クソゲーのすゝめ

秀田ごんぞう

クソゲーのすゝめ

「えー……オホン。本日はお日柄もよく――」


 僕が景気よく挨拶をしようとすると、教室中から怒号の声が飛んでくる。


「うるせー日向! いいから、さっさと始めろ~!」


「誰もお前の前口上なんて聞きたくないんだよ!」


 ……呆れた奴らだ。まともに挨拶くらいさせてくれたっていいのに……。


「んじゃま、とりあえず……体育祭お疲れ様でした~! イェ~イ!」


 どっと歓声が湧いて宴会が始まる。教室内はお祝いムードで一杯だった。

 今日は体育祭の慰労会ということで、僕が所属する二年三組は教室でレクをやることになったのだ。もののはずみで挨拶役をやらされることになったけど、正直、こういうのは性に合ってないと思う。

 僕は賑わいまくっている皆の輪から少し離れて、一人ぼんやりジュースを煽っていた。


「よう、鷹志。しみったれた面してんなぁ」


 ぶっきらぼうに話しかけたのは、同じクラスの友人、雨宮健だ。ざんばら頭に、ゆるみきったネクタイが彼の性格を体現している。


「なんだい健か。なんか用かい?」


「サークライがお前のこと呼んでたぜ。物理室に来いってさ」


 サークライとは、物理の櫻井先生の渾名である。誰が言い始めたのか分からないが、いつの間にか学校中でその名は広まっていた。なにしろちょっと変わった先生なのだ。

 しかし……呼び出しとはまた面倒な……。


「えー、面倒くさいからお前、僕の代わりに入ってくれよ」


「バカ言え! 俺も呼ばれてんだよ! いいからさっさと行くぞ、このスカポンタン!」


「スカポンタンって何語だよ! って、おい健! ちょっと待ってよ~!」



 物理室のドアを開けると、独特の金属の匂いが漂ってくる。部屋の中は大量に積まれた本で一杯だ。掃除が適当なせいで、床はすっかり埃まみれ。足の踏み場もないとは、まさにこのことである。桜井先生はこの部屋で寝泊まりしているという噂もあるが、部屋の散らかりようを見ていると、噂は本当なんじゃないかという気もしてくる。

 散らかった部屋の隅っこで、桜井先生はパソコンをいじくっていた。どうやら僕達が入ってきたのにも気づいていないらしい。不気味な程の集中力だ。


「先生、日向を連れてきたんですけど」

 健の声ではっとして、先生はようやく僕らの存在に気づく。


 部屋の汚れ具合に反して、爽やかな顔立ち。身につけた白衣はいかにも理知的な印象を与える。


「うぉう! いたんなら、なんか言えよ! このスカポンタン!」


「だから、どうして皆、僕のことをスカポンタンって――」


「バカは放っておいて、と。先生、何か用事でも? 早くクラスの打ち上げに戻りたいんですけど」


「そうだな。まずは二人ともそこに座ってくれ」


 そう言ってから、桜井先生は窓のカーテンを閉めた。陽光が遮断され、室内が薄暗く、物々しい雰囲気になる。何か重大な話でもあるのだろうか……。僕と健は緊張した面持ちで言われるままに椅子に座った。

 それから先生は廊下に出て、辺りに人がいないことを確認してから戻ってきて、扉に鍵をかけた。


「せ、先生! 鍵なんてかけてどうするんですか!?」


 その問いに、先生は人差し指を立てて返す。

 部屋を閉め切って、人払いもして……いったい、何を話そうっていうんだ?

 僕も健も、これといった悪事をしでかした覚えはないし……。

 やがて、椅子に座った桜井先生は僕達の方を向いて、オホンと咳ばらいを一つしてからつぶやいた。


「話というのは他でもない。ちょっとした頼み事があってね……」


「頼み……?」


 呑気に聞き返したのも束の間、先生が付近にあったリモコンを手にとって言う。その表情はやけに楽しそうに笑っていた。


「さて……始めるとしようか――」


 先生がリモコンのボタンを押す。瞬間、目の前がまぶしい光に包まれて――。




   ☆




 ――気が付くと僕は広大な草原の只中に倒れていた。同様に、僕の隣で倒れている健も、あまりに突然の出来事に呆けたように口を開けていた。


「ここは……」


「分かんねえ。そもそもここは日本なのか?」


「何言ってるのさ、健? だって、僕達はついさっきまで物理室にいたんだよ?」


「じゃあ、こんな場所が日本のどこにあるってんだ」


 見渡すかぎりの大平原。背の高い木がまばらに生えているだけで、見通しはいい。頭上を数羽の小鳥が群れをなして飛んで行く。どこか牧歌的とさえ思える光景が僕の目の前には広がっていた。


