第五章 そして誰もが真実を目にする

第24話 救出

 当麻翔――私の、唯一愛すべき弟。


 昔は頑なに私に頼ることを避けてきたのに、最近になって躊躇いなく連絡を寄こす様になった。その理由は間違いなく、あの女の子が原因なのだろうけれど、私にとっては漸く姉らしいことができているような気がして、悪い気はしない。


 けれど、今になって思うのは、随分と甘やかして育ててしまったなという後悔と、それと同時に、もっと面倒を見ておけば良かったという後悔。どちらの後悔もあるからこそ、親代わりという役目を果たした証拠なのかもしれないけれど、それでも私は、まだまだお母さんの代わりにはなれていなかったと思う。だって、母親なら無条件の愛で包み込んで、どんな悩みでも聞いてあげるでしょう? 私は、そうはなれなかったから。


 だからこそ、今の頼られている状況が嬉しい。少なくとも私だけは、どこまで行っても翔の味方だという証明になるから。私だけは絶対に翔のことを裏切らないと思われていることが――仮に利用されているとしても、私は――。


「っ――!」


 突然の地震と大きな地鳴りで、車体が揺れた。


 急いで車から降りたときに、理由はわからないけれど反射的に何故だか上空を見上げると、不穏な存在が目に入った。


 空を飛ぶあれがなんなのかはわからない。けれど、とても嫌な感じがした。その瞬間にすでに体は動き出し、ビルの中へと這入っていた。


「じゃ――まっ!」


 警備員や体格が良いだけの男たちを薙ぎ倒しながら、翔が居るであろう最上階を目指していると、再び起きた地震でビルが大きく傾いた。


 同じようにバランスを崩して立ち上がれない男たちに通りすがりながらの一発を与えつつ、エレベーターホールに向かったが、やはり地震の影響で動かなくなっていた。ならば、仕方がない。これでも一年の三百日以上はトレーニングと稽古で体を鍛えているんだ。全速力の二段飛ばしで階段を駆け上がり始めた。


「はっ――はっ――はぁ……」


 息も絶え絶えで辿り着いた最上階。足を止めることなく廊下を進み、見るからに偉い人のオフィスであろうドアを蹴破ると、目の前の混沌とした状況に言葉を失った。


 泣き叫ぶ少女と、床に倒れて血を流す五人の男たち。そして、窓の外を見て佇む無傷の男――空に浮かぶ一匹のドラゴン。


「これ、は……いったい?」


 そこで漸く、泣き叫んでいる少女がイリアちゃんだと、その傍らに倒れているのが翔だと気が付いた。


「っ――!」


 内から湧き上がり昂っていく感情が体を突き動かすのと同時に、とある記憶がよみがえっていた。


 いつだったか子供の頃に翔がゲームをしているのを見ているときだった――


『こういうのってさ、キャラが多過ぎて誰が敵で誰が味方かわからなくない?』


『最初からやってればわかるでしょ。それにほら、雑魚の敵は見るからに下っ端っぽい見た目だろ?』


『あ~。じゃあ、一番の敵は? 大ボスっていうの?』


『ゲームのジャンルにもよるけど、そうだな……大抵は偉そうな奴か、単純に体がデカい奴かな』


『つまり、偉そうで太っている奴が一番悪いってことね』


『いや、曲解』


 ――などという会話を思い出した。


 何故か? 答えは簡単だ。今、この場でこの惨状を見て、目の前にいるのが偉そうで太っている奴だから。しかも、手には銃を握っている。つまり――


「お、まえかぁああ!」


 真実はわからないけれど、男たちが倒れていて少女が泣いていて、そんな空間にいるにも関わらず銃を握ったまま窓から見える遠くを飛ぶドラゴンを、不気味な笑顔で見詰めている男は悪者に決まっている。


 だから、加減が利かなかった。


 私の声に気が付いた男が振り返ったのと同時に飛び上がると、女としては有り得ないほどに鍛え上げた膝を、その人中目掛けて突き出した。


「ッ、ガァア!」


 感覚でわかる。鼻から顎にかけての骨が割れ、歯のほとんども間違いなく砕け散った。打ち付けられた体の衝撃で窓にヒビが入ったけれど、さすがは高層階。割れるまではいかなかったか。しかし、痛みと衝撃で男は気を失ったようで、力なく床に倒れ込んだ。


