5 ジャスティス・タイガー 見逃す、の巻

「ぐはっ! やられたぁ」


 さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま、宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が、俺のどてっぱらに決まったのだ。



 ――今度こそ、絶対死ぬ。

 尋常ではない体全体の痛みを味わいながら、俺はそう考えた。


(くっそぉ……タイガーの奴、今日は本気マジでやりやがったな――何か、嫌なことでもあったのか?)


 心が穏やかな時には悪の組織の怪人にも優しいパンチ、気持ちがカリカリしている時には骨をも砕くハードなパンチ……。何度もの彼と戦いを繰り返すうち、その日のジャスティス・タイガーの気分まで分かるようになってしまった、俺なのだ。

 だが、今日の攻撃は今まで経験したことないほどの強烈さ。

 歴史は繰り返されるというが、こんなに痛くてツライ歴史の繰り返しはもう御免だ。

 俺はいっそこのまま天国に――悪の秘密結社の怪人が天国に行けるかどうかは知らないが――昇天できることを、一瞬だけ夢見た。と、薄れる意識の中、俺の目に映ったのはジャスティス・タイガーのマスク姿。

 仰向けに倒れながら呻く俺を、上から覗き込むようにして見つめている。


「お、カピバラのおっさん、まだ生きてるっ! しぶといですねぇ」

「いっそ、ひと思いにれよ」


 喘ぐように声を絞り出した俺に、タイガーが、ちっと舌打ちをする。


「イヤだな……ワタシはこれでも正義の味方ですよ。そんな簡単に、怪人の息の根なんか止めませんってば」


 嫌な感じのどす黒いオーラが、彼の周りに漂った。

 それを見た瞬間、何故か俺の体の中にドクンドクンと脈打つ「生きる力」が湧き上がって来た。


「タ、タイガー……。お前、もしかして最近何か嫌なことでもあったんじゃないのか? ……よければ、俺に話してみろよ」


 昨日の敵は今日の友。

 こんな自分の命が大変な時にタイガーの身の上相談を引き受けてしまう俺は、どうかしてる。被り物のマスクの中の瞳が、一瞬、たじろいだ。


「え? あんた、どうしてそんなことがわかる?」

「分かるさ……。怪人だ、正義の味方だとまるで違う人種みたいに云ってるが、基は同じ人間だ。しかもお前とは、なんだかんだ云って体と体をぶつけ闘い続けている、謂わば腐れ縁の仲だからな……。話してみろ。少しは楽になれるかもしれんぞ」


 少し戸惑いを見せた、ジャスティス・タイガー。

 控えめに小さく頷くと、あちらこちらに散らばったぴくりとも動かないショッカー戦闘員たちを尻目に胡坐あぐらをかいて、俺の真横に腰を落ち着けた。さっきよりはだいぶ生きる力を取り戻した感のある上半身を頑張って反らし、俺はタイガーと横並びになるように座った。

 と、あろうことかそのとき、俺のベルトから滑り落ちてしまったのは、あのぼろぼろの家族写真だった。


「あっ!」


 俺の、超ウルトラ・シークレット。よもや、こいつに見られてしまうとは……。


「カピバラのおっさん……家族いるんだね」


 俺が落とした写真を拾い上げながら、タイガーが意外にも静かな反応を示した。そんな彼の普通の反応に、俺も素直にその言葉を聞くことができた。


「ああ……当たり前だ。俺にも、組織に入る前にはちゃんと家族ぐらいいたよ」

「当たり前だって? そんなことないよ、おっさん! 家族がいない奴なんて、この世にはゴマンといるんだぜっ」


 タイガーが、急にムキになって言葉を吐き出した。

 正義の味方ではない、二十代前半の若者本来の熱い受け答えを見てしまったような、そんな気がする。


「どういうことなんだ……何を怒っている?」


 マスクで表情は隠されてはいるものの、ジャスティス・タイガーが寂しげにその口元をきゅっと噛み締めたことは見て取れた。


「……僕は、孤児なんだ。物心ついた時にはもう、同じ境遇の子たちが集まる施設に、住んでいた。だから僕は『本当の』両親の顔を知らない。けど、そんなことは全然気にしちゃいないよ。だって施設には優しい育ての父さんと母さんがいたからね……。

 問題はそれから先の事さ――。

 僕は、先代のジャスティス・タイガーの『親父おやじさん』に、中学一年のときに養子にしてもらった。それからは息子として、そして二代目ジャスティス・タイガーとして、育ててもらったんだ。正義の味方の訓練は厳しかったけど、でもやっと本当の家族ができたと思えて、うれしかった。

 ……だけど、そんな親父さんも昨年亡くなった。やっとできた家族だったのにがっくりさ。正義の味方といっても、基本、病気や事故には勝てないんだよな。だから今、僕は天涯孤独の一人ぼっちなのさ」


 心に溜まった何かを吐き出すように一気にしゃべったタイガーは、今度は膨らんだ風船に穴が開いたかのように急にしゅんとなって、マスクの中から遠くを見つめた。彼の目線の先に浮かぶ雲が、夕焼けの赤い光で朱に染まっている。

