別れの日

 ――――――卒業式の日が来た。


 その日、彼は一人家を出た。

 見送りはない。

 もともと彼は一人だった。


 両親は健在だった。

 いないも同然の存在ではあるが、一応保護者という扱いになっている。

 父は数ヶ月に一度しか会いに来ない。

 母親はそもそも現在どうなっているかすら分からなかった。

 死んだという話は彼の元には届いていない。

 だから彼にとっては一応生きている、ということになる。


 クラスメイトは阿呆だらけである。

 少なくとも彼はそう認識していた。

 誰も彼もがテレビや雑誌の情報に踊らされ、自身の意思というものを持っているのかどうかもサッパリな連中だった。

 故に彼は相手にしていない。

 卒業式にあたって、共に祝う仲の者など存在しない。


 そんな彼にも、一人だけ心許せる相手がいる。

 自称魔法使いという、なんとも怪しい人物ではあったが。


 学校に到着した彼は、あれこれと騒ぎ立てるクラスメイトを意にも介さず、自分の席へと腰を下ろす。

 机の中は空っぽ。

 ついでにいえば彼のロッカーの中身も空っぽだ。

 整理整頓がいいというわけではない。

 単に彼がそういう人間なのである。


 卒業式など、慣れたものである。

 クラスメイトたちがいちいち騒ぐことが彼には理解できない。

 彼は今更卒業式で感動するものか、と考えている。

 そんな捻くれた彼を、クラスの誰もが相手にしない。


 教室は五月蝿いので外に出る。

 屋上へと出向こうとして、止めた。

 あそこに行くのは最後にしようと思ったのである。


 食堂にやって来た。

 しかし普段賑やかなその場所は、不気味なほどに静まり返っていた。

 料理の匂いが漂うこともなく、会話に耽る学生たちもいない。

 彼はすぐさま興味を失い、その場から立ち去った。

 ただ一言、ランチは美味しかったよ、と告げて。


 図書室は閉まっている。

 しかし彼にはそんなことはお構いなしだった。

 こっそりとバレないように忍び込む。

 当然のように、誰もいない。

 だが彼にとってはそのほうが自然であり、この雰囲気こそが馴染み深いものであった。

 書物は彼にとって第一の友人である。

 本は余計なことは語らない。

 必要なことだけを淡々と教えてくれる。

 それが彼の好みにあった。

 先に述べた魔法使いが持っていた魔道書だけは例外だが。

 ともあれ、彼は懐かしむように、また愛しむように図書館をぐるりと見て回った。

 何度も読んだ本もあれば、一度も手をつけなかった本もある。

 それら全てが、彼にとって楽しい思い出の具現たりえるものだった。

 だが卒業式までそんなに時間がない。

 他にも見て回らなければならないところがある。

 彼は惜しむように、図書館を後にした。


 グラウンドは彼にとって、唯一のクラスメイトとの共同作業場であった。

 サッカーにしろ野球にしろ彼は人並以上には出来たので、割と重宝された。

 チームプレイはひどく下手糞で、文句も沢山言われた。

 だがこの場所ほど彼とクラスメイトを強く結びつけたものはないだろう。

 ゲームの最中は思想は関係ない。

 共に何かをする際に必要なものは、ここに全てあった。


 中庭には朽ちた花壇があった。

 彼が昔世話をしていたのである。

 ふとしたことから仲良くなった女子がいた。

 彼女に頼み込まれて、二人で一緒に世話をした。

 そんなことも、もはや思い出となる。

 彼女はとっくに転校してしまい、もうここにはいない。

 それから暫くして、彼もこの花壇を世話することが出来なくなった。

 いろいろとあったから。そう、言い訳のようなことを花に告げる。

 花は答えない。

 ただ静かに、朽ちてゆくだけ。

 彼はただ一言、サヨナラとだけ告げてその場を立ち去った。


 体育館に来てみると、卒業式が危うく始まるところだった。

 慌てて自分に用意された席に着くと、すぐさま卒業証書授与が始まる。

 似合わないぐらい緊張しながら、彼は卒業式が終わるのを待った。

 なるほど、感動はないのかもしれないが緊張はするものだ。

 内心苦笑せざるを得なかった。


 卒業式はあっという間に終わった。

 いや、時間的に言えばとても長いものだったのだろうが、彼にとってはあっという間だった。

 緊張していたせいだな、と彼は気恥ずかしさを感じた。

 クラスメイトたちは卒業式後の打ち上げをしようと騒ぐ者もあり、涙を流して別れを惜しむ者もあった。

 意外だったのは彼の父親が来ていたことだった。

 やれやれ、来なくてもいいんだよ。

 そう言おうとしたが、何故かもの哀しくなって、結局声もかけずに彼は走り去った。


 屋上に着く頃には涙は止まっていた。

 ――――――泣いていたのか。

 そのことに驚き、そして今更のように彼の中から悲しみが溢れ出してきた。


 結局のところ。


 強がっていても、彼はただ寂しかっただけなのだった。


「やぁ、お別れの日はどうだったかな」


 ふわっ、とそよ風が吹く。

 その場所には魔法使いがいた。

 当たり前だ。

 今日この場所で、彼とは会う約束をしていたのだから。

 今になって何故そんなことを、と後悔する。

 もっとも、魔法使いにはそんなことは関係なかった。

「さて、それじゃそろそろ行こうか」

 嫌だ、と叫びだしたかった。

 だがそれは敵わぬ願い。

 なるほど、誰もがこの学校から卒業していく。

 旅立たねばならない。

 それは彼とて例外ではない。


 それでも。


 それでも、もっとこの時間の中にいたかった。


 もっと、この場所にいたかった。


「ふむ―――それは困ったねぇ」

 さして困った様子もなく魔法使いは首をかしげた。

「それじゃ後悔のないように、あと1時間だ。その時間で、全てを終えてきなよ」

 それだけを告げて、魔法使いは霧のように消えていった。


 父親は、人がいなくなった体育館で立ち尽くしていた。

 どこか遠くを見るような視線で。

 何か、ありもしないものを探すために。

 そんな父親に、彼は駆け寄った。

 突然の事態に驚いた父親は、眼前の息子をただただ黙って抱きしめた。

 涙を流しながら。

 お互い周囲を気にする風もなく、強く強く相手を抱きしめた。

 そして父親は、涙を流しながら、搾り出すような声で、笑顔で、言った。

「――――――卒業、おめでとう」


「良い話だったね」

 そう、魔法使いの飛鳥井秋人は告げた。

 彼は今屋上で寝そべっている。

 冬が過ぎ去り、春になったせいか、ナナシもバッグから身を出している。

「ふん、我が侭な奴だったがな」

 そう苦々しげに語るナナシ。

 魔道書故に表情はなく―――本心、どう思っているかは秋人にも分からない。

「僕もちゃんと卒業しておこうかな。来年にでも」

「お前なんぞとっくに退学処分だろう。旅に出てかれこれ4年は経っているじゃないか」

「む、言われてみればそうかも。まぁいいや、幻惑魔術使えばどうにかなるだろ?」

「このロクデナシめ」

 二人は真っ赤に染まる夕焼け空を見上げながら、語り合う。

 あの夕陽が沈むまで。

 いつまでも。

 いつまでも。

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