第13話 再び。そして三度

 いつもなら二、三日徹夜で研究してから研究所の床で死んだように眠るから下手をすれば半日は起きないこともあるのだが、久々にベッドで寝たせいか思いの外に早く目が覚めた。まだお姫様を起こすには時間が早い。ならばと、研究所の分析機に掛けておいた石の結果を見に行くついでに、コンビニで朝食でも買ってこようかと思い、ベッドで眠るお姫様をそのままに、着替えてから家を出た。


 先のことはわからないにしても、目の前の問題を解決していくことに変わりはない。


 寝て起きて、頭の整理が付いたのか私の考えは一つに固まっていた。


「ん、ああ、岩国教授。おはようござまいす。今日もお早いですね」


「おはよう。昨日は久しぶりに家に帰ったからね。つい早起きをしてしまったよ」


 大学の正門の警備員に挨拶を返せば、怪訝な視線を向けられた。


「……ああ、なるほど。何か変だと思ったら眼鏡をしてらっしゃらないんですね。レーシックでも受けたんですか?」


「え、いやいや、そんな角膜を削るなんてことをするはずが……ん? ちょっと失礼」


 警備員に断りを入れて、真っ直ぐに研究所へと足を進めた。


 確かに、今は眼鏡をしていない。しかし、私の目の悪さは中々に酷い。にも拘らず、普通に生活できている今はなんだ? 思い返してみよう。


「――……昨日の研究所か」


 そう。研究所内で実験をしていたときは眼鏡を掛けていたはずだが、家に帰ってからはしていなかった。いつもなら視界がぼやけるはずだから否応なしに気付くのだが、何故だか今も眼鏡を掛けていないはずなのに、眼鏡を掛けているように鮮明に見えている。……これ如何に?


 研究所に入ってみれば、やはり稼働させたままの分析機と、そこに繋がったパソコンの前に眼鏡が置きっぱなしになっていた。試しに掛けてみれば、予想通りに視界がぼやける。


「急激に視力が良くなった……?」


 喜ばしいことではあるのだが、理由がわからない。


「……ふむ――まぁ、いいか」


 わからないことを考えても仕方がない。私の体に起きた変化は、どこかの病院で精密検査を受けて細胞を調べるとして、今は石のほうが重要だ。


 と思ったのだが、まだ分析が終わっていないらしい。いつもに比べて嫌に時間が掛かっているが、アンノウンの部分が多ければこんなものなのかもしれないね。前例がないから何とも言えないけれど、私がこの石を調べるのはこれが最後になるだろうから、どれだけ時間が掛かっても構わない。


 分析機の状態の確認を終えて研究所を後にした。次はコンビニへ。


 何がいいかと悩んでいると、昨今のコンビニにはなんでも有りな風潮で置かれている果物を発見して、見事にその誘惑に負けてしまった。バナナを二本と、プリン。あとはおにぎりやらサンドイッチやらを適当に見繕って、全部で約千五百円也。それは何とか払えたが、昨日のタクシー代で財布の中身が飛んだことを思い出し、ATMでお金を下ろして足早に家へと向かった。


「ただいま――」


 すでに起きているかもしれないという心配は、未だにベッドで眠っているお姫様を見て杞憂に終わったのだと肩を落とした。


 さて、起きる前に済ませるべきことを済ませておこう。


 まずは要所への連絡。明日以降の青木ヶ原掘削許可を返す。これで、今日一日は好きに行動できる。次に、二人が参加していたボランティア団体と国の関連省庁への連絡。今更ながら青木ヶ原樹海は国の天然記念物なわけで、私ほどの研究者でなければ許可は下りなかっただろうから当然、報告義務がある。まぁ、面倒だからいつも適当な報告しかしないのだけれどね。


