第42話 母と妹

 赤アリのコロニーからクロアリのコロニーまでは一日半ほどかかるらしい。セリカはあちらに向かう隊商に護衛を増強。そして荷車の一つを屋根付きの物に変えて、そこに俺を乗せた。動力こそないが、バネのサスペンションはあるらしく案外快適。車輪も空気の入ったタイヤではないが鉄輪の表面にはゴムが張られている。


「私たちの荷は酒。瓶が割れたりせぬよう、こうしたところは気を使っているのです」


「へえ、いろいろ違うんだね」


「我らはクロアリほど技術があるわけではありませんが、こうした不可欠な技術は評議会から与えられています。もともとあった技術は酒の製造、それにその原料となる麦の栽培。あとは狩猟と採集だけですから。鉄の加工も精錬もクロアリには遠く及びませんし。産物として外に出せるものは酒しか」


「ふーん」


 セリカの話を聞きながら葉巻に火をつけた。


「大佐殿、その、正直に。わがコロニーは貧し気で、お母様、いや、中佐殿もあんなだし。居心地がよくなかったのでは?」


「そんなことないよ? こうして服だって作ってもらったし、料理だっておいしかった。それにソフィアは優しいし」


「ほ、本当ですか? 私は大佐殿に嫌われたらどうしようかと」


「ないない、いいと思うよああいう暮らしも」


 そう答えるとセリカはぽろっと涙を流し、わっと俺に抱き着いた。


「私! 私!」


 セリカを落ち着かせ話を聞くと、セリカは自分の貧し気なコロニーと、疑い深い女王に俺が嫌気をさしたのではないかと思っていたらしい。キイロスズメバチのジュンは派手で上品な育ち。なのに自分はと。


「元々母はエルフの奴隷だったんです」


 そうぽつりとセリカは言った。元々赤アリ族はずっと北方にコロニーを構える一族で、はるかな昔にエルフの支配下に収められていた。そこで酒造りの仕事に従事させられていたソフィアは、大人になるころエルフの領主に慰みものとして召し出された。次の女王としてソフィアを育てていたコロニーの女王は強く反対を申し入れ、処刑された。

 ソフィアは皆を率いて闇に紛れてエルフを殺し、大きな犠牲を払いながらその地を逃げた。そしてほかの村で奴隷にされていた赤アリを解放しながらこの地までやってきたのだという。


 なのでソロスさんを同志と呼び、娘以外の仲間も同志と呼んでいた。絶対にエルフと妥協できないのもそこに理由がある。


 そして共に戦ってきた三人の夫の一人は病に倒れ、今一人は逃げ出した。


「なんで逃げたの?」


「私たちの同族は皆北方にいて、エルフの支配下なのです。つまり他に男がいない。少しでも血の遠い女に種を。そういわれたその人はそれを嫌がり脱走を。血の遠い女。つまり、他の夫の種で生まれた娘。生物学的には他人でも、自らの娘だから、と」


 勇者グランと対極の位置にいる人というわけだ。


「子煩悩で、面倒見のいい人でしたから。そしてその選ばれた娘がファーストの私なのです」


 うはぁ、なんかいろいろ面倒な関係だね。


「今は同わが父ソロスが別の娘と。まあ、そうしたことが重なって母はあんな風に。ですがそれも一時しのぎ。次の代までに別の男性が入らねば血の凝縮が」


「そっか、そうだよね」


「――大佐、いや、ゼフィロス殿、私のことはお嫌いですか?」


「そんなことないよ」


「ならば私を。ううん、一族のためなんかじゃない。私はあなたと交わりたいのです!」


 そういってセリカは俺にキスをした。



「はははっ、それで結局みーんなやっちまったわけかい?」


 クロアリのコロニーに着くと当然のごとくみんな労働に勤しんでいた。俺はそれを手伝い、セリカは帰りの荷を積み込んで帰っていく。その夜、これまでのあらましを女王シルフに語るとシルフは鼻で笑いながらそう言った。