 ……と、呑気に観察してる場合じゃない。健の言うとおり、ここは到底現代日本とは考えられない場所だ。そう、まるでゲームやアニメの中の世界みたいだ。


「お、おい鷹志! 見ろよ、何だアレ!?」


 のどかな平原に場違いな物体が置いてある。黒くて四角い、見上げるほどに大きい箱上の物体。それは昔よく見かけた、ブラウン管テレビに酷似していた。

 近づいて見るとますますテレビにそっくりな筐体だ。


 そんな時、突然画面がぱっと明るくなる。画面に映し出されたのは、僕らが見知った顔だった。


「やぁ、無事に到着したようだね」


「さ、桜井先生!? なんで!?」


「ふっふっふ……驚くのも無理はない。なにしろ君たちがいるのは――」


「ゲームの中の世界、だろ」


 さらっと言ってのける健に、驚きの表情を見せる桜井先生。


「そ、そ、そそ、そんなわけなななないじゃないか!」


「……思いっきり図星じゃねえか」


「すごいや健。なんでわかったのさ?」


「ばぁか。考えてもみろ、こんな場所、日本じゃありえないって話はさっきしたよな」


「うん」


「つまり……ここは現実世界じゃない。俺はそう考えた。そんな時に、モニターに突然現れたサークライの顔。先生が俺らになんかしたって考えるのが自然だろ? 何がどうなっているのかはさっぱり分かんねえがな」


 すると、つまんなげに健の話を聞いていた桜井先生ことサークライがつぶやく。


「まあ勘が鋭いのは認めよう。しかし! しかしだ! それでも君たちがその世界から出られないという事実は変わらないのだよ!」


 声高らかにそう言った桜井先生は実に楽しそうな笑みを浮かべて、饒舌に話し始めた。


「雨宮が言ったように、君たちがいるのは日本ではない。私が作ったゲーム、『スーパーマルオブラザーズ』の世界だ」


「なんだマリオか」


「マリオじゃない! 髭の配管工など、まったく関係ないっ! このゲームは新ジャンル3D横スクロールアクション。眼前の道をふさぐ敵キャラを、ジャンプして踏みつけたり、特殊能力を使って倒しながら、ステージの最後を目指すゲームだ」


「やっぱりマリオじゃん」


「俺も右に同じ」


「くうううっ! いいだろう、この際、パクリ云々は忘れておこう。だが忘れるな。このゲームは私自身のオリジナル――」


「いいから、いいから。そんで、なんで先生は僕らを呼んだのさ?」


「このゲームはまだ試作段階でね、誰かにテストプレイをやってもらおうと思ったんだ」


「体験プレイなんて自分でやれ! このバカ教師!」


「実は自分ではもうプレイしてみたんだ。だから安全は保障するよ。でも、やっぱり高校生の意見も聞きたくてね」


 僕は健と顔を見合わせる。お互い考えてることは同じらしい。僕はモニターの中の桜井先生に向かっていかにも楽しげに言う。


「わかった。すげー面白い! このゲームびっくりするほど面白いよ! なあ、健?」


「俺もそう思った。こんな面白いゲームやったことねえよ!」


「ね? 雨宮君もこう言ってるし、先生、早くここから出してくださいよ~!」


「ん~……ま、面白いって言ってくれるのはなにより。感想はゲームをクリアしてから聞こうじゃないか。それじゃ、頑張ってくれたまえ」


 その言葉を最後に、モニターの画面が真っ暗になった。

 健が筐体を蹴りつけながらつぶやく。


「くそっ、サークライの野郎! わけ分かんないことしやがって!」


 その瞬間、再びモニターに先生の顔が映し出された。


「おっと、一つ言い忘れたことがあったよ。ただのテストプレイじゃつまらないからね。ちょっとだけ面白い仕掛けを施しておいた」


「仕掛け……?」


 健の問いかけに、先生は悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。


「君達が戻ってこないと、クラスの奴らが気にするでしょ? 

