第二章 だからこそ彼は硝煙に伏す

第10話 二人

 石鎚くんと木崎さんが洞窟に入って早十分だか十五分あたり。二人が置いていったお姫様は今も夢の中だけれど、私が面倒を見なくていいのならそれでいい。


 そろそろ体力も回復したところだから私もさっさと洞窟内の探索に行きたいところなのだが、石鎚くんたちには安全確認という名目もあるから勝手に動き回るのはマズい。一応は教職の身だし、それなら生徒が危険な目に合っている可能性があるのを放っておくのもどうかと思うが、それでも私のために先んじてくれているのなら、この場でお姫様から目を離さないのが私の役目だろう。


 基本的に私は正義感やら責任感やらとは遠くかけ離れた人間だが、しかし、学者としてのプライドや意地はある。要はベクトルの方向が違うというだけだ。今は、学者としての好奇心をこの場に留まらなければ、という意地でどうにかしている。


「……少しくらいなら……ほんの少しくらいなら洞窟に入ってみてもいい、か?」


 いいや、ダメだ! ここは耐える。メシを美味くする最高のスパイスは空腹と言うだろう? それと同じだ。待たされれば待たされた分だけ、真相を知ったときの満足感も増す。そのためにも持ってきた器材の手入れをしようとケースに手を伸ばした時、お姫様が握っていたトランシーバーがノイズ音を発した。


「やぁ、石鎚くん。何か見つかったのかい? ……石鎚くん?」


 ガサガサ、ザーザーとノイズが走るだけで声が聞こえてこない。私が借りてきたトランシーバーだが、使い方がわからない。ここ、か? とりあえず、ボリュームを上げてみた。


『――じゅ――ますか?』


「お、石鎚くん? 今、洞窟のどこら辺かな? こっちはもう体力回復したから――」


 言いながらも違和感を覚えていた。いわゆるコール&レスポンスが無いのだ。


『――教授。聞こえていると信じて話します。この洞窟は――ッ!』


 その言葉でこちらの声が届いていないことに気が付いたのだが、直後、大きなノイズ音に身を竦めた。


「なんだ? どうしたんだ、石鎚くん!」


『――教授! 俺はもう戻れません! ここはアンタッチャブルだ。俺たち人間が踏み入れていい場所じゃなかった!』


「戻れないって――アンタッ……どういうことだ!? 駄目だ! 戻ってこい!」


『――いいですか、教授!? 貴方は学会の至宝だ! 絶対に踏み入れては駄目だ! それからイリア! あの子も、俺と――俺とみりんの大切な子だ!』


 お姫様を見ると、不安そうに眉を下げ、瞳を潤ませながら私を――私の持つトランシーバーを見詰めていた。


『――教授! 勝手な願いだというのはわかっています! けれど、イリアを頼みます! それと最後に――洞窟から離れていてください!』


 何かが起きているのはわかる。だが、私には何も出来ない状況にトランシーバーを強く握り締めることしかできない。こちらの声が届いていないのはわかっているけれど、応えないわけにはいかないだろう。


「わかった、私に任せろ! この子のことは頼まれた! だが、絶対に戻って来い! この子の面倒を見るのは君たち二人の役目だ! いいか――っ」


 地鳴りのように地面が震えているのに気が付いた。


 こういう研究をしているとそれに連なることもわかってくる。だから、地面に触れて感じれば、揺れがどこから来るものなのかがわかる。


「…………」


 増幅する振動の元は地面――洞窟の先だ。


 それがわかった瞬間にトランシーバーを握り締めた。


「石鎚くん、何が起きている? この揺れは……」


 トランシーバーからはノイズ音すらしなくなり、完全に通信が断絶されていた。


 洞窟の入口へと向けていた視線の端からお姫様が入ってきたのが見えたのと同時に、暗闇の中から込み上げてくる何かに気が付いた。


「あれは……待て、駄目だ!」


 お姫様に駆け寄り抱き上げ抱き締めると、すぐに洞窟の入り口から横にずれて地面に倒れ込んだ。


 すると、吹き上げてきた炎の渦がうねりを上げながら地鳴りと共に岩肌を撫でた。


「危なかった……本当に。本当に……」


 トランシーバーはもう反応しない。


 洞窟の奥で何があったのか、何が起きたのかはわからないが――どうなったのかはわかる。あの炎の中で生きている可能性は万に一つも無いだろう。仮に生きていたとして、この場で助けに行けば救えるとしても、お姫様を――イリアのことを任された以上は私まで洞窟に入ることは出来ない。


