可愛く見えても肉食獣♪


「イタタタ……。今朝夕愛に投げ飛ばされて、壁に激突した時に腰打ったー……」

「ははは、自業自得だよ虎汰くん。娘娘の許可なく布団にもぐり込むなんて命知らずな。打撲ぐらいで済んでよかったね」


 煉さんが車の運転をしながら、バックミラー越しに後部座席を見やって笑った。


「わかった、次からは許可をもらう。それならいい? 夕愛」


 同じ後部座席で沈黙しているあたしを、虎汰くんが屈託なく覗き込んでくる。

 

「……そういうことじゃなくて。いえあの、もちろんベッドに入ってこられても困るんだけど」


 蚊の鳴くようなあたしの声に虎汰くんはもちろん、ミラーに映る煉さんも首を傾げた。


「え? なに夕愛、他にもなんかボク怒らせるようなコトした?」

「怒ったとかじゃなくて……えと……」

「夕愛ちゃん、遠慮なく言っていいんだよ? ストレスがあると共同生活はうまくいかない。僕が責任もって改善させるから」


 心配そうな声色で聞かれてもなんて説明すればいいのか。でも一度気がついてしまったら、きっと白虎の姿を正視できないような気がする。


「あの……朱雀と青龍はその……変わった形状だからわかんないっていうか。でも虎汰くんは普通に猫っぽいから。みなさん変化の時は何も着てないわけで、その……」


 車内に充満するハテナの空気。

 でも『パンツはいて』なんてダイレクトに言えるわけがない!


「朱雀と青龍はわからない……?」

「そりゃボクたちは変化したら服なんて合わないから脱げちゃうけど……」

「ああ……。虎汰、お前」


 それまで黙り込んでいた己龍くんが、おもむろに助手席から後ろを振り返った。


「白虎の時もパンツはけって事だ」


 ダイレクトに言ったーー!? 

 

「え……」


 大きな目をパチパチと瞬かせて、虎汰くんが絶句する。


「ちっ、違うの! あれは子虎ちゃんので虎汰くんのじゃなくて、でもその、あたしお父さんとお風呂入ったのって七歳くらいまでだったし……!」


 顔から火が噴き出す。これじゃ煉さんみたいだよ。


「……そっか、だから今朝はあんなに。ごめん夕愛。ボク、デリカシーなさすぎだね」

「えっ、いえその。あたしこそ、ごめんなさい……」


 あ、また謝っちゃった。


 それきり何も言わずに窓の外に目を移してしまった虎汰くん。

 ガラス越しに流れていく風景は、街の無機質な雑踏からいつの間にか緑が目につく閑静な通りに様変わりしている。

 

(どうしよう。せっかくの入学式の日なのに。あたし、雰囲気悪くしちゃった)


 今日はあたしたちが通う高校、私立東雲しののめ学園高等部の入学式。

 普段は電車で通学するらしいけれど、今朝だけは式に参列する煉さんと一緒に車で向かっているところだった。

 

「すまない夕愛ちゃん、僕にも配慮が足りなかったよ。虎汰くん、これからは変化する時は自分の部屋でだけ。いいね?」

「……うん」


 煉さんの言いつけに言葉少なに虎汰くんが応える。

 その初めて見る物憂い横顔に、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。


(そうだよね……今までは普通の事だったんだもん。あたしが来たせいで勝手にびっくりされて、あげくになんとかしろなんて)


 そもそも変化するのは体質なんだから。彼に落ち度なんてひとつもない。


「あ、あの……虎汰くん」


 おずおずと声をかけると、彼は視線だけをこちらによこした。


「えと……今まで通りリビングでもどこでも白虎になって。その時はあたしが自分の部屋に行けばいいことだし」

「…………」


 黙ったまま見返してくる瞳は、良く見るとオリーブがかった黒。笑いのない顔は別人かと思うほど大人びてみえる。


「ホントにごめんね。あたし、居候のくせに勝手な事ばっかり」


 綺麗な稜線を描く唇、通った鼻筋は、やっぱり従兄弟の己龍くんに良く似たイケメン黄金比。しかも今の彼に可愛いなんて言える雰囲気は少しもない。


「違うから……、夕愛」

(……はぅ!?)


 シートについたあたしの手を、虎汰くんが上からキュッと押さえた。同時にあたしの心臓もキュッと鳴く。


「ボク、あんなんじゃないからね。白虎になってる時は子虎だから……、ガッカリしないでよ!?」

「な、なにが……?」


 その瞬間、助手席からスクールバッグが飛んできて虎汰くんの頭上に落下した。


「……朝っぱらからギャーギャーうるせえ」

「うん、ナイスだ己龍くん。虎汰くん、それ以上喋ったら後で吊るすよ?」


 ハンドルを操りながら煉さんまでもがバックミラー越しに睨みをきかせる。


「ううー……だって、不名誉すぎてショックなんだよー」


 頭を押さえて今にも泣きそうな顔の虎汰くんは、もういつもの可愛い男の子。

 あれ? 大人びて見えたのはあたしの気のせい?