 心配しないように、『二人はソウイウ関係』だからそっとしておけ、って言っておいたよ」


「てめええええええ、ふざけんなぁぁぁっ!」


「何で俺がホモ扱いされるんだよ、しかもこんなのと!」


「うっさいぞ健! 心外なのは僕も同じだ! なんでこの僕が!? 僕は、僕は女性がだいすきなんだぁぁぁぁっ!」


 すると、白衣の糞野郎は嫌味ったらしい笑みを浮かべてつぶやく。


「誤解を解きたければ、早くゲームをクリアすることだね。ま、頑張ってくれたまえ」


 そしてまたモニターの画面が真っ暗になる。


 なんだこのありえない仕打ちは。早く教室へ戻って皆の誤解を解かなければ大変なことになってしまう。それこそ僕の華の高校生活が終わってしまう! それだけは絶対に阻止しなくてはならない。間違っても、こんな男とホモカップリングされるわけにはいかない!


「……あ? お前、そんな目で俺を見るんじゃねえ!」


 殴られた。理不尽だ。僕にも奴を殴る権利くらいあるはずだ。僕は両の目で健を捉え、立ち上がりざま拳を振り上げた。しかし、拳撃は空を裂くばかり。健は余裕の表情でひょうひょうと僕のパンチを交わして言い放つ。


「やめろ鷹志。今は皆の誤解を解く方が先決だろ」


「うっせえ! 僕は殴られ損かよ!?」


 再びパンチの姿勢に入る僕を見て、健のやつも臨戦態勢に入る。僕らの周りの空気がピリピリと張り詰めていく。互いの視線が交わり、両者同時に地面を蹴る。


 その時空が閃き、大地に雷が嘶いた!


 空を立て一文字に引き裂く光の軌跡。衝撃で辺りに煙が立ち込める。


 煙が晴れて、そこには一人の女の子が立っていた。彼女は腰を抜かしている僕と健を交互に見つめてつぶやいた。


「そっちにいるバカっぽいのが日向鷹志さん。反対側にいる虎刈りのあなたが雨宮健さん、ですね?」


 な、会っていきなり人をバカ呼ばわりなんて、ちょっとひどくないか!?

 しかし、健は文句を言おうとする僕を制し、努めて冷静に尋ねた。


「俺達の名前を知ってる……アンタは何者だ?」


「ふむ……雨宮さんはそちらの方と違って多少物分かりがいいみたいですね」


「こ、この……人が黙ってれば――」


「うっせえ、黙ってろ鷹志」


「ちっ! なんだい健まで……もーいいよ。どうせ僕はのけ者ですよーだ」


「だあもう面倒くせえなお前はよお! わかったよ。わかったから黙って聞いてろ」


「ふん……」


 女の子は切れ長の瞳で僕をじっと見つめていた。その視線に思わず胸がどきりとする。何を隠そうこの日向鷹志、彼女いない歴=年齢である。女子にこんなにまじまじと見つめられた経験などありはしないのだ。


「な、なんだよ……?」


 ぶっきらぼうに尋ねると、女の子は視線を逸らしてつぶやく。


「別に。ただ……これでは先が思いやられるなと思っただけです」


 先が思いやられる……何のことだろうか? 僕は彼女の言葉の意味が理解できなかった。そんな僕を他所に、健と女の子の話し合いは続く。


「話を戻しましょう。私の名はテルコ。お二人にゲームをクリアしてもらうために使わされたNPC。言ってしまえば、道案内人のような存在ですね」


 道案内人だという女の子、テルコはあらためて僕達にお辞儀した。

 肩のあたりで短く纏めた髪がさらりと落ちる。言われてみると、テルコの姿は案内人らしい服装だった。メイドを連想させる衣服に、胸のあたりにリボンをつけている。手には何やら大事そうに書類を抱えている。


