第9話 洞窟

 洞窟を進み始めて五分、すでに外から差し込む光は失われていた。


 懐中電灯の明かりを頼りに、一歩一歩慎重に壁伝いで進んでいくが、今のところ道は分岐していない。自然にできた洞窟なら徐々に下っていきながらも、ただ真っ直ぐにってのは有り得ない。ここ数十年は沈黙しているとはいえ、あくまでも富士山は活火山なんだ。その地下には、相応に入り組んだ洞窟が点在していて当たり前なのだが。


「ねぇ、きいちゃん。なんか、おかしいよね?」


「ああ、おかしいな。どう考えても暑過ぎる」


 前述の言葉を裏返すつもりではないが、活火山の麓だとしても火山活動は行われていないし、何よりも下へと向かう洞窟の中なのに、涼しくならずに熱気が増している。


「大丈夫か、息苦しくないか?」


「うん、まだ大丈夫だけど……喉は乾いてる」


「水は多めに持ってきたからこまめに飲んでおけよ。酸素ボンベとマスクもあるから、何かあったらすぐに言ってくれ」


 先がわからない洞窟を探索するときの基本だ。


 まずは、どれだけ深く長く潜るかに拘らず高カロリーの携帯食は必須だ。当然、明かりも無いから懐中電灯もいる。ロウソクを使うようなランプでも構わないが、あまりお勧めはしない。半ばで火が消えれば酸素が薄くなってきた証拠になるが、その代償として酸素が使われていることを忘れてはならない。次に重要になるのが、酸素ボンベとマスクだ。いや、場合によっては最も重要となる。何故なら、未開の洞窟には何があるのかわからない。それこそ新種の鉱物が発見されたり、植物があるかもしれない。しかし、それと同じくらいに人体に有害なものが見つかる可能性がある。有毒ガスが発生していたり、病気を持つ蝙蝠などが生息している可能性もある。生物に関する対処は様々あるが、ガスに関してはマスクをつける以外に手がない。だからこそ、準備に余念がないに越したことはない。


「暑くて湿気てるけど……やっぱり植物はないねぇ」


 チョコを齧りながら俯きがちに歩くみりんの手は俺の腕を掴んでいる。離されないように、速度を一定に保つようにするためだが、どんな危険が待っているかわからない状況で植物探しとはね。教授といい、みりんといい、俺の周りには学者然としている者しかいないのか。まぁ、俺もその一人なわけだが。


「……この洞窟……鉄か?」


 壁に触れてみれば、指先に黒い粉が付いた。嗅いでみて、舐めてみれば――マグネシウムかな? 確証はないけれど、それ以外の鉄だとしても危険性があるかもしれない。少しだけ削ってサンプル容器に容れ、洞窟を出てからちゃんと成分を調べよう。


 そこから、また五分。


 それなりの速度で、道も下り気味だからすでに一キロ程度は進んでいるはずなのだが、どうにも違和感を覚える。やはり、腑に落ちないのは空気の問題だ。体感ではそれなりに深く潜っているはずなのに、空気が薄くなってきている感じはしない。微かに空気の流れは感じるが、立ち止まって目を瞑り、全神経を総動員してやっと感じる程度のものだ。つまり、それだけで人ひとりが――ないしは二人が無理なく行動できるほどの酸素が回っているとは思えない。


「ねぇ、きいちゃん。ずっと気になってたんだけど、その体を覆っているのは何?

 ただの布みたいだけど……暑くない?」


「暑いな。凄く暑い。でも、ただの布じゃないんだ。端的に言うと、防火シート。何があるかわからないから持ってきたんだが、耐熱シートじゃないのが残念だ」


「ああ、道理できいちゃんのほうが汗だくだと思った」


 滝のように流れる汗、というのを実感するには充分過ぎる汗の量だ。


「とはいえ、そろそろ限界かもな。変わらぬ道に、交わらない道。戻るのは簡単だが、突き当たりが見えないんじゃあ進み過ぎるのはマズい」


「だねぇ。あ、でも――ほら、なんか明かり見えない?」


 懐中電灯を消して、みりんの指差すほうを見れば微かに漏れる光を見つけた。ともすれば、淡いオレンジ色で目の錯覚とさえ思えてしまうが、この場にいる二人に同じ光が見えているのなら、進む価値がある。


「ん~……じゃあ、あそこまでは行ってみよう。そこで、戻るか進むかを決める」


「突き当たりなら考える必要もなくていいんだけどね~」


 それを望むところだが、往々にしてそう上手くはいかないものだ。


 光に近付くにつれて、徐々に熱気が弱まっていく。おそらくは、この先のどこかに光が漏れている穴があるのだろう。外と繋がっているということは、その分だけ空気も入り込んでいるということ。ここまで来るのに息苦しさを感じなかったのは、そのおかげか?