「いいから黙れ。そいつがキョトン顔してるうちに」

「はーい……」


 助手席からスクバを引き寄せて、己龍くんが冷ややかにこちらを一瞥していった。彼はずっとこんな感じで、あたしに直接話しかけてくることはほとんどない。


 やっぱり夢は夢。現実なんてこんなものだよね。

 

「わかってたけどさ……。あたし、こんなんで大丈夫なのかな」

「なに? 不安なの、新しい学校」


 つい漏れてしまった心の声を、虎汰くんに拾われてしまった。

 

「う、ううん。いえあの……そう、なじめるかなってちょっと心配」

「大丈夫だよ、ボクがいるもん」


 ふにゃっと笑うと子虎の時と同じ。可愛すぎて思わずぎゅうーっと抱きしめたくなる。

 不思議と心にあったモヤモヤしたものが『まあいいか』って思えてしまう。


「そうだね、ありがと。虎汰くんって優しくてホントに可愛い」


 あれこれ考えたって始まらない。

 この人たちはあたしの数少ない理解者で、それぞれ問題もあるけど悪い人たちじゃない。みんなを信じて、あたしは新しい生活を楽しむ努力をすればいいんだ。


「あは、なんだか元気出てきちゃった。虎汰くんみたいなのを癒し系男子っていうんだろうな」

「……そう。それがボクの手だから」

「ん?」


 小声で囁かれて目を上げると、可愛い小動物の雰囲気がキレイさっぱり消えている。

 代わりに目の前にあるのは、優しいのにどこかアブナイ色をした小悪魔の瞳。


(え……、また変わった!?)

「可愛く懐いて近づいて、油断させて……パクッ。好きになったら仕留めるまでまっしぐら、気持ちの速度も緩まない」


 忘れていたけど、さっき重ねられた片手はそのままだった。

 彼が指を絡ませてきても、虎に睨まれたニャンコみたいに身動きができない。


「こう見えてもボク……肉食獣なんだよ」


 ドキドキ、ドキドキ。なんなの、このあり得ない心拍数。

 身体中の血が逆流するみたいに駆け巡って、火がついたみたいに顔が熱い――!


「……なんちゃって♪」


 またふにゃっと笑い、上げた両手をネコのように丸めた虎汰くん。

 一体どっちがホントなの!?


「も、もう! ふざけすぎだよ虎汰くん!」

「お前ら、そろそろ降りるぞ。学校が見えてきた」


 その己龍くんの言葉が助け舟になり、あたしは真っ赤になった顔を窓の方に向けた。


 こんな冗談にいちいち反応してしまう自分が恥ずかしすぎる。ああ、これだから彼氏いない歴=生きてきた年数の女子は!


「あれぇ? でも煉さん、人が全然いないよ」


 もうケロッと虎汰くんはいつもの彼に戻っている。なんだか無性に腹立たしいんですけど。


「渋滞に巻き込まれたから時間ギリギリなんだ。門の前につけるから、みんな先に講堂に行きなさい。僕は車をパーキングに停めてくる」


 慌ただしくレンガ造りの正門前に車が横付けされ、ドアが開く。


「早く夕愛。行くよー」


 虎汰くんに続いて車から降りた時、フワッと通り抜けた風があたしの真新しい制服のスカートを撫でていった。


 見渡すとそこは桜並木。

 広大な敷地内をいくつもの小道が延びて、その先の大小さまざまな校舎に続いている。


「こんなに広かったの……。受験で来た時は気が付かなかった」


 圧倒されて立ちすくんでいると、びっくりするほど近くで低い声が響いた。


「……右手奥は中等部だ。その向こうは小学部。全部同じ敷地内に収まってるから、だだっ広いんだ」


 肩が触れるほどすぐそばに、己龍くんが立っている。しかもこれは明らかにあたしに直接話してるのでは?


「そ、そうなんだ。詳しいんだね……」

「俺と虎汰は幼稚舎から小、中、ずっと東雲の付属だからな。詳しくもなる」


 ずっと私立!? ふたりともそんなお坊ちゃんだったの!


「だから、わかんねぇ事があったらなんでも聞け」

(……!)

「夕愛、己龍、早くー! もうみんな講堂行ってるよ」


 小道の先で、虎汰くんが手を振っている。


「行くぞ」


 桜色をした春風が、今度は火照った頬を撫でていく。

 先に立って歩き出した己龍くんの背中を、あたしはフワフワした心持ちで追っていった。



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