「そうか。それじゃ早速一つ聞きたいんだが、ゲームをクリアするって、俺達は具体的に何をすればいいんだ?」


「先程ゲームマスターが申されたとおり、お二人はプレイヤーのマルオとなって、ここからずっと先にあるゴールに辿り着けばいいんです」


「だから、そのゴールってのがよく分かんねえんだよ。それに、バカ教師の言ってた新ジャンル3D横スクロールアクションっていうのも意味不明だ」


「……なるほど。しかし、説明しても分からないと思うので、ついてきてください。その方が早いと思います」


 そう言って、テルコはすたすた歩き始めてしまった。


「おい、鷹志どうする? あいつ勝手に行っちまったぞ」


「どうするって言っても……」


 すると、テルコが振り向いてつぶやく。

「……置いていきますよ?」




   ☆




 僕と健はテルコの案内に従って平原の中を歩いていた。彼女はツンとした顔で先頭に立ってずんずん歩いて行く。これじゃまるで、彼女のほうが僕らよりプレイヤーっぽかったが、そのことは言わないでおいた。


 やがて、行く手にはでっかい門が見えてきた。それは竜の口を象った門で、口の中に入っていくような格好になっている。だが、門の先には町や村があるわけでもなく、今までと特に変わらない平野が広がっている。

 テルコは門の前で立ち止まって、門の口を指さした。


「ここがステージのスタート地点です。ここをくぐるとゲーム開始です」


「今までの道はなんだったの?」


「まあ、プロローグのようなものと思ってください。それじゃ、門をくぐりますよ。ついてきてください」


 テルコの後について、僕と健は竜の口をくぐっていく。口に頭を突っ込んだ瞬間、ポンと何かが弾けるような音がして思わず目をつぶる。


「……到着しました。ここはステージ1-1 テルミン平原です。このステージのゴールに到達すればテストプレイは終了です」


 門をくぐった先は、変わらぬ平原が広がっている。テルコが言うようなゴールらしいものは見当たらず、相変わらず何をすればいいのやら。この説明不足具合は、クソゲーの宿命なのかもしれないな。ま、サークライが趣味で作ったゲームだし、文句を言っても仕方がないか。

 すぐ横に立っていた健も同じようなことを感じていたらしく、テルコに問いかける。


「テルコ。ここから俺たちはどこへ向かえばいい。目的地点であるゴールの位置も不明だし、いくらなんでも、このだだっ広い平原を歩くのはそれこそ時間の無駄ってもんだ」


 すると、テルコはにやりとほくそ笑む。


「……どうやらお二人はこのゲームの根本的なところを理解していないようですね。日向さん、右の方に全力疾走してもらえますか?」


 僕はテルコの依頼に疑念を抱きながらも、ダッシュの体制に入る。

 だっ、と地面を蹴り5メートル程進んだ辺りだ。


「……ったく、何で僕がこんな役を――ぐへォッ!?」


 瞬間、僕は見えない何かに衝突して、その場に崩れ落ちた。思い切り鼻をぶつけたので、鼻柱がじんじんと痛む。


 突然倒れた僕を見て健が駆け寄ってくる。

「お、おい大丈夫かよ!?」


「へ、平気さ……僕をナメンなって……ごふっ……」


「鷹志、タカシィー!!」


 健の慟哭には微塵も触れず、やや呆れたようにテルコがゆっくり歩いてきた。


「これでわかったでしょう。ステージに入ると、左右に見えない壁ができるのです。つまり、ステージの見かけはただの広大な平原ですが、その実、ゴールまでの一本道になっているのです」


「か、壁があるなら先に言えよな!」


「……言っても納得しないだろうし、痛い目見た方が覚えるのは早いですから」


「こ、このアマァ!」


 怒りに身を任せ、僕は疾風となってテルコに突進する。しかし、彼女は余裕の表情で迫り来る僕に人差し指を向ける。すると次の瞬間、彼女の指から嘶く雷光が打ち出され、僕の体を貫通する! 雷光に全身を焼かれた僕は、黒焦げの塵となってその場にくずおれた。

