠っ! があるからっっ踏ん!! でっっ!! 耐えろっ!!」


 ばつ、ばつん、と。二人分の脚が甲板に叩き付けられる音。

 ロッコとシュウの悲鳴が止まる。伸ばした脚でうまく転落の勢いを殺すことができたらしい。

 その格好でうまく滑り落ちれば、船べりの灯籠がストッパーになってくれるはず。

 微かな安堵と共に俺も脚を伸ばす。




 が、俺の回転は止まらなかった。




 伸ばした脚は甲板に触れず、きりもみ回転を続けている。


(! クソ……!)


 横だ。俺は横回転している。

 横向きではいくら脚を伸ばしても転がる身体を止められない。

 勢いも殺せない。灯籠を踏めない。

 このままだと船べりから飛び出して闇に落ちる。


「お、らあっっっ!!」


 マムシの手を思い切り伸ばす。

 肘を力ませ、『スイッチ』を入れる。


 堅い甲板が液化し、肘から先が甲板にめり込んだ。

 ぬかるみに似た感触。

 俺の落下に伴い、『掴まれた』甲板が溶け続ける。

 雪原に引かれたわだちのごとく、甲板に一直線の溝が走った。


 ――『オフ』。


「っっ!!」


 がぐん、と。

 強い衝撃と共に落下が止まる。


 傾いた船の甲板に掴まった俺は、さながら一匹の虫だった。

 灯籠廻船は今や沈没間近の豪華客船。

 客の代わりに滑り落ちるのは、無数の玉砂利。


 下を見る。


 ほんの数メートル下方に船べりが見えた。

 サッカーボール大の照明は甲板に埋め込まれているらしく、この傾斜の中でも落ち着いた光を放っている。


 手を離し、着地。

 がらがらと流れ落ちる砂利は灯籠で弾かれ、飛び出し、闇へ。


「――――――――!!!!!」


 悲鳴。

 顔を上げる。

 体育座りのロッコが滑り降りて来る。


「っ!」


 居並ぶ灯籠の上を渡り、キャッチ。

 子供一人分の重みが腕と脚を軋ませる。


「っ!! ?! ど、どここここ?! こここどこっっ?!」


 アオダイショウの腕を抱えたロッコは、ぶんぶんと顔を横に振った。

 

「暴れんな!! ニワトリかお前は! 動くなっつの!」


「兄ちゃん!! どいてっっ!!」


 頬を軽く張っていると、シュウの声。

 こちらはほぼ仰向けで滑り落ちて来る。

 俺が助けるまでもなく、灯籠を踏んで停止。


「シュウ!」


「オレは大丈夫! ……! ユメミ姉ちゃんっっ!!」


「!」


 かかっと石灯籠を踏む音。

 振り返ると、すぐ近くでユメミが立ち上がるところだった。

 あの傾斜を転がり落ちながら、自力で体勢を立て直したらしい。

 しかも片腕で。


(……)


 微かな。

 本当に微かな黒い霧が胸を過ぎる。

 猜疑と不安の霧。


「イタチさん!」


 ユメミの声で霧が散る。

 彼女が浮かべているのは決死の表情。

 そうだ。今は余計なことを考えている場合ではない。


「シュウくんとロッコちゃんは――!」


「無事だ! ……」


 ひと呼吸置き、同時に下を見る。

 傾斜はきついが、闇はまだ遠い。

 それにノヅチの話だと灯籠廻船は『沈没しない』。

 このまま傾き続ければ黒い闇が流れ込むのかも知れないが、今はまだ平気だ。


 俺とユメミは弾かれるように上、つまり左舷を見た。


 遠いが、見える。

 凍て付く雪の夜。六つの赤星を背にした巨躯と矮躯のシルエット。

 アオダイショウとシロマダラ。


「白い方は『浮かす』能力です……!」


「ああ……!」


 今は四十五度ほどだが、これ以上傾けられたら危険だ。

 だがこれ以上傾ければ船内の『客』もただでは済まないはず。


(!)