「……っ――仕方がないか」


 苦渋の決断ではあるが、ここは引くことが正解のはずだ。しかし、私一人で全ての荷物を持ち帰ることは出来ないから、高い器材が入っているスーツケース以外は置いていくことになるが仕方がない。まずは石鎚くんから託されたお姫様を安全なところに連れて行くのが先決だ。


「……大丈夫かい? とりあえずは樹海を出ようか。歩けるかい?」


「…………」


 問い掛けに対して、お姫様はゆるゆると顔を横に振るだけで動こうとしない。どうしたものかと困っていると、その視線は洞窟のほうへと向いた。しかし、危ないということがわかっているのか近付いていこうとはしない。すでに炎の渦は消えているものの、その痕は如実に岩肌に残っていて私でさえ進むのを躊躇ってしまう。


「……きぃ、ちゃん……み、りん……ちゃん」


 微かに聞こえたお姫様の声は震えていた。きいちゃんというのは、たしか石鎚くんのことだったか。……年にして十四歳程度だとは聞いていたが、心までが追い付いていないように思える。そんな子に真実を伝えるのは――酷なことを伝えて理解してもらえるものか? 私を基準に考えるわけにいかないことはわかっているのだが、私はこれしかやり方を知らないのだ。


「聞いてくれるかい? 石鎚くん……いや、きいちゃんとみりんちゃんは、たぶん……おそらく、もう戻って来られない。だから、おじ……お兄さんと一緒に来てくれるかな?」


 目線を合わせて手を差し出すと、その手をギュッと握り締めてくれた。その力強さこそが全てを物語っているようで、それ以上に言葉はいらなかった。


 片手にスーツケースを、片手に少女の手を引いて来た道を引き返していく。石鎚くんの特技と違って私の記憶力はそれほどよくはないが、来る途中で見かけた石の位置などは憶えているから迷うことはないだろう。


 道すがら考えることは取り留めがない。


 ――あの場で、まずは警察に連絡すべきだったのではないか? それとも消防か? いや、そもそも電波が届いているのかすら確認していない。二人の若者を失った――未来ある、私の一番の助手とその彼女をむざむざ見殺しにしてしまった。……見殺し? 私はその場に居らず何が起きたのかも知らないのに、見殺しも何も無いだろう。事故の手続きは? 死亡した証明は? 本当に死んでしまったのか? いや、あの炎の中で生きていられるわけがない。管理不行き届き? その通りだ。すべて私が悪い。それなのに、安請け合いをしてしまったわけで――人ひとりの命を預かってしまったわけで――こんな、人間として欠陥だらけの私に何が出来るというのか。私など――


「……ダメ」


 ギュッと手を握られて顔を上げると、そこはタクシーの後部座席だった。


 そうだった。樹海を出たのはいいが、車の鍵も無く、車の運転も出来ず、携帯で呼んだタクシーに乗り込んだのだった。


 ……ダメ、とはなんのことだろう。


「うん……大丈夫。私はここに居る」


 そう言ったのが正解だったのかはわからない。だが、握られた手よりも、向けられた笑顔こそが何よりもの答えだと思う。心が未熟? いや、まさか。この場で、すべてを察した上でそんな笑顔を見せられるのなら、こんなもの――むしろ、何よりも誰よりも強く壊れることのない鋼の精神だろう。自暴自棄に陥ろうとした自分が恥ずかしいくらいだ。


 さぁ、もうすぐ研究所に着く。細かいことは、それから考えることにしよう。

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