ある家族の話―八月一日~二日―

 ――――――――/八月一日


 暑い。

 毎年のことだが、夏は暑い。

 当然のことだが、夏は暑い。

 こんな風に、暑いという単語が脳裏から離れなくなるほどに暑い。

 だが、これでも僕は休んでいる。

 暑過ぎて休みになっていない気もするが、久々に宿を取れたのだから休んでいると評するべきだろう。

 おめでとう撲。

 春先から続けてきたデンジャラスな旅はこれで終わりだ。

 夏は水着で海にダイブ、そのまま藻屑となって消えてしまいたい。

「しかし、よく宿なんか取れたよなぁ」

「……これを宿と評するのか、お前」

 なんだか鞄の中から変な声が聞こえたが、とりあえず無視。

 僕の鞄はそれなりにでかいが、中に人間なんて入れられない。

 だからあの中から声が聞こえてくるなんてありえないのだ。

「使われてないボロ船にシート被せて寝てるだけだろ。これのどこを宿と言うんだ?」

 うるさいなぁ。

 なんでこの声は、僕の心の爽やかハッピー気分を台無しにするのか。

 ボロ船でもいいじゃないか、風情があるし。

 そう考えてないとやってられない。

 ここは堤防の下、砂浜だ。

 砂浜に打ち上げられていた見るからに使われてなさそうなボロ船を拝借している。

 ……その事実を思い出すと、ほんの少し真夏のセンチメンタリズムというのを感じてしまう。

 いや、明らかにそんな綺麗なもんじゃないけどね。

「なんだ、とうとう頭がクラッシュしたのか? クク、それなら人類の平和にまた一歩近づいたということだな」

「ナナシ。本のくせに人類の平和を願っているのか君は」

 シートを剥がして身を起こし、脇に置いていたバッグを開ける。

 中には荷物がいくつか入っているが、僕は迷うことなくボロい単行本サイズの古本を取り出した。

 途端、古本が僕の手から逃れるように飛ぶ。

 ふわふわと宙に浮かぶ古本。

 僕の方が下になってるせいか、太陽の光で古本はよく見えない。

 まるで後光を放つ菩薩様。

 そんな大層なもんじゃないけど。

「いきなり引っ張り出すな、お前は俺をなんだと思ってる」

「口うるさい古本、正確には喋る魔道書。一応現在僕の相方……お互い不本意だけどね」

「誰が古本だ戯け者」

 この魔道書はナナシ。

 名前がないからナナシと呼ばれているが、ナナシが名前のようなものなので、つまるところそれは矛盾ではなかろうか。

 大昔に魔術師によって作られた人格持ちの魔道書で、見た目は本の癖に中身は完全に人間だ。

 マーリンの相方だったりヘラクレスとも面識があったり天照大神ともお知り合いだったり、とんでもない経歴の持ち主。

 でも僕からすればやかましい相棒に過ぎない。多分経歴も半分くらいは嘘っぱちだ。

「いい加減路銀をどうにかして稼げ。俺や夏名はともかくとして、お前は肉体的には人間なんだから、飢えて死ぬぞ」

 いっそ餓死して幽霊になりたい。

 僕の半端な根性じゃ無理っぽいけど。

「路銀よりも冷たいアイスと扇風機がほしいよ。あ、クーラーは身体に悪いから却下」

「どちらも金がなければ手に入らんだろう」

 ちなみに残金たったの百十五円。

 あと五円の差でジュースも買えないとは、これはイジメか。

 むしろ百二十円が高すぎる。

 財布の中身を手元に出してみる。

 前回見たときと変わらない。

 当たり前だ、だって五分前に見たばかりだし。

 がっくりと頭を垂らす。

 悲観的思考を続けるのは趣味じゃないので、とりあえず首だけ動かして周囲を見る。

 何か面白くて金になりそうなことはないだろうか。

 ……そんなもんあるわけないっつうの。