 俺は、俺の中の恥ずかしい気持ちが塊となって銃弾と化し、それにより自分の心がずばっと射抜かれたかのような、そんな衝撃を受けた。


「す、済まなかった……。俺の考えが浅かったよ、タイガー」


 彼の肩をぽん、と軽く叩くと、彼はぽそり独り言のように「いや、わかってくれればいいんだ」と云った。


「それで、何があったんだい?」


 体中がバラバラになりそうなほどの痛みを抱えながら、俺が声をかける。

 ジャスティス・タイガーを『演じる』若者は、ふうぅ――と溜息を吐いた。そして、指をもじもじさせながらささやくように云った。


「彼女がさあ――正義の味方じゃ、嫌だっていうんだよ」


(えー、そんなことぉ? こいつ、普通の若者じゃん――)


 俺は、仰け反って吹き出しそうになるのを必死に堪えた。


「今の彼女と付き合って三か月くらいなんだけどさ、この前、僕のスマホ見られちゃって……あ、ほら、最近は正義の味方も変身にはスマホのアプリを使うわけ。ほら、ここをクリックしながら変身ベルトにあてると変身できるんだ……。

 いや、まあそれはいいとしてこのアプリを見た彼女がさ、『ナニ、アンタ、正義の味方なの? うわっ、まじ? ダサっ!』って引かれちゃって……」

「な、なんだって? 最近は正義の味方っていうだけで引かれちゃうのか」

「そうなのさ。おっさん、世の中の移り変わりは激しいんだよ……。それからというもの、彼女が僕に冷たくって……」

「そうなのか……」


 それからしばらく続いた、沈黙。

 そのとき、俺の中に一つの閃きが生まれた。ちょっと口にするには勇気がいったが、あまりにしょんぼりと項垂れる彼を見て、俺はそれを口に出すことを決心した。


「なあタイガー、どうだろう。ここは、起死回生の一打を打ってみては」

「……起死回生だって? どんな?」

「つまりさ、『悪の秘密結社の怪人』である俺が、通りがかりの彼女を不意に襲うってわけ。それでもって『キャー、助けてぇ』なんてなったときに、颯爽と本物の正義の味方であるお前が現れ、俺を倒して彼女を救うっていうね……まあ、芝居を打つってことだな」

「はあぁ? 何云ってんのぉ?」


 マスクで表情こそ見えないが、彼は眉を吊り上げ、露骨に気分を害したようだ。


「なあ、おっさん――今時、そんな茶番はかえって逆効果になることが多いんだよ! それにさ、それって正義の味方ジャスティス・タイガーの『公私混同』ってことじゃん! そんなこと、僕にできるわけないだろ!」

「ああ、そうかい。変なこと云ってしまったな――聞かなかったことにしてくれ。すまん、すまん」


(なんだよこいつ、真面目かよ)


 折角勇気を出した申し出を足蹴にされ、俺は少し不満だった。じゃあそろそろアジトにでも帰ろうと腰を半分だけ上げかけたそのときに、タイガーがぽつりと呟いた。


「あーあ……。もぉ、正義の味方なんてやめたいよぉ」


 そんな正義の味方の弱気な発言を聞いた俺の全身から、怒りの感情が噴き出した。


「この、ばかやろぉ!」


 立ち上がった俺の放った右ストレートが、タイガーの左頬に決まる。

 頬を押さえる、タイガー。どさくさながら、初めて彼に一撃を加えることができて、ちょっとうれしい気分になったのは秘密だ。


「この俺を見てみろ! 俺なんて、ただのカピバラ怪人のおっさんだぞ! それに比べたら、お前なんて……お前なんて……羨ましい限りじゃないか!」

「ああ、御免……。そうだった」

「今のお前の気持ちのすべてを、彼女にぶつけてみろ。そう、『ありのままの』お前だ。べ、別に映画の受け売りとかそういうことじゃないぞ……。結局それしか、今のお前にできることはなかろう? そうやって自分を曝け出してそれでもダメなら、彼女とは縁がなかったということさ!」

「……」


 彼のハートに俺の言葉が響いたのか響かなかったのかはわからない。ただ、それっきり暫く黙ってしまったジャスティス・タイガー。

 しかし、自分が悪の秘密結社の怪人に説教されたという事実を突然理解したのか、急に怒り出したのだった。


「な、なんだよ、偉そうに――。カピバラなんかに相談するんじゃなったぜ! ち、ちくしょう、これで見逃すのは最後だからな! 覚えてやがれ!」


 まるで悪の組織の怪人のような捨て台詞を残し、ジャスティス・タイガーはそこから去って行った。


(正義の味方も、大変なんだな)


 敵ながら、彼に弟に対するような感情を抱き、同情までしてしまった俺。もしかしたら、目の前の正義の味方の若者も、同じような感情は芽生えたのかもしれない。いかにもわざとらしくよそよそしさを醸し出しながら、たくさんのプラスチック部品が付いた派手な形のバイクに跨った。

 そして、ぶおんぶおんと騒音をまき散らしながらバイクで帰っていく彼を、俺は穏やかな気持ちで見送った。


 ――と、その時感じた不穏な視線。

 改造人間である俺は、自分の視力を遠方サーチモードに切り替えることができる。

 サーチモードで見えた、視線の主――それは、河川敷の堤防の上に佇む我が組織の新怪人『エゾヒグマンE』だった。


(あいつ、ここで何をしている?)


 俺の視線を感じたのか、その怪人はひらりと身をひるがえして何処かへと去って行く。

 その怪人の背中を、今度は何ともいえない不安な気持ちとともに静かに見送った俺なのであった。



 <つづく>

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