第13.5話 両親

 カイルが主とのやり取りを終え、ベッドに体を沈めた頃より、時は遡る。

 カイルが歓楽街にて男二人を始末していた頃。彼の自宅では、ちょうど母親が食事の用意をしている頃だった。

 食卓に並ぶのはパンと型崩れした野菜のスープ、大量の豆が添えられた魚のフライなど。地味な色合いで、フライに関しては少し焦げているようにも見える。大人用の食器を二組と子供用の食器を配膳をする彼女は、眉間にシワを刻んでいるがその憂いに料理の出来は無関係なようだった。

 彼女は、玄関や棚の上に置かれた時計をちらちらと見ては短く溜息をつく。その様子は、誰かの帰宅をずっと待っているように見えた。

 悩ましげな表情のまま彼女は食卓にポットを置いた。その直後、ガチャリと玄関の戸が開く音がし、彼女はハッと顔をあげた。


「……どっちかしら」


 ぽつりと呟き足早に玄関に向かうと、そこにいのは彼女の夫だった。彼はちょうど帽子についたホコリを取って帽子掛けにかけているところで、玄関にやってきた妻に気づくとにこりと微笑んで、自身よりわずかに背が高い彼女を見上げる。


「リタさん、ただいま」

「おかえりなさい、フランク。もう夕飯できてるからね」


 カイルの母親である彼女――リタは、夫、フランクの手荷物を受け取りながら表情を緩める。カイルが帰宅しないことで不安を募らせていた彼女だったが、それは表に出さなかった。一方で、フランクは辺りを見回してから小さく訊ねる。


「夕飯、……カイルはもう食べてるのかな?」

「……いいえ。それがまだ、あの子、帰ってきていないのよ」

「そっか……。……本当に、どこ行ったんだろうね、あの子は……」

「……そうね……」


 リタが少し間をおいてから答えると、彼はそうなのか、と沈んだ口調で返して悩ましげに少し唸る。遠い目で暗い窓の外を眺めた彼は、特に何か行動を起こすわけでもなく、リビングルームへ向かった。



 決して軽いと言えない空気間の中、食卓に着いた二人はそれぞれ食事を始める。野菜のスープやフライを口にして、味の調整のために調味料を振りかける。各自で味の調整をするのはブリタニアではよくあることだった。

 静かな空気の中で、日常の話や仕事の話をして、食事を終える。それから、台所にいるリタに皿を渡したフランクは、じっと彼女を見上げて静かに問う。


「リタさん……君は、その、カイルについてどう、思ってる?」

「えっ、何、どうしたの」


 フランクの質問に驚いたリタは、話を聞くために蛇口を止めた。シンクの桶を覆い尽くす程に泡立っていた洗剤がゆっくりと萎んでいく。

 ふわふわと舞う泡を傍目に、フランクは悩む素振りを見せて、非常に言いにくそうに言葉を紡ぐ。


「いや、なんだろう……ここ最近、ちょっとカイルについて僕、ずっと色々考えてたんだよね。なんというか、よくない感覚だけど、僕、カイルなら、放っておいても大丈夫じゃないかな、みたいな変な感覚があって……実際、そんなことはない筈なんだけど……」


 リタは、フランクの発言に思わず呆然とした。それはもちろん、彼のカイルに対する認識が非常識で驚いたからなのだが、それだけではなく、リタも彼と似た事を考えていたからだ。

 リタの驚きの理由に気づかないフランクは、気まずさから慌てた様子でわたわたと手を動かしながら言葉を続ける。


「いや、そりゃ、あの子は子供だから放っておいたらダメなんだけど……こう、あの子見てると謎の安心感があって、すごく変な感じがして……それで、君は、どう思ってるのかなぁ、と」

「……そうなの……」

「あっ、うん、そう。だからその……別に、リタさんが普通にカイルを可愛がってるならそれでいいし、なにか不安に思ってることや嫌だと思ってることがあっても、それはそれでいいから。責めたり、しないから。僕だって、よくないこと考えたんだし……」

「……ありがとう」


 言葉の弱々しさとは裏腹に真剣な眼差しのフランクの言葉に、リタは驚いたものの、彼の気遣いにほんの少し口の端を緩めた。

 フランクの質問は突拍子もないものに思えたが、実際、リタはカイルに対して複雑な想いを抱え、今日の状況も異様であると感じていた。これを機に真面目に話し合うのもいいかもしれない。

 なんといったって、大事な子供が夜遅くまで帰ってきていないのに、二人ともなにも行動に移していないのである。心配し、不安げに思っている空気はある。しかし外に見に行くことも、近所に聞きに行くことも、警察に連絡する様子もない。いつもより少し遅いなんて程度ではないにもかかわらず。

