文芸部の日常 2/2

 部室の扉を開けると、長机の一番奥のパイプ椅子に座り、ノートパソコンと勝ち負けのつかないにらめっこを延々と続けるいかにも大人しそうな少女がいた。扉が開いたのにも気が付いていない様子で一心不乱いっしんふらんにタイピングを続けている。

 

 彼女は唯一の一年生部員、天川由芽あまがわゆめだ。


「お疲れ、天川。順調?」


 驚かせない様に気を付けながら声をかけた。


「あ、お疲れ様です、先輩方」


 ようやく気づいた天川が、器用なことにタイピングを続けながら顔だけこちらを向けて挨拶をした。どうやら筆が乗っているらしい。


「由芽がこの様子じゃ邪魔しちゃ悪いわね」


 遥が小声で言いながら天川の対角の席にそーっと鞄を置いた。


「いえ、お気になさらず。何があっても書き続けられる無双モード中なんです、私」


 天川がそう言いながらキーボードをビシバシと叩く。見た目大人しそうな少女が、顔だけこちらを向けながら手だけを一心不乱いっしんふらんに動かす様は少し怖い。


「そう? じゃあ遠慮なく」


 遥は声のトーンを普通に戻して、部室の壁に備え付けらえれた棚からノートパソコンを引っ張り出し、机に置いて電源を入れた。


 千見寺も遥の正面に座って同じように準備をしている。部室には四人掛けの長机が向かい合わせに並んでいて、フリーアドレスになっている。自由をたっとぶ我が文芸部では、どこに座って執筆活動にいそしんでも良いのだ。


「そういえば、部長は?」


 部長の姿が部室にないことにようやく気が付いて、僕は天川に問いかけた。


「部長は文芸誌の総評をお願いするとかで、先程部室を出られましたよ。携帯を持って出られたので、どこかで電話をしているのだと思います」


 天川が顔を正面に向けながらそう言った。どうやら先程は『挨拶だけは』との天川なりの配慮だったらしい。


「そっか、よかったな千見寺。電話を終えたら部長が来るぞ」


 僕がそうからかうと千見寺はぶるりと震えて、


「光葉、それまでいてくれるよな? な?」


 と怯えた声をあげた。本当にそれで良いのか義男。


「光葉、することないなら原稿持ってきて隣に座って読んでてよ」


 遥が部室の隅っこにあるプリンターを指さす。見ると、ガシャコンと音を立てながら狂ったように原稿を吐き出している。


 僕は「はいはい」と返事をしながらプリンターの前で印刷が終わるのを待った。窓の外を見ると、しんしんと雪が降り続いている。今日はきっと休みだろうな、と思った。部室には、キーボードを叩く音と、プリンターが紙を吐き出す音と、ファンヒーターが熱風を噴き出す音が無秩序に踊っていた。

 

 そんな聞き慣れた喧騒に心地良く浸っていると、部室のドアがバンッと大きな音を立てて開かれた。天川以外の全員が驚いて顔を向ける。


「やあやあ諸君。元気に執筆活動に勤しんでいるかね」


 喧騒を切り裂いたのは、我が美人で聡明な部長、白水奈菜しらみずななその人だった。


「あ、部長。おかえりなさい」


 相も変わらず天川がちらりと顔だけ向けて挨拶をする。


「うむ。ただいま戻った。おや? 今日は久しぶりの顔が見えるぞ」


 部長がにやりと笑い、僕を見た。嫌な予感がする。部長があんな顔をするのはいつだって悪だくみをしている時だ。


「部長、お久しぶりです。ここのところ顔を出せず、すみません」


「いや、いいんだよ楠。君は原稿の提出を済ませているのだからね。葛城と天川はもう少しで書き上げるようだし――千見寺、文芸誌の成功は、残るところ君の努力次第といったところだな」


「は、はいぃ」


 急に振られた千見寺が、作業を止めて情けない声をあげた。


 千見寺の役割は編集作業だが、表紙や挿絵のレイアウトも含まれる。白水先輩が部長になってからは、より文芸誌を盛り上げようとの試みの一環で、文芸誌は美術部との共作ということになっているのだ。


 掲載される短編小説や全体のイメージに合う画を美術部に発注し、細かな修正を施して配置する。部員は執筆に専念する必要があるので、雑用専門の千見寺が入部したが故に出来る様になったことだ。


 そういう理由で部長は千見寺に大いなる期待を寄せ、あれこれと指示を飛ばしている。千見寺はどんな形であれ部長に頼られるのが嬉しいようで、文句を言いながらも作業を黙々とこなしている。