 そして気が付くと僕はステージの入り口に立っていた。


「こ、これは……? 僕はさっき暴力女に全身を焼かれて死んだハズじゃ……けど、どこも痛くないぞ?」


「お、おいテルコ! お前、鷹志に何したんだ?」


 呆気に取られる僕らを見つめ、テルコは冷静な口ぶりで淡々と話しだす。

「仰るとおり、日向さんは先ほど、私の【罪のペネトレイトサンダー】により死にました。故に、ペナルティとしてステージの始まり――門の前まで戻されて復活したのです」


「ペナルティ?」


「そうです。プレイヤーには残り人数――死ねる回数――の概念が設定されており、残り人数が0になった時点でゲームオーバーとなります。とはいえ、テストプレイですのでお二人の残り人数は無限に設定されているため、ゲームオーバーになることはありませんが」


「よーするに、僕らは死んでも生き返るってこと?」


「そうですね。痛みも感じませんし、無敵ゾンビのようなものだと思ってください」


「……例えが悪いぞ。例えが」


「ま、ゲームの仕様はこんな感じです。さ、ゴール目指して行きましょうか」




   ☆




 僕たちは見えない壁に気をつけながら平原を歩いて行く。ゴールはまだまだ遠いらしく、目印らしいものも見えてこない。

 テルコの話によればこの先、進行を妨害する敵――いわゆる雑魚キャラが出現するらしいのだが、そんな気配もない。健は口笛を吹きながら、辺りを見物しながら歩いていた。テルコは余裕が有るのか、かっこつけなのか、目をつぶって歩いている。彼女はNPCだから視覚に頼らずとも、マップデータが頭の中に入っているらしいのだ。

 けっ、便利なもんだよなNPCって。


 そんな時、ふと健が僕の方を突っついた。


「おい鷹志。あそこに落ちてる財布、お前のじゃないか?」


 言われて振り返ると、そこには確かに僕の財布が落ちていた。


 危ない、危ない。きっとズボンのポケットから落ちてしまったのだろう。あの財布には、なけなしのお金も入ってるが、何より、すげー貴重なものが入っているのだ。失くしでもしたらコトである。


「サンキュー、健。危うく失くしちゃうところだったよ」


「おう、先行ってっからな」


 慌てて財布を取りに戻る。しかし、謎の障壁に阻まれ、財布に近づく事ができない。僕の額を冷や汗が伝う。


 まずい! あれを取り戻さないことには僕がこれまで気づきあげてきたものが……。なんとしてもあの財布は取り戻さなきゃいけないんだ!


 僕は謎の障壁を突破するべく渾身の体当たりを仕掛ける。しかし、手応えは全くない。その後あれこれと手を尽くしてはみたが、結果は同じ。無念、財布に手が届くことはなかった。


「おーい鷹志ぃ! 置いてくぞ~!」


「ち、ちょっと待ってくれよぉ!」


 涙声で訴えかける僕を見て、健とテルコは何事かと急いで戻ってくる。


「落とした財布を取りに戻ろうと思ったんだけど、何故か戻れないんだ! なんとかしてくれよぉ!」


「戻れないって、んなバカな……」


 健が財布のもとへ歩こうとするも、やはり謎の障壁に阻まれて進むことが出来ない。


「うぉっ、なんだコレ!? 戻れねぇ!?」


 その様子を見て、テルコが得心した顔でつぶやく。


「そうでした! もう一つ、このゲームの基本仕様を伝え忘れていました! このゲームはスクロール式なので、後ろに戻ることが出来ないんです。イメージとしては見えない壁が迫ってくるというものを想像していただければ」


 彼女の言葉に若干の絶望を覚えながら、僕は口を動かす。


「つまり……僕の財布は?」


 テルコは縋りつくような僕の一縷の思いに、無愛想に引導を渡す。


「諦めてください」

 ばっさり言われてしまった。


「そ、そんな……! ね、ねぇ健! 健もなんとかこいつを説得してくれよぉ!」


 しかし、健は頭をポリポリ掻きながら小さく答える。

「ってもなぁ……仕様って言われちゃしょうがねえよ。諦めろ」


 け、健までそんなことを! う、嘘だ! 健もテルコも僕をからかって楽しんでいる。そうだ……きっと、そうに違いないんだ!