 ここは砂浜なので、当然海が近い。

 というか手を伸ばせば海水に触れることも可能。

 ならもう少し船を離した方がいいんじゃないのか、という意見もあるだろうが、却下。

 心の奥底に眠る好奇心パワーが、

『気づいたら漂流してたよ』

 という体験をしてみてもいいかな、なんて思ったりしているのだ。

 百億分の一の割合で。

 さて、その海だが。

「なんか、人影が見えない?」

「うむ、しかも私服だな」

 海に入るなら水着着用すべきだろう。

 私服で入ったら重くてとても泳ぎにくい。

 見たところ女の子のようだが、後姿では年は判断しにくい。

 人影は、僕らに見られていることなど気づいてもいないらしく、そのままズンズンと進んでいく。

 もはや海上に出ているのは顔だけだ。

「ねえナナシ。あれってやばくない?」

「やばいな。入水自殺かもしれん」

「……ふむ」

 人影はなおも進み、やがて顔までもが海の中へと消えていった。

「初めて見るな。入水自殺」

「一年が千日以上のお前にしては珍しいな。まだ見てなかったのか」

「うん。いや、見てても忘れてるだけかもしれないけど。僕も記憶力にはあまり自信がない」

「……で、浮かんでこないが。助けるのか」

「当然。寝覚めが悪いのは嫌だし」

 栄養失調であまり言うことを聞いてくれない身体を起こし、僕は海へ向かう。

「それにうまくすれば謝礼がもらえる」

「お前、そこまで堕ちたか」

「失敬な。五円恵んでもらうだけだ」

「……」

 五円もらえればジュースが飲める。

 ふふ、コーラにしようかサイダーにしようかファンタにしようか。

「お前の魔法使い人生、それでいいのか……?」

 ナナシの呟きは聞こえない。

 僕はそのまま海にダイブした。

 これで口うるさいナナシの説教が聞こえなくなるんだから、海中っていいよね。

 呼吸できないけどさ。


 数分後、どうにか砂浜へと無事生還。

 助けようとした子はやはり女の子で、多分中学生くらい。

 僕の趣味ではないので、助けた後のラブロマンス的な展開はなくてもいいか。

 可愛いことは可愛いけど、どちらかというと妹にしたいタイプだ。

「今秋人さん、妙なこと考えてませんでしたか?」

 僕の隣に浮かんでいる女性が、半眼でこちらを睨んでくる。

 僕のくだらない電波思考をキャッチしてしまったらしい。

「いやなに、妹にしたいタイプだな、とか」

「あら。だったら私がなってもいいですよ?」

「夏名さんはどう考えても僕より年う……ぶごあっ!?」

 必殺の電撃が炸裂する。

 さっきまで海に入ってた身だから、今電撃をまともに喰らうと洒落にならないんですけど。

「年齢の話はなしですよー。っていうか、私死んでるから年は取らないんですもん」

「そういう理屈できましたか」

 この人は夏名さん。

 ちょうど去年の夏頃、ある場所にて出会った女性だ。しかも神様らしい。

 いや、日本はどこにでも神様いる国だからそう凄くはないんだろうけどさ。

 普段は幽霊みたく、見える人にしか見えないような姿でふわふわと浮かんでいる。

 だが実体化することも可能。なかなか便利だと思う。

 今回も実体化をしてもらい、人工呼吸の代理を頼んだ。

 趣味じゃないとは言え、異性の女の子にそんなことするのは気が引ける。

 それに、そんなことした日にはナナシに一ヶ月はからかわれるだろう。

 一の出来事を百のネタにする古本、恐るべし。

「まったく、秋人さんはいつも意地悪ですね」

「そうですか?」

「そうですよっ、私が年齢の話されるの嫌いだって知ってるのに」

 プンスカ怒りながら、夏名さんは存在密度を希薄化させた。

