第12話 奪還

 灰色の雲が広がる薄暗い空の下。程よく涼し気な空気を浴びながら、カイルは街を貫く大きな川の近くにやってきた。

 昔から貿易の中心として栄えたこの川は、様々な問題を乗り越えながらブリタニアの名所として名を馳せてきた。鉄道や道路の発達により最近は交通の要所としての役割は薄れつつあるが、それでも周囲には施設が立ち並び、人々に親しまれている。

 そんな川に掛かる大きな橋の上を、老若男女問わず多くの人が行き交う。富裕層だけでなく片隅に物乞いの姿も見える。そういった者達の前を通り過ぎながら、カイルはある人物を捜していた。それは、クリスの腕輪を持って行ったという親子である。

 クリスは腕輪を持って行った人物達の風貌を覚えていない様子だったが、カイルはその相手を特定していた。

――多分もう少し先……。標的は三十代くらいの男とその娘か。

 数秒目を閉じて、腕輪の気配を確認したカイルは、足を早める。腕輪は元々、クリスの位置や状況を把握する為に渡していたものであるため、こういった探知はさほど難しいものでもない。先程の男達も、言わば似たような手段で特定していたといえよう。

 柔らかな風を受けながら、人にぶつからないように気をつけて橋の上を駆ける。時折、子供が一人で歩いているからという理由でやたら声をかけられたのが厄介だったが、それらをあしらいなんとか標的としていた親子に追いつく。前方にあるのは紺色のベストを身につけた父親らしい男性と、水色のワンピースを纏った少女の二人。彼女の手には紛れもなくクリスに渡した腕輪が煌めいていた。


「あの、おじさん」

「……ん? 俺か?」


 ゆっくりを足を止めて振り返った男性は、気だるげにカイルを見下ろし、つられて足を止めた少女は不思議そうな面持ちでこちらを見る。少女の年齢は、クリスより少し年上くらいだろうか。青っぽい髪色がクリスによく似ている気がする。


「あの、その、その子が持ってる腕輪、僕のお兄ちゃんが持ってたものに、とても似てるんです。……見せて、もらえませんか?」

「わたしのうでわ? いいよ」


 しおらしいカイルの言葉を受けて、少女は腕輪を受け取った当時の状況を話しながらカイルに手渡した。

 少女が以前失くした腕輪によく似ているからと父親が見知らぬ青年達から受け取ったらしい。腕輪は確かに紛失したものに似ているが、ハッキリと少女自身のものではないと分かるため、違和感や罪悪感があったという。


「これ、あなたのお兄ちゃんのものなの? だったら返してあげるね」

「ほんと? ありがとう!」

「うん。これ、わたしのじゃないから、もってても、ふあんだったの。なんだか、わるいことしてるみたいだし……」


 少女の申し出につい自然と笑みが零れる。このまま無事返してもらえたら相手を殺す必要も無い。膨れ上がっていた殺意を押し込んで、彼女から腕輪を受け取ろうとしていたその時だった。隣で二人のやり取りを見ていた父親である男性がそれを阻む。


「それはうちの娘のものだ。お前も、別に返さなくていいぞ」

「え、でも……」


 少女とカイルの間に割り入るように立ち塞がった男性は、不機嫌さをはらんだ低い声をカイルに向け、続けて少し穏やかな声色で後ろの娘に目を向けた。

 困惑する少女と、思わず眉根を寄せたカイルを交互に見やった男性は、やたら冷たい目でカイルを見下し、言葉を続ける。


「この腕輪は、少し前に広場で娘が失くしたものにそっくりなんだ。多分、失くしたやつの代わりにこれがきたんだろう。きっとそうだ」

「でも、それ、わたしのじゃないよ? にてるけど、ちがうよ。だから、返してあげよ?」

「確かに全く同じじゃないが、お前はあの腕輪を失くした時、とても悲しんでいたじゃないか。それの代わりにこの腕輪を大事にしなさい」

「……でも、あれは、お父さんが――」

「いいからお前は黙ってなさい。それともあれか、坊ちゃん。これに自分の兄ちゃんの名前でも書いてあんのか? なんもないじゃないか」

「……確かに、書いてませんけど……でも、それ、本当に僕のお兄ちゃんのものなんです」


 男性は、手に取った腕輪全体を眺め、名前を含む証拠になりそうなものを探す。しかし、彼の目で捉えられる証拠はそこにはない。カイルにとってはそれはクリスの為に用意したクリスのための腕輪とひと目でわかるのだが、明確に証拠として出せるものは無い。それらしい事を説明したところで、子供の戯言、下手な嘘と判断されるだけだろう。

