第18話 作戦開始

 岩国飛礫の研究所に着いたのは午後の三時を過ぎた頃のこと。幸いなことに大学構内の端に位置しているようで、学生も滅多に寄り付かない場所らしく俺たちとしては非常に有り難い立地だった。


「まずは周囲の確認、ルートの確保だ。散開しろ」


 日本ではいろいろと問題があるから、まだ銃を構えることはしない。装備は完全に身に着けているが、それだけならまだ、ただのサバゲ―マニアと言って通せるからだ。とはいえ、夏木の抱えるボストンバッグの中には全員分の自動小銃が入っているし、周囲の確認に動く間も、手を入れたポケットの中では拳銃を握り締めているのだが。


「夏、問題なし」


「秋、異常なし」


「春、周囲に人の気配なし」


 三人それぞれに異常はなし、と。


「……裏口を発見したが鍵が掛かっていて入れない。それ以外は問題なしだ」


「よし。全員、正面に集合しろ。扉をこじ開けるぞ」


 極秘部隊らしくピッキングの技術を持っているが、そうしないのにも理由がある。必要なのは相手を見極めること。そのためには要所にエサを撒き、反応を窺うことで敵かどうかを判断する。


「で、どうやって開ける? 銃でぶち抜くわけにはいかないだろ」


「バールは?」


「持ってきてんのか? 夏木」


「いや――あ、ちょっと待っててくれ」


 そう言って一度確認してきた研究所の周囲に戻っていった。手が無くなった時のために俺はナイフに手を掛けていたのだが、戻ってきた夏木の姿を見て、必要がないことに気が付いた。


「ほら、バールのようなものだ。さっき向こうに落ちていたから持ってきた」


「ようなもの、ってか完全にバールだろうがよ、デブ」


「いいんだよ、こういう時は『バールのようなもの』で。そういうほうがマニア心をくすぐるんだ」


 何をもってしてのマニアかは知らないが、完全に外に放置されており雨風に晒されたせいで見るからに錆びてしまっているそれは、確かにバールのようなものと表現するべき物なのだろう。


「よし、開けろ」


 隊長の指示により扉の隙間にバールの先を差し込んだ夏木は、ガンガンッと鍵を外す様に力を込めた。五、六回繰り返したところでバキンッと鍵のつっかえが外れる音がした。その瞬間に全員が身構え、中からの反応がないとわかるとバッグに入れていた自動小銃を手に取って、隊列を組んだ。


「当麻、先頭を頼んだ」


「はいよ」


 これでも一応は部隊の中で接近戦が一番強いと言われているから、何が起きても防げると思われているのだろう。まぁ、それだけの自信は確かにあるのだが。


 壊れた扉を少し開けて、中が暗いことを確認してから音を立てずに侵入した。入る前からわかっていたが、研究所の中ほどまで進んで誰もいないことを確かめると警戒解除の合図を出した。


「無人だな。どうする? 隊長」


「都合が良いな。先にデータの回収を行ってしまおう。春雨、出番だ」


「おそらく、まだパソコンの中にあるだろうから置かれているパソコン全ての確認を。念のため、新しめな書類も」


 お世辞にも綺麗とは言えない研究所だが、情報によると岩国飛礫は天才肌らしい。そう考えると天才のラボというのはこんなものなのかもしれないな。乱雑に見えて、本人からすればどこに何があるのか効率を考えた置かれ方だったりね。


 奥に進んでいくと稼働中らしい機械を発見した。はたして何のために器材で、何を行っているのかはわからないが、少なくとも動いていることはわかる。今回の任務は少女の保護と機密の保持が目的であって、それに追随する者と、物の破壊は含まれない――はずなのだが、背後からは間違いなく研究所を荒らしている音が聞こえる。許容範囲を超えているが、隊長が何も言わないということは俺も口を出すべきではない。それなら、こっちはこっちで好きにやらせてもらおう。


 機械は放置してパソコンを探す。


「……これか?」


 近くに置かれていた一台のノートパソコンが目に止まり、開かれた状態のままエンターキーを押すと、まさに更新中らしい表示が出てきた。詳しいことはわからないが、おそらくはこれが――。


「どうだ、データは見つかったか?」


「こっちは無しだ。つーか何が書いてあるのかすら理解できねぇ」


「少しは学べ、デブ。要はあれだ。食べ物の成分表みたいなのを探せばいい」


「成分表? あ~……じゃあ、ねぇな」


「秋津と当麻は?」


「こっちも無い」


「……こっちもだ。すでに分析が終わっていて、お前らが散らかした書類の中に紛れているか、それか別のメモリーに移してあるとかじゃないか?」


「なるほど。たしかに当麻の言う通りかもしれないな。引き出しの中も徹底的に確認するんだ。どうせ岩国飛礫はここに来る。何かあれば諜報部からの連絡が入るはずだから、時間の許す限りは調べ尽すぞ」


