元気をくれる人

 やって来たのは、駅近くのアーケード内にある一件のカラオケ店。落ち着ける場所なんて他にいくらでもあるかもしれないけど、この辺の地理に明るくない私達では探すことができなかった。それにもう、何もかもがどうでもよかった。

 部屋に通された私達。とりあえずドリンクを注文して、後はマイクをとるわけでもなく、私は椅子に腰かける。対して桐生君は立ったまま、気まずそうな顔をしている。私の事なんて気にせず座ればいいのに。変に気にしたって、何かが変わる訳じゃないんだし。


 室内に響く明るい音楽が、なんて虚しいことだろう。カラオケって、こんなに寂しいところだっけ?

 さっきまでは泣きそうだったのに、今は涙の気配すら感じない。まるで起きているのに眠ってしまっているような、不思議な感じだ。

 桐生君もなんて声をかけたらいいか分からない様子で、一言も喋らずに私の様子を伺っている。


 ……このまま呆けていても始まらないよね。わざわざお金を払って中に入ったんだ。歌うのは無理にしても、話くらいはちゃんとしないと勿体無いか。

 私は桐生君の方に体を向けて、そっと頭を下げた。


「ごめんね、みっともない所を見せちゃって。それに色々力を貸してくれたのに、こんな結果になっちゃって」


 せっかく探してもらったのに。日曜日に付き合ってもらったのに。待っていたのは最悪の再会。

 本当なら、笑顔で『ありがと』って伝えたかったのに。お母さんにも、桐生君にも。


「俺のことはいいよ。それより、龍宮は大丈夫……じゃないよな。悪い、無神経な事聞いた」

「いいよ、謝らなくて。桐生君は悪くないんだし。あーあ、どうしてこうなるかなあ?」


 お母さんに苦労を掛けていると言う自覚はあった。だけどどれだけ苦しんでいたかは、分かってはいなかった。

 あの冷たい目を思い出すと、また胸が痛くなる。私だって、お母さんを苦しませたかった訳じゃないのに。いったい、何をどうしてればよかったのだろう。


「あんまり自分を責めるなよ。龍宮が悪いって訳じゃないんだから」

「ううん、これは私のせいだよ。コールドスリープする前は、眠って治療すればそれでいいって考えてた。だけどその間、残されたお母さんはずっと待っていなきゃいけなかったんだよね」


 だけど、そんなに何年も待ち続けるなんてできなかった。別にその事を責めるつもりは無い。きっと私が想像しているよりもずっと、お母さんは孤独な戦いを強いられてきたのだろうから。


「等の本人が呑気に寝ているのに、ずっと縛られるなんて馬鹿げてる。きっとこれで良かったんだよ。私の事なんか忘れて、のんびり過ごす方がお母さんにとって幸せなんだから」


 誰も間違ったことはしていない。もうこの事は考えまいと、心に蓋をしようとする。だけどそれを聞いた桐生君は顔をしかめる。


「お前、そんな言い方は無いだろ。間違っても自分のことを、『なんか』なんて言うんじゃねーよ」

「だって本当の事じゃない!昔から病院通いで、お金も時間も掛かって、迷惑ばかりかけてて!いっそ最初から、いない方が良かったじゃない!」


 引っ込んでいた感情が再び溢れ出して、自虐的な言葉が次々と発せられる。桐生君はそれを受け止めた後、静かに呟いた。


「……取り消せよ」

「何を?」

「全部だよ。迷惑かけたとか、いない方がよかったとか、そういうの。そりゃ苦労はかけたかも知れねーけどさ、そこまで悲観する事はねーだろ」

「あるよ!だってそうでしょ、病院通いの、足枷にしかならない子供なんてさ!いても迷惑なだけだもの!」


 それはずっと、心のどこかで感じてきた負い目だった。もっと丈夫な体だったら、こんな風に苦しむことも、両親に苦労をかけることもないのにと、幼い頃から思っていた。だけど……


「龍宮。それ、他の奴にも同じことを言えるのか?」

「えっ?」


 怒ったような桐生君の声。返事をできずにいると、彼は息がかかりそうなくらいにまで、顔を近づけてくる。

 近い。だけどまるで、蛇に睨まれたカエルのように動けなくて。桐生君はそんな私に、更に言い放つ。


「闘病したり、リハビリを頑張ってる奴皆に、同じことを言えるのかって聞いてんだよ。お前は迷惑ばかりかけるから、いない方がいいって」

「違っ、今のは私の事を言っただけで」

「同じことだろ。お袋さんにあんな風に言われて、混乱する気持ちはわかるよ。けど、言っていいことと悪いことがあるってことは忘れるな。自分が傷ついたからって、人を傷つけていい理由にはならないんだからな」

「――ッ!」


 怒鳴るような怖い声ではなかったのに、言葉にできない何かが、胸に突き刺さった。

 思い出したのは中学の頃、病院で仲良くなった女の子のこと。その子もまた私と同じように、病気と闘っていたっけ。

 お互い頑張ろうって励まし合っていた。その子は遠くの病院に移ることになって、以来会っていないけど。もしもさっきの私の発言を聞いたら、どう思うだろう?


「……ごめん」


 再度目に涙が溢れてくる。さっきまでの悲しい涙とは違う、情けない自分を呪った、悔し涙が。

 無神経なことを言ってしまっていたと、今更痛感した。


「……まあ、俺も偉そうなことを言えた立場じゃないんだけどな。実は今のは、受け売りなんだ。昔荒れてた時期があってさ、周りに当たり散らしてたことがあってよ。その時さっきみたいに叱られたんだ」


 近づけていた顔を遠ざけ、バツが悪そうに語る桐生君。そう言えば、家で肩身の狭い思いをしてるって言ってたっけ。

 悩みや苦しみを抱えているのは、なにも私だけじゃないのだ。それなのにまるで、自分だけが辛いみたいに思えて、人を傷つけるようなことを言った事を深く反省する。


「ねえ、桐生君は辛い時はどうしてたの?家の人には……相談し難かったんだよね?」


 相談し難いと言うか、その家の人が悩みの種だったのだろうから当たり前だろう。


「そうだな。とりあえず嫌なことは放り出して、家の外で気の会うやつと過ごしたよ。俺も塞ぎ込んでたけどさ、動いてみると意外と上手くいくもんだったぞ。力になってくれる奴って、案外いるもんなんだなって驚いた」

「それって、渚ちゃんのこと?」

「渚?アイツは……いや、そうかもな。アイツのおかげで、助かったって思うことも少なくなかったか」


 珍しく素直に認める桐生君。だけどそのあと、しっかり付け加える。


「もっともアイツの場合、世話になるより世話かけられることの方が断然多かったんだけどな」

「ははっ、渚ちゃんが聞いたら怒りそう」

「仕方ないだろ、事実なんだから。っと、ようやく笑ったな」


 言われてハッと気がついた。あれ、私どうして、笑うことができたんだろう?さっきまでこの世の終わりみたいに沈んでいたと言うのに。

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