――次は名前も書いておかないと……。

 苦い思いをしながら、再び男性に返してほしいと訴えてみるが、効果はない。少女も父親を説得しようと声を上げたが、彼は聞き入れることなく腕輪を少女の腕にはめた。煌めく石が並んだ腕輪は、彼女の手元に輝きを添える。


「いいじゃないか。よく似合ってるぞ」

「……でも……」

「いいから、早く帰るぞ。お母さんを待たせてるんだから」

「…………でも……あの子……」

「いいんだほっといて。行くぞ!」


 少女の元に収まった腕輪を見て、男性は満足気に頷き少女の手を引いた。しかし納得できない様子の少女は足を踏ん張り抵抗し、困り眉でカイルを見つめる。だがやがて父親に大人しく従うことにしたのか、ごめんね、とカイルに呟いて大人しくついて行く。

 遠ざかっていく親子の背を暫し見つめていたカイルは、抑えていた怒りや殺意を胸に広げて走り出す。青いマフラーを少しだけなびかせながら、カンカンと橋の上を疾走する音を響かせ、親子から少し離れた所より呼びかける。


「おじさん!」

「っ、なんだ、まだなにかあんのか」

「ひとつ教えてください。……あの、娘さんのことは、どう思ってますか?」

「はぁ?」


 大きな呼び掛けについ足を止めた男性は、不愉快さを全く隠すことなく振り向く。そして唐突な問いかけに不思議そうに声を上げたあと、隣に立つ少女を見たあと当惑しながらも言葉を返した。


「……そりゃ、俺は親だからこの子のことは大事に思ってるが……そんなことお前には関係ないだろ」

「あなた、もしかして、お父さんやお母さんと……」

「こら、余計なことを聞くんじゃない。さっさと帰るぞ」


 丸い目を悲しげに下げた少女が言葉を投げかけるが、男性がそれを遮って再び手を引く。今度は少女も素直に言うことを聞き、父親と共に歩き出した。

 この親子は知らない。

 その後方で、カイルが何かを決意したように、険しい表情を浮かべていたことなんて。



「別に、あの質問に大した意味はないんですよ。貴方が比較的まともな親かどうかを確かめたかっただけなので」


 夜空の下、橋の真ん中で、カイルは指を弾いて独りごちる。


 その直後、歓楽街の時と同じように辺りから人が消え、静寂が満ちる。この場にいるのはカイルと前を歩く親子のみ。他に邪魔は入らせない。


「クリスの腕輪、何がなんでも返してもらうからね」


 周囲から人が消えていることを確かめたカイルは、少女の背をじっと見つめて再び指をぱちんと弾いた。

 直後、僅かな静寂のあと周囲に少女の悲鳴と男性の叫び声が響く。地面に座り込み痛い痛いと大声を上げ泣き喚く少女と、彼女の名前を何度も叫び、現状を把握しようと必死な男性の姿が見える。二人の顔はカイルからはよく見えないが、苦痛や悲しみに歪んでいるに違いないと確信しつつ、距離を詰める。


「っ、だれか、だれかいないのか! ちくしょうさっきまで周りに何人かいただろ! なんで誰もいないんだよ!」

「うわぁあぁ゛あ゛ぁあ゛あ゛! いたい、っ、い゛だいよ、おとうざああぁぁああん!」

「随分、痛そうですね」

「! またお前か! なんだその言い方! てめぇがなんかしやがったってのか!?」


 親子から少し距離を置いて、カイルは足を止める。目線の先にいるのは、青い顔を晒す男性と、痛みに震え泣き叫び大粒の涙を流す少女。そしておぞましい色合いの切断面を晒す腕に、真っ赤な血の中に転がる白く細い手首と、その中でも煌めく青い腕輪。

 そう、カイルは、腕輪を取り戻すただそれだけのために彼女の片腕を切り落としたのだった。

 そんな事を知らない少女は激痛に苦しみ、原因に気づく気配はない。だが、男性は『カイルが何かをした』ということは察知したらしく目をとがらせてカイルに詰め寄る。


「おっ、お前、おまえ! うちの子に何しやがった! なにをしやがった!」

「おや、証拠でもあるんですか? こんな幼い僕が彼女の腕を切り落とせるわけないでしょう」

「うるせぇ! てめぇが一番怪しいだろうが! 話し方とか、態度とか、雰囲気とかいきなり変わりやがって! いろいろ含めててめぇしかいねぇだろ! ガキだろうがなんだろうが知ったことかぶっ殺してやる!」