 しかし、テルコが冷たい瞳で僕を見つめ、


「諦めてください」


 ……二度も言うか。そんなに僕を虐めて楽しいのか、この娘は。


「ま、いつまでもウジウジ言ってないで、早く先進もうぜ。一刻も早くこのゲームクリアして、皆の誤解を解かなくちゃ、だろ」


 その言葉に僕はよろよろと立ち上がり、すぐ後に落ちていた財布を見つめる。


「僕のサイフぅぅぅぅぅ!」


 僕の慟哭を聞き、健とテルコは顔を見合わせ苦笑していた。

 くそ……あいつら、僕の悲しみも知らないで……!



   ☆



 道中、ふと健がつぶやいた。

「ちなみによ、いくら入ってたんだ?」


 健の問に、僕はいよいよ涙で瞳をうるませ答える。

「八百円……」


「なんだ、大した額じゃねえじゃんか。なにをそこまで――」


「金額の問題じゃないんだ! あの財布には、僕の夢が詰まっていたんだよっ!」


「は、はぁ!?」


 苦笑しながら、そっとつぶやく。

「ゴールドカードさ……」


「なんだそれ?」


「メイドカフェのゴールド会員カードだよっ! ゴールドになるまで何度通ったか……、もうすぐでスタンプが一杯になって、心美ちゃん(馴染みのメイドさん)とお散歩できるはずだったのにぃぃっ!」


 僕の魂の叫びに、横でじっと見ていたテルコが一言。


「キモ」


「うわぁぁ~! NPCにまでキモいって言われた!?」


「テルコ、こんなキモ男放っておいて、俺らは先行こうぜ」


「そうですね。私も雨宮さんの意見に賛成です」


 そう言うと、二人は泣きじゃくる僕を放って、ずんずん歩いて行ってしまった。


「くっそ~……あいつ本当に僕の友達なのか? 僕の扱いが雑すぎるよ」


 と、前を歩く二人が足を止めた。


「うわ、なんか出た! 鷹志、見ろよ!」


 僕は心美ちゃんの笑顔をそっと頭の片隅に置いて、涙を拭いて立ち上がる。

 遅れて二人に追いついた僕は、そいつの存在に気づく。


「な、なんだコイツ!?」


 僕の足元には奇妙な生物がいた。膝丈くらいの大きさで、胴体と同じくらいの大きな頭を持ち、ずんぐりとした丸い両足で歩いている。ぎょろりと飛び出した目がグロテスクだ。口には二本の小さなキバが生えており、それがまた顔面のブサイクさを際立たせていた。しかし、そんなことよりも驚きなのはその横幅だ。でーんと横に長いおかげで、完全に進路を塞いでしまっていた。


 テルコがブサイク生物を指さして言う。


「……彼はクリルンルン。プレイヤーの進行を妨害する敵キャラです。目には見えませんが、体中を不快な電波で覆っているので触ると死んでしまいます。気をつけてください」


「こんなのが敵キャラ!? ブサイクにも程がある!」


 クリルンルンはのっしのっし、とゆったりした動作で近づいてくる。しかし、例の見えない壁のせいで後に戻ることは出来ない。見た目にも情けない状況だが、僕らは絶体絶命のピンチだった。


「て、テルコ! どうやってこいつ倒すんだ!?」


 慌てふためく僕と健に対し、テルコは平然としたまま答える。


「そんなに慌てなくても大丈夫です。クリルンルンは雑魚キャラです。彼は秒速1センチの速度でしか移動できません」


 そう言われても……じりじりと近づいてくるでっかいブサイク面は、見ていて気持ちのいいものではない。


「倒すのは簡単です。雨宮さん。思い切りジャンプして、クリルンルンを踏みつけてください」


「踏むのか? こいつを……?」


 健の言葉にテルコは黙って頷く。


「わかったよ……しょうがねぇ!」


 ごくりと唾を飲み込んで、健は大きく跳び上がり、クリルンルンを頭から踏みつける。ボフンというまぬけな音がしたかと思うと、不思議なことに目の前にいたブサイク生物は消えてしまった。


「消え……た?」


 唖然とする健に、テルコは説明口調で話し出す。


「これが基本となる攻撃方法ジャンプです。ゲームに出てくる敵キャラのほとんどは、このジャンプ攻撃によって倒すことが出来ます。それでも倒せない敵は、どうにかして避けるか、特殊技能を使うしかありません」