 尋常ではないこの様を理解していた両者は、改めてカイルについて話し合うことにした。


 食器を片付けた二人は、再び食卓にて向かい合い、リタは、フランクからの質問を思い返した。『カイルについてどう思っているか』という問いについて即答できない旨を伝えて、少し己の気持ちについて考える。

 子供に対する母としての愛情は勿論ある。しかし、最初に生まれた黒い肌の子供とは異なるおぞましさをカイルから感じ取っていたことから、易々と『愛している』なんて口には出来なかった。

 自分自身の心境を確認してから、リタはゆっくりと口にする。


「……私は、カイルのことは子供として可愛がってるわ。けど……とても、とても不気味に思ったり、怖いと思ったりすることもある。……それに、なかなか帰ってこなくても、あの子なら大丈夫だろうって思ったこともある。だから、フランクの感覚も、分かるわ」


 己の感情を吐露したリタは、ふぅ、と息を吐いてフランクを見た。テーブルの上で手を組み真剣な面持ちで聞いていたフランクは、安堵したように肩の力を抜く。


「そうか……。じゃあ、僕達はカイルに対して似たようなことを考えていたんだね」

「そうみたいね。……内容はどうあれ、夫婦で意見が一致しているのはいい事じゃないかしら」

「それはそうだねぇ。上手く言えないけど、あの子どう見ても只者じゃないからね」

「それも同意するわ。ちょっと変わった子供にとは思えない雰囲気だもの。絶対に何かあるし、せっかく違和感に気づいたんだから、なんとか対処しないと……。……そうだ、せっかくだし、後で聞いてみてくれない?『あなたは何者なの?』って」

「えぇ、それなかなか聞きづらいじゃないか……まぁ、聞けたら聞くけど」


 リタの言葉にフランクは苦い笑みを浮かべて有耶無耶にし、リタもつい微笑した。暫くハハ、とぎこちなく笑って頬を掻いていたフランクだったが、やがてわずかに表情を正し、真面目に話を始める。


「……お互い意見が一致したのはいいけど、どうするか考えないとね」

「……そうね。まずは……あの子の夜間外出を禁止するところからじゃないかしら。いくらあの子なら大丈夫そうと思っていても、夕方以降の一人での外出は危険すぎるわ」

「だよね。しかし、こんな遅い時間に何しに行ってるんだろう」

「それは……………、分からないわ」

「……だよね」


 リタは、ここ数ヶ月のカイルの様子を思い返す。思えば、4月か5月以降から、夕方以降の外出が多くなった。今日も、家族三人での遠出から帰ってきてから暫くし、行先も告げずどこかに行ってしまった。数十分で戻ってくるならともかく、戻る気配は一向になくもう夜である。夫婦がいくら所以不明の安心感を抱いていようと、カイルのような年頃の子供が夜にうろついているのは、普通に考えて有り得ないだろう。何をしに行っているか、については、リタは心当たりはあったが、言及は避けた。


「夜の外出禁止はもちろんだけど、数日の間、昼間の外出も禁止にしてみてはどうかな。今回の罰ってことも兼ねて」

「それは構わないけど、流石にそれは可哀想じゃないかしら。お友達とも遊べなくなるんじゃない?」

「それなら、お友達に遊びに誘われた時や、僕達と出かける時は例外にしよう」

「それならまだいいかもしれないね」


 カイルの預かり知らぬところで、対処がどんどん決まっていく。今思えば当たり前の対処もカイルにとっては重い仕打ちになるのだが、そんなことはこの2人は知らない。ただ、今からでも親として真っ当な行動をしようとしているだけであった。


 こうして話し合いを終えて休息をとっていた頃だった。玄関の方からガチャ、と音が聞こえて、リビングルームにいた二人は慌ててそちらに目を向けた。様子を見に行ったフランクは確実にカイルが帰ってきたことを確認し、話し合いの場へと促した。

 リビングルームにやってきたカイルは、怪我は見受けられないものの、やたら疲弊しているように見えた。更には、酒や香水に近いにおいが鼻につき、リタは沈黙の中で不信感を高める。


「えっと、はなしって、なに?」


 戸惑った様子でこちらを見るカイルに、フランクが静かに話をし始める。すると、カイルは今までにないくらいに動揺して、目を丸くした。フランクの言葉に補足を入れながらその様子を眺めて、僅かに胸が痛む。不気味だの怖いだの感情を吐いたリタではあるが、できればカイルに悲しい顔はしてほしくない。それでも今回ばかりは仕方ないのだ。

 フランクの話に耳を傾けるカイルの表情は、次第にくしゃくしゃと歪んでいく。やや顔を伏せて眉間に深く深く皺を刻んだ彼の表情は、とても悔しそうに見えた。

 カイルの心境を気にかけつつも、フランクと共に彼に質問を投げかけていくが、カイルは一切答えようとしない。眉根を寄せ、やや困ったような面持ちでなにかを考えているように見える。その態度は、怒られた悲しさから答えに窮しているにしてはやけに落ち着いで見えて、リタにはやはり不気味に見えたのだった。

