楓とのデート 3/3

 雑貨屋をひと巡りしてラッピングされたプレゼントを受け取ったあと、僕らはハンバーガーショップに寄ってお昼ご飯を食べた。小さい口で大きなハンバーガーをちまちまと食べる楓の姿は、小動物みたいで見ていて和んだ。


 お腹を満たしたあと、僕らは大きな書店に向かった。ここは九階建てのビルが丸ごと書店になっている。エスカレーターに乗って文庫が並ぶ三階まで昇った。僕らは静かな店内で騒がしくしないように小声で話しながら、書棚の迷路を巡る。店内には座って読むための椅子が用意されているので、フロアは図書館にいるような緊張感で満たされていた。


 好きな作家の新刊チェックをしながら、フロア中を時間をかけて回った。ふと我に返ると、隣にいたはずの楓の姿がいつのまにか消えていた。しまった。本に夢中になり過ぎた。書棚をぐるぐる廻って探すと、しばらくして楓を見つけた。


 楓はお目当ての本でも見つけたのか、立ち止まって文庫の背表紙をしげしげと眺めている。真剣な横顔に思わず見惚れそうになる。


『なにか見つけた?』


 僕は楓の隣に並んで小声で話しかけた。


『うん、このシリーズ。十巻まで出てるみたい』


 楓は小声で返しながら、ずらりと並んだ文庫を指さした。僕が父さんの書棚で見つけて、楓から続きを借りた小説のシリーズだった。


『へえ。こんなに続いてたんだ? もともと一巻で完結だと思っていたのに』


『ね。わたしもこんなにあるとは思ってなかった。実は二巻までしか読んでないの』


『そういえば二巻のラストは酷かったね。あれから八冊も続くなんて想像つかないんだけど』


 昨晩読んだ内容を思い出して訝しむ。


『もう読んだんだ? 続き気になるよねー。もしかして三巻からは新ヒロインが出てくるのかも?』


 楓は三巻を手に取って背表紙のあらすじにさっと目を通すと、『ほらっ』と言いながら僕に突き出した。あらすじには、新しい女性との出会いが書かれていた。


『なかなか重たそうな展開だね。買っていくの?』


 楓に本を返しながら尋ねる。


『続きが気になるし買っていくわ。二巻で薄々感づいていたけど、三巻からは明らかに作風変わってるね』


『そうだなあ。僕としては一巻の甘い作風の方が好きかも。ドロドロしているのは胸が痛い』


『そう? 甘いのもいいけど、苦い話もわたしは好きよ?』


 珈琲の話の続きのつもりなのか、楓は探るような視線を僕に向けた。


『最近は僕もブラックで飲めるようになったからね』


 僕は挑むような態度で答えた。


『うふふっ。じゃあ読み終わったら貸してあげる。荷物になっちゃうから、後でまた買いに来よう?』


 楓は書棚に本を戻すと、新しい掘り出し物を探しにくるりと背を向けた。行く先に『楠陽光』の文字を見つけた僕は、楓を追いかけて体を使ってさり気なく父さんの名前を隠した。なんだか妙に気恥ずかしかったのだ。僕は誤魔化すように、


『上の階にはカフェがあるんだ。ちょっと休憩しない?』


 楓は僕の不自然な行動に全く気付かないで、


『そうね。ちょっと疲れちゃった』


 僕らはそのままエスカレーターに向かった。そして、四階のカフェで休憩しながら昨晩読んだ小説の話題で大いに盛り上がった。


 書店を出ると、夜が近づいていた。時刻は五時前。いつの間にか三時間近く書店にいたようだ。本好き同士で行くとよくあることだ。


「暗くなってきたし、そろそろ帰ろうか?」


 僕は両手にクリスマスプレゼントと楓が買った本を持ちながら言った。遠慮する楓から半ば強引に受け取ったのだ。


 楓は薄暗くなった空に白い息を吐いて、


「帰ろっかー。あ、本は自分で持つわ。文庫だしそこまで重くないもの」


 僕から八冊分の本が入った袋を取り返そうとする。僕はひらりと躱して、


「これくらいはさせてよ。楓の荷物が僕より多いと居心地が悪いんだ」


 楓は本を持つ僕の右手を見つめながら「むー」と唸ったあと、「わかった。ありがと」と恥ずかしそうに言った。


 空が暗くなるにつれて逆に明るさを増す商店街を、駅に向かって歩く。しばらく無言が続いたが、ゲームセンターの前を通りかかろうとしたところで楓が突然声をあげた。


「ねえ、光葉。なんであんなに女の子がいっぱい集まってるの?」


 ゲームセンターの入り口付近で、たくさんの女の子がわいわい騒いでいた。


「ああ、ゲームセンターね。たぶんプリクラじゃないかな? クリスマス前だし記念に撮っているのかも」


「記念に撮るもの? 光葉、わたしも撮りたい!」


 楓は顔を輝かせて僕のコートの裾を優しく引っ張った。


「いいけど…。楓はプリクラ撮ったことないの?」


「ゲームセンターじたい行ったことないもの。もっと怖いところだと思ってた。女の子がたくさんいるなら安心ね」


「へえ。珍しいね? クラスの女子はよく行ってるみたいだからさ。僕もプリクラは文芸部みんなと撮ったくらいだけど……」


「ふふっ。光葉も同じようなものじゃない。いこっ」


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 楓は軽やかな足取りでゲームセンターへ歩を進めた。僕は楓を追いかけて店内へ入る。


