4 ベテラン戦闘員との一夜、の巻

「ぐはっ! やられたぁ」


 さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま、宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が、俺のどてっぱらに決まったのだ。



 これで何度目だろう――。

 またもや這這ほうほうていでアジトに逃げ帰ってきた、晩のことだった。


 ずきずきと痛む絆創膏だらけの毛深い右腕と、骨折を治療するため白布で吊られた左腕。更に困ったのは思うように動かない両足だ。

 そんな不自由な体を引き摺るようにやって来たのは、アジトの秘密の出入り口近くにある、ひっそり静まり返った小川のほとりだった。

 そこは、昼間でさえ人の出入りは少ない場所。

 増してや、夜などは人はほとんど通ることのない場所である。だからこそ、組織のアジトが近くにある訳だが……。


 心地よい子守唄のような川のせせらぎの音をバックに、懐から家族の写真を片手で何とか取り出し、月明りの照明の中、小学生のように体育座りをしながらそれを眺めている。


「翔太……明子……」


 改造人間である俺には、この程度の明るさでもはっきりと見える。

 だが、都会から離れたこの場所では蛍も青白い光を発しながら賑やかに舞っていて、俺の視力を助けてくれた。今では醜い怪人となったこんな俺にも、優しくしてくれる存在があるのだと、何故か胸を撫で降ろす。


 そんなとき、何者かが乗り移ったかの如く泣き叫ぶキリギリスたちの声が世界を支配した。それは、何をやってもジャスティス・タイガーに勝てないという、空虚な感情で満たされた俺の心を更に責めたてているかのようにも思えた。


(永久にジャスティス・タイガーには勝てないのかもしれない……)


 そんな諦めの感情が俺を満たし始めたときだった。

 背後から聞き覚えのある声がした。


「おう、カピバラン――やっぱり、ここにいたのか」


 慌てて写真を懐に隠し、何気ない感じで振り向く。


「ああ、アンタは……おやっさん」


 川辺で佇む俺に、がに股歩きでゆっくりと近寄って来た一人の中年の男。雰囲気としては所謂ガテン系、いかにもニッカボッカの似合いそうな男である。

 通称、「おやっさん」。年齢は、聞くところによれば五十歳前後らしい。

 だが彼は、我が組織の長である総統も一目置いているというほどの人物で、組織ではかなりの有名人なのだ。悪の組織が創立された初期の頃からずっといるメンバーであり、この道二十年のベテランの「ヒラ」戦闘員だからだ。本来、俺のような怪人の方が戦闘員よりも地位は高いはずであるが、そんな訳でどの怪人も彼に対して偉そうに振る舞うことは決して無いのである。


 非番だったらしいおやっさんは、今日は一日、何処かのポイントで釣りを楽しんだようだった。

 首に巻いた白タオルにカーキ色のベストという、その辺に普通にいるような釣り好きなおっさんのような格好で現れたおやっさん。

 歳の割に、深く刻まれた目元の皺が目に付く。


「これ……飲めよ」


 見ると、おやっさんの両手には缶チューハイが握られていた。

 そのうち、右手に持っていた方のやつを俺に投げてよこす。

 何とか右手でキャッチし、パッケージを確認。レモン味だ……。

 俺はズキズキする右手一本で缶を開けようとするも、カピバラに改造された俺の太い指では上手く開かなかった。


「おお、すまんすまん。怪我をしてたんだったな」


 苦戦する俺の姿を見るや否や、おやっさんは俺の横にすっと座り込んでもう一度その缶を手にとり、俺の代わりにリングプルを開けてくれた。

 ぷしゅっ――。

 何だかとっても懐かしい音がした。


「ほれよ」


 無骨な感じの口調に秘められた優しさ――。

 そんなものをその声に感じながら、俺はおやっさんから缶を受け取った。


(カピバラの舌にレモン・チューハイは合うのだろうか――)


 ドキドキしながら、口を付けてみる。

 すっぱぁ――。

 カピバラの鋭敏な味覚には、ちょっと味がキツ過ぎる様だった。でもせっかくおやっさんが組織から支給される少ない小遣いの中から買ってくれたものだ……美味そうに飲むとしよう。


「美味いッス」

「そうか……それは良かった」


 暫く無言で缶を傾けていると、おやっさんが話を切り出した。


「カピバラン……お前、今、家族写真見てただろ?」

「……」


 世界が一瞬止まった。


 一応、階級の厳しい悪の組織である。

 普段は、ヒラ隊員が上司にあたる改造人間の「怪人」にタメ口をきくなどということは有り得ない。けれど「おやっさん」は長く組織にいるだけではなく総統とは旧友の関係にあるという噂もあり、それが許される暗黙の了解が組織内にあった。


「隠さなくたっていいぞ。本当はお前、記憶があるんだろ?

