俺は君の救世主(メサイア)!?

ヴィルヘルミナ

第一話 プログラム・救世主(メサイア)


「<隠者ハーミット>が完成しました。ボス」 俺は手にしていたタロットカードを、黒革の三人掛けのソファに座る男に向かって投げた。カードは小気味良い風切り音をたてながら、三メートル程の距離を飛んでいく。


 ここはマンションの一室にしては、やけに地味で豪華な部屋。壁も床も黒い光沢のある大理石が敷き詰められ、黒で統一された家具は有名職人の手による一点もの。壁に掛けられた巨大モニタには、何か国もの外国のニュースが流されている。


 俺がボスと呼んだ男、竹矢はカードを指で受け止めた。「ボスっていうのやめてくれよー」 ふにゃりと情けない顔で苦笑する竹矢は、ぼさぼさの黒髪に無精ひげ。腹が立つ程ひょろりと背が高い。口の端に咥えた火のついていないタバコ。作務衣に草履がこの男の普段着だ。 一方で外に出る時には、特注品のダークスーツの三つ揃えや黒のインバネスコート姿で、別人のようになる。三十代半ばにしか見えないが、もっと年上らしい。


「じゃあ、おっさん、でいいのか?」「お。その方がしっくりくるな。学校は?」 立ち上がって近づいてきた竹矢が、俺の頭を乱暴に撫でる。もうすぐ十六歳だというのに百六十一センチしかない俺は、百八十五センチはありそうな竹矢の頭に手を伸ばしてみるが、阻止されて届かない。


「今日は昼までだったんだよ」 竹矢は恩人だとは思うが、いざ目の前にすると素直にはなれない。さらに頭を撫でようとする竹矢の手を叩き落として、俺は制服のネクタイを緩めた。


 ベージュの上着に白シャツ、エンジ色のネクタイに茶色のズボンは、二週間前に入学したばかりの高校の制服でまだ真新しさを保っている。


 俺、守柱かみばしら 瑠璃夜るりやは十歳の頃、自宅のPCを使い、様々な企業や国家機関にゲーム感覚でハッキングを繰り返していた。隔壁プログラムや監視システムをすり抜け、パズルのようにデータを入れ替えては遊び、脅迫めいたメッセージを送ったこともある。遊びだして半年ほどが過ぎた頃、複数の外国企業から巨額訴訟を起こされた。


 単なるゲームだと思っていた十歳の俺と、普通の会社員だった両親が途方に暮れている最中、竹矢がふらりと現れて、俺に弁護士を付けてくれた。 弁護士が付いたおかげで減額はされたが、それでもなお総額百億ドルを払うことになり、その全額を竹矢が肩代わりしている。


「代金は俺の借金から引いておいてください」 これは俺一人の借金。両親が金策に走ってくれたが、平凡な会社員がそんな巨額の金を用意できるはずもない。竹矢が説得してくれたので、両親も家族も元の生活に戻っている。


 竹矢が持っている二十二枚のタロットカードは、特殊な樹脂針を撃つもの、薬が仕込まれているもの、鋭利な刃を持つもの等々、すべてが武器や道具になっている。


 一ミリの厚さのカードは特殊樹脂で作られていて、その機能を最大限発揮させるために使い捨て。一枚の値段は外車一台分から、都内に一戸建てが買える程。毎回、竹矢がカードを消費する度に俺は稼ぐことができる。


 俺が制作担当しているのは<九・隠者>と<二十・審判ジャッジメント>。隠者のカードは電子防壁を無効化し、対象となるハードのあらゆるデータをスキャニングしてコピーを蓄積する。審判のカードは正位置で発動させれば消去されたデータを復元し、逆位置で発動させるとデータを強制消去させる。他人から見ると魔法に見えるようだが、近距離で超高速無線通信しているだけの簡単なからくりだ。


 表向き不動産会社社長の竹矢が一体何の稼業をしているのかは、俺には知らされていない。ただ、俺は指示されるままに道具を作っている。 ひょろりとした竹矢の体型からは想像できないが、近接格闘はかなりの腕だと聞いている。民間人にも関わらず拳銃やあらゆる火器を扱う許可証を持っていて、時折、政府の管理する射撃場で銃を扱うこともある。


「そろそろトレーニングの時間じゃないか?」「俺が鍛えても意味ないと思うんですけど」 うんざりとしながら竹矢に訴えてみるが、にやりと笑われて返された。


「男はな。いつか護る者ができた時の為に鍛えるんだよ」「おっさんの中二病って、キモイんですけど」


「ま。そういうなよ。そのいつかは、今日かもしれないし、明日かもしれない。男のロマンだろ?」「意味わからないっす」 俺はますますうんざりとしながら、竹矢の部屋の扉を閉めた。