――やっぱり、この子、ただの子供に見えないのよね……。目つきも、なにかおかしいし……。

 胸の内でそんなことを考えていると、いつまで経ってもまともに答えないカイルに呆れたのか、フランクは短く溜息をついた。そして、数秒間を置いてこんなことを聞く。


「話したくないならいいよ。嫌な質問に答えるのって、それだけで苦痛だからね。……だけどね、カイル。できたら、これは答えてほしい」

「……なに」

「カイル、君は、何者なんだ?」


 その質問にカイルは反射的に目を丸くする。何故そんなことを聞くのか、と聞き返す幼子に、リタはその質問をしてくれたフランクに感謝しながら、厳しい口調で追撃するように口を挟む。


「あなた、時々すごく不気味なのよ。変というか、あんまり子供らしくないというか。近所の子供たちよりもずっと大人みたいな時があるし、子供らしくしてても、どこかニセモノっぽいというか……。私の感じ方の問題と思うんだけど、他の子と比べても……変わってるのよね、あなた」

「……そんなこと、いわれても……」


 カイルは目を泳がせて分かりやすく困惑した。できるだけ子供っぽく返答をしようとしているが、こんな質問をきちんと理解し、混乱に陥らない時点でリタには奇妙に写った。恐らく普通の子供なら、フランクとリタの質問の仕方では理解しづらいだろう。

 その後もフランクと共にカイルにあれこれ質問をしたが、カイルが明確に返答をすることはなかった。仕方ないので話し合いは終了し、カイルは食事をして身を清めたあと、悩ましげな面持ちで部屋に向かった。


 リタも身を清めて自室に戻る。鏡台の椅子に腰を下ろした彼女は、髪の手入れをしながらカイルのことを考える。

 最初は周りの子供より少し成長が早い程度だったが、4月か5月辺りからほんの少し風格が備わり、あの黒い子供が小屋からいなくなった頃から夕方以降の外出が多くなった。このことから、おそらくカイルはあの黒い子供に会いに行っているのだろうと予想を立てる。

 黒い子供が自分の生活圏からいなくなったのは喜ばしいが、その子供がカイルと交流を続けていると思うと不愉快になるが、今回の外出禁止でカイルとその黒い子供の交流も制限されると思うと少しだけ気楽に思える。

 その気持ちに反し、鏡の中の自分は眉間に皺を寄せて思い詰める様な表情を浮かべている。リタは、黒く長い髪に櫛を何度か通して、カイルの普段の立ち振る舞いを思い浮かべる。


 カイルは、背丈や体つきは年相応の子供なのに仕草は瀟洒しょうしゃだ。話し方も年相応なように思えて、時々言葉選びが大人のよう。そして、何よりも瞳が、視線に込められた感情が冷めているように見えて胸がざわつく。興味が持てないものに対して冷めた目を向けることは当たり前かもしれないが、氷のような目がリタはとても嫌だった。

 何故嫌だと思うのか。それは、単純にそんな目を向けられることが辛いというのもあるが、本家の当主を思い出すからなのだと彼女は考えた。


 リタの実家であるトールギス家――その本家当主である男は、非常に大柄で、その体格に反して優しげな見た目の人物であった。黒く長い髪が特徴的で、朗らかな表情を湛え、よく猫を腕に抱いていた。

 一見すると穏やかそうな彼は、リタにとっては非常に恐ろしい相手であった。それは、なにも大柄だったからでも、本家当主という無礼をはたらいてはいけない相手だからでもない。相手のことを見ているようで全く見ていない、濁った金の瞳が怖かったのだ。

 本家当主が周囲の人物にいくら優しげなことを言っていても、目が、お前なんぞに興味はないといっている。『目は口ほどに物を言う』とはこの事かと、リタは若いうちに実感した。ならば、彼は何に対しては興味を抱くのか――それはリタが覚えている限りでは猫と、ある特定の人物に関してだけであった。

 そんなやや極端な当主とカイルの目つきや振る舞いが妙に似ているのだ。年齢も立場も何もかも違う本家の当主とカイルを同じように扱うのは如何なものかとは思うが、それでも行動からも似た雰囲気を感じとれる。

 その彼は今どこかに行方をくらましたためわかりやすい比較はできないが、自分がかつて恐ろしいと感じた相手と、自分の子供が似ているということが、形容しがたい不快感を抱かせていた。

 だから、失踪している本家当主はともかく、カイルにはせめて真っ当に成長してほしい。自分の子供に対して恐れなど抱えたくないし、純粋に子供として愛したい。そんなささやかな願望が、彼女の胸にはあった。

 だからこそ、今からでも母親として真面目に向き合い努力しなければと、リタは決意を新たにした。

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