 長年、怪人を見てるんだ。すぐわかるさ。あの、マクシミリアンっていう博士の改造手術ときたら、へぼで有名でな――ってまあ、それはいい。とにかく岩田の奴には……いや、総統には絶対に云わないから安心しろ」

「……」


 やはり、おやっさんは特別な存在なのだ。ヒラ隊員には秘密なはずの、総統の名前を知っている。

 だが今の問題は、そんなことではない。

 もしも改造手術を受けた俺にまだ記憶があるということが組織に知れることがあれば、かなりの問題になるはずなのだ。

 ――まだ、どう答えていいか判らないでいる俺の肩を、おやっさんが優しく叩いた。


「カピバラン……お前、国はどこだ?」

「……群馬です」


 ついつい、正直に答えてしまった俺。

 一秒後、その言葉の意味の重大さに気付いた俺は、自分の背筋がぴきぴきと凍り付いていくのを感じた。


(もう云い逃れはできない――)


 恐る恐る、おやっさんの顔を覗く。するとそこにあったのは、花が咲いたような中年男の満面の笑みだった。

 氷が融けるが如く、肩の力がふっと抜けていくのがわかった。


「オレ、徳島なんだ」


 そう云ったおやっさんの横顔を、青白い月光がほんのりと照らし出した。咽喉仏のどぼとけを上下させ、おやっさんがチューハイをごくりと咽喉に注ぎ込んでいく。


「おやっさん、四国……なんスか」

「うん、そうだ。ああ、それから……こんな悪の秘密組織の戦闘員であるオレにもそれなりに名前がある。曽田そだたけしってんだぜ。できれば、そっちの名で呼んでくれ」

「ああ、はい……。じゃあ、曽田さんはどうしてこの世界に?」


 うーん、と少し首を傾げた曽田のおやっさんが、照れくさそうに白髪混じりの髪の毛をぼりぼりと掻いた。


「それはちょっと、長い話になる……。

 実はな、こう見えてオレ、郷里では札付きのわるだったんだ。中学もほとんど行かないまま卒業して、そのままヤクザ者の世界へ――まあ、お決まりのパターンだな。

 でもな、三十歳のときだった。こんなオレにも好きなひとができたんだよ。最初で最後の、な。それで、あの世界から足を洗おうとしたんだが、なかなか組織から抜けられなかったんだ。『しがらみ』ってやつだな。結局、そんなオレに業を煮やした彼女は、オレの傍から去っていった……」

「そ、そうだったんスか……。で、元の組織に戻ったのですか?」

「いや。自暴自棄になったオレは、どこに行くというあてもなく旅に出た。そしてそのとき、オレは一人の若い男に出会ったんだ――。その頃、二十八歳と脂の乗り切った男、岩田いわた一直ひとなおにな」

「総統に?」


 おやっさんはこくりと頷くと、シャツの右腕を捲った。するとそこに、太いミミズ腫れのような、二十センチほどの長さの大きな傷が現れた。


「これはな、岩田――いや、若き日の総統とそのときケンカしてできた傷なんだ。既にアイツはその頃できたばかりのウルトラ・ショッカーの隊員だったんだが、何か問題があったらしく、組織からの逃避行中の身だった」

「総統が逃避行――ですって?」

「ああ、そうなんだ。何でも、その当時の組織の御法度を破っちまったらしい……。だが、詳しいことはオレも知らん。

 で、オレはアイツと、とある場所のひなびた温泉場にある川にかかった橋の上で、出会った。肌蹴た浴衣で肩をいからせ、橋の真ん中を歩いているオレなどものともせず、反対側から真っ直ぐにオレに向かって来る奴がいた。もちろん……岩田だ。

 アイツもオレと同じく自暴自棄になっていたんだろうな。人相の悪いオレをモノともせず、オレとは違う旅館の浴衣姿で真面にぶつかってきた」

「それで、取っ組み合いのケンカに?」


 カピバラには口の中がヒリヒリするほどの酸っぱいチューハイをちびりと咽喉に送り込みながら、俺はおやっさんに訊いた。


「ああ……。しかし、勝敗はすぐに決したよ。

 何故なら、アイツの運動神経はオレとは比べ物にならないほど抜群だったからだ。オレの攻撃など朝飯前――そんな感じですべてのパンチをヒラリとかわしたアイツは、『それでお終いか?』と云ったあと、凄まじいスピードのパンチを数発、繰り出した。