   ◆  俺が今暮らしているマンションは丸ごと一棟が竹矢の所有物。新宿にある十三階建てのマンションは、昨今流行りのお洒落なデザイナーズマンションではなく、地味。ひと昔、下手するとふた昔前のぼろいマンションで昭和風。


 外観は酷いが内部は最新設備を備えている。ガラスはすべて防弾で一部の扉には鉄板が仕込まれていて、非常用の隠し通路や、隠し部屋も多数ある。自家発電も可能で、一ヶ月は外に出ないで籠ることもできる。


 俺は自分の部屋でトレーニングウェアに着替えてから十階のパーティルームと呼ばれるフロアに向かった。普通のマンションのように偽装された廊下を過ぎて、扉を開けると内部はワンフロアぶち抜き。床は木で、壁には鏡が貼られている。


 中学生の時は週に二日、高校生になってからは週に五日、俺はこのパーティルームで近接格闘を中心に鍛えられている。 「重心は常に下を心がけろ!」 鋭く突き出された拳を辛うじて避けた俺は、しゃがんで足払いを繰り出した。


「攻撃が単調だぞ」 苦笑しながら俺の反撃をあっさりとかわした男はガブリエル。車のCMにも出ている二十九歳の有名なモデルだ。金に近い茶色の髪に青い目。百八十六センチの細身の体には、しっかりとした筋肉が付いていて、紺色のトレーニングウェア姿が妙に凛々しい。


 この男は異世界人で、元・魔法騎士。この世界に来てから魔法が使えなくなったと最初に聞いた時には頭がおかしいヤツと思っていたが、魔法関係なくめちゃくちゃ強い。剣を持つと殺してしまうからと言って、基本的に素手で攻撃する。こいつの信条は非殺傷制圧で、それは本当に強くなければ許されない。


「明日はエレベーター昇降だな」「マジですか。先々週やったっしょ?」 俺は腕で汗を拭きながらへたり込む。この男が言うエレベーター昇降というのは、エレベーター内のかごを吊り下げているロープを上って降りるという訓練で、常軌を逸脱し過ぎている。


「エレベーターが止まった際に脱出しなければならないだろう?」「絶対、必要ねーから!」 叫んで否定してみても、こいつはやると言ったらやる。絶対に逃げられない。「何でも経験しておけば、いつか役に立つこともある」 ガブリエルの爽やかな笑顔に、俺は遠い目をするしかなかった。


   ◆


 早朝の学園は、人が少なくて気持ちがいい。新宿駅近くに建てられた巨大な学園は小中高の一貫校で、有名大学への進学校として全国に名が知られている。 俺は訴訟を起こされた後、竹矢の援助を受けて引っ越して、この学園に編入した。


 廊下に設置してある液晶パネルに学生証をかざすと教室のドアが開く。がらんとした教室には、すでに一人の女生徒が座っていた。ベージュの上着に白いブラウス。茶色のスカート。胸元のエンジ色のリボンはきっちりと結ばれている。


「おはようございます」「ああ。おはよう」 静かな声が教室に響き、俺は挨拶を返す。……良い声だ。 長い髪を一つにまとめ、銀縁眼鏡の女生徒は、学級委員長の賀来がらい 紗雪さゆき。学年二位の秀才。ちなみに一位は俺。学内ネットをハッキングして事前にテスト問題を手に入れているので楽勝。 美術のセンスはないので及第点。体育の授業は手加減して普通を装う。ガブリエルに鍛えられた体は無駄に万能で、手加減しなければ目立ち過ぎる。


 通路を挟んで隣の席の賀来はいつも本を読んでいる。本にはカバーを掛けてあるので、何を読んでいるのかはさっぱりわからない。俺は早めに来て、授業開始まで机で寝るだけだ。


 何気なく賀来に視線を投げると、眼鏡を外し眉間を揉んでいる顔を見て驚いた。いつも口を引き結んでいて、眼鏡で地味な女としか認識していなかったが、かなりの美人だ。


 反射的に、賀来の体に合っていない大きめの制服の下を想像する。胸が相当ありそうだ。膝下まであるスカートに隠された太ももは、一体どんな柔らかさなのだろう。


「何か?」 眼鏡なしで、まっすぐに向けられた視線は鋭いが、心臓を掴まれたような気がして、俺は息を飲んだ。「いや。別に」 竹矢なら、ここで上手い言葉が出てくるのだろうが俺には無理だった。無関心を装いながら、机の上に突っ伏して目を閉じるのが精一杯。情けないと思いながら、俺は寝たふりをするしかなかった。