 だから、いくら千見寺が泣きついてきても本気で心配なんぞしてやらない。あれはあれで楽しくやっているのだ。


「ところで、記念すべき第五十号の文芸誌の総評についてなのだが、」


 部長はそう切り出すと、もったいぶって部室を見渡した。


「電話を掛けてたみたいですけど、今回は顧問の先生以外の方にお願いするんですか?」


 原稿の印刷中で手持ち無沙汰な遥がそう尋ねる。


「うむ。文芸誌を更に盛り上げるために、今回は大物ゲストに依頼するのはどうだろうと思いついてな。先程、電話で快諾いただいたぞ」


「それで、誰に依頼をしたんですか?」


 大物ゲストと先程の部長の表情を照らし合わせてみると、ひとつ思い当たるふしがあった。


「そう急ぐなよ、楠少年。君もよおく知っている人物さ」


 やっぱりそうきたか、と僕はげんなりする。


「光葉が知ってるということは、もしかして」


「?」


 遥はどうやら正解に辿り着いたらしい。千見寺は検討もついていないようだ。天川はいつの間にか手の動きを止めていて、キラキラと期待した目で部長を見つめている。


「今回の総評は、楠陽光くすのきようこう先生にお願いすることになった」


 ガチャンとパイプ椅子が倒れる音がした。


「す、凄いじゃないですか! 楠先生が総評を書いて下さるんですね! それじゃあ、私の小説も読まれるってことですよね? ね?」


 突然立ち上がった天川がテンションをマックスまでぶち上げる。


「楠陽光って誰? おい遥、知ってるか? 光葉の親戚か何かか?」


 千見寺が僕を横目に遥へ小声で尋ねた。


「光葉のお父さんよ。何? 千見寺は知らないの? 光葉のお父さんが有名なミステリ作家だって」


「えーそうなのかよ! 知らなかった。作家の息子だなんてすげーな」


 千見寺が大げさに驚いて僕を見た。


「僕が凄いわけじゃないから、反応に困る」


 僕は頬をぽりぽりと掻いた。


 僕の父さん、楠陽光(42)はプロのミステリ作家だ。ミステリ界隈ではそれなりに有名ではあるが、出版した小説がドラマ化や映画化といった話にはなっていないので一般に浸透しているわけではない。名前を聞いても千見寺のような反応をするのが普通だ。


 ここが文芸部だからか、千見寺以外の本好きメンバーは名前を知っているし著作を何冊か読んでもいる。特に天川は生粋のミステリオタクで、息子の僕よりもよっぽど詳しい。好きな小説家を尋ねられると「楠陽光です!」と間髪入れずに答えるくらいなので、先程の過剰な反応も当然といえた。


「天川の言う通りだ。諸君らの紡ぐ物語は、楠先生に読まれることになる。入稿までに総評を書いていただくことになったので、締め切りより前に楠先生へと原稿を渡さなければならなくなった。明後日にはデータで送ることにしたので、気合を入れて仕上げるように」


「明後日!? 予定より二日も早いじゃない! 私まだラストシーン書ききってない! 全体の推敲もしなきゃいけないのに!」


 部長の通告に、遥が悲鳴をあげた。


 天川は聞くや否やタイピングに没頭し始めていた。もう何があってもこちらに顔を向けないだろう。タイピングの音がさっきより大きい。


「あと一日あるから頑張れ、遥。僕も推敲手伝うからさ」


 いつの間にか印刷が終わっていた原稿を取り上げ、束を揃えながら僕は遥を励ました。今日『クロワッサン』で読むのはこいつにしよう。


 遥が少し涙目で唸っている。残るはラストシーンだけみたいだから、推敲さえ手伝えばきっと大丈夫だろう。


「それにしても、いつから父と繋がってたんですか? 部長」


 部長からの依頼を受けたことはそう不思議でもない。著作は陰気なミステリ小説だが、本人は陽気で楽しいこと好きな性格であることはよく知っている。息子が寄稿する文芸誌に書評を書くだなんて面白い事を父さんが断るはずがない。きっと締め切り直前であったとしても受けるだろう。


 だが、電話一本ですぐ「はいそうですか」となるのは考えにくい。以前から何らかの交流があったと考えるのが自然だ。そしてその繋がりは僕に伝わっていない。僕が考えを巡らせていると、部長はあっけなく白状した。


