第12話 大人と子供

 久方ぶりに帰った家は思いの外に綺麗にしてあって驚いたのだが、そういえば偶に石鎚くんが仮眠に使っていたような気もするので当然と言えば当然なのであった。そして、その恩恵なのか冷蔵庫の中には石鎚くんが作ったと思しき料理がタッパに入って冷凍保存されていたのには助かった。それが無かったら、年頃の少女に躊躇いも迷いも無くストックしてあったカップ麺を差し出すところだったから。


 とまぁ、無事に冷凍されていた料理をレンジで温めて夕食を食べ終えたわけだが、ここでいくつかの問題提起をしておこう。……というか、問題ばかりだな、本当に。


 まずは寝床である。うちにはベッドが一つあるだけでソファーも無ければ予備の布団も無い。石鎚くんから任されているわけだから、当然お姫様にベッドを明け渡すのが正解なのだろうが、私自身も久しぶりに家に帰ってきたのだからベッドで寝たい欲が出てきてしまっている。大人として教職者として譲るべきだとはわかっているが、しかし――どうしたものか。


 浮いた心と手持無沙汰を埋めるために冷蔵庫の中を確認していると、おそらく石鎚くんが買っていたのだろうプリンを見つけた。


「賞味期限は……大丈夫か。お姫様、これ食べるかい?」


 座布団に座ってベッドを背凭れにして、眠そうに目を擦っていたお姫様の前にカップを差し出したのだが、わかりやすく首を傾げて疑問符を浮かべていた。子供はプリンが好きなんだと思っていたのだが、もしかしたら食べたことがないのかもしれないな。


「これ、蓋を外して、スプーンで、ね。食べていいよ」


 プリンをスプーンで掬ってみせると、食べていいと理解したのか口に運ぶと、見る見るうちに怪訝な顔は笑顔へと変わり恍惚な表情を浮かべた。


 良かった。初めて年相応の子供らしい反応を見た気がずる。


「よし。じゃあ、あとは風呂に入って寝るだけだな」


 そう寝るだけだ。……どうするかはとりあえず風呂に入ってから考えるかな。


「……はっ!」


 しまった。今更ながら重大なことに気が付いてしまった。風呂に入るのはいいが、お姫様の着替えが無いじゃないか。幸いなことにうちにあるのは洗濯乾燥機だから最短でやれば三十分程度で着られるようになるだろうが、寝るときまで同じワンピースを着せるわけにはいかない。……私のシャツなら大き目のワンピースになるか。


 そうと決まれば、お姫様を風呂まで連れて行き脱いだ服を洗濯乾燥機へ。


 さて。


 細かいあれやこれやはまた別に考えるとして、今は石についてだね。


 赤灰石の成分を分析していてわかったことがある。分析結果の詳細はこれから精査するとして、端的に答えだけをいうとすれば、赤灰石とは――生物の一部である、という説が有力だ。何故ならば、最初は鉱石として分析に掛けていてエラーが多発したわけで、ならばと様々なベクトルで分析に掛けてみれば生物の分野でヒットしたわけだ。石だと思っていたモノからタンパク質などが検出されれば、それは当然生物だと考えるのが妥当。しかし、これだけの硬度と透明度を持つ生物を私は知らない。例えるなら――そうだな。哺乳類であるクジラの皮膚が鱗で覆われていたとすれば、これだけの強度があってもおかしくはないと思う。


 だが、強度や大きさがそれで納得できたとしても、やはり腑に落ちない。発見場所が森の中だから、というわけではない。むしろ、そんなことはどうでもいいのだ。私の疑問は、もし仮に鱗のあるクジラが発見されたとしても、どうしてそれが今更になって、というわけなのだ。どこかで突然変異が起きたという可能性も無くはないが、そんなことがあれば、その分野を研究している学者が私よりも先に見つけているのが当然なのだ。私はあくまでも岩石学者であり、生物のほうには疎い。


「……石でないのなら私が持っていても価値はないな」


 この石が生物のであるのならば、確かに私の研究所でも一通り調べることは可能だが、専門機関の比ではない。うちの大学なら……物部教授辺りなら引き取ってくれそうかな。明日にでも……まぁ、明日でなくてもいいか。とりあえずは生物に関係するものとだけわかっていれば、あとはこちらの領分ではない。


 岩石でないのは些か残念ではあるが、それも仕方がない。学者としては他分野のことも尊重しなくてはならないし、別分野の研究結果がニトロになって、他の研究が一気に進むということもままあることだから、餅は餅屋に渡すに限る。


「――……っ」


 危ない危ない。久しぶりに出歩いたからか意識が飛んでいた。さっきの音は洗濯乾燥機が終わった音か。お姫様は……まだ出てきていない。


「着替え、ここに置いておくから」


 言葉は返ってこなかったが、ピチャンと湯舟のお湯が跳ねる音がしたから大丈夫だろう。


 そしてリビングに戻って数分、ペタペタと濡れ足で歩く音が聞こえてきた。


「ん……うん。シャツは丁度よかったみたいだね。あ~、ちょっとこっちに来て」


 ベッドに腰かけて目の前にお姫様を座らせると、手に持っていたタオルを受け取り水が滴る髪に被せた。押さえ付ける様にして濡れた髪をタオルドライして、包むように巻き付けた。生活力の無いような私に何故このようなことができるのかといえば、学生時代の私は髪を切るのも面倒で伸ばしっぱなしにしていたから風呂上がりの濡れ髪が邪魔くさくて仕方がないことを知っている。だから、面倒なことを面倒にしない手は心得ているのだ。