   ◆


 放課後の同級生たちは騒がしい。部活に出る者、帰宅する者、そのまま遊びに行く者、さまざまな会話が飛び交っている。俺はそんな中を泳ぐようにすり抜ける。「おーい。今日もバイトかー?」 声を掛けられて振り向くと、同級生の獅子島ししじま 幸人ゆきとが手を振っている。俺はこの学校に転入してきた時から友達を作らずにいるが、どうもこの獅子島だけはしつこく俺に絡んでくる。


「ああ。バイトだ」 高校生になってから、表向きの俺はオンラインゲームのバグ取りのバイトをしているということになっている。常に持っているモバイルPCについても、その関連だと言っていた。


 開くとB5サイズになる折り畳み型のPCは、古い端末の外装を利用して、俺が内部を自作している。最高峰のPC以上のスペックを備え、あらゆる端末への情報操作と収集が可能だ。


「付き合い悪いなー。行こうぜ、獅子島」「バイトって言ってるんだから、仕方ないだろ。じゃ、またな! 守柱かみばしら、バイト頑張れよ!」 俺は獅子島に手だけで挨拶をして、帰路に着いた。


   ◆


「んー。君にもうちょっと身長があったらスカウトするんだけどぉ」 そう言って笑いながら俺の頭を撫でるのは、年齢不詳の道風みちかぜ 紗季香さきか。モデル事務所の社長で竹矢の彼女。こいつも身長170cmは軽くある。


「ババアに頭撫でられたくねーよ」 道風は漫画に出てきそうな大人の女。深緑色のきわどい服から覗く深い谷間は強烈過ぎて直視できない。近づくと微かにふわりと良い匂いもする。


「紗季香さん! お肉お願いします!」 キッチンから顔を出したのは、天峰あまみねくらら。ガブリエルの奥さんだ。マンションの住人の中で、唯一俺よりも身長が低くて顔も可愛い。アイボリーのカットソー、ジーンズにエプロン姿は妙に子供っぽいが、二十七歳で完全に範囲外。


「はい、はーい」 俺は道風から解放されて、安堵の息を吐く。どうもあの香水の匂いが、俺の理性を刺激する。ババアと思っていても胸に目が行く。


 マンションの住人は、夕食を共にすることが多い。くららはこのマンションの管理人になっていて、食事も担当している。 皆が食堂と呼ぶ食事の為の部屋は五十畳程もある。住人全員が囲める大きなテーブルには、三つの鍋が用意されていた。


 今日のメニューはしゃぶしゃぶらしい。喜んで席に着いて、いただきますと言いながら肉を箸で掴む。「おー、食え食え。好きなだけ食え。んでもって、縦に大きくなれよー」「おっさん、最後は余計だぞ!」 俺の背の低さをネタにされても今は気にならない。目の前の肉に全意識が集中。最高級の和牛の脂は甘い。口の中でとろける美味さは、ここで初めて知った。もう外国産牛肉には戻れない。


「お肉ばっかり食べてないで、野菜も食べて! ガブリエルも野菜食べて!」 くららが俺の牛肉の上に白菜とネギを置く。よけいなお世話だと叫びたいが、そんな暇があったら肉を食う。


「ネギはお肉をさらに美味しく感じさせるわ! 一緒に食べて!」 これ以上うるさく言われたくはないので、ネギと肉を同時に口にすると、マジで美味い。牛肉だけで口いっぱいにするというのも捨てがたいが、こちらも捨てがたい。


「白菜は煮込んでもいいけど、さっと温めるだけでも美味しいのよ!」 めんどくさいと思いながら、ほぼ生の白菜を肉で包んで口にほおり込む。「マジか」 白菜のしゃきしゃきした歯ごたえが美味い。白菜だけでも甘くて美味い。


 俺が野菜を食べだすと、くららのおせっかいも消え去って静かになった。空腹も落ち着いてきた俺は、隣に座っている大男に声を掛けた。「あ。螺豪らごうさん、カードの容量増やせませんか?」 無言で肉を食べていた大男が、俺の顔を見た。手で、少々待てと合図をされたので待つ。 螺豪は二メートル近い大男。上半身の筋肉が異様に発達していて、顔も整っているのに雰囲気が何となく怖い。年は二十三と聞いてはいるが、もっと年上のようにも見える。一年中黒のランニングシャツに、迷彩柄のカーゴパンツを着用している。


「んー。頑張ってはいるんだけどぉ。難しいのよねー」 口に入れていた肉を飲み込んで、螺豪が口を開いた。タロットカードの外装を作っているのはこの男。低い男声でのオネエ言葉は違和感があるが、七人姉妹に囲まれて育った螺豪は女言葉しか話せない。