 こうなると僕にもよく見えなくなるが、一応いることはいるらしい。

 呼べば僕にも見える程度に密度を上げてくれるが、普段は薄い方が楽なんだとか。

 僕も存在密度を薄くしたい。

 そこでちょうど、女の子が目を開いた。

「おや、大丈夫かい」

「……え?」

 女の子は目をぱちくりとさせているようだった。

 多分自分はもう死んだつもりだったのだろう。

 僕が助けに行ったとき、既に海中でぐったりしてたからな。

「君は海でおぼれてたんだ。そこを通りかかって、まぁ助けたわけだけど」

「そう、ですか」

 どこか、諦めきったような……寂しい目をする子だった。

 なんか嫌だな。

 そういう目をされるのは。

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

 抑揚のない話し方をする。

 随分と投げやりなご様子だ。

 沈黙が訪れる。

 実に気まずい。

 彼女は海に入っていたため、びしょびしょだった。

 今は手持ちのバスタオルを貸してあげてるから、目のやり場に困るということはない。

 ただ、何かアンバランスな感じのする子だった。

 動きやすそうなショートヘア、無駄のない身体つき。

 無茶苦茶運動とか得意そうで、笑えばかなり愛嬌のある子だと思う。

 しかし今は人形みたいに口を閉ざし、感情のない目で海の方を見ている。

 放っておくとまた自殺しそうで怖いです、まる。

 以上、観察終了。

 と、彼女は僕の視線に気づいたらしい。

 そこで何を勘違いしたのか、

「……何かお礼が必要でしょうか」

 うーん、物欲しそうな目で見てると思われたのかな。

 実際欲しいけど。

「……」

「え、あー……別にいいよ。あはは」

 じっと見てくる彼女を前にして、僕は不覚にもそんなことを口走っている。

 あれ?

 もしかして撲この子に気圧されてますか?

 おかしいなぁ、今までこの手の人間には沢山会ってるはずなんだけど。

 五円貰うつもりだったのに、なんだか言い出しにくいぞ。

「そうですか……それでは」

「あ」

 僕が何か言うよりも早く、彼女は僕にバスタオルを返し、堤防の方へと行ってしまった。

 声をかけたり、後を追いかけたりできるような雰囲気じゃないな。

 なんだか面白そうな子なんだけど。




 ――――――――/八月二日


 何か手段を講じないと死にそうなので、とりあえず船から出る。

「しかしどうするんだ、お前」

「大道芸でもする? 魔術使えばなかなか派手なの出来るよ、まさにマジック」

「……尊厳とかを持て。少しは」

「そんなもの、金がなければ持ちようがないさ」

 悲しいけど、これって現実なのよね。

 たまらないよ、まったく。

 とりあえず、堤防近くに駄菓子屋があった。

 中に入ると美味しそうな匂い。

 思わず駄菓子を買いたくなってしまうが、それは我慢。

「すいませーん」

「あい、なんですか」

 腰の曲がった、だけど眼光の鋭いお爺さんが出てきた。

「この店の前で、ちょっとマジックとかやりたいんですけど。いいですか?」

「マジック? あの、トランプとかからハトが出るやつか?」

「ええそうです」

 違うけど説明するの面倒臭そう。

「まぁいいじゃろ。客寄せになるかもしれんし。ただ、営業妨害になると見なした場合は退いてもらうぞ」

「はい、それは当然。なに、邪魔はしませんよ」

 とりあえずお爺ちゃんの印象を良くするために、五円チョコとうまい棒を購入。

 特にうまい棒は値段の割にお腹が満たされるので、なんとなく好きだ。

 ……別に食欲に負けたわけじゃないよ?