 ノヅチは根でも張ったかのように直立している。

 どうやら死者は傾斜の影響を受けないらしい。

 ということは、シロマダラに遠慮する理由は無い。


 こちらの生存に気付いたのか、白と青のシルエットが動き出す。


「どうしますか?! 本殿へ――?」


 ユメミの視線の先には船首の本殿があった。

 中には客室へ続く階段がある。

 室内なら闇へ放り出される危険性は減るだろう。


 だが、遠すぎる。目測で30メートル以上はある。

 階段へ向かう間にシロマダラは好き放題船を傾け、俺たちを叩き落とすだろう。


「あんな場所まで走れるか。道はこっちだ……!」


『マムシの手』のスイッチを入れる。

 掴んだ空気がぼたぼたと滴り、流れる。


「最短距離で行く……!」


 背の高い鏡を雑巾で拭くように、苔緑の手で甲板を縦に撫でる。

 沼を叩くような水音と共に、大人がすっぽり入るほどの楕円形の穴が開いた。


「入れ! 急げ!」


 俺、シュウ、ロッコ、ユメミは素早く穴へ飛び込んだ。

 が、ここはまだ安全地帯ではない。


「どいてろ。掘るぞ!」


 俺は三人を押しのけ、壁に密着した。


 動きは、カガチの『マンホール』を参考にする。

 すべてを溶かす『手』で空中に円を描くイメージ。

 正面。右。正面。左。正面。

 カートゥーンで描かれる発掘作業員のごとく、甲板を掘り進めていく。


 時折船は大きく傾いた。後方に。あるいは左右に。

 傾斜もこれまでよりきつく、45度どころか60度に至ることもあった。

 灯籠の上で踏ん張っていたら確実に落とされていただろう。


 だが、俺の掘った穴はクランク状だ。

 多少船が傾いても、すぐに外へ放りだされることはない。


「! 掴まれ!!」


 子供たちが壁にしがみつく。

 ユメミは狭い穴で脚を突っ張り、それ以上落ちるまいと堪える。


 今最も恐れるべきはシロマダラが穴に気付いて中へ入り込むこと。

 もしくは、船を転覆寸前まで浮かび上がらせ、闇を中へ注ぎ込むこと。

 その前に客室へ逃げ込む。


(気付くなよ……!)


 ロッカーに詰め込まれたような閉塞感。

 灯りのない暗がりの中では前後も左右も分からない。


 溶かしても溶かしても先が見えず、徐々に焦りが募る。

 万が一、船の外へ穴が続いたら。あるいは甲板に出てしまったら。


(おいまだかよ……! 出口は……!)

 

 何メートルも何メートルも。

 半ば祈るように、マムシの手で壁を掘り進める。


「!」


 俺の手が何もない空間を掠めた。

 最後に一度、思い切り腕を振る。


 白い光に照らされる。

 客室だ。


 今、灯籠廻船は船尾を上に大きく傾いている。

 すなわち隣室へ続く襖が『天井』と『床』になっており、畳敷きの床と障子窓が『壁』になっている。


 下りれば転倒あるいは転落の危険性がある。

 だがこのまま穴に留まれば、シロマダラに背を突かれるかもしれない。

 

「入るぞ! 窓に落ちるなよ!」


 一人、一人、また一人。

 穴から這い出した三人が襖を踏む。


「!」


 ぎぎぎぎ、と船体が軋む。

 軋みながら角度が変わる。


「戻るぞ! 畳の方に移れ!」


 船が元の向きへ戻った瞬間、今度は船首側が浮き上がり始める。

 からくり屋敷のごとく壁がスライドして床となり、床がスライドして壁となる。

 畳張りの床が見る見る傾斜となり、代わって襖が床となる。


「こ、腰を低くしろ!」


 積み上げられた畳が滑り、各部屋の襖を叩く音。

 死者だけはこれまで通りのんびりと部屋を行き交う。


 また、船が傾く。

 今度は左舷が上だ。

 つまり俺たちの「床」になるのは――――


「ヒゲ! ま、窓っ! 下が窓になるっっ!!」

 

