Dive07

大好きな映画や小説で使われる、お気に入りの台詞でも言うように、もしくは世界の悪をすべて消し去る呪文でも唱えるように、さらさらとリズミカルにその言葉を吐きだしたケシキは、まるで憂鬱が目一杯つまった鍋の中に、さらに憂鬱という名のスパイスを入れて、それがなにか別のものに変わるのを待っている魔女のような、そんな顔だった。




僕はその呪文に何も返す言葉がなかった。ケシキもその時は僕に何も言ってほしくなかったんだと思う。嘘のないまっすぐなその言葉を肯定するのも否定するのも、なにか違うような気がした。


ただケシキにこんなことを言わせてしまう世界の真実がゆるせなかった。僕達がこんな会話をしなきゃならない世界そのものがゆるせなかった。


昼休みに終止符を打つ呪いのチャイムが鳴り響く。なんだかケシキとの会話を邪魔されたような気がして、いつにも増してその音に苛立ちを感じた。そのあと結局僕とケシキは話さなかった。最後の授業を終えるとケシキは逃げるように一人で学校をあとにした。






翌日




前日の台風がまるで嘘だったかのように、空は自分の本来の色をみんなに見せつけるかのように青々としていた。昨日の夜は小説を床に転がすことなく普通に眠れた。というか小説はあまり読む気になれなかった。






主人公がターゲットを捕まえられるのか続きが気になったが、ケシキの最後の言葉が頭から離れず、そのシーンばかりがネットの広告のように永遠と繰り返されたので途中で読むのをやめたのだ。そうなってしまうのも当然だ。なぜなら僕の目の前に小説の主人公のようなキャラクターが突然現れてしまったからだ。今日は遅刻しない程度に家を出て学校に向かった。教室に入るとケシキは自分の机と同化し、新たな生命体になりそうな勢いで眠っていた。




「起こしちゃ駄目だよ」




アエルが口元に人差し指を立て静かにしろという仕草をするが、僕はそこまでデリカシーのない人間ではない。どちらかと言えばアエルの声の大きさにケシキが起きてしまわないか逆に心配だった。彼女の名前は阿江木アエル。元気を体内で無尽蔵に生成する能力を持っているアエルの明るさは学校一と言っても決して大袈裟ではない。そんなアエルがどういうわけか僕の隣の席になってしまった。僕はアエルにとってよき理解者であり、よき被害者だった。アエルと隣の席になってかれこれ4ヶ月になる。こちらが鉄壁の貝のようにアエルからのコミュニケーションをシャットアウトし続けても、アエルは全く気にもせず何度でも僕の蓋をこじ開けてきた。そうしてアエルの話に嫌々耳を傾けてみれば、昨日テレビの占いで自分の星座が一位だったのにいい出会いがなかった。次に美容室に行ったら髪の色をもう少し明るくする。現在最も有名なハッカー集団、夕暮れキータッチに入りたい。夢に見ず知らずのイケメンが登場した。モンゴル相撲を生で観戦したい。などなど実にバラエティにとんだラインナップではあったものの、僕にとっては是非ともご勘弁頂きたい本当にどうでもいい話ばかりだった。しばらくそんな精神攻撃を受け続けるうちに僕は、全く話の内容を脳に到達させることなく、みごとなまでの相槌を打つという能力を獲得したのだった。




「実は昨日偶然ある場所でケシキさんをみかけて後をつけたんだ。そしたらどこに入って行ったと思う?」




アエルはケシキの寝顔を近くでまじまじ観察しながら言った。




「クラスメイトをストーキングするのは良くないんじゃないかな?」




「うん。まぁアエルもほんの軽い気持ちだったんだ。暇だったし。なんか昨日一緒に帰るの誘ったら断られたからさ」




「当てつけ? なんて器の小さい人間なんだよアエル」




自分に正直に生きるアエルの自由な性格は、時に人を傷つける。そのことを自分で理解しているのに、それを直そうとしないからタチが悪い。ケシキが放課後どこに行こうと関係ない。アエルはいつも大袈裟で話を壮大に構成するクセがある。その度に真剣に聴けばアエルが喜ぶだけだ。確かに少しだけケシキがどこに行ったのか気になるが、アエルの言うことにはほぼ興味がない。それぐらいのスタンスが丁度いい。

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