第11話

「姉が家出した後、婆様はわたしに言ったわ。『このまま舞依が帰ってこんかったら、おまえが代わりに〈種受けの儀〉を受けるんじゃ』って」

 結依は、あえて感情を押し殺したような硬い表情で語り続ける。

「帰ってこなかったらとか、よくそんな冷たいことを平気で言えるわねって、今までずっと抑えてきた怒りが沸き上がってきたの。結局、婆様にとってわたしたち──娘や孫──は、単に緋劔神社の血統を受け継いでいく道具としての価値しかなかった。それなのに、母を壊して、わたしたちを縛りつける婆様が、憎らしくてたまらなくなったのよ」

 またしても結依の顔が憤りに歪んだ。顔立ちが整っているだけに、怒りが露わになると凄みが漂う。

「婆様や母を含めて、代々の巫女様は忌まわしいしきたりに従ってきたけど、もう時代が違うわ。これ以上、婆様の好きなようにはさせない、って思った」

 怒りから一転、耐えてきたものがこらえ切れなくなったように、結依の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 それを見た舞依も瞳を潤ませながら

「ごめんね。ごめん、結依。わたしが逃げ出したばかりに、つらい思いを……」

と結依に取りすがり、声を上げて泣き出した。

 梨夏も涙ぐんでいる。男二人は無言のままだ。下手な台詞を口にできる空気ではない。

 ひとしきり涙を流して少し落ち着きを取り戻した舞依が語ったところによると、彼女は七月三十一日に家を出た後、信頼できる高校時代の友人のところに身を寄せていたという。その女友だちとは、結依とも姉妹ぐるみで付き合いがあり、栞梛家の内情もある程度は知っていることから、舞依は最低限の事情を打ち明けてかくまってもらった。

 ただ衝動的に家を飛び出したものの、四、五日ばかり経つと、舞依は、夏休みで帰省しているはずの結依のことが心配になってきた。自分が姿を消したことで怒り狂った婆様が、むりやり結依を身代わりにしようとしているのではないか。

 舞依は幼い頃から生家と緋劔神社には深い愛着を抱いており、巫女として神社の後継ぎになること自体には、何ら異存はなかった。

 村を出て大学生活を満喫している結依に対しては、羨望を感じる部分が全くないわけではなかったが、それでも、より広い世界で活躍しようとしている結依を応援する気持ちのほうが遥かに強かった。

 だから、婆様の偏狭な思惑によって結依の人生がねじ曲げられてしまうことは、舞依にとっても不本意極まりない事態だったのだ。

 そう考えると、妹思いの舞依は居ても立ってもいられなくなり、八月七日の夜更け、友人に頼んで車で家まで送ってもらったという。それから舞依は結依の部屋に潜伏し、二人の間で深刻な話し合いが続けられた。

 舞依の心配は見事に的中していた。

 そして、五日後に迫った〈種受けの儀〉に対する嫌悪と、婆様に対する積年の憎悪から、切羽詰まった姉妹は進むべき道を見誤り、窮鼠猫を噛む覚悟を決めた。

 婆様が夜籠りの行を執り行う機に乗じ、事故を装ってこれを亡き者にする意思を固めてしまったのである。


「それにしても……なあ」

 舞依の話を聞き終えた翔吾が嘆息した。

「やっぱり、二人して村を出ていく方が良かったんじゃないのかな。さすがに殺すのは……」

「さっきも言ったように、神社の後継ぎが嫌なんじゃないんです。わたしは村のみんなが笑顔でお参りできるような普通の神社にしたいだけ。それに、母を一人にして行けやしない」

「変な因習に縛られるとか、婆様の言いなりになるのは、もう絶対に嫌。いなくなってもらうしかないって……それ以外の考えは浮かばなかったの」

 姉妹が代わる代わる思いを告げる。


 翌八日深夜、最後までためらいながらも、姉妹は自らを奮い立たせて計画の実行に着手したが……すんでのところで予期せぬ事態が生じ、自らの手を血に染めることなく図らずも目的は達成されてしまった。

 婆様が亡くなったことで〈種受けの儀〉を強制する人はいなくなり、姉妹は忌まわしい儀式からは解放された。だが一方で、婆様の死によって利益を得た形の二人に、疑惑の目が向けられる状況は整ってしまったのだ。

 それではこれからどうするべきなのかという問題に、結局、帰着することになる。とりわけ、俺たち三人はどう動けばいい?

「表向きは事故で落ち着くことになりそうだけど、これからしばらくは、神社も家も大変だよな」

 翔吾が姉妹にいたわりの目を向けながら語りかけた。

「儀式はしなくてもよくなったとはいえ、神社の後継ぎは必要だし……」

 舞依と結依を気遣いつつ、遠回しに(俺たちは引き上げるべきだ)と言いたいらしい。

 俺がそれを口にして確かめると、翔吾は肯定も否定もせず、ため息を漏らしながら腕組みをした。この場合の無言は〈肯定〉だろう。

 梨夏はどうかというと、

「わたしたちの身に危険が及ぶのは嫌だけど……」

と、迷っている素振りを見せた。

 さっきは今すぐにでも荷物をまとめて逃げ出しそうな勢いだったが、少し落ち着いて冷静さを取り戻している。姉妹の話に嫌悪感・拒否感を抱いたものの、彼女たちの境遇には同情を禁じ得ず、また同じ女性として義憤を感じている様子だ。