 隊長の言葉に従って、三人は動き始めた。


 俺は、開いていたパソコンをそっと閉じて誰も見ていないのを確認しながら音を立てないように床へと置いた。


「…………チッ」


 何をやっているんだ、俺は。


 何故だか、つい口を吐いて嘘が出た。目の前にあったパソコンの画面には、間違いなく成分表のようなものが映し出されていたのに――誤魔化してしまった。どうしてそんなことをしたのかと問われれば、明確な答えなどない。ただ、そうするべきだと思ったのだ。


 今回の任務は何かがおかしい。そんな疑念のせいだろうが、そんなものは言い訳に過ぎないし、立場から考えれば言い訳にすらならない。ただ黙って長官からの――政府からの任務を全うする。それだけが俺たちの存在意義のはずなのに、だ。


 誹りや責任は、ちゃんと受ける。但し、今だけは任務の正当性を見極めさせてほしい。


 ……こんな疑問を胸に抱えながら仕事をしている時点で、俺はもうそろそろ引退すべきなのかもしれないな。


 結局、目ぼしいものは見つからずに時間だけが過ぎていった。


「隊長、これもう見つからねぇよ。ここを探すよりも岩国本人を見つけ出したほうが早いんじゃないか?」


 夏木が愚痴のように言うと、手に持った紙束をパラパラと捲っていた隊長は手を止めて、それを投げ捨てた。


「確かにな。これだけ探して見つからないのならここにはないのだろう。何よりも岩国飛礫自身がデータの重要性を理解しているのかどうかも怪しい。……春雨、何か情報は?」


「確認します」


 そう言って春雨はイヤホンを嵌めた耳に手を当てた。


「本部――そうだ、岩国の現在地を――あん?」


 春雨が眉を顰めた直後に口笛を鳴らすと、全員が行動を停めた。そして視線が集まったことを確認すると、手信号で扉の外に人が居ることを教えてきた。


 俺たちがそれを理解すると、全員が外していたイヤホンを嵌めた。


「対象を確認するまで隠れて待機。物音を立てるな」


 隊長が明かりを消すと、足音すら立てずに全員が素早く身を隠した。息を殺し――気配をも殺す。……こういうことに慣れてしまっているのもどうなんだかな。


 待っていると、扉が開かれて一人の男が入ってきた。


 足音、呼吸、空気感からして少なくともプロではない。というか、素人であることは間違いない。


「……ん? ああ、パソコンは無事なのか」


 先程、俺がパソコンを捨てた場所に一瞬だけ視線を送ると、しゃがみ込んでいたのは岩国飛礫だった。


 それならば話が早い。


「じゃあ――まぁ、どうするかな」


 研究所を荒らしたことは謝罪しなければならないが、事情を話せば協力してくれるだろう。問題は、どうやって姿を出して話を切り出すかだが――そこら辺は隊長に任せるべきだな。


 イヤホンを介して指示を出そうとしたとき、まだなんの指示も出されておらず、出していないにも拘らず動き出す音が聞こえてきた。


「……なんの用でしょうか? 見ての通り、今はタイミングが悪いんですよね。なので、仕事の依頼でもしたいのなら、また今度にしてもらえると助かるのですが」


 誰だ――誰が出た? いや、そんなことよりも俺も姿を現すべきか? しかし、それで状況が好転するとも限らないし、そもそも決断するのは隊長だ。もしも、この行動が隊長の指示ならば俺が聞いていないのはおかしいし……駄目だ。頭の中で疑念が渦巻いているせいか、予想外の展開に頭が付いていかない。


 カチャリ――と銃の音がした。


「……わかりました。用が無いのなら――いや、用が有ったとしてもまずは手伝ってもらえます? 片付けないことにはどうにも――っ」


 パツンッパツンッと聞こえてきた二発の銃声で、停止していた思考を放棄した。立ち上がり、振り返ったところに居たのは銃を握る秋津と、その横に立つ夏木だった。同様に集まってきた隊長と春雨には目も暮れず、真っ直ぐに秋津の下へ向かいその胸倉を掴んだ。


「っ――なぜ撃った!?」


「なぜ? 邪魔者は排除しろという命令でしょう? それに従ったまでですよ」


「ふざけるな! 邪魔者だと? 話もせず、話そうともせず――どうして邪魔だとわかる? 彼は岩国飛礫。この研究所を使う教授だぞ!? むしろ、この場での邪魔者は俺たちだ! それを」