「まあ、そんな感じで」


「ソフィアやセリカはともかくだ、イザベラはなってないねえ。仮にもあんたの母を名乗っておきながらその体たらく」


「あは」


「んで、そのマフラーをとっちまうとフェロモンがってことかい」


「そうなんですよ。暑くて邪魔なんですけどね」


「いいさ、取ってごらん? あたしはイザベラと違ってあんたの母ちゃんだって自覚があるさ。メルフィにも子ができたんだろ?」


「だけど」


「いいから、母ちゃんに色気を気にするなんてもってのほかさ」


 そういうのでしぶしぶとそのマフラーを外した。


「はは、こりゃ確かに大したもんだ。けどね、あたしは大丈夫さ」


「そうなんですか?」


「ああ、なんせあたしは半分はあんたと同じトゥルーブラッドの血が混じってる。あんたと交わっちゃそっちの血が濃くなりすぎるだろ?」


「そっか、そういうのもあるんですね」


「それにね、この世界にはさ、あんたの女以外も必要だってことさ」


「どういう意味です?」


「母親。そういう人もいなけりゃあんたは誰も頼れない。お父様のように頑固で意固地になっちまう。あんたはあたしの娘婿だ。おんなじ愛するのでも母として愛してやらなきゃね。そしてあたしはあんたが間違ったことをした時には叱ってやらなきゃいけない。イザベラがその役をするなら出しゃばるつもりもなかったんだが、あのバカはあんたの色に溺れちまった。だったらあたしがやるしかないだろ?」


 そう言って女王シルフは苦笑いをした。


「いいかい、ゼフィロス。あんたは唯一の家族、妹である始祖アイリスが残したエルフたちじゃなくて、あたしたちを選んでくれた。だったらあたしたちはその代わりを用意するべきだろ? だからあたしがその代わり。あんたの母ちゃんになってやるさ」


「ははっ、なんていうか」


「あんたにはあたしっていう親がいる。そして妻が居て子が生まれた。妹はなくしちまったかもしれないが、これで釣り合いが取れるといいね」


「……うん」


「さ、おいで。あたしはあんたがこの世で唯一甘えてもいい存在さ。蜂の王、そして赤アリは大佐だったかい? ソフィアもイザベラもあたしのせがれをつまんないもんに仕立てちゃって」


 そういう女王シルフに抱えられると、なんというかひどく安心できた気がした。心のどこかに抱えていた緊張、いつか捨てられるんじゃないかという不安。そういうものがさらさらと溶けていった。


「ほらゼフィロス? 母ちゃんって呼んでみな?」


「でも、恥ずかしいし」


「いいから」


 そういってシルフはパチンと俺の背中を叩いた。


「か、母ちゃん」


「そうさ、あたしはあんたの母ちゃん。あんたが王様だろうが大佐だろうがろくでもないことをしたらぶん殴るんだ。それが親の務めだからね。あたしの父様、カルロスはね、いっつも世界を背負ったような顔をして考え込んでた。あんたはそんな風になる必要はないさ、なんせこの母ちゃんがいる。あたしの拳骨を食らわないように生きてりゃそれでいい」


「うん、母ちゃん」


 女王シルフ、いや母ちゃんの大きな体に抱えられ、ベットに横になった俺は、心の内で不安に思っていた事を洗いざらい吐き出した。体の事、エルフの事、そしてさっき聞いた赤アリたちの事。それに獅子族の事も。ヴァレリアたちに相談してもきっと答えはデストロイ。気に入らねば滅すればいい。それしか回答はないのだ。