「それはな、以前、楠先生から頼みごとを受けたことがあってな。君が入部する直前の話だ」


「僕が入部する前というと、ちょうど一年前ですか。何を頼まれたんです?」


「いやなに、簡単なお使いだよ、少年。冊子を一冊ばかり、お届けするだけのね」


 部長が「ここまでいえば分かるだろ?」とでも言いたげに、にやりと不敵な笑みを浮かべている。思い至る答えは一つしかなかった。


「創刊号、ですね」


 僕の代わりに遥が答えた。


「正解だ、葛城。君には記念すべき第五十号の先鋒の栄誉を授けよう。千見寺、目次の書き換えを」


「了解ですっと」


 千見寺がキーボードをカタカタと鳴らし始めた。遥は嬉しそうな素振りをまったく見せず、微妙な顔つきでその様子を眺めていた。


「なるほど。部室にバックナンバーとして保管されていなかったのは、父さんの依頼によるものということですね」


「そうだ。息子に自分の青春を盗み見られまいとする親心だろうよ」


 部長はうんうんと頷いている。


「道理で探しても見つからなかったわけか」


 楠陽光は僕の父さんであり、この学校の卒業生であり、文芸部のOBであり、立ち上げメンバーでもあった。


 僕は文芸部に入部した初日に、自分の知らない父さんを覗き見たいといういたずら心で文芸誌のバックナンバーを漁っていた。


 創部以来、年に二回の発行と聞いていたので創刊号と第二号に当たりをつけていたが、創刊号は書棚に無く第二号には父さんの名前が無かった。最初の二年間は、年に一冊だけの刊行だったようだ。


 創刊号が見当たらない理由が期せずしてようやく判明したということだ。


「部長は、読んだことがあるのですか?」


 僕は期待してそう尋ねた。


「もちろん。というより、君と千見寺以外は読んでいる。創刊号を一通り読むことは新入部員の最初の課題だからね。もちろん、感想文付きでな。文芸部に入る以上、創設メンバーに敬意を払うのは当然だというのが、長らく文芸部の伝統だ」


 初耳だった。文芸部の伝統は敬意を払われる当の本人の依頼によってその長い歴史に幕を下したということになる。


 というか、千見寺は部長にとっては部員ですらないのか。可哀想に。千見寺はその事実に気づかずに喜々として作業に没頭している。


「はぁ。それじゃあどんな内容だったかは、僕には教えてもらえないんですね」


「そうだな。いつか読むときが来るだろうから楽しみはとっておくといい。親離れしてから読むことをお勧めするが」


 部長は愉快そうに笑った。どんな内容なのかは想像もつかないが、隠したいほど恥ずかしい内容なのは確からしい。


 部長がそう言うのなら追及は止めにしよう。からかいたがるのが玉にキズだが、この美しく聡明な部長には決して間違ったことは言わないという信頼感を抱いていた。きっと部長の言う通り、大人になってから読んだほうが良い内容なのだろう。


 部長の話を聞きながら遥がしきりにマウスのホイールをグリグリ回している。時計を見ると午後五時を指すところだった。


「それじゃあ僕はそろそろ帰りますね。遥、原稿は赤ペンでチェックして明日の朝に教室まで持ってくよ。それでいい?」


 原稿の束を丁寧にクリップで留めてから鞄へ仕舞う。


「え、ああ、うん。ありがと」


 遥が慌ててマウスから手を放し、僕に向かってぎこちない笑みを浮かべた。


「おや。せっかく来たのにもう帰ってしまうのか。――ふむ。もしかして喫茶店かい?」


「なっ――」


 部長の急な問いかけに僕は二の句を告ぐことが出来なかった。僕の反応を見て部長が満足そうに口を開く。


「ふふ、私の鎌かけもだいぶ様になったようだな。気を付けていってらっしゃい、楠少・年っ」


「いってきます……」


 絞り出すようになんとか答えた。


――悔しい。


 部長にしてやられた。


 僕に行きつけの喫茶店があることは部長を始め皆が知っている事だし、何なら全員揃って訪れたこともある。皆で絶品クロワッサンに舌鼓したつづみを打って文芸話に花を咲かせたのは確か今年の秋口のことだ。


 部長は僕が部室に顔を出さずに喫茶店へ寄っていると予想し、直感的に何かがあると踏んで鎌を掛けたのだ。そして僕はまんまと引っかかった。


 僕が立ち寄るところといえば確かに喫茶店か本屋くらいのものだけど、それにしたって部長の洞察力は凄まじい。

 

 小さな声で「お疲れ様です」としょぼくれながら部室の扉に手をかける。

 

 千見寺と天川はモニターに釘づけで視線も寄越さず、楽しそうな視線とぶすっとした視線とが僕を見送った。

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