楓とのデート 2/3

「ねえ、光葉。これなんてどう? 似合う?」


「う、うん。似合うんじゃないかな?」


「むー。なんで疑問形? あ、これなんて光葉にぴったり。ねえねえ、付けてみて?」


「どう…かな?」


「あはははっ。似合う似合う! すっごく可愛い! ほらほら、鏡はこっち」


 僕は楓に言われるがまま鏡の前に立った。目の前には、赤縁の眼鏡を掛けた童顔の少年がむすっとした顔をして立っていた。絶望的に似合っていない。


 なぜ僕がこんな間抜けな姿をしているかというと、僕らが眼鏡屋にいて、楓が着せ替え人形よろしく次々と眼鏡を渡してくるからだ。そもそも僕の視力はどちらかと言えば良い方で、眼鏡なんて掛けた事すらないし、視力が落ちたとしてもコンタクトで済ませるつもりだ。今決めた。絶対にそうしよう。


「僕はコンタクト派なんだよ」


 いたたまれなくなって、眼鏡を外して楓に突き返す。楓は「可愛かったのに……」と唇を少し尖らせながらそれを受け取った。可愛いと言われても複雑な気持ちになるだけだ。だからといって、何て言ってほしいかと言われても困る訳だが。


「楓、これかけてみてよ?」


 僕は仕返しをしてやろうと思って、芸能人が掛けるような馬鹿でかいピンクのサングラスを手に取った。こんなヘンテコなサングラスなら似合うはずがない。夏になると街中でよく見かける顔が半分くらい隠れるやつだ。残念なことに大抵の人が似合っていない。楓のおかしな顔を見て笑ってやろう。


「ん? どれどれ」


 楓はヘンテコなデザインを特段気にする素振りも見ずに、まるで人気アイドルが「休日はいつもこれですよ?」と涼しい顔をするような気軽さでサングラスを掛け、得意げな顔をして僕を見上げた。


「ね? どう? 似合う?」


 誠に悔しいことではあるが、凄く似合ってしまっていた。馬鹿でかいサングラスは楓の小さな顔の上で更に自己主張を強めていたが、そんなことで楓の整った顔つきはちっとも隠れていなかった。逆に、すっとした鼻梁と、すべすべで真っ白な頬と、ぷっくりとしながらも控えめな唇とが強調されて輝いて見えた。ここまで完璧ならちゃんとした感想を言うしかない。


「――凄く似合ってる」


「ほんとにー? うふふっ。ありがとっ」


 楓は上機嫌に喜びを零した。そして、お礼のつもりなのか「光葉はどれが似合うかなー?」なんて言いながらハードボイルドな金縁の丸いサングラスを物色し始めた。それは本当に洒落にならないから止めてほしい。


「ちょ、楓? そろそろ買い物に行かないとお昼の時間になっちゃうよ?」


「へ? あーそうだね。じゃあ、次行こっか!」


 楓は名残惜しさを微塵も見せずにサングラスを元の位置に戻して、実に楽しそうに「ほら、行こっ」と僕を促して歩き出した。


 元気な楓に置いていかれないように、僕は大きく息を吐いて気合を入れ直す。


「よし! じゃあ次はどこで遊ぶ? ゲーセンでも行こうか」

 

 楓の背中に向かって気持ち大きめの声をかけた。


「ふふふっ、急にどうしたの? それに遊びに行くんじゃなくて、お買い物でしょ?」


 僕の気合は空回りした様で、楓は一度だけこちらを振り向いて笑って、そのまま自動ドアを通って外に出てしまった。僕はゆっくりと閉まる自動ドア越しに、楓の姿を呆然と見送った。


 金縁のサングラスは許容できなかったが、楓にとことん付き合おうと決意した途端にこの肩透かし。この小さくて可愛い女の子は、僕の心を揺さぶるのがとことん上手だ。そもそもクリスマス用のプレゼントを物色するために雑貨屋へ向かっていたはずが、「お洒落な眼鏡屋さんだー。ねえ光葉、試着してみようよ?」と止める間もなく店に入っていったのは楓の方なのだ。これじゃあまるで、僕が遊びたがって楓が諫めているみたいじゃないか。