「まぁまぁ、副長。落ち着いて。やってしまったものは仕方がないでしょう。今は、岩国が死んでしまったので少女を探す手立てを考えましょう」


 春雨に諭されて放した手は行き場を失い、ただ握り締めてぶら下がるだけだった。


「……仕方がない? 本当にそれだけで済ませるつもりなのか? 殺したんだぞ? 一般人を――善良な一市民を」


「いや、副隊長。それは今更だろ。これまで何人の人間を殺してきたと思ってんだよ。なぁ、隊長」


「……そうだな。今回ばかりは選択を迫る余地も無かった。だが、少なくとも非業の死ではない。我々が任務を遂行するための礎となったのだ」


「何を……何を言っている? たしかにこれまで多くの人を殺めてきたかもしれない。だが、それは必要に迫られてだ。最後の手段、そうしなければならなかったからだ! なのに、今回のどうだ!? お前らは考えることもせずに――」


 振り返ると、床に倒れていたはずの岩国がデスクを背に力なく座り込んでいた。


 どうするべきかと一瞬だけ悩んだが、踵を返し岩国の下へと駆け寄った。


「岩国、息があるのか? まだ――っ」


 いや、辛うじて即死を避けられただけで撃たれたのは胸と腹部に一発ずつ。仮に応急手当てをして救急車を呼んだとしても、出血多量で死ぬのは間違いないだろう。


「済まない。俺には――俺が、止めるべきだったのに……」


 虚ろな目をした岩国と視線を合わせていると、動いている手に気が付いた。何かを掴むように握り締められた手を見て、俺はその手を握り締めた。すると、握られていた物を俺の手に移すように渡してきた。


「っ――ひめ――イ、リア、を……の、み……す」


 途切れ途切れの言葉をそのまま理解することは出来なかった。だが、言いたいことはわかる。


 岩国飛礫――貴方の心残りはイリア=フィニクスなんだな?


 これは、ただの願望なのかもしれない。経歴を見る限り研究一筋で生きていた男に芽生えた感情を信じたいという、俺の身勝手な想いだ。だから、都合の良いように解釈させてもらう。


 信徒が神に祈るように、子が墓石に誓うように――俺は、この男に約束しよう。


「……わかった。イリア=フィニクスは、俺に任せろ」


 決意がぶれないようにわざと口に出して言うと、手渡された鍵を見ながら次の行動を思考した。俺がすべきこと、俺にしかできないこと、俺だけが――理解していること。


「済んだのか? 副隊長。じゃあ、さっさと小娘を探し出すとしようぜ」


 もしかしたら、軍人としては秋津の行動が正しいのかもしれない。隊長の言動は理に適っているのかもしれない。極論を言ってしまえば、俺たちは上司からの命令で仕方がなく、と言ってしまえばそれで済む場所にいるのかもしれない。


 それでも、俺は。


「っ――全員その場を動くな!」


 振り返りながら自動小銃を構えると、さすがは亡霊部隊だ。四人ともがコンマゼロ秒で俺に銃口を向けてきた。


「おいおい、副隊長! そりゃあ何の真似だ!? この人数差で勝てるとでも思ってんのか?」


「ちげぇだろ、デブ。そこじゃねぇ。勝てるかどうかじゃなく、どういうつもりかを訊くべきだ。ですよね、副長」


「ハッ、そんなのわかり切ってるだろうがよ。良心の呵責ってやつだ。俺らみたいなのに、良心ってものがあればの話だがな」


 この状況で警戒することなく会話を交わす三バカは放っておいてもいい。それよりも問題なのは隊長だが……どうやら隊長だけは、よくわかっているらしい。一人だけ緊張が目に見えている。つまり、揺さ振るならそこだ。


「……隊長。貴方ならこの状況を正確に把握できているはずだ。どうする、撃ち合うか?」


 挑発するように引鉄に掛けた指をクイッと動かすと、わかりやすく緊張の色が濃くなった。


「どうしますか、隊長。俺たちには任務があります。幸いにも出口はこちら側ですし、副長を無視して任務を続行するという手も――」


「いやいや、それじゃあ弱腰すぎるだろ、春雨。動くなっつーことは、出ていくことも許さないってことだろ。つまり、一番いいのは拘束することだ」


「…………」


 夏木と春雨の会話に対して、隊長は俺と目を合わせたまま口を挟まない。それならば、選択肢を狭めてやろう。


「どちらも外れだ。春雨、夏木の言う通りだ。俺はその場を動くなと言った。そして、夏木。拘束だと? お前は俺をなめているのか?」


「隊長。もういいだろ? 副隊長は――当麻は謀反人だ。この場で殺そう。ああ、そうだよ。それがいい。この場で――っ!」


 秋津が引鉄を引こうとした瞬間に近くにあった椅子を掴んで放り投げると、同時に銃声が響いた。


 少しの挑発で迷いなく引鉄を引くのか。予想外ではあったが伊達にトリガーハッピーとは呼ばれていないな。咄嗟に隠れていなければ、今まさに鳴り響く夏木と春雨の追撃にあっていただろう。