「一・二ミリを許してくれたら、いいんだけどぉ」 螺豪がちらりと竹矢を見る。「却下だな。一ミリ以上は俺が扱えない」 竹矢が苦笑しながら答えた。


「と、いうわけよぉ。頑張ってみてはいるから、出来たら教えるわー」 螺豪の筋肉は、超精密な作業を行う中で培われた特殊な筋肉と聞いている。さまざまなギミックを仕込みながらも厚さ一ミリというカードを作ることができるのは、全世界でこの男だけ。カードの発明者は螺豪の祖父らしい。


「あと一割だけでも容量増やせたら、処理が三百倍になるんですよ」 薄いタロットカードに仕込まれたマイクロフィルムディスクは、市販品にはない桁外れの容量ではある。元々のスペックを俺の自作チップとプログラムで底上げしてはいるが、最近は限界が見えている。


「んー。一割ねぇ。ちょっと頑張ってみるわー」 女言葉の螺豪の微笑みは、やっぱりちょっと不気味だった。


   ◆


 三連休前に浮かれる学園内では、妙な騒ぎが起こっていた。 ネットに半裸の自撮り写真が上がっていて、どうやらうちの学園の女子生徒らしいと噂になっている。


「俺、四枚集めた!」「俺は六枚」「俺なんか十二枚集めたぜー」


 獅子島から見せてもらった写真は、首から下しか写ってはいないが、大きな胸が特徴的な女だった。胸の先はシャツや指先、さまざまな物で隠してはいるが、それが妄想を掻き立てる一因ともなっている。


 教室内でも、まるでトレーディングカードのように写真が交換され、コピーが増殖していく。三連休に正体を突き止めようと言い出す者もいて、素人探偵団が結成された。


 一度ネットに上げた写真は、拡散されると回収は不可能だ。消せば消す程、コピーが行われて増殖する。気軽な気持ちで自撮り写真を上げたのだろうが、このままだと身元が特定され、さらに脅されて酷い目に合うかもしれない。


 俺は顔も知らない女を憐れんだ。俺も少し前までネットという物を軽く思っていた。現実世界には関係のないゲームか何かだと舐めていて、現実世界で訴えられた。 ……この女も同じだ。俺は竹矢がいたから救済されたけれど、この女を助ける救世主はいない。


 俺は帰宅した後、自分の部屋のPCの前に座り込んだ。2LDKの間取りのあちこちに、俺が組んだPCが並んでいる。天井まで届くラックに並べられた物以外にも、床に転がっている物もある。 二十四時間稼働する数十台のPCはかなりの熱を放出するが、エアコンが利いているので快適に過ごせる。


 俺の指が勝手に動く。獅子島からもらった写真を解析し、一致する写真を削除するプログラムを組み上げた。間違って別の写真を削除してしまう可能性は可能な限り最小にする。コラージュされた写真は面倒だが、それも一定以上の割合で一致すれば消すことにした。


「プログラム・〝救世主メサイア〟。始動スタート」 中二病かと自分で突っ込みを入れるが、適当なプログラム名が思いつかなかった。竹矢を笑えないと苦笑する。


 俺の部屋のPCは高速回線でネットに繋がっている。通常使われるヤワな回線ではなく、防衛軍使用の最高レベルの回線を使用している。どういう契約になっているのか俺にはわからないが、竹矢の金の力らしい。


 この世界には五つの巨大ネットワークが存在している。日本の〝桜花網〟、アメリカと南アメリカの〝Libertynet〟、アジア圏の〝A.F.N.(Asia Freedom Network)〟、イギリスを中心にしたヨーロッパとカナダの〝Union-net〟、全世界の有志が構築する〝UWN(unified world net)〟。


 ネットは今や重要な経済基盤の公共施設と位置付けられ、ネットワーク間は各国の軍に専門部署が設けられて管理されている。有事となった場合、瞬時で敵国からの情報工作を遮断する為だ。


 俺は十歳の時、知らず知らずのうちに五つのネットワークの根幹へアクセスしていた。今も各ネットワークの特徴だけでなく、根本にかかわる癖を知っている。


『お前に最高の環境を与えてやる。好きに使え』 竹矢はそう言って、俺をこのマンションへと招き入れた。当初は金で買われたのかと思ったものだが、今考えると、五つのネットワークを自由に行き来していた俺は外国に拉致される危険があった。


 外国ではハッカーが最高のスペックを叩き出すピークは十二歳だと言われている。当時の俺はちょうどピークの手前。竹矢の保護もなく、弁護士なしで外国での裁判に掛けられていれば、身柄を外国当局に確保され利用されても仕方ない状況だった。


