第6話 岩石学

 一眠りすれば、悶々とした気分は解消された。と、まぁそんなことはどうでもよくて、朝食にトーストと目玉焼き、それと昨晩作った残りのソースで少量のナポリタンを作って、未だに寝ているみりんとイリアを放置して家を出た。


「わかっているとは思うけど、メールくらいはね」


 大学に行くことと、帰りは昼過ぎになるだろうから昼食は適当に済ませておくよう指示を出して、続いて大学の教授にも行くことを伝えた。


 岩石学の若き教授――岩国飛礫つぶて。その人が天才かどうかを判断することは俺には出来ないが、優秀であることは肌身で感じている。一部では変人扱いされているせいか、今期の、いや現在の岩石学部・岩国ゼミに所属しているのは俺一人だけだったりする。みんな、石の素晴らしさを知らないんだよね。……いや、素晴らしいとまでは思ってなかった。せいぜい、好きってくらいかな。


 ともかく、岩国教授は優秀だ。その証拠が、学部生が一人だけなのに潰れることなく続いている研究所だ。機材と人材が揃っていて、未確認で未開の物質を分析するには最も有用な場所である。


 キャンパス内の端の端、知らなければ辿り着けないような場所に研究所は建てられている。外観は長方形の一階建て。屋上にも出られるような作りになっているが、そこには教授が各地から拾い集めてきた石が積み重なっている。


「……二週間来なかっただけで随分と……」


 外壁を這っていた蔦が、入口まで覆い隠してしまっていた。こんなんだから、変人だとか奇人だとか言われるんだ。


 ブチブチと蔦を引き千切ってドアを開ければ、中に籠っていた冷気が一気に外へと押し出された。


「さっむ――夏の終わりと言っても、まだ三十度はあるんだぞ?」


 流れていた汗が見事に掻き消えた。パソコンや機材をフル稼働させていれば熱くなるのは当然で、冷却するために部屋の温度を下げるのはわかるが、この時期の電車よりも寒いってどういうことだ?


「おはようございま――す?」


 案の定、見渡せるところに教授は居らず、足を進めて並んだテーブルの間に視線を送れば、毛布に身を包んだ塊を床に見つけた。


「教授、きょーじゅ! 起きてください、朝ですよ」


「ん……んん……」


 唸ってもぞもぞと動き出した教授から機材のほうへと視線を移せば、絶賛稼働中。ま、いつも通りの光景だな。開かれたままのパソコンを見れば、いくつかの結果が出ていた。


「調べているのは岩石サンプルIか……おっ、伝導率が意外と高いな。それ以外だと――」


「んっ、石鎚くんかい? ……どうしてここに? まだ夏休みだろう?」


「昨夜のうちにメールを送ったのですが……その様子だと見ていませんね。まぁ、想定の範囲内ですが」


 毛布に包まれたままのっそりと立ち上がった教授は、鳥の巣状の髪の毛を気にすることなく目を擦っていた。


「メール……そう、メールね。……まず携帯をどこに置いたかな……ん~、あれ、眼鏡どこだ?」


「これですか? ちゃんと置く場所を固定してくださいよ。じゃないといつか割ってしまいますよ?」


 教授を起こすついでに拾っていた大きめの眼鏡を手渡すと、申し訳なさそうに笑いながら、眼鏡を掛けた。


「うん、よく見える。それで? メールは見なかったけど、夏休みにわざわざ研究所に来るなんて……暇なのか失恋でもしたのかい?」


「さらっと失礼なことを言わないでください。全然普通に仲良しですよ」


 言いながらも俺の話を聞いていないのか、教授は床に放り出されていた白衣を探し出して、毛布の代わりに白衣に腕を通した。


 身だしなみについてはだらしないが、背は高いし顔も良い。三十代半ばの割には髭も生えないようだし、同年代の女性からすればいい物件だと思うのに、何故だか教授には女の影がない。性格云々はさて置いても、この見るからに研究の虫のようなところが原因であるのは明白なんだけどね。


「……分析はもう少し掛かりそうだね。それで、石鎚くん。用事というのは?」


「ああ、はい。前に話した樹海の清掃ボランティアのことを憶えていますか? あれが昨日だったのですが――」


 向かい合うように椅子に座って、教授が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、昨日の出来事を話すことにした。


 少女を見つけたことと、現在その少女が俺の家に居ること。もちろん、みりんと一緒だということも。


 黙って話を聞いていた教授は、静かに肩を落としてコーヒーを啜った。


「ふむ……なるほど。まさか私の知らないところでそんなことが起きていたとはね。確かにその少女、不可解なことが多いようだ。そして、それと同時に大人たちの対応は不愉快に思うよ。とはいえ、私に何が出来るというわけでもないのだが……強いて言うなれば、石鎚くんが変な気を起こさないように釘を打っておくくらいか」


「ちょっと? なんなんですか、みりんといい教授といい。何故、責任感や偽善心から出た行動でロリコン扱いされなきゃいけないんですか。十歳くらい離れていれば、精神的には娘の域ですよ」


「ふふ、いや冗談だよ。君が木崎くんのことを想っているのはよく知っているからね」


 俺の反応を見て一頻り笑った教授は、飲んでいたコーヒーを置いて、途端真面目な顔つきになった。


「それで――用事というのは、その少女のことではないんだろう?」


「まぁ……そうですね。少女が気掛かりなのは確かですが、おそらく教授もこちらのほうに興味が湧くと思います」


 言いながら、布に包んだ『それ』を取り出すと、訝しむ顔をしながらも教授は布を開いていった。


「……んん? これは――いったい、なんだ? 見る限り石とは違うように思えるが……触ってもいいのかい?」


「はい、どうぞ」


「ふ~む……まるで水晶のようではあるが……いや、しかしな……」


 あの岩国教授が悩んでいるとは珍しい光景だ。てっきり見た瞬間に、どこのなにで出来た欠片なのかを言い当てると思っていたのだが。まさか、それほどまでの石だとは思いもよらなかった。


「石鎚くん、これはどこで見つけたんだい?」


「先程も話した樹海の中です。場所は少女を発見した洞窟の入り口付近。鉱石なのか岩石なのか微妙なところだとは思いますが、ここに来れば詳しい分析が出来るかと思いまして。……どうでしょうか?」


「どうもこうもないよ! すぐに分析を開始しよう! 今から始めれば昼過ぎくらいには終わるだろうからね。月の石、隕石の欠片、深海の岩石ときて――まさか樹海の石に最も興味を引かれるとはね。灯台下暗しというやつだ!」


 興奮するのはよくわかる。むしろ、ここまで耐えていた俺に拍手を送りたい限りでもある。


 教授が言っていたように月の石や隕石の欠片、地球のブラックボックスとまで呼ばれている深海の石まで調べた俺たちでさえ見たことがない石だなんて――興奮するなってほうが無理がある! 石好きとしては当然だ! が、しかし過去の三例から考えても、あまり期待してもアレなので、教授の反応はこれでも控えめだったりする。


「じゃあ、分析計をサンプルIと入れ替えますね。写真とか撮っておきます?」


「そうだね。そっちは任せるよ。こっちは表を作っておくから」


 教授とゼミ生を合わせても二人しかいないが、思いの外に上手くいっているものである。分担に分業、お互いにすべてが適材適所だから、なんでも熟せてなんでもいい。


「はい――では、分析を開始します」


「さぁさぁ、続きはウェブで! だね」


 うむ、確かに分析結果はパソコンに表示されるが、歳のせいかな? ネタが古い!

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