星をつないで

波乱の信州、夏休み

 

 ──いい? コタくん。本当に強い男の子は牙を隠しているものなの。

 弱い者ほどひっきりなしに噛みつく……。


 ボク、つよいもん。


 うふふ……そうね。コタくんは虎さんだもんね……。


 あおいさんは、つよいおとこのこがすき?


 勿論よ。普段は穏やかで、笑顔が可愛らしくて、大事な人を守る時だけ牙を見せる。大事な人の為に自分を費やす。

 そういう人が好きだったわ……。


 ふうん……じゃあボクもそうする。



 そう言うと、彼女は少し寂しげに笑った。

 綺麗で優しくて、ときに厳しい。ボクを猫可愛がりするだけの母親よりもずっと彼女の言葉の方が胸に響いた。


 彼女が事故に遭ってからは、その言葉の数々が余計に心に遺った……。



(──ん……)


 夢が薄れてきたボクは無意識に手を伸ばし、ベッドの中にその娘を探す。


 夢に出てきたのは葵さんなのに。

 現実のボクの手は、その柔らかな頬に肉球を押し当てて眠るのがすっかり習慣化しているようだ。


 でもボクの手は白虎ではなく人間のままで、ベッドの中も自分一人。


(……そうだった。もう潜り込むのはやめたんだ)


 叫び出したい衝動を飲み込んで寝返りを打つ。目の前の壁の向こうでは、あの娘がまだ眠っているだろう。


(葵さん。強い男って、けっこうしんどいね……)


 ボクは、身体を小さな白虎に変えて丸くなった。




 ※※※



「わあ! けっこうイイ感じじゃない、このホテル。ね、夕愛」


 電車ではなく煉さんが運転するワンボックス車から降り立ち、紫苑ちゃんがはしゃいだ声を上げた。


「う、うん。なんか豪華だね……」


 なんで実家のあるあたしまでこんな信州のホテルにいるんだろう。


「私の分も部屋とってくれたんだろ? いくら自分が出張で留守にするからったって、夕愛のお父さんって太っ腹だな」


 そう。夏祭りに合わせて帰省すると連絡したら『その日程は研修で地方にいるから』と言われてしまい、あたしまでココに。


 すると、係の人に車のキーを預けた煉さんがあたしの肩を叩いた。


「そんな顔しないで夕愛ちゃん。お父さんも自分が居ない家に娘を一人で置いておくのは心配なんだよ。最終日には帰って来て会えるんだし、それまではここでね」

「はあ……。いえ、煉さんこそごめんなさい。車で連れて来てくれて」


 急遽お仕事の都合が付いたとかで、煉さんが車を出してあたしたちを送ってくれたのだ。


「いや、僕もコッチでちょっと用事があってね。そのついでだよ」

「うむ! やはり信州は良い、空気が違う。マーベリャス!」


 ……なんで亀太郎くんまでいるの? 実家あるのに。


「なんで亀までいるんだ。お前は実家に帰れ」


 ナイス己龍くん。今まったく同じことを思ってたよ!


「ん? だから帰って来たではないか」

「は?」

 

 キョトン顔の亀太郎くんに、あたしたちのキョトン顔も上乗せ。そこに煉さんが割って入った。


「あれ? みんな、亀くんから聞いていないの? ここ、亀くんの実家が経営してるホテルだよ。おかげでだいぶ格安にして貰えたんだ」


 たっぷり十数秒、その意味を飲み込むのに時間を要する。


「話してなかったかぬ? 君たちまで夕愛くんについてくると知り、すぐに煉さんに連絡を取って当ホテルをお薦めしたのだ」


 HAHAHAと笑う亀太郎くんに食って掛かったのは紫苑ちゃんだった。


「なんだよきゃめ! じゃああんた、こんなでっかいホテルの御曹司? 苦学生でもないのになんでバイトばっかしてんの!」

「紫苑くん。僕は自分の選んだ道を極力自分の力で歩んでいるだけ。立派な苦学生さっ」


 ……偉い。亀太郎くんはやっぱり偉いのだけれど。

 なぜだろう、そうは見えない。


「じゃあ受付を済ませてくるよ。みんなちょっとロビーで待ってて」


 煉さんが亀太郎くんを伴ってこの場を離れる。すると、背後で虎汰くんの声がポツリとつぶやいた。


「……星降る丘」


 その視線の先を見やると、中央の柱にホテル全景の案内図が貼りだされている。


「夕愛。このホテル、施設内に星が見られる場所があるんだって。夜になったらみんなで行ってみよう」

「……うん」


 あんな事があっても、虎汰くんは以前と同じように優しく穏やかに接してくる。

 ……ううん、ちっとも同じなんかじゃない。


(こうして一緒にいても、ふざけたりも困らせたりもしなくて。白虎にもならない)