「で、あんたはどう思ってるんだい?」


「体の事はね、なんか新種の生き物にでもなったらいやだなって。赤アリの事は何とかしてやりたいと思うし、獅子族に関しては正直どうでもいい」


「そうだねえ、できることからやっていくしかないね。エルフと戦いを続けていけば赤アリの奴隷は解放できるだろ?」


「うん。でも戦うって事は誰かが死ぬって事でもあるし」


「あはは、そんなのは当り前さ。けどね、やらなきゃやられんのはこっちさ。赤アリの事はあくまでついでさ。そう考えりゃ気も楽だろ?」


「そうだけど」


「それにね、体の事に関しちゃあたしもよくはわからない。ただ、あんたが新種になるっていうならそれはそれでいいことさ」


「なんで?」


「遺伝子ってのはいいところを選んでいくもんさ。あんたが吸ってきた蜜の中からいいところだけをとっていく。だから力も強く、体も丈夫に。逆になんか困った事でもあったのかい?」


「いや、その趣向的に。インセクトはともかく眷属にまで欲情するってのは」


「あはは、けどさ、奴らにとっちゃいいことさ。自分の主が愛してくれるんだ。悪かろうはずがない。そりゃ、趣向としちゃ特殊だけどさ。あはは」


「あとこのフェロモンっていうの? これがね」


「そいつもさ。生き物ってのはすべからく強い雄の子を欲しがるもんだ。ま、母親としちゃ息子が節操なしってのは歓迎できることじゃないけど、あんたはしっかり働けるんだ。そういう種を欲しがる奴にはくれてやってもいいんじゃない? さすがに世のファーストがみんなってのは困るから襟巻はしとくべきだけどね。はははっ」


「だよね」


「それと、獅子族に関しちゃ深く考えることはないよ。世にはいろんな生き物がいたほうがいいとは思うけど、せいぜいそんなもんさ。エルフが世からいなくなれば今みたいに評議会だなんだと縛る必要もない。それまで生き残れなきゃそれは奴らの責任さ」


「でも、カルロスは」


「父様はね、そういうことまで背負っちまうからダメなんだ。あんたたちは神様じゃない。できないこともあって当たり前。あいつらは無茶を承知で北の城に移り住んだんだ。あそこの防備を固めるって意味じゃいいけど、どうなろうがそれにあんたが責任を感じる必要はないよ。冬の間あんたが行く、それだけでも十分すぎるほどさ」


「そっか、そうだよね」


「ただね、忘れちゃいけないことがある」


「なあに?」


「あんたはどうなろうが、誰を犠牲にしようが絶対に死んじゃならない。そうなりゃ蜂の連中が黙ってないし、あたしもあんたの親として戦う。たとえ勝てなかろうがね」


「けどそれって」


「これもあんたのしでかしたことのツケさ。手当たり次第にやっちまうからこういうことになる。ほんとバカ息子だよ。けどね、あたしはあんたがどれだけバカをしようが許してやるさ。母親、そうなった以上は母としてできることはすべてしてあげる。それが親ってもんだ」


「うんわかった、母ちゃん、お願いがある」


「なんだい? いい年しておっぱいが吸いたいなんて言うんじゃないだろうね?」


「えへへ、それもいいけど蜜が吸いたい。母ちゃんの」


「まったく、とんでもない子だよ。けどあんたはあたしのせがれ。蜜を吸わせるのも母親の務めさ。はいよ」


 そういって母ちゃんは大きな尻尾を俺に差し出す。少し緊張したが、それに吸い付き蜜を吸った。母ちゃんは変な声を上げることもなくそんな俺を優しげに見ていた。


 翌朝、母ちゃんは仕事前の朝礼で、俺を前に立たせ、母ちゃんの息子だと宣言した。ここにいるのはみんな俺の姉妹。だから遠慮はもういらないと。


「兄さん、メルフィはバカだけど、よろしくね」


「そうだよ兄ちゃん。あんなバカはやめて代わりにあたしがお嫁になってあげてもいいんだよ?」


「はいはい、つまんないこと言ってないで仕事始めるよ!」


「「はーい」」


 こうして俺には一人の母と数百人の妹ができた。

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