「「特殊技能?」」


「はい。お二人にはゲーム開始時にランダムに決定される特殊技能が付与されています」


「それって、ゲームや漫画に出てくる、異能の力みたいなやつ?」


「そうです。能力によっては、手から火球を出したり、敵に念じてぱんつに変化させることもできたりします」


 おお……そんなかっこいい要素があったなんて……やるじゃないかサークライ。ぱんつはともかく。


「まずは日向さんから。日向さんの能力はずばり【反撃技カウンター】です。敵の攻撃を受け流すことができます」


「へぇ、鷹志の能力にしてはなかなか強そうじゃん」


「ええ。ですが、相手の技を受けないと能力を発動することができません」


「まあ、カウンターだしね」


 すると、テルコはジト目で僕を見て、

「……ですが、日向さんは敵の攻撃を耐えることができません。文字通り絶えてしまいます。せいぜい、かすり傷を跳ね返すことができる程度でしょうね。敵を苛つかせるのには役立つかもしれませんが……」


「つ、使えねぇ!」


 横で健が腹を抱えて爆笑していた。くっ……かすり傷をカウンターしたところで、なんにもならないじゃないか。つまり僕の能力はてんで役に立たないということか。サークライの野郎、覚えてろよ!


 僕に続いて、健の能力説明が始まる。


「雨宮さんの能力は【転移法トランス】です」


「【転移法トランス】……?」


「簡単に言うと、瞬間移動の能力です。自分と他者の空間を入れ替えることができます」


「すげー! なんだい、健ばっかりずるいじゃないか!」


「…………」


 ふと、沈黙するテルコ。彼女は、どういうわけか僕をじっと見つめたまま黙っている。そんなに僕がかっこいいのだろうか?


「おい、テルコ? なんで黙ってるんだ?」


「……言い忘れましたが、入れ替わるのはプレイヤー間のみです」


「……あれ? それって、損するの僕だけじゃね?」


 つまり、健に敵キャラが迫ってきてピンチになった時、奴が瞬間移動すると、代わりに僕が敵の目の前に現れ……そのまま攻撃されるという具合だ。確かに健にとっては素晴らしい能力かも知れない。僕が甚大なとばっちりを受けること前提だけれど。


 心中で一人悲しむ僕をよそに、健は自分の足元をじっと見つめて沈黙していた。


「健、どうかしたの?」


「なんか犬の糞踏んだような感じ……気持ちわりぃ。」


 なるほど……今度クリルンルンが現れたら、また健に踏んでもらおう。




   ☆




 それから僕らは順調にゴールに向かって進んでいた。


 時折現れるクリルンルンは健が踏みつけて倒し、その度に憂鬱な表情になっていた。テルコによれば、本来のステージであれば、ジャンプでは倒せないトゲトゲガニやビリーボンという敵キャラが出現するそうだが、今回はテストプレイのため、出現する雑魚キャラはクリルンルンだけらしい。彼女によればもうすぐ中間地点に到着するらしいし、このまま行けば楽にゴールできそうだ。早くクリアして皆の誤解を解かなくては。健とホモカップル扱いされるなんて……そんな、一部の女子しか喜ばない展開は絶対阻止しなくては!


 ふと、健が足を止めた。前方からクリルンルンがのんびり歩いてきているのだが、その周囲にメラメラと燃え盛る火柱があった。しかも、火柱は地面から出たり、引っ込んだりを繰り返していて、おっかないことこの上ない。


「お、おい見ろよ鷹志。なんか火柱が上がってる!」


「あれはフレイムタワーですね。ステージギミックの一種です。タイミングを見て、走って通過してください。触れると、またステージの最初に戻ってしまうので気をつけてください!」


「なるほど、わかった。火が引っ込むするタイミングを見て、駆け抜ければいいんだな。よっしゃ行くぞ、鷹志! ……鷹志?」


 テルコの言葉が僕の脳内を反芻する。


『触れると、またステージの最初に戻ってしまうので気をつけてください!』か。


 ふっふっふ……運命の女神はどうやら僕を見放してなかったらしい。ここであの火の中にダイブすれば、ステージの最初の地点に戻ってしまう。つまり……あの、落としてしまった財布を取りに戻れるということ!