 常に微妙な距離を置いて、あたしに何か言う隙を与えてくれない。


「星か。今なら俺の星宿が見える」


 ふいに耳元で囁かれ、あたしの肩が跳ねた。


「き、己龍くん。星宿って……あ、青龍の?」


 思い当たって、あたしも紫苑ちゃんに聞こえないよう声をひそめる。


「ああ。俺のは蠍座の一角だから夏空に出るんだ。教えてやるから拝めよ」


 虎汰くんの代わりに、この人がこんな風にイタズラな笑みを浮かべるようになった。その笑顔はやっぱり魅力的で、あたしはいつも目を逸らしてしまう。

  

「お、拝んだらお願いごと叶うかな」

「お前の願い事なら俺が叶えてやる」


 見ないようにしていたのに、思わず肩越しに振り返ってしまった。そこには怖いくらい真っ直ぐな藍墨色の瞳。

 

「なんだよ。出来ないとでも思うか?」


 その瞳は『お前の場所はここだ』と言っているようで。


「…………」


 揺らぐ。揺らぐ。

 この人はあたしを娘娘ではなく、夕愛として見てくれる。だったらもう……。


「私と夕愛の部屋は7階だってさ。いこっ」


 紫苑ちゃんに声をかけられ、あたしはハッと我に返った。  


(なに考えてんだろ、あたし。あっちがダメならコッチなんて、つじつま合わせみたいなこと)


 最低だ。幼い頃からずっと己龍くんだけを見てきた人がここにいるのに。


「う、うん紫苑ちゃん。今行く」


 こんな曖昧な態度、良いわけがない。このままじゃあたし、片思いの苦しさを己龍くんで埋めようとしてしまいそう。


(紫苑ちゃんが告白する前にちゃんと言おう。あたしは己龍くんの娘娘にはなれないって……)


 小走りで紫苑ちゃんに駆け寄ると、後ろから煉さんの声に呼び止められた。


「ああ、夕愛ちゃん。君は紫苑ちゃんに荷物を預けて、ちょっとだけ僕に付き合って」

「え?」


 思いがけない誘いにあたしは首を傾げる。


「君のお父さんに頼まれててね。毎年行ってるのに今日行けなかったら、寂しがるそうだ」

「あ……」

「今日はお母さんの命日だろう? お墓参りに行って来よう」


 胸の端っこに小さく引っかかっていた物がスッと溶けていく。本当は今日、家に帰れなくてガッカリした一番の理由はそれだった。


(お父さん、ちゃんと覚えてたんだ。それにしてもそんな事まで頼んだなんて)


 お母さんのお墓は家のすぐそば。小さい頃からこの日のお墓参りは欠かしたことがないけれど。

 

「でもわざわざ連れていってもらうなんて。なんか申し訳ないっていうか」


 ためらっていると、紫苑ちゃんが心配そうに覗き込んできた。


「え、今日って夕愛のお母さんの命日なの? だったら私も」

「いや、今日は夕愛ちゃんだけ。最終日にお父さんが帰ってきたら、改めてみんなでお参りさせてもらおう」


 煉さんにたしなめられ、紫苑ちゃんもそれ以上どうしてもとは言わない。


「……いいから行ってこい。俺たちは部屋で昼寝でもしてる」

「うむ! そうしたまえ夕愛くん。親子水入らず、墓場でゆっくり語り合ってくるといい」


 己龍くんと亀太郎くんも、そう言って背中を押してくれる。


「はい……ありがとう。じゃあ煉さん、お願いします」


 ペコリと頭を下げ、あたしは手荷物を紫苑ちゃんに預けた。


「いってらっしゃい。あ、でも夜のお祭りまでには帰って来るよね」

「うん。お墓は実家の近くなの。ここからなら近いから一時間くらいで帰ってこれると思う」


 じゃあ、と軽く手を振って、あたしは先に立って歩き出した煉さんの後を追う。


「……お母さんによろしく、夕愛」


 すれ違いざま、虎汰くんが呟くほど小さくそう言ったのだった。



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