「じゃあ、私は風呂に入ってくるから、出てくるまでタオルは巻いておくように」


 はい、と紙コップに入れた牛乳を差し出して、私はさっさとお風呂場に向かった。


 とは言っても、基本的にはシャワー派なので時間は掛からない。サッと入ってパッと洗って、正味十五分足らずで風呂を出れば、床に座ったまま微動だにしていないお姫様が居た。


「おお、いや別に動くのは構わないんだけどね。まぁ、いいか。じゃあ、髪の毛乾かしてあげるから、熱かったら言ってね」


 会話も無く、ただ黙々と髪を乾かし終えるとドライヤーを片付ける私を横目に、お姫様はもぞもぞとベッドによじ登り枕に顔を埋めた。多少は埃っぽいと思うのだが大丈夫か?


「……とりあえずは、これからのことを決めないとね」


 横たわるお姫様の脇に腰を下ろしてそう言うと、ギュッと服の裾を掴まれるのを感じた。


「まぁ、私にできることは限られているわけだが……お姫様――イリアちゃんはどうしたい? 望むことがあるのなら言ってごらん? 出来る出来ないに拘らず、やりたいことが……願うことがあるのなら口にするべきだ。そうしなければ選択肢にすら入らないからね」


 振り向かずにお姫様の言葉を待っていると、服を握っていた手を放し、ギシッとベッドが揺れた。


「もう……もう、一度……行きたい」


「行きたい? どこに?」


「い、えに」


「……家? 石鎚くんの家ってことかい?」


 そこで漸く振り返ると、ベッドの上で女の子座りをしたお姫様がふるふると顔を横に振っていた。


「……ちがう」


「じゃあ――?」


 疑問符を浮かべていると、再び、今度は両手で服を掴まれた。固唾を呑む私と、涙目で見上げてくるお姫様の口から出たのは想像だにしていない言葉だった。


「――うち、に――穴に、戻りたい」


「……は?」


 言葉の意味を理解できないでいるが、見上げてくるその視線は確かな意志を持っていた。


「それはまた……ふむ……しかしなぁ……」


 煮え切らない。


 私自身ももう一度洞窟に――お姫様の言うところの穴に向かうつもりではあった。それは当然石鎚くんと木崎さんの捜索が目的であって、もちろん生死を確かめるためのものだ。専門の機関に専門の調査団を出してもらって安全に、且つ序でに赤灰石についても調べられればいいな~、という打算的な考えの元のこと。


 つまり、そこにお姫様を連れて行く気などさらさら無いのだ。が……か。


「お姫様、もしかして――」


 問い掛けようと、伏せていた視線を戻した時、お姫様はすでにベッドに沈み込んで寝息を立てていた。いくつか訊きたいことがあったのだが、寝たばかりの少女を起こすのは憚られる。


「…………ふむ」


 頭の中で議論を重ねても良かったのだが、元より私は思考派ではなく実践派なのだ。考えるよりも実際に実験をしたほうが早いと考えている。故に、一人で悩んでも無駄だと判断した。……その点でいくと、石鎚くんは思考派だな。私とは正反対で、何をするにも慎重に考えている。だからこそ私の助手にぴったりだったわけだが……今更、何を言ったところで遅きに失していることに変わりはない。


 さぁ、ベッドはお姫様が寝ているから私は床で座布団を枕にして眠ろうと思い、立ち上がろうとしたのだが、途端にグンッと後ろに引かれてベッドに腰かけてしまった。見て見ると、服を掴んだまま放さない少女の手があった。


 ……こうなってしまっては仕方がない。なんとか届いた電灯の紐を引いて明かりを消し、お姫様と同じベッドに横になった。


「……はぁ」


 無意識に出た溜め息に気が付いた時には、横で眠る少女のほうに視線を向けていた。


 伝い這ったような涙の痕が残り、寝言のように何かを呟いている。


「きぃ、ちゃん……みりんちゃん……っ……ぱぱ――」


 この少女が生き抜いてきた道など知ったことではないし、知る由もない。別に、訊く気も無い。おそらくは複雑で、私には理解も出来ない困難の中で生きてきたのだろうが、違うからこそ私には何かを言う権利もない。


 しかし、私にもただ一つだけわかることがある。言えることがある。


 そこには――必ずある。間違いなくあるはずなのだ。確かなものが、あったはずなのだ。世界中のすべての人間がそうであるとは言えない。口が裂けても、誰かの代弁者であるはずもないのだが、目の前にいるこの少女についてだけは自信を持って言えることがある。


「意志はあったのだろうね。愛そうという、意志が」


 眠る少女の頭を撫でるようにして手を置くと、服を強く握っていた手から力が抜けた。


 精神的には私もあまり大人とは言えないが――しかし、今は大人になろう。子供が頼るべき拠り所は大人であるべきなのだから。

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