「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。楽しいマジックショーだよー!」

 力の限り叫ぶ。

 トランプ、帽子、ハンカチ、ハサミなどなど。

 準備は万端、しかも使うのは本物の魔術。

 タネも仕掛けもございません、というやつだ。

 ……万一魔術師に見られたらヤバイけど、それは考えない。

 ただ一つ問題がある。

「あのー、お爺さん」

「なんじゃー」

 奥の方からお爺さんの声が聞こえる。

 テレビの音も一緒だ。

 店番しなくていいのか。

「ここって、一日何人くらい人が来ますかー」

「あー、高梨さんとこのまゆちゃんに和坊、美樹原さんちの佐奈子、吉原さんちのトンビ……」

「いやいいです、分かりました」

 最後のトンビが少し気になったが、それはまぁいい。

 とりあえず問題なのは、ここに通行人すらろくに来ないということだ。

 しかも、お爺さんはいちいち来る客の名前をあげていった。

 即ち、覚えられる程度の人数しか着てないってことだ。

「これはまずいなぁ」

 お爺さんの話だと、この町はどこに行ってもこんなものらしい。

 スーパーなどは少し遠くにあるため、車で行く人がほとんどだそうだ。

 そこまで辿り着けなさそうなので、スーパーは却下。

 あとは近場に学校があるらしいが、当然今は夏休み。

 補習を受けてる子がいるかもしれないが、大道芸相手に学生がいくらくれるというのか。

 別の手段考えた方がいいのかもしれない。

「しかし他に出来ることがない……」

 資格もなければ立場もない。

 改めて考えてみると、無茶苦茶惨めではないだろうか。

「……あれ?」

 ふと、堤防越しに海の方を見る。

 なんだか人影が見えた気がした。

「いや、まさかな」

 だって昨日の今日だし。

 いくらなんでも二日連続でそんなことする人なんていないだろう。

 それでも、その人影は海にいる。

 どんどん進んでいる。

 果てしない青き海へと。

 冗談じゃない。

 さすがの僕でもちょっと信じがたいぞ。

 だけど、気のせいでしたと放って置くわけにもいかないだろう。

 僕は慌てて鞄を手に、堤防の方へと駆け出していった。


 堤防は結構高さがあるが、下が砂浜なので思い切って飛び降りる。

 落下時の衝撃を簡易魔術で多少和らげる。

 しかし詠唱も何もない半端なものなので、足がぎしりと痛む。

 まぁ骨折してないだけ幸いだろう。

 さて、あの人影は、と。

「いた……!」

 あの後姿。

 服は違うけど、間違いなく昨日の子だった。

 だが確認したかと思うと、すぐにその頭は海中へと沈んでいく。

「冗談じゃないね、まったく」

 何が悲しくて二日連続で自殺しようと言うのだろう。

 信じられない。

 普通の神経じゃない。

 思考はこんな風にいつもと変わらないが、僕の身体は凄まじい勢いで走り続けている。

 海へと飛び込み、彼女の姿を探す。

 波が鬱陶しかった。

 早くいかないと、手遅れになる。

「秋人さん」

 僕の横に夏名さんが現れる。

「私が海を割ります。急いであの子を」

「さすがは夏名さん。どこぞの古本と違って頼りになりますね」

 幸い辺りに人の気配はないし、夏名さんの力を使っても問題はないだろう。

「はあぁぁっ!」

 夏名さんの掌に淡い光が浮かび上がる。

 周囲から魔力素をかき集め、光はどんどん強くなっていく。

「――っ!」

 声なき詠唱(トリガー) が引かれ、光は一筋の線となった。

 線に引き裂かれるように海は割れ、道が出来上がる。

 その先に、昨日の子が倒れていた。

「まったく、世話のかかる子だねえ」

 この道はすぐに閉ざされてしまう。

 僕は大急ぎで彼女を担ぎ上げて、海から退散した。


 夜遅くになって、ようやく彼女は目覚めた。

 昨日より目覚めるのが遅かったのは、それだけ体力が落ちているということだろう。

 僕は彼女が目覚めるまで、駄菓子屋の前でマジックショーをやったり、砂浜で何か食べれるものがないかどうか探したりしていた。

 結果、収穫0。

 そろそろ本格的にやばそうな気がする。

「ここは……」

「僕の宿だよ」