 僕は強く一歩を踏み出して、自動ドアを通って店を出た。小走りで楓を追いかける。


「雑貨屋に行くって話だったよね?」


 すこし走って楓の左隣に並んだ僕は、速度を落として何でもないように言った。


「うん。プレゼントに何買おっかなー。光葉は何が欲しい?」


 楓はふわふわと楽しそうに言う。スキップでもしているみたいだ。


「僕はそうだな……。ブックカバーが欲しいかな? 鞄に文庫本を入れているとすぐ痛んじゃうから、そろそろ買おうかなって考えてたんだ」


 少し考えて思いついたものを何となく答えた。


「そっか。それじゃあタイミングが良かったのね? わたし、プレゼントはブックカバーにしようかな」


「え、いいの? 当たったら嬉しいけど、プレゼント交換は全員であみだくじだよ?」


「うん、いいの。きっと光葉は当ててくれると思うから。それに、仮に光葉に当たらなくても、文芸部だったらみんな使ってくれるんじゃない?」


 楓は思わせぶりな顔をして、真っ当なことを言った。確かに、ブックカバーなら誰が貰っても嬉しいだろう。もちろん楓のプレゼントなら何であれ僕が一番嬉しい。


「……じゃあ、楓は何が欲しい?」


 自然な流れで聞いてみた。


「わたし? んー、栞が欲しいかな。いつでも再開できるようにね? 真っ赤でとっても可愛いやつがいいなあ」


 考えるのは一瞬で、楓は答えた。赤のご指定は楓らしい。


「じゃあ僕は栞を買うよ。真っ赤なやつ。誰に渡っても栞はみんな使うし」


「ほんと? 嬉しい。ありがと、光葉」


 ちょうど横断歩道が赤信号になったところで、楓は満面な笑みを浮かべて止まった。


「い、いや……楓にいくか分からないけど」


 僕は恥ずかしくなって言葉を濁す。


「大丈夫。きっと光葉のプレゼントもわたしに当たるから」


 相変わらず楓は自信たっぷりな顔をしている。赤い糸……とでも思っているのだろうか? 自分で思いついても恥ずかしい。心の中でぶんぶんと首を振る。


 信号が青になった。人波に押し出されるように歩き出す。


「雑貨屋に置いてるかな?」


「それも大丈夫。昨日、お母さんと買い物に行ったときに文具もちゃんと置いてあったの見たから」


「そうだったんだ。お見舞いに行ったときにプレゼント交換があるって言っておけばよかったね、ごめん」


「ううん。いいの。買い物は好きだし、一緒に歩く人が違うだけで、同じ場所でも新しい発見があるもの。眼鏡屋さんってあんなに楽しいのね?」


 楓はつい先ほどの光景を思い出すかのように目を細めた。


 その横顔を見て、僕は『楽しんでくれたのなら良かった』とだけ思った。冷やかすだけ冷やかした眼鏡屋さんには大変申し訳ないけれど、僕も本音を言えば楽しかったのだ。ただ恥ずかしかっただけで。たぶん、楓と一緒ならどこに行ってもそこは遊園地になる。楓とこうして並んで沢山の新しいことを探しに行けたら、それはきっと僕が見た夢の続きじゃないだろうか。父さんと母さんみたいに、ずっと一緒で、ずっと仲良く――。


「おーい光葉? 雑貨屋さんに着いたよ」


 楓の言葉に我に返る。僕はいま色々な過程をすっ飛ばして、都合の良い妄想に耽りながら歩いていた。さすがに浮かれすぎだろう。楓に気取られない様に平静を取り繕って、


「ああ、ここか。文具コーナーはどこかなー?」


「そっちじゃなくて、こっち!」


 ふらふらっと歩き出した僕の右手を、楓の柔らかい左手が捕まえた。一瞬全身が固まった気がしたが、楓はおかまいなしに僕の手を引いて店内へ入っていく。陳列棚を二つ過ぎたところで、繋いだ手がスッと離された。


「あっ」


 急に手を離されて、思わず声が漏れる。しまったと思ったが遅かった。楓はこちらを振り向いて、


「ふふっ。文具コーナーはここだよ?」


 揶揄うような視線で僕を見た。見るとやっぱり耳が赤い。


「どの栞にしようかなー」


 僕は誤魔化すようにして栞に手を触れた。楓もすこし離れてブックカバーを手に取り眺め始める。ほっと一息ついて、しばらくお互いに無言が続いた。


「これなんていいんじゃないか」


 僕は赤メッキ加工がされた、蝶の切り絵があしらわれたデザインの栞を手に取った。金属製なら持ちもいいし、切り絵のデザインはなかなかにお洒落だ。


「わたしは……これ!」


 楓は茶に近い赤色をした革製のブックカバーを手に取って、こちらにひらひらと向けている。


「金額差があるから…五枚セットでどうかな」


「全部おんなじ? ふふっ。まあ光葉が選んでくれたならいいけど」


「たくさん種類があっても何使おうか悩むでしょ? 同じデザインなら、壊れても同じものをずっと使える」


「それもそうね。じゃあ、とりあえずレジに持っていってラッピングしてもらおっか? その間、もうちょっと見て廻ろ?」


「そうだね。そうしようか」


 僕らは連れ立ってレジに向かった。レジのお姉さんが僕らを見て優しい目をした……様な気がする。僕ら二人は傍から見ればどう映るのだろう。付き合いたてのカップルに見えるのだろうか。いくら恋愛に疎い僕でも、楓の言動に好意が見え隠れしているくらいはさすがに分かる。どの程度までかは量れないけれど。


――今日、告白してみるか? 思い切った考えが頭の隅をよぎった。


 いや、駄目だ。マスターの言葉を思い出せ。マスターは、『相手の想いを汲みとって、然るべきときに』と言っていた。……でも待てよ? 告白は相手の気持ちを知ってから。相手の気持ちを知るなら告白しなければ。これって矛盾してないか? この無理難題を他の人はどう解いているんだ? 一体どうすれば良いか分からない。


 マスターの助言によって生まれた新しい難題に頭を抱えていると、いつの間にか会計が終わっていた。無心でラッピングの指示までしていたらしい。


「光葉、終わった? 早く行こうよー」


 先に会計を済ませた楓が後ろで無邪気に僕を呼んでいる。


――難しいことを考えるのは後にして、今は楓との時間を楽しもう。

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