 ただ、もしも梨夏が村を去るとなったら、もちろん翔吾も同行することになるだろう。そして俺の肚は決まっている。

「わかった。じゃ、翔吾と梨夏は先に帰ってくれ。俺は残る。というか、結依に『邪魔だ』って追い出されない限りは、まだここにいたい」

 どさくさ紛れに「結依」と呼び捨てにしてしまったが、俺の頭はその時点でかなりヒートアップしてしまっていた。

 俺の残留希望は、続く結依の言葉でひとまず報われた。

「邪魔だなんて……そんなこと、言うわけない。それに……みんなに知らせず本当に秘密にするつもりなら、LINE送らないよ」

 しんみりとした口調で、結依は続ける。

「どんな気持ちだったのか、本当のところは自分でもはっきりわからない。ただ、甘えかもしれないけど、心のどこかで会いに来てほしいって思ってた。だから、昨日、みんなの顔を見た時、すごく嬉しかったの。でも、すぐ事件に巻き込んじゃうってわかってたから……迷惑かけてしまうから、素直に喜べなかった」

(それで、昨日久しぶりに会った時、結依は泣き笑いのような表情になったんだ……)

「わたし、村も神社も嫌いじゃないけど、上京して大学入って外の世界を知ることができた。舞依には申し訳ないけど、この村のしがらみから解放されて、世界が広がったような気がしたんだ。自分の思うように生きられるって」

 結依は、俺たち三人の顔を交互に見つめながら、

「特にみんなと一緒にいる時に、自由を実感できたの。楽しかったの。でも……」

 再び、その瞳からポロポロと大粒の涙を零した。

「今、みんなが帰ってしまうと、ひとりぼっちで取り残されたような気持ちになりそう。自分のわがままだってことはわかってるけど、せっかくのつながりが切れてしまいそうで……」

 しゃくり上げるようにして、結依は嗚咽を漏らす。

(結依って、こんなふうに泣くこともあるんだ)

 気丈に振舞っていたものの、舞依に対する負い目を感じながら、いろいろなしがらみや自分の思いとの狭間で揺れ動いていたのだろう。閉鎖的な環境の中で重荷を背負いながら生きてきた姉妹が、何だかいたわしく思えた。

 突然、梨夏が感情移入のあげく、結依に取りすがり声を上げて泣き出した。

「ごめん、結依。気づいてあげられなくてごめん。もう帰るなんて言わないから。ずっといるから」

 女子大生二人がお互い抱き合って、おいおい涙を流している。

 隣で翔吾は、驚き呆れ諦めたような複雑な表情で、その姿を眺めていた。こうなると彼も、梨夏の方針転換に従うしかないだろう。この状況で、結依のすがる思いを振り切って村を去るだけの非情性は、翔吾も持ち合わせてはいない。

 俺も改めて肚をくくった。こうなったら、結依が「もういい」というまで、とことん居ついてやる。

 ところが翔吾の次のひと言で、その決意も土台から大きく揺さぶられることになった。

「でもよ、ここに残るってもあさっての夕方までだぜ。十二日の朝一番から大学で集中講義だろうが」

「あ!」

 やばい。すっかり忘れていた。

 恥ずかしながら俺たち、大学の必修科目の成績が悪くて単位を落としそうになっているのだ。

 同じような成績不振の学生が予想より多かったことに驚いた担当教授が、救済措置として集中講義を開講してくれることになり、それを受講して提出するレポートが合格になれば、とりあえず単位未修得=留年の危機は当面回避されるという。

 丸一日の講義漬けはしんどいが、多忙な教授がわざわざお盆直前の慌ただしい時期に設けてくれる講座なので、これは絶対にすっぽかせない。

 そして、十二日朝からの講義に出席するためには、新幹線、飛行機、高速夜行バス……どの交通手段を使うにしろ、翔吾の言うとおり、十一日の夕方には村を出発しなければならないのだ。

(この一大事の最中に集中講義とか……。もっと真面目にやっときゃよかった)

 過ぎたことを今さら悔やんでもどうしようもないので、それはもうこっちに置いといて、では十一日の夕方がタイムリミットとして、今からどう動く?

 最終目標は〈お祖母さん殺しの真犯人を突き止める〉ことだ。

 そうすれば、本件が事故ではないことは明らかになるにせよ、舞依・結依姉妹の殺人容疑は晴れるし──死体遺棄の罪は残るが──これ以上の人殺しは起きないだろう。

 とにかく時間がないので、行動と思考を並行させるというか、できることを効率よくこなしながら、そのつど考えを整理していくしかあるまい。

 そこで、まずは何といっても緋籠堂付近の捜索だ。主な目的は、お祖母さんが履いていたはずの草履探しである。

 昨夜、お祖母さんは母屋から緋籠堂までは歩いて移動しているので、少なくとも殺害された直後の時点では、緋籠堂内かその周囲に草履は存在していたはず。

 もし草履が見つかったら、それを遺体と同じように崖から投げ捨てる。見つからなかったら、苦肉の策だが、あらかじめ準備した別の草履を投棄して、あくまで事故を装うつもりだ。

 要するに偽装工作だから、我ながらやばいことに手を染めてしまう危機感は大ありなのだが、不思議なことに罪悪感はあまりない。

 そういった小細工を弄して時間を稼ぎつつ、真犯人を突き止めようとしているわけだが、 その具体的方法はと問われると、そこで思考が行き詰まる。

 方法と言っても……今のところ関係者に話を聴いて、役に立ちそうな情報を収集・整理することぐらいしか思いつかない。

 対象は、やはり主として栞梛家の人たちになるだろう。お母さんは無理っぽいから、成隆氏と君枝さんと美弥子さん……だけか。お兄さんにも会えればいいのだが。

 とにかく、考えていても仕方ない。動けば何か真新しい情報が浮かび上がってくるかもしれないではないか。

 緋籠堂捜索の次は……ヤマガミ様の由来調査あたりになろうか。事件と関係あるのかどうかは、もちろんわからない。

 だが、くどいようだが、時間がないので思いつくことはできるだけやってみる。やることがなくて、無為に過ごすよりはいい。

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