「――はい。では、そういうことで。……はい、よろしくお願いします」


 電話を終えて振り返ると、丁度目を覚ましたお姫様が目を擦りながら起き上がっていた。


「ん、起きたかい? 顔を洗ったら朝食にしようか」


「……あい」


 洗面台へと向かったお姫様を見送り、コンビニで買ってきたものをテーブルに並べた。


「…………プリン」


「そう、プリンも買ってきた。でも、食べるのは食後ね。バナナと、おにぎりとサンドイッチから好きなのを選んでいいから」


 自分の語り口調でわかる。私も随分とこの少女に絆されてしまっているらしい。


 そうして朝食を終え、お姫様が食後のデザートのプリンを味わっているのを横目に、着替えを準備した。


「じゃあ――イリアちゃん。昨日言っていたことを憶えているかい?」


 プリンを食べ終えたお姫様に問い掛けると、一つ頷いて、スプーンを置いた。


「うちに、帰りたい」


「そうだね。私にはその真意を測りかねるが、つまりはもう一度洞窟に行きたい、ということでいいんだよね?」


 問い掛けると、うん、と強く頷いて見せた。


 多少の順番というか、準備が逆になってしまったが意志が明確な者の頼みを無碍にするほど、私は愚かではない。


「なら、これから行こう。もう一度あの洞窟へ行って、何が起きたのか――石鎚くんと木崎さんの身に何が起こったのか……それに、お姫様の願いも叶えないといけないしね」


 今日は石の採掘に行くわけではないから道具は持っていかない。あとは動きやすい服に着替えて、お姫様もお気に入りらしいワンピースに着替えさせて、呼び出したタクシーに乗り込んだ。


 すでに昼の十二時近いが、今から樹海に向かって諸々のことを済ませて帰ってきても深夜になることはないだろう。だから夕食のことも何も考えずに出てきてしまったが、まぁ、いいか。


 目的地に着くとタクシーはそのまま返した。待っていてもらうことも考えたのだが、その分の料金も取られるわけで、それならば、また帰りに別のタクシーを呼んだほうが安上がりだろうという計算だ。


 樹海の前で、どこからどの方向に行くんだったか記憶を呼び覚ましていると、徐に私の手を取ったお姫様が歩き出した。真っ直ぐに森の中に入っていく後ろ姿に一抹の不安を覚えながらも進んでいくと、次第に見覚えのある石を発見した。流石に洞窟を家と呼ぶだけあって道は完璧か。


「お姫様、あまり急ぐ必要はない。だから、少しゆっくり行こう」


 真意である。


 今更、二人を心配して先を急ぐ必要は無いだろうし、何よりも軽装備とはいえ飲食物や防災グッズやらを詰め込んだバックパックを背負っているわけで、結構シンドイのだ。


 振り向いたお姫様は若干息の上がっている私に気が付いたのか、足並みを揃えてくれた。


「……一つ、訊いてもいいかな?」


 昨晩質問しようとしていたことを思い出して、その小さな背中に問い掛けると僅かに振り返って頷いて見せた。


「じゃあ――きいちゃん、というのは石鎚くんのことだよね。みりんちゃんというのは木崎さん。なら、パパというのは――っ」


 見詰めてくる瞳に言葉が詰まり、足も止まった。


 お姫様もそれに合わせて止まると、体ごと振り返って真正面に私の瞳を捕らえながら首を傾げた。


「その……パパ、というのは、もしかして――洞窟の中に居るのかい?」


 半信半疑で質問すると、お姫様は瞳をぐるりと時計回りに回して、静かに瞼を閉じると深々頷いた。


 妄想か、幻想か――どちらにしてもこの行動が正解かどうかわからない。その父親の存在がお姫様の心の支えになっているのなら、もしいないとわかれば精神的に壊れてしまうのではないか? ……私にはわからない。医者に見せるか児童局に連れて行くでもすれば別の解決策があったのかもしれないが、私には現実を見せる以外の方法が浮かばないのだ。


「……ん」


 差し出された手を握れば、再び歩き出す。


 この子は強い。それならば、せめて迷うことが無いように。私も誠心誠意尽すとしよう。


 道にも迷うことなく昨日と同じくらいの時間で洞窟に辿り着くことができた。すぐにでも中に入ろうとするお姫様を制して、バックパックを下ろした。


「お姫様、水を飲んでおきな」


 ペットボトルを渡し、他にも必要なものを取り出す。


 ヘッドライト付きのヘルメットに、目を保護するゴーグル。あとは大型の懐中電灯と、予備の小型ライト。


 ヘルメットとゴーグルはお姫様のために持ってきたつもりだったのだが、サイズを間違えたらしい。ヘルメットは被せられるが、ゴーグルのサイズは変えられないから私が付ける。


