君が目を覚ますその日まで

 渚ちゃんだって、ずっと桐生君と一緒にいたのだ。それなのに目が醒めたら離れてしまうかもなんて思われていたと知って、やっぱりショックだったのだろう。その気持ちは、私も痛いほどよく分かる。


「冷たいこと言わないでよ。何年一緒にいたと思ってるのさ。私だって輝明が目を醒ましたら、必ず駆けつけるんだから」

「渚……悪い、お前の事疑ったりして。そうだよな、お前はそう言う奴だもんな」

「分かるのがっ、遅いよっ」 


 文句を言って、涙を拭う渚ちゃん。何年会えなくなるか分からないのだ。当然、寂しいに決まっている。

 渚ちゃんは込み上げてくる嗚咽を飲み込んだ後、そっと私に向き直った。


「私の言いたい事は、これで全部言い終わりました。席を外しますから、後は龍宮先輩にお任せします」

「えっ、渚ちゃん行っちゃうの?」

「若い二人の邪魔をする気なんてありませんから。先輩、輝明のこと、頼みましたよ」

「渚ちゃん……」


 踵を返して、病室から出て行こうとする渚ちゃん。するとその背中に向かって、桐生君が呼びかける。


「渚、ありがとうな!」


 一瞬だけの足が止まったけど、振り返る事無くそのまま歩いていく渚ちゃん。私達はその後姿を見送った後、改めて向かい合った。


「アイツには、色々と世話になったな。目が醒めたら、もう一度お礼を言わないといけねーな」

「うん、そしたらきっと喜ぶよ」


 そう返事をした自分の声が、酷く弱々しい事に気付く。

 きっと、私も寂しいのだろう。好きな男の子と長い間会えなくなるのだ、別に恥ずかしい事とは思わない。

 ただ今になって思うのが、もっとたくさん話したかった、一緒にいればよかったという後悔。そうならないよう、暇さえあればあっていたというのに、まだ全然満足できていない。たった二カ月では、短すぎたのか?それとも一緒にいた時間が多すぎたせいで、余計に欲が出てしまったのか?どちらにしろ、今更どうする事もできない。

 今にも泣きたくなりそうな気持を抑えて俯いていると、桐生君がそっと頬に触れてくる。


「龍宮、顔を上げろよ」

「……やだ。だって今、凄く酷い顔してるもの」

「いいから上げろ。眠る前に、龍宮をたっぷり堪能したい」

「……うん」


 奥歯を噛み締めて顔を上げると、桐生君は穏やかに笑っている。これから永い眠りにつくなんて、微塵も感じさせない笑顔だ


「何だ、酷い顔なんて言っておいて、可愛いじゃねーか」

「嘘、そんな訳な————んぐっ⁉」


 突然口を塞がれた。それも、口で口を塞がれてしまった。それが所謂キスと呼ばれるものだと気づいたのは、解放された後だった。


「な、な、なななななっ⁉」

「悪い、ついしてみたくなった」


 ついって何⁉それに全然、悪びれてる様子が無い!

 頭の中がカーッと熱くなっていく。付き合い始めてからまだ三日の私達は、キスなんてしたこと無かった。と言うか、桐生君はどうか知らないけど、私はこれが正真正銘のファーストキスだ。それをこんないきなりで済ませるだなんて……


「あー、何か怒ってるみたいだけど、ひょっとしてダメだったか?」

「―——————ッ!ダメじゃない!」


 実際はもっとロマンチックなシチュエーションの方が良かったとか、心の準備をさせてほしかったとか、言いたい事は沢山あった。だけどそこに拘っていたら、たぶんキスをする前にお別れの時が来てしまっていただろう。