 脆い障子窓が壁から床へスライドしていく。

 踏み抜けばその先は闇。

 

「っ!」


 マムシの腕で畳の剥げた床を撫でる。

 円形に。そして突き出すように。

 どぶん、と卵型の穴が開き、土砂色の液体が噴き出す。


「入れ!!」


 四人一斉に飛び込み、手足を突っ張って耐える。

 ぎゅうぎゅう詰めで、狭い。

 だが、だからこそ誰も落ちない。

 

 シロマダラはこの一撃で仕留めるつもりだったらしい。

 傾斜は長く、長く続いた。

 転覆するのではないかと思うほど、船が横に傾いている。


 窓から『闇』が入ってきたらどう対処すべきなのか。

 そもそもあの『闇』、触れても大丈夫なものなのか。

 俺の思考は既にそこまで進んでいた。




 ゆっくりと――――傾いた船が元に戻って行く。




「……お、終わった……?」


 シュウとロッコが脱力する。 

 俺とユメミは目配せし、穴から外へ顔を出す。

 異常は無い。敵の姿もない。

 だが――――


「ね、ねえ兄ちゃんどうするの?! 何の作戦で倒すの?!」


 先ほどまで戦士の顔をしていたシュウが青白くなっている。


「石とか水とか、ぜんぶ落ちちゃったよ?!」


 その通りだ。

 玉砂利も、堀の水も、カガチが残した『透明の武器』も。甲板にあったものはすべて闇に落ちた。

 更に客室では畳が暴れに暴れた。

 落とし穴を始めとする罠の数々は、おそらくもう使い物にならないだろう。


「こっちだって腕を一本獲っただろ。おあいこだ」


 ロッコを見る。

 彼女はアオダイショウの腕を左肘にくっつけ、おそるおそる手を開閉していた。

 別々のロボットのパーツを組み合わせたかのように、腕の太さが合っていない。


「ロッコ。能力、使えるか?」


「ん……」


 アオダイショウの手が空気を軽く掴んだ。

 試しに摘まんでみると、ゴム膜のように空気が伸びる。

 軟らかいとも言えるし、柔らかいとも表現できる。

 感触としてはトランポリンが一番近いだろうか。


(二人相手に策無しか……)


 敵は巨躯のアオダイショウと痩躯のシロマダラ。

 掴んだものを軟らかくする能力と、掴んだものを浮かび上がらせる能力。

 

「イタチさん」


 ユメミ。目に怯えは無い。


「気づいているかも知れませんけど、一つ分かったことが」


「何だ?」


「お餅みたいに伸びて、戻って来たシロマダラが怪我をしていませんでした。しかもその後、すぐに走り出しています」


 数秒、意味を考える。


「! 伸びて戻って来た時、『破壊』が起きてないってことか」


 確かにあれだけ伸びた脚が戻れば、衝撃で膝にダメージを受けるはず。

 シロマダラの挙動に傷を受けた様子はなかった。


「はい。そして『軟らかくされた脚』で、すぐに走ることができたということは――」


「アオダイショウの能力はカガチみたいに『本体を離れても効果が継続する』わけじゃなく、『掴んでいる間だけ』の能力……」


 ユメミは小さく頷く。


「もしかするとシロマダラの脚は、掴まれている間に収縮したから無事だったのかもしれません」


「……じゃあ、思い切り引き延ばされた後、アオダイショウが手を離したら――――」


「ヒゲ」


 ロッコが鉛筆をみりみりと伸ばしていた。

 10センチほどの小さな鉛筆が、50センチほどに伸びている。


 アオダイショウの指が鉛筆を離れる。

 ひゅっと縮んだ鉛筆が、元の長さに戻ると同時にめぎんと砕けた。


 ゴムと同じだ。

 思い切り伸ばして、片方を離せば、ぱちん。

 ゴム以外の物体なら「ぱちん」では済まない。


「掴まれたらまずいな」


 当たり前のことなのかも知れない。

 だが曖昧に「掴まれたらまずい」と思うのと、「掴まれたら伸縮による衝撃で破壊が起きる」と理解するのは大きく異なる。

 理解は勇気よりも確かな力になる。特にこんな土壇場では。


「シロマダラの方は『浮かび上がらせる』で間違いないと思います」


「ああ。……」


 一瞬、黒灰色の予感が心をかすめた。


 マムシ、カガチ、アオダイショウの例を見るに、ヤツマタ様の能力は基本的に「あらゆるもの」に作用する。

 玉砂利にも、空気にも作用する。

 シロマダラの能力も同じだろう。


(あれがもし『自分』に使えたら――――)


