Dive17

「あるアプリを手に入れたんです。それがなんなのかを知りたい」



僕の個人情報を晒した人物からすぐに返答が来る。書き込まれたコメントの右上部の名前の部分にはオルトロスと書かれていた。どうやらそれが彼、もしくは彼女の名前らしい。オルトロスは確かギリシ神話に登場する双頭の犬だ。尻尾が蛇でケルベロスを兄に持ち、性格は落ち着きがなくせっかち。



「なんでも教えてくれると思ったら大間違いだ。ここは人生相談する場所じゃないし、君の願い事を叶える場所でもない。ここにいる人間は誰だって自分の知りたいことは自分で知ることができるように模索し続けることでここまできたんだ。本当に君が知りたいのならそれは決して難しいことではないはずだ蓮崎レンガ君。違うかい?」



オルトロスの言うことは正しい。もっともだ。だけど残念なことに僕にはその時間がない。僕はすぐにネットに繋がってない古いPCのモニターに映っている無数に続く黒い画像の列と、エイミーのアイコンをキャプチャーし、画像をフラッシュメモリに保存した。その2枚の画像をコメントなしで、夕暮れキータッチのチャット上に貼り付ける。オルトロスは数分間無言だった。変わりに【無垢な改ざん】という名前の人物が書き込んでから他の人間達も書き込みはじめる。


「なんだコレなんだコレ?」


「ネットで拾った画像かなんかだろ。どうせ」


「いたずらだろ」


「こんなアプリは今まで見たことない」


「そのアプリ、どこで手に入れた?」


チャット内は僕の貼り付けた画像ファイルに少しづつ反応をはじめた。さらにアプリの入手経路について質問したマレブレンケと書かれた人物の書き込み以降、チャット内が加速していく。


「マレブランケだ。マレブランケの登場だ」


「遅いぞ。今までなにしてた?」


「興味ある時だけコメントしやがって」


「マレブランケ。頼まれてたダイノ・コア製薬の件で聞きたいことがある」


「浴槽で人間がプリンみたいになって遺体で発見された事件に興味ある?」


「大日本総業の人身売買であんたが喜びそうな情報を手に入れた」


「次のお菓子は決まったかしら?」


「街からほとんどの猫が消えた事件の調査は継続中。あるサイコなサイトがどうも怪しい」


チャットが高速に流れていく。どうやらチャットに接続中の誰もがマレブランケなる人物を待っていたようだ。だがみんなのそんな言葉を無視して、マレブランケは誰の質問にも答えない。


「質問に答えろ蓮崎レンガ。そのアプリをどこで手に入れた?」


「大事な人から送られたものです」


「今から会う」


「え?」


「お前が今いる場所はこっちがいる場所からそんなに離れてないみたいだし丁度いい。今すぐブルーカプセルっていうアプリを携帯に落としておいて。今後連絡はそっちで。15分後に雨の外っていうカフェに来て」


「……わかりました」


「しばらくこっちを調べるから。みんな後はよろしく」


「おいおいマジかよ?」


「冗談だろ?」


「ネタじゃないのかよあの画像?」


「なんのアプリなのか教えろよマレブランケ」


一方的に僕に指示を最後にマレブランケはチャットから消えた。その後のチャット内はマレブランケが興味を示した僕のファイルについての議論がはじまっていた。あの英数字の文字列を見ただけでマレブランケはこれがなんなのか理解したようだった。今はハッカーに直接会うことにさほど危機感は感じない。ケシキから送られた物がなんなのかを知らずにこのまま生きていく方が問題だ。僕はすぐに立ち上がりフラッシュメモリをカバンに入れてコートに袖を通し部屋を出た。



マレブランケに指定されたカフェ、【雨の外】は以前、アエルに誘われて来店してから、すっかり気に入ってしまい月に2回は来ているカフェだった。なぜアエルがあんな素敵な店を知っていたのかはわからない。それより僕のお気に入りの店をなぜマレブランケは指定してきたのだろう。まさか僕が何度も来店していることを知っているのだろうか? そうだとしたら彼、もしくは彼女に隠し事をするのは不可能に思えてくる。