 彼女を船に寝かせているので、僕は堤防の壁に寄りかかっていた。

 まだ頭がぼーっとしているのか、彼女はふらふらと危なっかしい仕草で身を起こした。

「貴方は、昨日の」

「どうも。まさか二回も助けることになるとは思わなかったよ」

「……助けなくても、良かったのに」

 恨みますよ、と言わんばかりの視線攻撃。

 折角助けたのに、そんな視線を投げかけられてはたまらない。

 まぁ確かに助けたのは僕の勝手で、彼女にとっては余計なお世話なんだろうけど。

「悪いけど僕はしばらくここに逗留するつもりなんだ。誰だって自分の家の近くで人死になんてあって欲しくないだろ? だから、ここに来る限り僕は君を助けるよ」

「……」

「そう睨まないで。うまい棒食べる?」

 今日一日で店のお爺さんと仲良くなって、一本ご馳走になったのだ。

 恵んでもらったといった方が正しいのかもしれないけど。

 本当は僕の夕食にするつもりだったのだが、まぁここは彼女にあげるべきだろう。

「いらない」

 一蹴された。

 ちょっと悲しい。

 仕方ないので僕はうまい棒を食べることにした。

 格好はつかないけど、別に間違ったことはしてないので良しとしよう。

 その間彼女は僕の方をじっと見ていた。

 見つめられている、というより睨みつけられている。

 そんなに死にたかったのだろうか。

「何も、聞かないの?」

「ん?」

「私がなんで二回も、あんなことしようとしたのか」

「聞く理由がない。君が話したければ聞くけど、こういうのは簡単に聞くべきことじゃないさ」

 少なくとも僕のような、関係もなく立場もなく資格もない人間が言っていいことじゃない。

 ま、聞いて欲しければ聞いてあげるけど。

 それが人情と言うものだ。多分。

「……貴方は、何?」

 いきなりそんな、根源的な質問をされても。

 とりあえず名前と肩書きでも言えばいいか。

 ……肩書きか。

 魔法使いとか、魔術師という単語を繰り出せそうにもないしなぁ。

 こういう雰囲気は、僕じゃちょっと不得手だ。

 適当に誤魔化そう。

「飛鳥井秋人。さすらいのマジシャンさ」

「……」

 余計視線が冷たくなった気がする。

「要するに、宿無し?」

「失敬な。そこが僕の宿だ」

 人一人がかろうじて収納できるボロ船。

 これで海に繰り出したらUSA版の髭親父のようになること請け合いだ。

「マジシャンって、マジックとか、芸でもするの?」

「当然だろう。町から町へ、愛と希望とやり直したい時間を提供しながら旅をしてきたんだ」

 嘘は言ってない。

 少なくとも主観的には。

「ふーん」

「見たいんだったら見せてあげようか?」

「……」

 胡散臭そうな顔をしている。

 まぁ二日連続自殺未遂ツアーから帰還してすぐに「マジック? 見たい!」とか言われても困るけど。

 でもこのままだと僕の尊厳に関わるので、とりあえず勝手に披露する。

「はい、ここに五十二枚のトランプがあります。あ、ジョーカーは抜いてるよ」

 予めトランプから抜いておいたジョーカーを彼女に手渡す。

 そしてトランプの束も彼女に手渡した。

「はい、普通のトランプ。間違いないね?」

「……」

 疑いの眼差しを向けつつも、とりあえず頷いてくれた。

「はい、じゃそのトランプをください。はい、私の動きをよく見てくださいね?」

 トランプをもっともらしくシャカシャカと切る。

 その間、こっそり溜めておいた魔力を使って軽度の錯覚魔術を行う。

 普通の人には魔力なんて見えないから、特に注意する必要もない。

「はい、それではこれからビックリするようなことが起こりますよ。はい、どうぞっ」

 ババーンと口で効果音を作りながら、僕は手にしていたトランプを扇状にして、彼女の目の前に見せた。

「……っ!?」

 彼女の表情が驚愕に染まる。

 おお、はじめてまともに表情が変化した。

 それもそのはず。

 僕の手にしていたカードは――――五十二枚全てが、ジョーカーになっていたのだから。

「ちょ、ちょっと待って!」

 普通のマジックではさすがにこれは無理だろう。

 予めかなり大掛かりな仕掛けを用意するか、もしくは本物の魔術であるかしかない。

 彼女は当然前者だと思ったのだろう。