「みりん、俺の代わりに防火シートを被っとけ」


「え~、暑いんでしょ~?」


「念のためだよ。用心に超したことはない。ま、何も無いとは思うけどな」


 ……マズいな。今、フラグを立てた気がする。圧し折ってやろう。


 片手には懐中電灯を握り、みりんに掴まれた片腕には酸素マスクを手に、じりじりとゆっくりと足を進めていくと、漸く長く続いていた一本道が終わり、二股に分かれた場所に行き着いた。


「……いや、違うか」


 分岐したところで上に視線を向けてみれば空間が続いていた。つまり、ここは一つの小部屋の中央に岩が隆起している、という感じだな。


「とりあえず俺は右から回るから、みりんは左から頼む。はい、懐中電灯」


「え、私が持ってっちゃっていいの? きいちゃんは?」


「俺は、この小さいのがあるから大丈夫だ。先に道があるかどうかの確認をするだけだから、安全かどうか確認しながら進めよ」


「は~い」


 みりんを見送って、掌大の懐中電灯を点けたとき――気が付いた。


「……いくつかのパターンは想定していたが、まさか……ここまでとはな」


 洞窟内に出来た空洞、その中央に隆起した岩の外面がうろこ状になっていた。光を反射しなければ気が付かなかっただろう、この巨岩――の一部が先日持ち帰ってきた石、通称・赤灰岩だというわけか。これはなかなか興味深い。


 感触は、まるで鞣革なめしがわのように滑らかで、にも拘らず間違いなく石であることは揺るがない存在感がある。


 やはり、鍾乳石に近いように思う。


「……ふむ」


 ドーム柄になっているわけだし、みりんだけに任せるわけにはいかないから俺も逆から一周してみるか。


 岩の直径は――んん、楕円形なのか? そのせいで大きさがわかり辛いな。


 二人が横を向けばギリギリすれ違えるような細い道で、この場所には俺とみりんしかいないはずなのだが……何か他の気配を感じる。ライトで前を照らしても、みりんはまだ来ていないし、後ろにも誰もいない。ましてや、天井に蝙蝠が住み着いている様子もない。


「……気のせい、か?」


 そもそも俺には人の気配を感じることなんてできないわけで。


 さて置き。この空洞、相当な広さだぞ。岩の外面がうろこ状とはいえ、返しは下向きになっているから上がることは出来ないが、おそらくテニスコートくらいの広さはあるんじゃないか?


 空洞の広さは、まぁいい。けれど、納得できないのは、空洞に対して一回り小さな岩だ。自然と隆起してできたとは思えないし、だからといって人工的に掘られたとも思えない。岩石……鉱物……どちらにしても詳しい成分などを調べないことにはわからないが、これだけの量があるのなら、いくらでも調査は可能だ。


 うろこ状の岩に触れながら進んでいくと、徐々になだらかに下っていくのに気が付いた。思うに、アーモンドのような形をしているってことかね。


 その考えが正しかったのかどうかはわからないが、頭上を超えていた岩の高さは胸を過ぎ、腰を過ぎ、膝の位置まで低くなった。


「ん……みりんか?」


 低くなっている先が膨れ上がっており、そこにしゃがみ込む人影があった。


「お~い、みりん。大丈夫か? 何かあったのか?」


「あ~、きいちゃん。なんかね~、ここにある穴から風を感じるんだよね。まるで呼吸してるみたいな――」


 良いながら立ち上がったみりんを見て、俺は近寄ろうと、駆け出した。


 だが――本当に一瞬だった。ほんの、一瞬だった。


 膨れ上がっていた岩が割れて、まるで獣の牙のようなものが見えると、次にその口のような何かが閉じたとき、目の前にいたみりんの姿が無くなっていた。


「………………」


 なんだ?


 何が起きた?


 消えたわけじゃない。……食われた。喰われた? 


 閉じた岩からはみ出した防火シートが、俺の推測を確実なものへと変えた。だが、だとしても理解が追い付かない。岩が、人を食う? ……違う。違う! そうじゃない――みりんが!


