第12話 嘘つき

 まず簡単な筆記試験で基礎知識を確認する。さすがにここで不合格者が出ることはない。

 次に一週間の閉所合宿を行う。試験であり、適正の確認でもある。

 合宿中、様々な課題が出される。装置故障、設備故障、磁気嵐の発生、隕石による設備破壊、急病人の救護に、気圧の低下。想定されうるトラブルに選考対象者達は向き合う。

 とはいえ、一度でも選考を受けたことがある者なら一週間を過ごすのはそう難しい事ではない。

 合宿を終えた対象者達の前で、吾川は事務的に連絡を告げる。そして解散を告げた後で、緩く僅かに首を振った。


 *


 少しばかりキツくなったスーツではやたらと肩が凝る気がする。エアコンの効いているはずの室内なのに、足元がどうにも寒くて仕方が無い。飲食は問題ないとされたが、買ったばかりのペットボトルをけれど開ける気にはなれずにいた。

 面接は二度目だった。前々回。そして、今回。前回は合宿の後で妊娠を知り辞退した。初めての時の緊張ばかりを思い出す。面接するのは社の上役と月面基地を管理するNASAの担当者だ。筆記と合宿の結果を合わせ、最終的な判断を下す。

 面接は最後に人となりを見るためのものだと言われていた。対策など意味はなく、飾っても何も生まれない。判ってはいても。

「どうぞ」

「はい!」

 扉が開かれ、声がかかる。

 二つ深く息をして、部屋へと向かう。五組の視線を感じながら、パイプ椅子へと腰掛けた。

「では、氏名と経歴と志望理由を」

「はい。中水まどか。学士卒で選考は――」

 聞かれる事は難しくはない。

 経歴を促されるまま説明し、志望理由へと移っていく。ひとまず日本語で、後に英語が混じることもある。

 面接者は大抵無表情だ。地顔が淡く笑んでいることがあっても、和やかに過ぎるものではない。

 誰もが同じような事を話すのだろう。月面に未来を見ている。月という環境での研究開発の可能性。宇宙への挑戦。翻っての地球生活への有用性。

 私の言葉など陳腐だろう。それでも私は面接者の目をまっすぐに見る。

 閉鎖環境での生活、環境、安全性。それは宇宙は勿論、地下都市のような特殊な環境で役立つ知見になるだろう。人の生活の場を広げる事に繋がる。例えば私には娘がいる。まだ1歳にもならないか弱い命だ。あんなにか弱い命であっても、安全に暮らせるような。そんな環境を実現する、礎の一つになりたい――。

「Is not that reason why you want to know the construction history?」

「へっ」

 突然だった。

 ブロンドの男性が口元を片端だけ緩ませて、私を上目遣いで覗いてくる。

「Is not that reason why you want to know the construction history?」

 幾分かゆっくりはっきり、そう言った。

 私は聞き取った言葉を口の中で繰り返す。

 ――工事履歴を知りたいというのはその辺りが理由なのかい?

 なんと、応えるべきだろうか。

「Well,I...」

 なんと、伝えるべきか。

 私は言葉を探す。探し。口を開く。

 一年前、日本人が亡くなったこと。

 水質の悪化による食中毒が原因であること。

 私は地下都市に暮らしていること。

 水質の心配のない、空気の汚染の心配のない、そんな環境であること。

 地下都市では常にどこかしらで点検や補修を行っていること。

 そうしてようやく、あの巨大な都市の空気を、水を、交通を、インフラを支えていること。

 安全に生活するためのコストはとてもとてもかかるということ。

 だから――。

「Low cost,Proper environment,I want to know」

 ――コストをかけず、最適な環境を実現すること。その方法を見つけたいのだ。

 男性は口元の笑みを崩さない。社の上役は黙ったままだ。

「You have birth children. If you choose, will you leave that child?」

 ――あなたは子供を産んでいるわね。もし選ばれたらその子は置いて行くの?

 僅かの沈黙の後、隣の女性が口を開いた。

 そこからの質問は、全て想定の範囲にあった。


 *


 そして。

 吾川の電話は、端的に結果を告げた。


 *


 卒業アルバムはほんの少しの懐かしさと圧倒的で盲目的な未来への希望に満ちている。

『月へ行く!』

 スナップ写真の中の私は手書きの吹き出しで力強く断言する。

 こういうのも嘘つきと呼ばれたりするのだろうか。それとも大ほら吹き、とでも。

 写真の私は嘘などまるで知らない顔で、未来の私へ笑いかける。

「まー、まー」

 ハイハイのままゴツリと頭をぶつけた娘は、座り込みそして手を伸ばした。

 私の頬へと。……泣いてなど、いなくても。

「ほのちゃんは、優しい子だね」

 抱き上げて、抱きしめる。粉ミルクの甘さを感じ、泣きたいような笑いたいような。曖昧な笑みに変える。

「お母さん、落ちちゃった。だからほのちゃんとずっと、ずっといられるよ」

 次はない。予感より確信に近く、そう思う。

 私は来年三〇を迎える。あと一度のチャンスは、おそらく、訪れることはない。

「迷ってたのがダメだったのかなぁ。それとも、ほのちゃんと一緒にいろって、神様が言ってるのかな」

 ママ、と言ってるような、単なる音のような。そんな声で娘はしきりと何かを言い――。

 スマートホンが、知らない相手からのメールの着信を、告げた。


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