 僕の手からトランプを取って、何回も見たり触ったりしている。

 トランプにはタネも仕掛けもないから意味ないんだけどね。

 彼女自身にタネを仕掛けたわけだし。

「はい、返してくださいねー」

 彼女からトランプを受け取り、再び裏にする。

 そこで錯覚魔術を解除し、もう一度めくった。

「えっ……!?」

 今度は全部元に戻っている。

 特に怪しい動作もしてないのに、だ。

 普通の人ならば口をポカーンとするくらいしか出来ないだろう。

 しかし魔術をこんなことに使ってると知られたら、あの世の師匠に殺されそうだなぁ。

 まぁいいや、彼女が驚く顔見れたんだし。

「どう?」

「え、いや……」

 反応に困っているようだった。

「凄いと思う……でも」

「タネも仕掛けも検討がつかない、といったところかな」

「う、うん」

 彼女の視線はトランプに釘付けだ。

 いいなぁ、なんかこういうの。

 マジシャンに憧れる人の気持ち分かったような気がする。

 そんな満足感を台無しにする音が、僕の腹から鳴り響いた。

「……」

「……」

 気まずい。どうしよう。

「……っ」

 僕が言葉を探している隙に、彼女はいきなり駆け出して行ってしまった。

 うわぁ、かなり最悪な別れ方。

 格好つかないどころか惨め過ぎる。

「どうしようか、ナナシ」

「俺に意見を求めるな。いくら魔術でも飯は出せん」

「だよねえ。夏名さん、助けて」

「ごめんなさい、私も材料がなくては用意できません……」

 旅の仲間はつれないなぁ。

 っていうか僕一人が飢えという状態異常にかかるのは不公平だと思う。

 いっそ僕も死んで神様になりたい。

 ……そのまま昇天しそうな気がするけど。

「ん?」

 そんな戯言で空腹感を紛らわしていると、彼女が戻ってきた。

 夏名さんには姿を消してもらい、ナナシは鞄の中へ叩き込む(力一杯)。

 彼女は大分急いでいたのか、かなり息を荒げていた。

「大丈夫?」

「はぁっ、はぁっ……」

 頷きながら僕の方に何か差し出す。

 暗くてよく見えなかったが、この感触は――――

「もしかして、パン?」

「はぁっ、はぁっ」

 コクコクと頷く。

 やがて呼吸も落ち着いてきた頃、元の仏頂面に戻って、

「お代。お腹減ってるみたいだったから」

「でも二個あるみたいだけど」

 換算すると二百八十円。

 あんな芸だけでこれだけ貰っていいのかなぁ。

「一個は、私の」

「あ、そうなの」

 少し残念だが、まぁそんなものだろう。

 いらん期待した僕が悪い。

「ありがとう。正直助かるよ、久々にまともな飯だ」

「そうなの? あんな凄いことが出来るんだったら、もっと儲けられそうなのに」

「いろいろと事情があるんだよ」

 普段はあんなことやってないし。

「なんか、貴方って変わってますね」

「はむはむ……まぁ旅人なんてやってる時点で……はむはむ……変わり者と言う自覚はあるけど」

 お、中身はクリームか。

 別段豪勢なものではないけど、それでも美味しい。

「旅……楽しいですか?」

「僕に会う人皆が大概それを聞く。答えは簡単、面白い」

「面白い?」

「そ、楽しいんじゃなくて面白い。楽じゃないけど、やりがいはある」

 遊び感覚ではとても続けられない。

 強いて言うなら、やりがいのある仕事なのだ。

 法的には住所不定の無職だけど。

「だから合わない人にはオススメ出来ないね。これは、性分とか相性の問題だよ」

「……そうですか」

 期待外れのような顔をする。

 やがて彼女は自分の分のパンを食べ終わり、立ち上がった。

「帰ります」

「そうか。帰る家があるなら、早く帰った方がいいね」

「……」

 あれ、特に差し障りのないことを言ったつもりだったんだけど。

 彼女、なんか寂しそうな顔してるな。

 ……自殺の原因、家にあるのかな。

「それじゃ、また」

「ああ、またね」

 気のせいだったのかもしれない。

彼 女は普通に歩いて、普通に消えていった。

 しかし、

「また……か。会うのかな、また」

 そのときは、またマジックを見せて、パンでも貰おう。

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