「みりんにっ――何してんだテメェ!」


 叫びながら岩に向かって脚蹴りを食らわせると、膨れ上がった岩の一部が動き出し、反射的に姿を隠した。


「…………っ」


 あれは――あれは、目だ。握り拳くらいの瞳がギョロリと辺りを見回すと、次いで、天井からの光が何かに遮られた。見上げてみると、背にしている岩肌と同じ材質のものが天井を覆っていた。


 ――わからない。


 何が起きているのかわからないし、推測すらも立てられる気がしない。ただ、現状をありのまま表現するのであれば、頭があり羽がある岩だ、と思う。無我夢中で来た道まで戻ると、下から突き上げるような地鳴りで足を止めた。


 突然のことで壁に手を着いてしゃがみ込むと目を閉じてしまったのだが、次に目を開いたとき、目の前の光景に息を呑んだ。


 岩が、四本の脚で立ち上がった。


「…………」


 馬鹿げた妄想だと笑われてもいい。幻覚を見たのだと罵られてもいい。だが、今の俺には目の前のモノに付ける名前が一つしか思い浮かばない。


 まさに――ドラゴン。


 伝説上の生物で、お伽噺の幻想で、昔話に出てくるような恐怖だ。


 今の俺にすべきことは? 


 わかっている。すぐにでも洞窟を出て、この脅威を外に伝えることだ。しかし、どうしたって足が動かない。腰が抜けているからとか、恐怖でとかじゃない。ただ、ここにみりんを残していくことができない。俺一人だけが生き残ることなど愚の骨頂なのだ。


 だから、俺にできることは――俺がしたいことは一つだけ。脅威を排除して、その上で俺の想いも遂げる。使うのは、発掘のためにと持ってきたハンマーだ。それと、トランシーバー。


「あ、あ~……教授、聞こえてますか?」


『………………』


 洞窟の中だから聞こえ辛いのかノイズの中に微かに声は聞こえてくる。


「教授。聞こえていると信じて話します。この洞窟は――ッ!」


 言い掛けたとき、目の前にドラゴン――のようなもの、の顔が近付いてきて、その瞳は確実に俺の姿を捉えていた。カチンッカチンッと刃物を鳴らす様に歯をすり合わせながら近付いてくるその口に、すでにみりんの姿は無かった。


「クソッ!」


 ドラゴンの顔の横を通り抜け、脚の間を通り抜けながらトランシーバーを握り締めた。


「教授! 俺はもう戻れません! ここはアンタッチャブルだ。俺たち人間が踏み入れていい場所じゃなかった!」


 聞こえているのか、届いているのかはわからないが、壁に向かってハンマーを振り下ろしながら叫ぶ以外に方法が思いつかなかった。


「いいですか、教授!? 貴方は学会の至宝だ! 絶対に踏み入れては駄目だ! それからイリア! あの子も、俺と――俺とみりんの大切な子だ!」


 心残りはあるが、それを口に出したら決意が鈍るから。


「教授! 勝手な願いだというのはわかっています! けれど、イリアを頼みます! それと最後に――洞窟から離れていてください!」


 辺りに飛び散ったマグネシウムの鉄粉が、視界を黒くする。


「グルルルルッ――!」


 唸るドラゴンと相対して、俺はトランシーバーを捨て、ハンマーを投げ付けた。そして、取り出した懐中電灯の頭を外して、壁に向かって振り下ろすと豆電球を割り、準備が整った。


「……俺は――言っただろ? 石が好きなんだ。石だけじゃなく、鉄だって。お前が何かなんて知らないし、知りたくもない。ドラゴン? ハッ、知ったことか。富士山? まぁ、誘発しちまったら申し訳ないが――みりんのためだ。仕方がないよな?」


 誰に許可を求めるでもなく言った言葉は、舞い上がった鉄粉と共に渦を巻いた。


 カチッ、と――懐中電灯のスイッチを入れた瞬間に飛び散った火花は、宙を漂う鉄粉に引火して誘爆し、人為的に起こされた粉塵爆発は、ドラゴンだけでなく俺の体まで呑み込んで洞窟内を駆け巡っていった。


 燃え盛る炎の渦の中で、俺は確かに見た。


 こちらを見詰めるルビー色の二つの瞳は、こんなことでは死なないことを――死ねないことを訴えかけてくるようだった。

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