 俺は竹矢に救われ、今も護られている。 竹矢に金以外に何が返せるのか、俺にはまだわからない。


 〝救世主〟は、次々とネット上に保存されている写真を消していく。個人のPCやスマホにも検索を掛け、一致する写真を削除する。オフラインでデータを保存するということが重視されなくなった今、データがあるのはオンラインが中心だ。


 幸いにも写真は日本の〝桜花網〟内にしか出回っていないと判明した。これなら十日もあれば消せるだろう。


 〝救世主〟の稼働状況を横目で見ながら、俺はSNSでの発信者を特定した。発信者はアカウントに鍵を掛けて全体には見られないようにしていたが、突破するのは簡単というよりも、大抵のSNSには管理者用の覗き見ツールが用意されている。


 やり取りを覗くと、発信者は騒ぎになって動揺していることを身内に相談していたが、誰も有効な解決策を提示してはいなかった。


 そもそも顔も知らない『ネット上の身内』なんて、信用できるものではない。親身になって相談を受けるふりをしながら、現実世界で笑っている可能性もある。場合によっては被害を広げようと画策していることもある。


 弱音を吐く発信者と、無意味に慰めるだけの身内のやり取りにイラついて、俺も同じSNSでアカウントを作って身内にねじ込んだ。


『〝――突然連絡する失礼を許して欲しい。今回の騒ぎを心配している者だ〟』 俺はメッセージを発信者に送った。ガブリエルの口調を思い出しながら、いつもの自分ではない男を装う。


『〝――何が目的ですか?〟』 返事はすぐに戻ってきた。時間は午前二時。心配して眠れないのかもしれない。


『〝――貴女の写真をネット上から削除したいと思っている〟』 俺のメッセージを疑い、驚きながらも縋るような言葉が返ってきた。興味半分できわどい自撮り写真をアップした所、ちやほやされて調子に乗って半裸の写真まで撮ってしまったと後悔していた。


 何枚アップしたのかと聞けば、十五枚だという返事が返ってきた。たった十五枚がコピーされ、ネット上で無限に増殖していく恐怖に震えている。


『〝――こちらの手元にあるのは十二枚だ。まずはこの十二枚を消すので、そちらの元写真が消えたら連絡が欲しい〟』 俺のメッセージの後、手元の写真が消えたと連絡があったのは、翌朝だった。十日という計算よりも遥かに早い結果に内心驚く。残りの三枚の提供を受け、俺は削除プログラム〝救世主〟を走らせた。


 残りの三枚には、制服の一部が写っていた。画面の端にほんの少し写っているだけでも、学校まで特定する者がいたということに心底驚いた。俺なら全く気が付かない。      


 三連休をフルに使って、十五枚の画像はオンライン上からすべて消え去った。あとはオフラインで残されている画像だが、これはプログラムを定期的に走らせ続けて引っかかるのを待つ。紙やディスクに出力された物については、諦めるしかない。


 ネット上では、特定の写真が消えたと騒ぎになったが、他の炎上案件が発生したので、興味はそちらへと移動していった。人の噂も七十五日というが、ネット上で繰り返される騒ぎは、もっと短い期間で忘れ去られる。


 SNSを管理する企業もデータが消えたことについて声明を発表してはいるが、消えたのは女子高生の自撮り写真十五枚。莫大な資金を費やして原因を究明する程のことでもないという意図が滲んでいる。


 たとえ企業や国家機関に目を付けられても、今の俺は昔の俺とは全く違う。正体が知られないように相当の対策は取ってある。


 一週間もすれば、学校でも全く話題にならなくなった。俺は人を助けることができたという満足感に浸りながら、平凡な日々を繰り返す。


 さらに一週間が過ぎた夜、唐突に発信者から連絡が入った。『〝――本当にありがとうございました。救世主さま、これ、お礼です〟』 プログラム名を教えていないのに救世主と呼ばれたことに驚いたが、メッセージと同時に送られてきた半裸の女の写真に、俺は目を疑った。


 目を閉じてキスをねだるような顔は、真面目な学級委員長、賀来がらい 紗雪さゆきに間違いなかった。手ブラからは、大きな胸が零れ落ちそうだ。


『〝――この写真も削除しておく。今後、私以外の者に写真は送るな。以上〟』 賀来にメッセージを送りつつ、俺の指は勝手に隠しフォルダに写真を保存している。本能には抗えない。


「くっそー! 全部消すんじゃなかったぁぁぁぁぁぁぁ!」 俺の絶叫が、深夜のマンションに響き渡った。

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