眠りにつく日

 ここは病院の待合室。私にとってはすっかりおなじみのこの場所だけど、今日は少々困ったことが起きていた。


「君が、龍宮棘さんだね」

「は、はい。そうです」

「なるほど。輝明から話は聞いていたが、まさかこんな美人だったとは。俺ももう少し若ければ、間違いなく声をかけていただろう」

「そ、そうですか。ありがとうございます」


 目の前にいるのは、髪をオールバックにした中年の男性。まるで映画俳優の様な渋めの格好良さを漂わせているけど、言ってることがとにかくチャラい。私は若干引きながら、どうにか言葉を選んでいく。


「どうだろう。君さえ良ければ、この後食事でも。輝明がお世話になっているのだから、これくらいさせてくれ」。

「結構です!て言うか、高校生を誘わないでください!」

「はっはっは、ちゃんと知ってるよ。君、コールドスリープをしたから戸籍上は三十歳なんだろう。なら何も問題は無い」


 大ありだよ!だけど私が叫ぶよりも早く、スパ―ンという気持ちのいい音が響いた。


「痛ったー!」


 頭を押さえて痛がるおじさん。そしてその後ろには、先ほどこの人の頭を叩いた雑誌を手に立つ桐生君の姿があった。


「何龍宮に手を出してんだよ、親父!」


 今の桐生君は患者服姿。だけど弱々しさはまったく感じさせない鬼の形相で、お父さんの事を睨んでいる。そう、頭を叩かれていたがっているこの人こそ、桐生君のお父さんなのである。

 待合室で待っている私の所にやってきて、桐生君のお父さんだと名乗った時はビックリした。もっと驚いたのは、その後口説こうとしたことだけど。


「痛いじゃないか息子よ。俺はただ、棘ちゃんを見かけたから声を掛けただけだぞ」

「掛けるな!だいたい何でお前が、龍宮のこと知ってんだよ⁉つーか『棘ちゃん』言うな!」


 あの、二人とも。病院でそんなに騒いでいたら怒られるよ。すると今度は、騒ぎを聞きつけて来たであろう渚ちゃんが廊下の向こうからやって来た。


「ああ、やっぱり騒ぎになってる。この二人顔を合わせると、いつもこうなんですよ」

「いつも?桐生君って、お父さんと上手くいってないって聞いてたんだけど、これって……」

「これが上手くいっているように見えますか?輝明ったら、『こんな奴の血が流れているのかと思うと虫唾が走る』って、嫌ってばかりいるんですよ」


 なるほど、想像していた仲の悪さとはちょっと違うようだ。もっとも桐生君が怒る気持ちもよく分かるけど。いきなり高校生を口説く親なんて、恥ずかしすぎるだろう。


「私もおじさんと初めて会った時は、身の危険を感じましたよ」

「渚ちゃん、それっていくつの時の事?」

「……聞かないでください」


 私達が揃ってため息をついていると、病院のスタッフに宥められてどうにか二人は落ち着いた。

 なんだか凄くしょうもない親子喧嘩を見せられてしまった。この調子で、ちゃんとお別れが言えるのだろうか?今日は桐生君が、コールドスリープする日なのに。





 桐生君と水族館に行ったあの日から……いや、コールドスリープするよう説得した日から二カ月が過ぎていた。

 あの後桐生君は生まれて初めてちゃんとお父さんと向き合って、コールドスリープを受けたいから援助をしてほしいと、頭を下げたのだそうだ。

 初めて見る桐生君のそんな態度にお父さんの方も驚いてたって話だけど、断られる事も無く、無事にコールドスリープを受けられるよう手配をしてくれたそうだ。


 それから私は桐生君が眠るまでの間、残された時間を精一杯楽しもうと、可能な限り一緒になって騒いでいた。

 ううん、私だけじゃない。渚ちゃんも、事情を知った桐生君のクラスメイトのみんなもだ。丁度間に夏休みが挟まった事もあり、毎日のように街で遊んだり、時には勉強もしたり。限られた時間の一分一秒を無駄にしまいと、代わる代わる桐生君と同じ時を過ごしていった。

 その過程で、私も桐生君の友達と仲良くなれたのだけど、桐生君の交流の広さには改めて驚かされた。人見知りでクラスに友達もいない私とは、雲泥の差だ。


『少しは自分から動いて、ちゃんと友達作れ。目が醒めた時ボッチでいたら、許さねーからな』


 そんな風に釘を刺されたりもして、私はもちろん頷いた。もうすぐ眠りにつく桐生君に、心配をかけるわけにはいかないしね。

 それと桐生君はよく、私の家族についても気にしてくれた。幸恵さんや駿くんとは、段々と打ち解けてきたとはいえ、やはりまだちょっとぎこちない所はある。けどそれも多分時間の問題、すぐに何とでもなると笑顔で答えることが出来た。お父さんとの関係も、少しずつ修復していってる。


『駿君ったら、夏休みの宿題に、『僕のお姉ちゃん』って作文を書いたのよ。あと、最近はよく一緒に遊んでってねだってくるし。そう言えばこの前折り紙を教えた時は、上手に折り鶴を折っていたっけ。あの子、才能あるわね』

『少なくとも弟に関しては心配ないみたいだな。けど今度は目が醒めた時、お前がとんでもないブラコンになっていないかが心配になってきた』


 そんなオーバーな。これくらい普通だよ、たぶん。そう返すと、桐生君はふと遠い目をした。


『キョウダイ、か。俺も兄貴や弟と、ちょっとは話をした方がいいのかもな』


 どうやら桐生君にも、思う所がある模様。私も、その方がいいと思う。ちょっと前まで自分も距離を測り損ねてたくせにと思うかもしれないけど、やっぱりちゃんと話してみないと分からない事はある。結果上手くいかなくったって、やっぱりやってみる価値はあると思う。例えコールドスリープが解けた後になってしまったとしても、きっと遅くは無いはずだ。


 そんなこんながありながら、月日はあっという間に過ぎて、いよいよ今日が桐生君の眠る日。最後の挨拶に来たいという人は沢山いたものの、あんまり大勢で言ったら病院側も迷惑だろうという事で、来たのは私と渚ちゃん。それに、桐生君のお父さんの三人だった。

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