 強引に奪ってくれた事には、少し感謝している。私もちょっとだけ、してもいいかなって思っていたから。だからダメじゃないと言う気持ちは本心だ。


「もっと時間があれば、ゆっくりできたのにな」

「仕方ないでしょ。目が醒めた後、またやればいいじゃん。もっともその時私は、どうなっているか分からないけど」

「シワシワババアになっているとか?最初に会った時、お前そんな事を言ってたっけ」

「嫌な事を思い出させないでよ。でももしそうなっていたら……やっぱり嫌?」


 普通に考えたら、やっぱり良い顔はしないだろう。だけど桐生君は、ゆっくりと首を横に振った。


「そんな訳あるかよ。だって龍宮だぜ。どんな姿になっていても、変わんねーよ」


 本当かなあ?あ、でも元々特別可愛いわけでもない私を好きになってくれたんだから、案外信じてみてもいいかも。


「……龍宮、なんか失礼なこと考えてないか?」

「そ、そんなこと無いよ。それより桐生君、他に何かしてほしい事ってある?もうあまり時間は無いけど、できることなら何でもするから」

「何でも?本当だな?」


 一瞬にして、目の色が変わる。しまった、もしかしてとんでもない事を言っちゃった?しかしドキドキしながら待っていた桐生君の答は。


「だったら俺のこと、名前で呼んでくれるか?」

「へ?な、名前?」

「なんか拍子抜けしたって顔だな。けど、俺にとっては結構重要なんだぜ。渚だって名前で呼んでいるのに、彼女から一度も呼ばれずに終わるだなんて、やっぱ心残りだ。ダメか?」

「う、ううん。それくらいなら……」

 

 そう言えばよく考えたら、まだ一度も名前で呼んだことが無かったっけ。仕方が無いじゃない、新米のカップルなんだから。けど桐生君が眠る前に、一度くらいはちゃんと呼んであげたいとは私も思う。

 とは言え。いざ口にしようとしたら、これが中々難しかった。おかしいな、たかが名前を呼ぶのに、どうしてこんなに勇気がいるのだろう?


「て、てるあ……ききゅん」

「おいおい、何だよそれは。全然言えてねーぞ」

「しょうがないでしょ。ううっ、これ思ったより全然ハードル高いよ」


 輝明君……輝明君……頭の中で何度もリピートする。よし、今度こそ大丈夫。大きく息を吸いこんだ。


「輝明君!」


 やっとの思いで名前を口にすると、桐生君……いや、輝明君はほっこりとした笑顔を見せる。


「やっと呼んでくれたな、棘」


 名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ね上がった。私と同じく、桐生君が名前で呼んでくれたのもこれが初めてなのだ。たかが名前一つを口にされただけなのに、こんなにこそばゆいのはなんでだろう?

 しかし、輝明君の攻撃はこれでは終わらなかった。


「なあ、さっきのアレ、もう一度いいか?」


 そう言ってそっと顔を近づけてくる。アレと言うのがキスの事なのだとわかって焦ったけど、すぐにそれを受け入れ、目をつむる。

 唇に柔らかな感触があり、まるで時が止まったよう。そういえばお伽噺では、眠っている人にはキスをすれば目醒めるのが定番だったっけ。順序は逆になってしまうけど、輝明君が目を醒ましたその時は、もう一度続きをしたい。


 それがいくら先のことだろうと構わない。例えどれだけ時が経っても、私は待ち続けるって決めたのだから。

 やがて唇が離れると、私は精一杯の笑顔で、桐生君を見つめる。


「私、ずっと待ってるから。十年でも、二十年でも。だから桐生君も目を醒ました後も、私の事をちゃんと好きでいてね」


 桐生君は照れたようなに笑みを浮かべた後、「ああ」と返事をして微笑み返してくれる。それを見て、また胸が高鳴っていく。

 しんみりしてしまうかと思っていた最後の時間は、たくさんの『好き』で溢れていた。私達は最後の瞬間まで、気持ちを込めた言葉を重ねていく。


 いつか桐生君が目を醒ますその日まで、どうかこの想いが色褪せませんように。

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