店内は雨の外という店名と同様に少し変わったカフェで、クリーム色の床全面に雨粒がついているように見えるリアルな塗装が施されていた。ドアを開けて店内に入ると中央にバランスを崩したような螺旋階段がある。設計ミスで作られたような螺旋階段を取り囲むようにコの字型に配置されたボックス席全てに窓がついていて、その窓は外がどんな天気でも、雨の雫がポツポツと付いて流れていた。店内に流れるBGMより少し小さめな音で店内全体に心地よい雨音が流されている。店内を観察していると、スマートフォンがポケットの中で振動した。画面を確認すると、マレブランケからダウンロードするように指示されているブルーカプセルというアプリケーションに、メッセージが届いていた。【2階の左奥。】とだけ書かれている。その短い文から、無駄を嫌う淡白な性格が想像できた。僕は螺旋階段を登っていく。実は2階はどこか特別な感じがしていたので今まで 1度も使ったことがなかった。手すりを握る手が少しだけ震えている。それは当然今からほとんど会話らしい会話をしたことがない相手と会うということも理由に含まれるが、それよりもハッカーと直接会うということが僕を一層緊張させた。ハッカーイコール犯罪者とは限らないが大抵のハッカーは何かしらの法を犯しているような気がする。僕にとって彼等への認識など所詮その程度だった。2階も1階と同様に壁に沿ってコの字型の席はあるが、1階と違うのは全ての席が完全に仕切られていて、小さな個室になっていることだった。左奥の個室の前に近づき入り口の前に立つと奥から低い女の声が聞こえてきた。



「早く入ってっ」


「初めまして……」


「あいさつとかいいから座れば?」



テーブルを挟んでマレブランケの前に座る。目の前には予想とは大分違う小さな女の子が座っていた。そして彼女の後ろに立ったままスマートフォンを操作する全身黒いスーツを着た背の高い女性が壁を背にして立っていた。その顔は完全に日本人ではない。少し前に観た映画に出ていたウィノナ・ライダーに似た雰囲気を漂わせている。真っ赤な口紅と真っ赤なネクタイが良く似合っていた。僕は座るのを忘れ、そのただならぬ雰囲気を持つ女性を見続けてしまった。



「彼女のことは気にしないで。彼女は外に出た時の私の手と足」


「手と足って……」


「試しにその灰皿を私に向かって投げてみればわかるよ。私の手と足があんたをしばらく動けなくなるまで痛めつけるから」


どうやら真っ赤な口紅の女性はマレブレンケのボディーガードらしい。マレブレンケはその辺にいるハッカーとは違うようだ。真っ赤な口紅の女性は僕がここにきてからも携帯から目を離さずにいる。きっとゲームでもやっているのだろう。ふいに灰皿をマレブレンケに投げると彼女がどんな動きをするのか気になったが、やめておくことにした。軽率な行動をして時間を無駄にしたくないし、痛い思いはしたくない。

ボディーガードである彼女と同様にマレブレンケを見て、すぐに言葉にできない存在感に圧倒される。真っ黒なライダースジャケットにフワフワした薄いピンクのチュールスカート。そして黒のロングブーツ。なにより彼女を際立たせていたのは一度見たらきっと忘れないほどのインパクトをもつヘアースタイルだった。綺麗に整えられたショートヘアーの左半分がオレンジ色に輝いていた。


「なに? そんなふうにジョンドゥが血塗れで警察署に自首しにきたのを見たサマセットみたいな顔されても困るんだけど」


そんな顔をしたつもりはないが彼女がそう言うのならきっとそんな顔をしていたのだろう。どうやら彼女も映画好きらしい。少しだけ親近感を覚えた。



「君がマレブランケ?」


「そう。でもその名前あたしが決めたわけじゃないし、好きじゃないからあたしのことはユウグレで」


「ユウグレってもしかして……」


「夕暮れキータッチを作った有樹ユウグレだけど……」


「君があの夕暮れキータッチを立ち上げた人?」


「そうだけど」



ユウグレはそう言いながら組んでいた脚を組み直しながらマルボロメンソールに火を点け、ドラゴンが炎を吐き出すように煙を口から出した。

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