 素知らぬ顔で言うカイルに煽られたのだろう、男性は怒りの衝動のままにカイルの胸倉を掴み体ごと持ち上げた。カイルなぞ大人の男からすれば易々と持ち上げられる重さではあるが、浮遊感についつい顔をしかめてもがく。しかし当然ながら多少抵抗したところで意味はない。

 そのため、カイルは別方向から攻めることにした。


「……っ、確かに、あなたのおっしゃるように、それをやったのは僕です。だから、貴方が怒るのも当然なんですが……はやく、下ろしていただけませんか? そうしないと、あなたの娘さん……もっと酷い目に遭いますよ?」

「はぁ!? てめぇ何を言ってやがる! ふざけたこと言ってんじゃねぇ、ぶっ殺すぞ!」


 含みのある言い方で薄く笑い、少女の方を指さしたカイルに、男性は更に声を荒らげ拳に力を込め振りかぶったが、その拳がカイルに当たることは無かった。

 何故なら、カイルが小さく指で何かを指し示した直後、今度は少女の片足が歪な方向に捻れたからである。

 途端に響き渡る少女の悲鳴に、男性は怒りに赤く染まっていた顔を青く変えて、カイルを突き飛ばし少女に駆け寄った。彼女の名を叫び体を摩り、医者や警察を探すその姿は痛ましいものでもある。

 そんな様子を光のない瞳で見つめるカイルは、ゆっくりと親子に近づく。一歩一歩と近寄る度に男性が怯え惑うのを凝視しながら、カイルは言葉に似合わぬ明るい声で問う。


「僕、とっても、怒ってるんですよね。理由、分かりますか?」


 激痛から意識が朦朧としている少女を抱きしめていた男性は、ちらりと、地面に転がる腕輪を見つめた。


「そうです、貴方がこれを返してくれなかったからです。そちらの娘さんは返してもいいと言ったのに、貴方が拒否したものですから。だから、貴方に対して、とても怒ってます。それはもう殺したいくらいに」


 言葉の割に清々しい笑みを浮かべているカイルは、血溜まりに落ちている腕輪を拾い上げる。埋め込まれた青い宝石に付着する血を指先で消し去って腕輪の状態を確認していると、掠れた声が耳に届く。


「な、なら、なぜ、おれじゃなくて、この子なんだ。……おれに、おれに、おこってる、なら、なぜ、むすめを……むすめは、かんけい、ない……! むすめには、てをださず、おれを、ころせば、いいだろ……」


 それは当然の疑問だろう。カイルの行動は許されざるものだが、怒りを抱く対象に直接攻撃するならまだ分からなくもない。だがカイルが攻撃したのは、最初から好意的な態度を見せていた少女である。更には少女は男性にとっては大事な娘であるため余計に理解し難い状況だろう。――しかしそれこそがカイルにとっては重要な点だったのだ。


「だって貴方、娘さんのこと大事にしてるんですよね? だったら、自分の行いのせいで大事な大事な娘さんがこんなひどい目に遭ったら、とてもとても辛いですよね?」


 腕輪を自らの手首にめる幼い子供の、無邪気な表情から吐かれた厳しい言葉に、男性の目が大きく見開かれた。どうやらカイルの意図に少し気づいたらしい。目を細めて笑みを浮かべるカイルの前で、青白い顔を晒して身体を震わせる男性は、発狂したかのように泣き喚き叫ぶ。

 カイルの妙な質問の意図を理解したのか、自責の念に駆られたのか、どちらかは分からないが、ひたすら喚く男性は、他人の声など耳に届いていない様子だ。だがそんなこと気に止めることもなくカイルは話を続ける。


「今日の僕、色々あってとっても機嫌が悪いんです。そんなときに貴方にあんな態度を取られたものですから、腹が立ってしまって。だから手始めにあなたの大事なものであろう娘さんを痛めつけることにしました。子供を痛めつける手法って、母親相手の方が効果あるかなとも思うんですけど、父親だって親ですもんね。大事なのは母親か父親かじゃなくて、子供を大切に想う親かどうかです。なので、効果あってよかったです。憎い相手の大事なものを傷つけるって、効果抜群だと思うんですよね。僕も、兄が傷つけられたらとても辛いですし。あぁ、娘さんに恨みはありませんよ。恨みがあるのは、お父さんの方だけですから」


