12月22日(土) -10 days to the last day-

どの子なの?

 重い足取りを引きずって帰ると、キッチンで母さんが夕飯の支度をしていた。


 僕は「ただいまー」とカウンター越しに声を掛けた。


「あら、お帰りなさい。皆はさっき帰ったわよ。うふふ、可愛かったわぁ」


 母さんは野菜を切る手をふと止めて、虚空こくうに何を想い描いているのか、幸せそうにトリップしている。


 僕が『クロワッサン』で研修という名の労働に勤しんでいる間、文芸部の皆が、揃ってクリスマス衣装を選びに僕の家にやって来ることになっていた。


 母さんの様子を見る限り、自慢のコレクションを披露出来てたいへん満足している様だ。きっと今日の夕飯はいつもより豪勢で、ダイニングには遅くまで酔っ払いが二人居座るのだろう。


「そっか。あーつっかれたー」


 母さんの呟きを軽く聞き流して、ソファに倒れこむように座る。ずっと立ち仕事だったので脹脛ふくらはぎがパンパンだ。


「初めてのお仕事、お疲れさま。どうだった?」


 トリップから戻って来たらしい母さんが僕を労いながらたずねた。僕はソファにだらしなく寄りかかりながら振り替えって、


「ん、仕事自体は問題なかったよ。ただ、立ちっぱなしで疲れた」


「あらあら。本ばっかり読んでないで、体も鍛えなきゃ駄目よ? ほど良く鍛えた方が、女の子にモテるんだから」


「別にモテなくても――」


 余計なお世話だ、と溢しながら正面を向いた。


 近頃の母さんはすぐにお花畑なことを言う。男子高校生の思春期は、年中発情期だとでも思っているのだろうか。


「それでどの子なのよ? 光葉」


 いつの間に料理自体をやめてこちらにやって来たのか、母さんは向かいのソファに腰を下ろし、目を輝かせて僕をうかがっていた。


「どの子って?」


 げんなりしながら答えた。


「そりゃあ決まってるじゃない。分かってるくせに。私は遥ちゃんじゃないかってにらんでるんだけど? あの子、一番そわそわしていたし」


 母さんが思い出したように、くすくすと笑っている。


 僕は深いため息をいて、


「そんなわけないでしょ。文芸部にはいないよ」


 投げやりに答えた――のが不味かった。


「んん? 『文芸部に』って言った? ね、『』って言ったわよね? きゃー」


 僕の言葉尻を拾って、母さんは二十歳は若返ったような声を上げた。しまった。あまりにも適当に答えすぎて、つい本音が出てしまった。


「あ、揚げ足を取らないでよ。そんなんじゃないから」


「ふふふ、はぐらかそうたって、そうはいかないんだから。まあ今日のところは疲れているだろうし? 勘弁してあげる」


 母さんは「光葉が健全に育って、お母さんは嬉しいわー」なんて言いながらキッチンへ戻って行った。やっかいな人に感づかれてしまった。きっと母さんは僕をさかなにお酒を飲む気だろう。絡み酒は素面にとって最も厄介だと思う。うん。


 母さんと入れ替わる様にして、父さんが扉を開けて入ってきた。


「おお、帰って来てたのか。で、どの子なんだ?」


 入って来て早々に、にやにやといやらしい笑みを浮かべながら、父さんは母さんと同じようなことを言った。こんなところで仲の良さを見せるなよ、と僕は肩を落とした。


「聞いて、あなた。文芸部にはいないらしいわよ?」


 すかさず母さんが割り込んだ。いいから料理を続けてほしい。


「なに? あれだけ可愛い子に囲まれておきながら、なんと贅沢ぜいたくな。特に白水女史はなかなかの傑物けつぶつだぞ――。くぅ、うらやましいぞ、光葉ーっ」


 父さんは本気で悔しそうな声を上げた。


「なに言ってるのよ。あなたの時だって可愛い子ばかりだったじゃない。手芸部だった私が、どれだけヤキモキしたことか」


「――そう、だったな。で、でもな、母さん、俺は純粋に本が好きで――」


「――わかってるわよ、そんなこと。あなたが小説しか見てなかったことくらい」


「ぐっ――。すまない――」


 えっと……これは空気を変えた方が良いのだろうか。心情としては放っておきたい気持ちでいっぱいだが、この雰囲気は気まずい。


「それで、父さん? 天川とは話した? 彼女、父さんの大ファンなんだよ」


 仕方が無いので手を差し伸べることにした。


「お、おお。あの小さな子だな? あの年であれだけ語れるのは将来有望だぞ。同志との出会いに、思わず新作のストーリーを漏らしてしまった! あっはっは」


 父さんが必死に僕の腕をすがりに来た。本当に僕は良い息子だと思う。


「気に入ってくれたのなら良かったよ。天川、父さんの書評を読んで泣きそうになってたくらいだし。天川の為にも、早く新作出してあげなよ?」


「おうとも。任せとけ」


 父さんはにかっと笑って胸を張った。昔から変わらない、子供のような父さんだ。


「それで、母さん? 実はもう一着、見繕みつくろってほしいんだけど」


 チャンスとばかりに、言いかねていた頼みを母さんに伝える。


「――えっ。もう一着? 女の子の?」


「うん。サイズは……遥と天川の間くらい。とびきり可愛いのを頼むよ」


 話し始めたら「もうどうにでもなれ」という気持ちになって、つい注文までつけてしまった。


 母さんは途端ににやけた表情に戻って、


「わかったわ。お母さん秘蔵の最高傑作を出したげる」


 そんな頼もしいことを言ってくれた。


 くすぐったくて、暖かい雰囲気が戻る。


 ――ついぞ、家に来たはずの千見寺は話題にも上らなかった。



 風呂に入って、いつもより豪勢な夕飯を三人で食べ、酔っぱらい二人を適当にあしらってから、僕は自分の部屋に戻った。


 ベッドに横になって、枕元に置いた小説を開く。楓から借りた続編だ。小説の中では、熱いひと夏を経て見事恋仲になった二人が、些細ささいなことを切っ掛けにしてその絆に綻びを見せていた。


 僕の両親にも、そんな時期があったのだろうか。様々な障害を乗り越えたからこそ、今があるのかもしれない。僕には知るよしもないけれど。


 そんなことを考えながら読み進めていると、ふと睡魔に襲われた。残り半分というところで、部屋の照明を落としてベッドに潜り込んだ。


 暗闇の中で、見えない天井を見つめながら楓との約束を思い返す。


 明日は十時に『芝浜駅しばはまえき』西口の大時計前で待ち合わせだ。


 『芝浜駅』の西口は、『クロワッサン』がある東口とは反対側で、大きなショッピングモールがある。そこでクリスマスのプレゼント交換の品を楓と一緒に買いにいくのだ。


 どうしてそんな話になったかと言えば、今日の昼過ぎまでさかのぼる。


 ほどほどに慌ただしかったランチタイムが終わり、店内が落ち着いた時間。頃合いを見計らったかのようなタイミングで、楓がお母さんを連れてやって来た。あの悪戯っぽい目はこれが理由だったのか、と得心しているうちに、楓のお母さんはマスターに挨拶をして、楓は僕をしきりに揶揄からかった。


 どんな話の流れだったかは正直思い出すのも恥ずかしいが、とにかく、楓と約束を取り付けたのだ。我ながらファンプレーだったと称賛しょうさんを送りたい。


 期待に胸が膨らんで、襲ってきた睡魔はどこか遠くに行ってしまった。


 再び襲われるまで、僕は身をトロトロに甘くしてじっと目を瞑って待った。

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