 プリクラコーナーには女の子ばかりしかいなくて、小学生の頃に母さんについていった下着売り場のような居心地の悪さを感じる。


 楓を見ると僕以上にそわそわしているようだ。楓はプリントされたシールを切り分けている女の子を見て、


「ねえ、あれってシールになってるの?」


「本当に知らないんだね。文字も自由に書けるんだよ」


「へぇ、凄いわね。何て書こうかなー。ね、光葉、どの機械にする?」


「あそこの空いてるところにしようか。違いが分からないから、どれに入っても同じだよ」


 型が古いのか、あまり人気のなさそうなものを選んで中に入る。中はこうこうと照らされていて、あまりの白さに思わず目がくらんだ。


「うわあ。凄いね。モデルの撮影みたい」


 楓が感嘆の声をあげる。僕は荷物を置いて、財布から百円玉を出して四枚入れた。


「わっ。なんか始まったよ?」


 驚く楓をよそに、音声の案内に言われるがまま、画面をタップしていく。


「ほら楓、撮るってさ」


「えっ――どうしよう?」


「ほら、そこに立って」


「う、うん――」


 僕らはポーズも取らずに、直立のままシャッターを待った。


「……撮れた?」


「……うん。あと何回か撮ると思う」


 特に盛り上がることなく一枚目が終わった。仕方ないじゃないか。部活のみんなとならまだしも、女の子と二人きりでプリクラを撮るだなんて、いったいどうしたら良いか分からない。


 パシャリ。二枚目が終わった。


「ねえ光葉、ちょっとは笑ったら? それに、もうちょっとこっち寄ってよ?」


 画面に映るにこりともしない僕を見て、楓が膨れた。少しは慣れたのか、二枚目の楓はにこりと笑ってピースまでしている。


「笑ったらって言われても……」


「もう一枚撮るっていってるよ! ほらほらこっち来て!」


「あっ楓、そんなに引っ張るなって――」


――パシャリ。最後の撮影が終わった。


 画面には、楓に腕を引っ張られて間抜けな顔をしている僕と、僕を引き寄せてご満悦な楓が寄り添って映っていた。


「引っ張るから変な顔してるよ……」


 楓との距離が近くて照れくさい。僕は誤魔化すように不満を漏らすと、楓は、


「あははっ。凄く面白いのが撮れたね! じっと立ってるより何倍もいいわ」


 楽しそうに笑って僕の腕を放した。


「ほら、あとは外で落書きだよ」


 僕は荷物を両手に持って外に出て、落書きブースへ入った。遅れて楓が入って来る。


「ここで背景を選んだりするんだ。楓が操作していいよ」


「うんっ。面白そう」


 タッチペンを受け取った楓が身を寄せて来る。シャンプーの香りか、ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。


 画面の誘導に沿って、楓が背景を選んでいった。「これどうかなー?」と僕に尋ねてくるけれど、ペンを動かすたびに楓の肘が僕の脇腹をかすめるので、上の空な返事しか出来なかった。


「なんて書こうか?」


 タッチペンを止めて楓がこちらを振り向いた。僕は画面を覗き込むように身を乗り出していた。つまり、振り向いた楓の顔は、互いの吐息が絡むくらいに近い。


 僕は勢いよく身を引いた。

 

「えっと……日づけ。そう、きょうの日づけを書いたらいいんじゃない……かな?」

 

 慌てて取り繕う。楓は少し固まってから画面に向き直って、


「そ、そうね。きょうは何日だったっけ……。えっと、たしか十二月でクリスマス……」

 

 ペンを持つ手が完全に止まっている。


「きょ、きょうは二十三日だよ。日曜日」


「そ、そうだね。二十三日、日曜日…っと」


 楓は虚ろに呟いて、『12月23日 日曜日』と何度も書き直しながらご丁寧に書ききった。


「あとは名前を書いたり…するかな?」


「書きにくいからひらがなでいいよね?」


 カツカツと軽快な音が響く。


「あっ……終わっちゃった…?」


 楓は振り向いて気まずそうな顔をしている。楓の名前は書ききっていたが、僕の名前を書いている途中でタイムオーバーになってしまったのだ。


「初めてだし仕方ないよ」


 しょんぼりする楓に、僕は努めて優しい声を出した。


「ごめんね? たぶん、『みつは』になっちゃった」


「別に気にしないよ。さ、印刷されるのは外だから出ようか」


 僕らは印刷が終わるのを待った。お互いに無言で、僕はさっきとは違う居心地の悪さを感じていた。目の前で見開かれた楓の瞳。一瞬だったが引き離すのにずいぶんと足に力を込めた気がする。僕はゲームセンターの喧騒も耳に入らず、プリントシールの排出口をじっと見つめた。

 

「出てきた」


 ぽつりと楓がつぶやいて、排出されたプリントシールを手に取った。


「半分こしよ?」


 楓は近くのテーブルに置いてあったハサミを手に取って、プリントシールをちょうど半分になるように切ってから片一方を僕に手渡した。


「ふふっ。光葉ったら真面目な顔しちゃって可笑しい」


「楓だって最初のは表情が固いよ?」


「あはは。一緒だね?」


「それと、『蜜は楓』って読める。確かに甘い香りがしたね」


「繋げて読まないでよ! 気にしないって言ったのに」


「ごめんごめん。記念にプリクラも撮れたし、そろそろ帰ろうか?」


「――うん」


 ゲームセンターを出て、駅へ向かって歩く。


 楓とのデートはあと少しで終わる。一緒に電車に乗って、楓が先に降りる。


 でも楓との時間は今日で終わりじゃない。明日はイヴで、明後日はクリスマス。高校二年の冬はこれまでで一番輝かしい冬だ。


 そして、楓と過ごす最初の冬だ。

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