 船が空中に浮かび上がっていないところを見るに、あの能力に永続性はない。

 効果時間がどんな原理でどの程度調整されているのかはさて置き、一時的に浮かび上がらせて、それで終わりであることは間違いなさそうだ。

 それでも、『浮遊』の能力が『自分』にも効果を及ぼすのなら。

 あの白い忍者は何度でも浮かび上がることができる、ということではないか。


(シロマダラは……『落とせない』……?)


 落とせないのなら、カガチの時のような奇策は使えない。

 マムシのように深手を負わせない限り、戦いが終わらない。

 

 できるだろうか。

 奴は何だか――他の奴らと雰囲気が違った。

 

「イタチさん?」


 顔を上げる。

 よほど深刻な顔をしていたのか。

 子供たちが不安げな表情を浮かべていた。


「何でもない。あいつらの能力、シナジーは薄いなって考えてただけだ」


「しな……?」


「二人揃っても能力が乗算されないって意味だ。加算止まりなんだよ。もしくは減算か」


 ぐらりと部屋が傾いた。

 俺は一度口を閉じ、傾斜が落ち着いたところで再び口を開く。


「能力同士がうまく噛み合ってるとまずいんだよ。例えば――『軟らかくする能力』と『空中に箱を作る能力』とか、『浮かび上がらせる能力』と『真横に吹っ飛ばす能力』とか」


 前者の場合、掴まれた身体をタコのように『箱詰め』されるおそれがある。

 後者の場合、浮かび上がった肉体を一瞬で船外へ吹き飛ばされる。

 アオダイショウとシロマダラについては、その手の『能力の掛け合わせによる乗算』を起こしづらい。


「あいつらの能力はほぼ独立してる。組み合わせてできることはせいぜい――――」


 そこでふと、脳裏に桜色の姿が過ぎる。


(もしかしてヒバカリが攻撃してこなかったのは、マムシとかカガチと能力の相性が悪いからか……?)