 一番の悪者と思われる男がどうなるのかは放っておいて、まずが翔の下へ駆け寄っていった。


「翔――翔!」


 上半身を上げてみれば、べったりとした血が掌を赤黒く染めた。


「こんなに……」


 あまりの出血量に最悪の事態を覚悟したけれど、体を抱き上げたおかげで気が付けた。体温は低いけど、まだ心臓は動いている。微かだけれど、脈打つ鼓動を腕に感じることができる。


「イリアちゃん、ここ――ここをしっかりと押さえておいて。大丈夫。翔は死なないから。というか、こんなところで死んだら、私が殺してやるんだから。ね?」


 未だに止めどなく血が流れ出ている傷口をイリアちゃんに押さえておいてもらって、私は倒れている他の四人の確認をしにいった。


「…………ダメ、か」


 どういう状況だったのかはわからない。一、二発で確実に命を落としていることが楽なのか、それとも翔のように撃たれていても苦しみながら生きているのが良かったと言えるのか……私には判断が付かない。けれど、少なくともまだ生きられる可能性があるのなら、全力で弟を助けるだけだ。


「イリアちゃん! 走れる!?」


 窓の外では、遠くの空で宙を舞うドラゴンと、地上の――おそらくは自衛隊が戦っている。砲弾を撃ち、ドラゴンが火を吹いて、その度に地面が揺れるのを感じながらも翔を背負って上がってきた階段を下り始めた。


 走れる? と聞いた割りには十数年ぶりに背負った弟の重さに思っていたようには足が進まなかった。しかし、走るんだ。今の私にはそれしかできることが無い。


「あ……ね、き」


 重力に任せて一段飛ばしで階段を下りていると、背後から聞こえてきた声に足を止めた。


「翔? 気が付いたの?」


「ああ……下ろして、くれ。肩さえ、貸してくれればいい……そのほう、が、早いだろ」


「でも――」


 でも、正論だった。私が姉で翔が弟で、稽古でも私のほうが強いといっても、男と女とでは体格の差が大きい。人ひとりを担いで走るより、多少でも相手の協力があったほうが早く進める。


「……わかった」


「っ――!」


 背中から下ろした翔は途端に痛みを感じたのか顔を歪めたけれど、気が付かないふりをした。そんなふりに翔は気が付いているのだろうけれど、私たちの間にそれ以上の会話は必要ない。


 極力最小限の動きで、それでも速度を維持したまま階段を下りていく最中に、背後を付いてくるイリアちゃんに空いている手を差し伸べれば震えながらもしっかりと握り締めてくれた。


 もう、この手を放すことはしない。絶対に――絶対に。


 偶に大きくビルが傾くほどの揺れに耐えながらも一階に辿り着くと、行きの時に私が倒した警備員たちを跨いで一目散に車へと乗り込んだ。翔とイリアちゃんを後部座席へと乗せ、私は運転席へ。


「翔……翔! まだ眠らないで! すぐに病院に連れて行くから! それまでは何があっても、もう気を失わないで!」


 ドラマや映画で見ていた光景が、まさか現実で起こるとは思っていなかった。けれど、翔の脈は確実に弱くて、もし、もう一度だけでも気を失ってしまえば、二度と目覚めることがないのではないかと思えてしまう。


「イリアちゃん、もし翔が眠りそうになったら顔でも何でも叩いて起こしてね。たしか、すぐ近くに国立病院があったはずだから――」


「だ、め――だ。病院は……」


「そんなこと言ってられないでしょ!」


 仕事柄なのかは知らないけれど病院を拒否する翔に、車のエンジンを掛けながら振り返ると血塗れになった手で、血に塗れた携帯を差し出してきた。


「そこの、住所に。そこ、なら――」


 携帯を手渡した翔は、何故だか途端に安心したように全身から力が抜けて瞼を閉じた。


「あ~……もうっ!」


 気を失うなって言っているのに、気を失うし。病院には行くなって言ったり……たまにはお姉ちゃんの言うことも聞きなさいよ! 


 力強く踏んだアクセルのせいで、重力に体が引っ張られて翔の体も後部座席を転がったけれど起きる様子はない。本来なら運転中の携帯操作は道交法違反だけど、今だけは大目に見てもらいたい。だって――最愛の弟が、今まさに死にかけているんだから!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る