上書きすればいい


 静寂の中に、さらに沈黙が落ちる。

 でもあたしの中では、心臓の音が身体中を揺さぶってガンガン耳に響いてる。


(言っちゃった……。あ、あ、あ、あたし、告っちゃった……)


 そうかも、とはおぼろげに感じてた。それがこういう形で追い込まれて、初めてハッキリ自覚できる。


(でも誤解されたまま、虎汰くんが離れていっちゃうのはイヤ……!)


 14回めの告白。けれどこれは、初めてあたし自身の気持ちをぶつけた告白。それはこれまでとは比べ物にならないくらい、苦しい。


「……なにそれ」


 沈黙を破ったのは、呆然とした響きの一言だった。


「あの時、己龍はああいう方法で娘娘の暴走を止めた。でもあいつに凶事は起こらなかった。それが夕愛の意思表示じゃないか。なのに、なんでボク?」

「わ……わからない、けど。でもあの時は、ただびっくりして」


 声が震える。抱えた膝に指が食い込む。

 でも伝えたくて、わかって欲しくて、あたしは必死に言葉を紡いだ。


「青龍の気が……。己龍くんの、あたしを連れ戻したいって気持ちがワァーっていっぱい入ってきて、なにがなんだかわからなくなって。気がついたら正気に戻ってた」


 さすがの虎汰くんも戸惑いを隠しきれない様子で、こちらをじっと見つめている。


「己龍くんの事はもちろん好きだよ。あの人って誤解されやすいけど、すごく真っ直ぐで優しい。一緒にいてドキドキする事もあるけど、でも同時に後ろめたい気持ちにもなるの」


 あれ以来、その後ろめたさがどんどん強くなって。それなのに本人を目の前にすると何も言えなかった。


「でも虎汰くんは、もうイヤ……だよね。違う人と……その、ああいうことしちゃった子なんて。だから」


 だから、自分の気持ちを見ないようにしてた。

 朝ベッドに白虎の姿がなくても、行く先も告げずにどこかに出かけてしまっても、あたしはただペットロスの寂しさだと自分に言い聞かせてた。


(バカみたい……今さらなに言ってんのあたし。もう遅いよ)


 膝の上に堪えきれなくなった雨粒が落ちる。外も同じように泣きだしているのだろうか。


「……上書きすればいい」


 それは頭上ではなく、目の前から聞こえてきた。


「虎汰、くん……?」


 いつの間にか彼は踏み台から降り、目の前にしゃがみ込んであたしを覗き込んでいる。


「試してみる。ボクに何も起こらなかったら己龍が何を言っても黙らせる。……絶対ゆずらない」


 怖いくらい真剣な瞳で、虎汰くんがあたしの髪を両手でかき上げた。


「ちょ……待って。その」


 彼の肩を押しながら後ずさるあたしの手を掴み、彼が低く囁く。


「待たないよ。あの時、ボクがどれだけショックだったと思う?」


 いつもおっとりと弧を描く目が、苦しげに歪んであたしを見つめる。


「まだ猶予はあると思ってたのに、いきなり勝負アリな場面に出くわして。それが違うって言うなら……待てるわけないだろ」

 

 鼻先が触れ合うほど近くで、白虎の時と同じ強いオリーブ色の瞳が揺れた。

 

「だって虎汰くん、あの時笑ってた……」 

「……だから余計に笑うしかなかった」


 どういう意味? あなたはショックだと笑うの? 心が乱れると笑顔を作ってしまうの?


「でも己龍の事も大事だから、邪魔はしたくないと思った」


 背中が後ろの本棚にぶつかって、もう逃げ場はない。 


「でもここ……監視カメラ……」

「ないよ。この前壊れてから、まだ新しいのは付いてないみたいだ」


 きっとカメラがあってもあたしはここから逃げられない。掴まれた手も、トクトク鳴る胸も、甘く痺れて溶けてしまいそう。 


「おしえてよ娘娘。きみは、好きになった男にどんなキスをするんですか」


 あたしの指と彼の指が、一つ一つ絡み合って握られていく。


「虎汰く……」


 知らなかった。

 ここまで顔が近くなるとピントが合わなくなって……自然とまぶたが落ちてくる。


(夢みたい……。フワフワのドキドキ……)


 あたしが完全に目を閉じようとした時、バサッと鳥のはばたきのような音がして……。


 ──ゴン!


 今にも唇に触れてくるはずだった虎汰くんの頭上に、文庫本がピンポイントで落下した。


「くっ……!」

(な……、なんでぇぇぇえ!?)


 繋いでいた手が離れ、彼が頭を押さえながらうつむく。すると背後の本棚の奥からかすかに人が駆けて行く足音が。


(向こうの通路から誰かがこっちに本を投げた!?)

「こ、虎汰くん大丈夫? 今……!」


 肩を揺すって覗き込むと、その顔は能面のように表情がない。


「虎汰、くん……?」


 唇をキュッと結んで顔を上げた彼が、──笑った。


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