 思考は重たげな音で中断された。

 どっ、どどっ、どどっという箪笥が倒れるような音。


 船内に畳より重いものはほとんどない。

 アオダイショウだ。

 奴が階段を駆け下りて来ている。


 俺たちは穴から飛び出した。


「気を付けろ。シロマダラも階段から来てるとは限らない……!」


 奴の能力は『浮遊』。窓から侵入する可能性もある。

 と同時に、外から延々と船を傾け続ける可能性もある。

 あるいは足音を消してアオダイショウに随伴している可能性も。


「ど、どうするの?」


「落とすか、溶かす」


 がかっ、がかかっ、と下駄が床を踏み鳴らす音が近づく。

 ばあん、と襖が開く音。ばたたっ、と畳を踏む音。

 どうやら一部屋ずつ調べるつもりらしい。


「いいか。……」


 俺は一度だけ三人に額を寄せ、離れた。


「そ、それだけ……?!」


 ロッコは悲壮感すら滲ませた。


「カガチの時みたいにいっぺんにやっつけられないの?!」


「無理だ」


 もうそんな仕込みをする暇はない。

 残されたカードを組み合わせて、最善の結果を掴むしかない。


 大がかりな策があれば――あるいは「ある」と告げれば――確かに心の拠り所にはなる。

 だがそんなものがあると、劣勢に追い込まれた時に思考停止してしまう。

 あの策があるから大丈夫、切り札があるから大丈夫、と。

 今の俺たちに必要なのは甘い勝利の夢ではない。


「一人ずつだ。一人ずつ、確実に倒す」


 馬蹄に似た音が近づいて来る。

 通路から来るのか、客室から来るのか。

 シロマダラは何をしているのか。


「今の作戦が嵌まっても嵌まらなくても、絶対に忘れるな。――『俺たちは弱い』」


 子供たちの顔を順に見る。


「知恵と力をぜんぶ搾れ。それが敵に敬意を払うってことだ」


 俺の声は、俺の耳に最も強く響いた。






 アオダイショウは二つ隣の部屋だ。

 接敵まで十秒少々。


 必要なのは付け焼刃の罠ではない。

 必要なのは、勝利のイメージ。

 

 俺は虚ろで、湿っている。

 心に薪をくべなければ、敗北の引力に負けてしまう。


(――――)


 帰らなければならない理由がある。


 父と母。

 過去と現在。

 さもしさ。やるせなさ。惨めさ。


 傲慢。

 卑屈。


 怒り。


「フウウウウ……!」


 丹田に力を込め、肺腑の空気を吐き出す。

 長く、長く。

 押し出すように吐き出す。


 弛緩と同時に、息を吸う。

 すべての細胞に酸素を行き渡らせる。


 暗闇に光の筋を引くように、胸に淀む怒りで道を作る。

 俺の道。

 俺だけの道。


 ヤツマタ様を叩き落とし、あの土臭い家で両親と対面するイメージ。


「兄ちゃん」


 シュウが少し離れた場所から声を投げる。


「帰って、ちゃんとお父さんとケンカするんからな……!」


「ああ」


「死んじゃダメだからな……!」


「お前もな……!」


 全身が炭さながらに発熱していくのが分かる。

 ぱちぱちと爆ぜる音すら聞こえるようだ。


「来ます!!」


 爆音に似た音。

 アオダイショウが襖二枚を吹き飛ばし、隣室から現れた。


 幟が三つ。パーマ髪。

 怒れる熊にも等しい巨体の怪女が、残った右手で見得を切る。

 仕草はどこか滑稽だが、威圧感はマムシやカガチの比ではない。

 プロレスラー並みの巨体は、ただそこに在るだけで相対したものを怖気づかせる。


「ロッコ、シュウは下がれ! 窓に近づくなよ!」


「空気を掴んで! 掴めば落ちることはないから!」


 俺とユメミが前へ。

 ロッコとシュウは後ろへ。

 サイコロの「四」と同じ陣。


「その手じゃ格好がつかないだろ?」


 アオダイショウがぎろりと俺を睨む。


「すぐに左右対称にしてやるよ。もう片方をちぎり飛ばしてな!!」


 畳五枚ほどの距離。

 ユメミと俺が同時に駆けだす。


 想起されるのは甲板での攻防。

 俺にはマムシの手。ユメミには人並外れた体術。

 どちらか片方でも逃せば、アオダイショウは残る手をもぎ取られる。


 速度に乗る。

 風を切る。

 視界の端が歪む。

 槍の間合いに入るや、アオダイショウの巨躯が更に大きく映る。


 帯に手を入れた青蛇が、大きくユメミに手を振る。

 じゃらららん、と軽い音。

 鉄条網に似たものが地面に転がる。


(マキビシ……!)


 ユメミがたたらを踏んで立ち止まる。

 ぐりん、と太い首がこちらを見る。

 僅かに俺の方が速い。


 アオダイショウが前方の空間に円を描いた。

 カガチと同じ、『空気の壁』。


「それは読んでるッッ!!!」


 俺は力強く踏み込み、格闘の間合いに入る。

 入ると同時に、マムシの手でゴム壁を溶かす。


 ばしゃあ、と空中で円形に水が跳ねる。


 その向こうで、アオダイショウの片手が背中の幟を掴んでいる。

 槍のように操るつもりか。

 なら懐へ飛び込んで――――




 めきん、と。

 幟の先端が短く折れた。




「!」


 ダイナマイトのような形状の筒。

 幟を離れた筒からは既に白煙がこぼれだしており、アオダイショウが抜き払う動作に合わせて宙に白い弧を描く。


(煙……!)