 オレは、必死にそれらを避けた。だが、そのうちの一発がオレの腕を掠めた。当ったんじゃない、掠めたんだぞ。それだけで、このザマだ。右腕からバアッと血が噴き出したのを見て、オレは奴の戦闘能力の高さに慄いた」


(あの、おっとりした感じの総統がそんなに戦闘能力が高いとは……。これは迂闊なことはできないぞ)


 俺は、自分の背筋がピンと伸びるのを感じた。


「たったの五秒で勝負に敗れたオレは、周りの目など気にせず、すぐさま橋の上で土下座して謝った。そして、『舎弟しゃてい』にしてくれとアイツに頼みこんだんだ。

 何故、そんなことを突然オレが云ったのかは、自分でもわからない。わからないが、何となくこの男のためになら命を預けられる――そんな気がしたんだと思う」

「へえ、そんなことが……。それで、すぐに意気投合した、と」

「いや、そんな訳ないだろ。あのときアイツは、頑としてそれを断った。岩田らしいよな……。それから数日、オレはアイツの宿泊する場所へ行って頼み続けた。五日後くらいだったろうか、アイツはようやくオレの申し出を受け、自分が悪の秘密組織の戦闘員であることを明かした上で、「舎弟にはできないが、組織にこれから戻ることにしたので一緒についてきて欲しい」と云いだした訳さ。

 ……それから、約二十年。オレはここの「ヒラ戦闘員」として居させてもらってる」

「ほう……そういう事だったんですね」


 俺の合点した表情に満足したのか、少し誇らしげな顔をした曽田のおやっさんは「あれ、つまみ、なかったったけ?」と、上着のポケットをがさごそと探り出した。


「じゃあ、もう一つだけ教えてください。

 実は、前から訊きたいことがあったんですが――どうして、曽田のおやっさんは改造人間の手術も受けず、ヒラ戦闘員のままなんですか?」

「ああ……その事か」


 つまみを探すのを諦めたおやっさんが、もう一口、缶チューハイをあおった。


「それが、この世でのオレに与えられた役割だからさ」


 俺を真っ直ぐに見詰め、キラリと光る眼をして答えたおやっさん。

 すぐに視線を俺から外し、蛍が戯れる川に向けると言葉を続けた。


「でも本当のこと云うと、それは回答としては半分だ。ずっと傍についていたかったんだよ、岩田の『アニキ』の傍にな……。怪人のお前に面と向かって云うのも何なんだが、怪人って危険だろ?」

「漢気に惚れた……そんな感じですか」

「ああ、そうかも知れねえな」


 あはは、と笑いながら、おやっさんがチューハイの缶を傾ける。


「じゃあ、今度はカピバラン、お前のことを聞かせてくれよ――。オレには終にできなかった、『家族』っていうやつのことをさ」

「……」


 俺は、黙って革のベルトと腹の間に潜ませていた家族写真を取り出し、おやっさんに手渡した。

 年齢もあってか、曽田のおやっさんは老眼らしい。

 しきりと目を細めたり、写真を顔から遠ざけたり、蛍の明かりに照らしながら写真に見入っている。


「おお、かわいい嫁と息子じゃねえか――名前は?」

「明子と翔太です。翔太は、来年の春に小学校に入学なんですよ」


 おやっさんが俺の心中を察したのか、ちらり、淋しげな表情を見せた。そして、ゆっくりとした丁寧な動きで写真を俺に返してきた。


「ああ、そうかあ。息子ってやつは、きっとかわいいんだろうなあぁ……。オレも欲しかったよ」

「かわいいですよぉ。特に、言葉を覚えた時なんてね……」


 話も弾み、俺がそう云いかけた時だった。

 若い戦闘員がバサバサと音を立てながら血相を変えて近づいてきたのだ。慌てて、写真をベルト裏に隠した、俺。

 まさに風雲急を告げるとばかり、その戦闘員の若者は言葉を発した。


「大変です、曽田のおやっさん! ドラゴニアエースに出撃命令が下されました! 何でもジャスティス・タイガーがアジト近くまでやって来ているようで、それを撃退せよとの総統のご命令ですっ!」


 その言葉を聞いた瞬間、この道二十年のベテラン戦闘員の顔がキリリと引き締まった。


「そうか、わかった! じゃあなカピバラン、続きはまた今度。……もちろん、オレが生きていればだけどなっ!」


 もう一人の若手戦闘員とともに、おやっさんが足早にその場を去っていく。


「必ず生きて帰って来てくださいよ――曽田さん!」


 満身創痍で何も手助けできない俺は、願いが届けとばかり、痛む両腕を合わせて満天の星空を見上げたのだった。



 <つづく>

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