「準備はできたね。じゃあ、行こう」


 ヘッドライトと懐中電灯の明かり両方を点けて、洞窟内に足を踏み入れた。


 入口にあった炎が這った痕は、当然のように洞窟内にも続いているが一日経ったおかげか臭いは残っていなかった。


 お姫様はどんどんと先に進んでいこうとするが、何かがあるとわかっている私が尻込みしているせいで足並みが遅れる。道がわかっているのならさっさと行ってしまえばいいと思うのに、掴んだ手を放そうとしないのは、この子なりの心遣いなのだろう。


 歩みを停めずに気になった洞窟内の岩肌に触れてみれば指先が黒ずんだ。


「……煤? いや、この感触は砂鉄か」


 だとすれば、あの時の爆発に近い炎の渦はこれが原因なのかもしれない。とはいえ、どんな物質であれ、大抵のものは何もしなければ何も起きないものなのだ。つまり、何らかの起因があったことになる。


 洞窟に足を踏み入れて、だいたい十分が過ぎた頃、視線の先に点のような明かりが見えたのと同時に、体感温度が上がってきた。私の手を握るお姫様がギュッと力を込めたのがわかり、あの先が目的地だということもわかった。


 が、急ぐことはしない。どんな研究であろうと実験であろうと、最後の最後に急いで結果を求める者こそが最も危険なのだ。終わりが近いからこそ慎重にならなければいけないことは往々にしてある。まさに、これがその一つだろう。


 明かりの見える空洞が数メートル先に差し掛かったところでお姫様は手を放して駆けていった。


「元気だね。はぁ……それにしても暑い」


 お姫様を追うように若干の速足になりつつも、走ることなく進んでいくが一歩進むたびに暑さが増している気がする。ゴーグルを付けていなかったら汗が目に入って大変だったところだ。


 さて、ここからは覚悟が必要になる。昨日の無線連絡がきた時間を考えれば、この先の場所で何かが起きた。つまりは、この先に石鎚くんと木崎さんが居る。どのような状態であれ、直視しなければならないし、お姫様も現実を知ることとなるだろう。


「っ――……?」


 拍子抜けだった。そこには石鎚くんも木崎さんも居らず――強いて言えば、壁一面に燃えた痕の煤が付いていることと中央に隆起した岩があるだけ。


「……いや、しかし――」


 ここまで何も無いとなると、逆に違和感を覚える。もちろん二人分の遺体が見つかってほしかったわけではないけれど、アンタッチャブル的な要素が一つもないし、人が踏み入れてはいけない場所にも見えない。


 ……まぁ、歩くペースが同じとも限らないし、ここよりも先の可能性はあるか。


 安全だという証拠に、お姫様も瞳を輝かせながら中央の岩に抱き付いているし――いや、光が差し込んでいると言っても、この暗闇の中で『瞳が輝いている』は無いな。


「あ~、ほら、お姫様。どんな物質が付いているかわからないんだから、むやみやたらに触らないで。抱き付かないで」


 岩から引き離そうと肩に手を置いたとき、反対に力を込めたのがわかった。


「いやいや、有害とまでは言わないけど、服も汚れるだろうし――」


 こちらも力を入れるが拒否するように首を振り、うろこ状の岩肌を掴んで放そうとしない。


「イヤッ」


 完全な拒絶状態に入られてしまってはどうしようもない。一歩引いて溜め息を吐くと、耳を疑うような言葉が聞こえてきた。


「――ぱぱ」


「ぱ……ぱ? ん? ぱぱ? お父さん? 父親? その――岩の塊がかい?」


 問い掛けると、岩肌を掴んだまま背中向きでもわかるくらいに大きく頷いた。

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