 一人で話し続けるカイルの前で、男性は涙を流しながら頭を抱える。小さな声で自らを責める男性の声を耳にしながら、そろそろ彼本人を始末しようかと考えていたその時。男性の腕から解放され、地面の上で苦痛に悶えていた少女と目が合った。彼女は息も絶え絶えになりながら、掠れた声で呟く。


「……さい、てい」

「そう?」

「こ、こんなの……まち、がっ、てる、よ……へん、だよ」

「うーん、そうかな? でも、君のお父さんがさっさと腕輪を返してくれたら良かったんだよ。間違ってるのは君のお父さん。君はお父さんのせいで死ぬんだから、最低って言葉をぶつけるならお父さんにいいなよ」

「おとう、さん、は、わるくない……わるく、ない、よ……わるいのは……あなた、だよ」

「確かに。僕の行いって、褒められたものではありませんし、それはそうだ。でも、君のお父さんが直ぐに腕輪を返してくれたら、こんなことにはなってないよ」


 涙目で話す少女の言葉を真面目に聞くが、特にカイルの胸には響かない。それでも少女は必死に父は悪くないと訴えていたが、やがてこんなことを言い出した。


「あなた、あくま、なんじゃ……ないの?」


 その言葉に思わずピクリと反応する。悪魔――彼女は今そう言った。今の彼女には、それほどまでにカイルが異様なものに見えているのだろう。その言葉が出るのも理解出来ると内心思った。


「そうじゃ、なかったら……こんな、ひどいこと、できないよ……あくま、だから、こんなこと……」

「そうだ、おまえなんか、あくまだ、そうでなけりゃ……!」


 少女の意見に男性も声を荒らげて賛同する。化け物に対する眼差しと物言いだが、カイルはその罵りに衝撃を受けるよりも先に、笑いが込み上げた。


「――っふ、あははっ、ハハッ、悪魔! 悪魔か! いやぁ、僕が悪魔とかないよ。僕は大好きな兄のために行動してるんだよ? 悪魔だったら、親愛や愛情を動力にして働くわけないじゃん。いや、君たちがそういうことを言ってる訳じゃないことは分かるけどね?」


 堪えきれないと言わんばかりに吹き出したカイルは、ひとしきり笑ったあと少女の元にしゃがみこむ。娘を守ろうと怒声を上げた男性の腕をひねりあげて、カイルは怯える少女にそっと囁いた。


「僕は悪魔じゃないよ。僕はね――」


 そう言いかけたカイルは衣服の中からナイフを取り出し振り下ろした。彼女に突き刺さる直前に、風雨の音にかき消されてしまいそうな小さな声で囁いた。


――神様めいたとある方の手駒だよ。


 手にしたナイフがグサリと少女の身体を貫いた。彼女はびくりと身体を跳ねさせ息絶え、男性の方は愛娘の死に悲鳴を上げ嘆き悲しみ、彼女を抱きかかえる。

 そんな男性を冷たい瞳で見つめていると、彼は唸るように声を上げ立ち上がり、目の前にいる敵へと拳を奮う。言葉にならない怒りを露わに襲いかかる彼の目は血走っており、普通であれば震え上がってもおかしくないほどの様子だ。

 繰り出された鋭い拳を避け、身を翻し背後に回ると、男性の広い背中を勢いよく刺し刃を引き抜く。同時に声を漏らし顔を顰めた男性が、カイルを捕らえようと振り返ったが、足を滑らせ転倒してしまい、その拍子に頭や背中を打ち付ける。反射的に低い声が溢れ出た。


「ぐっ、あ、あ゛ぁ゛……!!」

「おやおや可哀想に。頭に血が上ってるようですね。冷静になればどうです? ……いや、娘さん死んでて冷静もなにもありませんか」


 苦しむ男性を不敵な笑みと共に見下ろしたカイルは、彼の背に跨るように座り込み、何度も背中を刺す。傷口からじわじわと血が溢れ出て背広を赤く染めていく。

 男性は抵抗しようと体を激しく動かすが、もはや無意味だった。背中や腕を刺す度に男性の声が小さくなっていくのがわかるが、カイルは一向に手をとめない。反応が静かになれば、手や指などを痛めつけてより多くの苦しみを与える。ぐちゃぐちゃ、グサグサという嫌な音や男の苦しむ声を耳にしながら、憎悪をひたすらにぶつけるように、カイルは刃を振るった。

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