夜空を舞う桜の花びらのように、僕は君の声に惹かれていく……

★ 【長】『若紫の君と、光源氏になれない僕』 作者……いなほさま

※ 平安時代を舞台にした歴史小説で、紫式部むらさきしきぶの『源氏物語』を意識されている作品です 。


            『登場人物一覧』


みなもとの 雅行まさゆき……朝廷(平安京の最北)の元で働いている主人公。噂話には興味がなく、美人にもあまり興味がない。朝廷に飼い殺しされているようで、これ以上の出世は望めない。

 だが透垣すいがいで一人の少女と出会ってから(正確には顔は合わせていない)、雅行の内面に少しずつ変化していく。


惟憲これのり……雅行の幼馴染で、朝廷で働いている(ただし担当場所は雅行とは異なる)。女性好きかつ友達思いの性格で、女性がいると噂されている北山に雅行を連れていく。


ゆかり……山奥で意識を失った雅行を救出した、十五歳の少女。基本的に身の回りのお世話は乳母めのとがしているため、身分の高い家の箱入り娘だと思われる。その乳母めのとに何度注意されても、端近へ行く癖が抜けないようだ。母親はすでに他界しており、父親の顔は知らない。

 なお少女の本名が判明するのは物語中盤以降となり、それまでは「少女」「姫君」などと呼ばれている。


翁……惟憲が山で出会った老人。六畳ほどの部屋に住んでおり、惟憲と意気投合する。所有者のない桜の話を雅行に伝える。惟憲いわく、七日桜について何か企んでいる? 俗世間と離れた生活をしているが、七日桜を見ることが翁のたった一つの願い。


雅行の父……役人の家系で、ある日「強くなれ、雅行」と意味ありげな言葉を語った後、突然言葉数が減ってしまう。歌人としての才能に長けている。


正体不明の男……雅行と声が瓜二つで、七日桜の世界に住む住人(もしくは桜の気の精)だと思われる。


             『補足説明一覧』


垣間見かいまみ……家の中にいる女性を、家の堀に出来た隙間などから見つめること。平安時代ならではの習慣でもある。


透垣すいがい……家屋を取り囲む時に使用される、竹で作られた垣のこと。ひんやりとした温度・つるりとした感触が特徴。


いおり……草ぶきの小屋・小さな住居のこと。


乳母めのと……母親の代わりに生まれたばかりの子どもへ、母乳を与える人のこと。子どもが母乳を卒業した後も、そのまま身の回りのお世話をするケースが多い。


端近はしぢか……家の敷地内にある、外に近い場所のこと。女性が軽々しく端近へ行くことは、愚かな行為であると認識されている。


高天原たかまがはら……日本神話における天上の国。天上とは空の上のことで、『古事記』『日本書紀』などに登場する。


物忌み……けがれを身に着けないために、普段やっていることを行わないで家の中にいること。


七日桜……本作に登場する桜。純粋な心を持つものが願うと奇跡が起こると言い伝えられているが、詳細は不明。名前の由来は、「春の七日間した桜が咲かない」とのこと。そして七日桜への道が開かれるのは、花が咲いている時の夜だけ。


 琴が弾ける・和歌が上手く詠めるということは、当時の女性にとって憧れの存在。また当時の時代では、女性を本名で呼ぶことは失礼な行為。


           『特徴・印象に残ったこと』


一 平安時代独特の文化や世界観が丁寧に表現されており、それを維持したまま現代翻訳したと印象を受けました。とても読みやすく、最後まで世界観に夢中になりました。


二 序盤こそどこか頼りない雅行でしたが、友人の惟憲・少女・翁などとの出会いにより、少しずつ成長していく過程が読み応えあります。成長していく過程の中で、自分自身を見つめ直す場面は必見です。


三 現代ではなく平安時代となっている歴史小説ですが、しっかりと文化について勉強していると思いました。作品と真摯に向き合っていると感じ、作者さまの思いを伝えたいという気持ちが伝わってきます。


透垣すいがいいおりといった読み方が独特の文字について、しっかりとルビが振られていました。非常に細かいことですが、しっかりと作者さまが読者へ配慮している心配りを感じました。


            『気になったこと』


一 強いてあげるとすれば、各エピソードにおける一話の文字数が少し長いかなと思いました。エピソード数は多くなってしまいますが、一話あたりの文字数を数千文字前後に調整すると、より読みやすくなる小説だと思います。


             『総合評価』


 非常に読みやすい歴史小説で、「七日桜」という独自の言い伝えや噂を物語に取り入れた点も良かったです。平安時代の時代背景や文化などに詳しくない人でも、問題なく楽しめる小説です。そして雅行と少女の出会いや恋に似ている駆け引きについても、平安時代ならではの雰囲気を活かされています。届きそうで届かない二人の関係も、作品を上品な作風に演出しています。

 同時に作者さまは、平安時代の物語「源氏物語」(作者 紫式部)を強く意識されていると思いました。また同時代の随筆「枕草子」(作者 清少納言せいしょうなごん)や物語「竹取物語」(作者 不明)などの現代語翻訳された作品も、是非一度読んでみたいですね。作中に登場する和歌の数々も、本作品のポイントですよ。

 陽射しが出ている日中よりも、綺麗な月が出ている夜に読むとより作品の臨場感が増すと思います。窓辺に浮かぶ夜桜を見上げながら読むと、さらに情緒を感じさせてくれます。

 さらに作中で「僕は光源氏ひかるげんじにはなれない」と雅行が嘆く場面がありますが、惟憲や翁らに支えられながらも前に進むことが出来る、という決心を考えが生まれる場面がとても印象的です。前に進むことの恐怖や不安などを乗り越えた時、その先には明るい未来が待っている……そう作品が語りかけてくるような気がしました。


 そして時代背景・登場人物設定こそ異なりますが、新海しんかい まこと監督(代表作『君の名は。』)の映画『秒速5センチメートル』(連作短編アニメ作品)にどこか似ている……と個人的に思いました。少年遠野 貴樹と少女篠原 明里たちの淡い恋を描いた物語となっており、二人の心情を表現するかのような桜が舞う場面がとても印象的です。

 仮に『若紫の君と、光源氏になれない僕』という作品が映像化されたら、雅行と紫たちの瞳の奥には夜空を可憐に舞う桜の花びらが映っていて、その光景がとても美しい――作品を拝見していると、このような世界が浮かんできます。

 まだ作品は完結していないご様子ですので、この幻想的な世界観を保ちつつも雅行と紫の二人には幸せになってほしい……一読者ながらそう願っております。


『若紫の君と、光源氏になれない僕』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883532238

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