 反射的に足を止める。

 思考。

 白煙。毒性の有無。

 進退――


「!」


 間隙を突き、アオダイショウが大きく腕を振り上げている。

 ユメミは間に合わない。喰らってしまう。


 両手で防御の体勢に入ると、アオダイショウの顔が見えた。


 嘲りの色。

 舌に苦みを感じ、俺は笑う。


「『敬意』を――」


 アオダイショウがコンマ早く、気づく。

 風切り音に。


「欠いてるぞ」


 びゅおっ、と。

 飛来する『何か』がアオダイショウの肩口に突き刺さる。

 赤い血が流れ、巨体が傾ぐ。


 巨大な顔が俺の後方へ向けられる。

 奴が見ているものは分かっている。


 後退と同時に、ゴム状の空気を掴んだロッコ。

 そこに鉛筆を番えたシュウ。

 即席の『矢』。


「ロッコ姉ちゃん! もう一回っ!」


「分かってる! 行くよ!!」


 第二射の構え。

 マキビシを迂回したユメミが強く畳を蹴り、後方へ走る。

 四人が分断された隙を突くであろうシロマダラへの備え。


 だが、老婆は来ない。

 つまり――――


「お前、連携取らずに一人で来たな?」


 マムシの腕を振り払い、白煙を溶かす。

 子供たち、そしてユメミを目で追っていたアオダイショウが俺を見下ろす。


「挟撃なら今このタイミングしかないんだよ。なのにあいつが来ないってことは、お前は無策。そうだろ?」


 マムシの腕が白液を滴らせる。

 

「恥は自力でそそぐってか? 甘いんだよ」


 アオダイショウの顔面に血管が浮く。

 

「雪辱戦に……プライド持ち込んでんじゃねえぞッッッ!!!」


 マムシの腕を振り上げる。

 アオダイショウは外見に似合わぬ機敏さで後方へ跳び、幟を掴む。


「退いたな」


 はっとアオダイショウが顔を向ける。

 遅い。

 既にシュウたちと合流したユメミが矢を番えている。


 今度の『矢』は鉛筆ではない。

 ユメミが密かに回収していた玉砂利。

 そしてロッコの「弓」はゴム質の空気を引っ張った、投石武器スリングショットに似た形状。


 一射につき一本の矢しか放てないわけではない。


「イタチさん伏せてっっ!!」


 びゅぼっ、と。

 七、あるいは八個の玉砂利が俺の頭上を通過する。


 射手はロッコでも、照準を定めたのはユメミだ。

 砂利は正確にアオダイショウの頭部目がけて飛ぶ。


 喰らえば無事では済まない石礫。

 避ける間もなく、アオダイショウは最短の動作で自らの身を噛んだ。


 ぶにょにょお、と。

 アオダイショウの顔、首、胸の肉と衣が、直撃した玉砂利を受け止たまま後方へ伸びる。


「貰ったッッ!!」


 ヘッドスライディング気味に滑り込み、マムシの腕を薙ぎ払う。

 丸太ほどもある右足が、一瞬で青水に変じる。


 快哉は上げない。

 俺は敬意を払う。


「弾が跳ね返るぞ! 散れ!!」


 子供たちが飛び退き、俺もまた身を伏せる。

 次の瞬間、アオダイショウが受け止めた弾丸がゴムの力を得て跳ね返る。

 玉砂利は畳を裂き、襖を破り、天井で爆ぜる。

 それでも、俺たちには当たらない。


「イタチさんとどめをっっ!!」


「分かってるっ!!」


 飛び出そうとして、踏みとどまる。


 ぐらりと後ろに傾いだアオダイショウの身が――――風船さながらに浮いている。

 巨躯の後ろには、片手を突き出したシロマダラ。


「!」


 日焼けした額に汗を浮かべた老婆が、自らの左腕を引きちぎった。

 片手片脚を失った青蛇にそれを投げつけ、白い怪女が戦闘領域へ踏み込む。

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