「――待て! 撃つのを止めろ!」


 隊長の声で拳銃と自動小銃の音が鳴り止んだ。


「隊長は、いったいに何に対して弱腰になっている? 奴は任務を放棄した邪魔者だ。邪魔者は殺す必要がある。それが長官の命令だっただろ!」


「……ああ、わかっている。だが、まずは落ち着け、秋津。ここは俺に任せろ」


 会話を聞きながら、自分の装備を確認していると、この場から逃げ出す一番の方法を思い付いた。けれど、問題はタイミングだな。


「当麻、目的は何だ? 岩国教授を殺したことなら、確かに行き過ぎだとは思うがこれが任務なのだ。割り切るしかない。これまでがそうだったように、これからだってそうだろう?」


「割り切る? 本当に割り切れるものなのか? 今回が日本人だったからというわけではない。俺はずっと疑問に思っていたよ。人ってのは、そう簡単に死んで良いものなのか? なぁ、隊長よ」


「……言いたいことはわかる。だが、こればかりはどうにもならないことだ。……わかった。それならば当麻、お前は今回の任務から外れてもいい。但し、外れるのなら口出しはするな。関わらないというのなら、危害は加えないと約束しよう」


「約束ねぇ……たしかに、俺が関わらないで済むのなら譲歩する余地はありそうだ。だがな――お前の後ろで喜々とした表情で銃を握る秋津が居る限り、信用することなんてできねぇんだよ!」


 言い終えた直後に、支給されている耳栓を嵌めて、即座に四人の足元に手に持っていた物を放り投げた。


「っ――スタングレネードぉ!」


 夏木が叫んだ瞬間に、脳と鼓膜を揺らすほどの音と、目が眩むほどの光が研究所内を包み込んだ。


 動けない四人を横目に音と光に備えていた俺は外へ出ると、すぐさま駆け出した。


 訓練を積んでいるとはいえ、覚悟をしていてもスタングレネードの威力は高い。耳栓をしてサングラスを嵌めていた俺でさえ若干フラフラしているんだ。まともに食らった四人もすぐには追って来られないはずだ。


 向かうは岩国飛礫が住んでいたマンションだ。幸いなことに事前調査で住所と地図は頭の中に入っている。急げば五分と掛からないはず――と思っている時点で、すでに着いてしまった。近いのは有り難いが、逆言えば追っ手にも追い付かれやすいということでもある。


「急がなければ」


 エレベーターを待っている時間も惜しく、階段で岩国の部屋へ。


 インターホンを押しても人が出てくる気配はない。法を犯すのは気が進まないのだが、背に腹は代えられない。岩国から渡されていた鍵をドアノブに差し込むと予想通りに鍵が開いた。つまり、俺の解釈は間違っていなかったということだ。


 玄関に入れば、小さな女物の靴が置かれていた。


「イリア――イリア=フィニクス! どこにいる!?」


 警戒されようと怖がられようと、今は説明をしている時間は無い。


 一直線の廊下を進んで部屋に着くと、ベッドの上で盛り上がっているシーツを見つけた。それを剥がしてみれば――居た。写真で見た銀髪の少女が、風呂上がりなのか濡れた髪をそのままにして眠っていた。


「おい、起きっ――いや」


 迫られる選択肢は二つ。この場で時間を取られるわけにはいかないのだ。目覚めたときにどこで何をしていようと説明することは出来る。つまり、選ぶべきは脱出だ。


 置かれていたバッグと上着、それと靴を集めて少女を抱え上げるとマンションを飛び出した。


 隊で使っていたセーフハウスは使えない。俺の家に連れて行くわけにもいかないし――頼れるとしたら、一人だけか。こればかりは気が進まないどころか天地がひっくり返っても嫌だったのだが、後先考えずに行動した自分が悪い。携帯を取り出して、アドレス帳を開いた。


「…………もしもし? ああ、頼む――助けくれ。……姉貴」


 胃が痛くなってきたことを思えば、これが本当の断腸の思いというやつなのだろうな。

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