 僕は健を一目見て、戦地に赴く兵隊のごとくコクリと頷く。


「鷹志、お前――」


「ちょっと死んでくる」


 それだけ言うと、僕は後を振り返らずに噴出するフレイムタワーの中に突っ込んだ!


「バカ野郎! 何してん――ぐふぁっ!」


 死ぬ直前、朦朧とする視界の中で、健がにじり寄るクリルンルンの攻撃をくらう光景が見えた。消え行く意識の中、僕は思った。


 ……ざまぁ。


 気が付くと僕はステージのはじまり、竜の口をした門の前に立っていた。すぐさま財布を落とした地点目指して全力ダッシュ。

 間違って通り過ぎてしまわないように慎重に近づきながら、ついに僕は失われし財布を手にする。


「やったー!! 僕のサイフだぁ~!!」急いで中身を確認。一番上のカードポケットの二枚目にしっかりとメイドカフェゴールド会員カードは収まっていた。今度は念入りに財布をポケットにねじ込んで、ほっと一息安堵する。


 その後、遅れて健とテルコがやって来た。


「はぁはぁ……やっと追いついた……」


「健! 見てよ、ほら財布!」


「うるせえ! あいにく俺はメイドさんに興味はねぇ。それより、お前のせいでまたやり直しじゃねえかよ。失敗もいいところだカス野郎」


「そ、そこまで言うこと無いだろ! 遅れた分は走って取り戻せばいい。道は分かってるんだし」


 そんな時、僕はテルコが持っていた書類に目を通しているのを見つける。


「はぁ……またここからですか。先が思いやられますね」


 つぶやきながら、彼女は手元の書類をめくっていく。その様子から察するに、書類にはゲームの攻略法や、近道・裏道ルートなどが載っているのかもしれない。


「ねぇテルコ。君が読んでるそれ何だい?」


 僕が覗こうとした瞬間、テルコが振り向きざまに強烈な裏拳を放つ。彼女の拳は僕の顔面にまともにめりこみ、僕はノックアウトされたボクサーのように地面にドサリと倒れた。


「ちょっと!? 何見てるんですか!?」


「僕は多分地獄を見ている……」


「やり過ぎだろ……」



   ☆



 気を取り直して歩き出した僕達は、フレイムタワーのトラップもどうにか乗り越え進んでいく。忘れた頃に現れるブサイク面は、健が慣れた動作で踏み潰していく。どうやら気持ち悪い踏感にもすっかり慣れたらしい。慣れとは恐ろしいものだと、僕はひっそり思う。


 中間地点を突破して、代わり映えのしない景色に飽き始めた時、ふと、前方に大きな旗印が見えた。風で揺らめく旗には何を思ったか、クリルンルンのどアップ面が刻印されていた。


「あ、もしかしてあれがゴール?」


「そうです。ようやく見えてきましたね」


「ようし! 目的地は捉えた! 走るぞ鷹志!」


「おうよ!」


 やっと……やっとこのクソゲーから解放される。そう思うと足に自然と力が湧いてくる。

 僕と健は平原を駆けていく。クリルンルンなど、まるで存在しないかのように踏み潰し、道を塞ぐブロック塀も難なく乗り越えていく。

 皆の誤解を解く! その思いが僕と健を一つにし、活力の源となっていた。

このままゴールまで一直線。何者も僕らの勢いを止めることはできやしまい。そう思っていたのだが……。


「ぎゃああああああああ!」


 僕は目の前に現れた悍ましいものを前に、思わず足を止めた。叫びこそしなかったものの、健も僕と同様に凄まじい衝撃を感じたらしく、真っ青な顔で口を抑えている。

 先ほどまでの活力、ゴールを見つけた高揚感は、それを見た瞬間にどこかへと消え去ってしまった。


 やがて、テルコが少し遅れてやって来て、地面に顔を項垂れている僕達に尋ねた。


「日向さん? それに、雨宮さんも……いったい何があったのですか?」


 僕は震える指で、前方に構えるそれを指さし言った。


「……お前はアレを見てなんとも思わないのか? 僕はアレを見た瞬間、吐きそうになったよ。なんだって僕の首が地面に転がっているんだ!?」


 そう……不意に僕らの前方に現れたのは、紛れも無い、僕の生首だった。


 改めて見てゾッとする。目の前に自分の生首が無造作に転がっているのだ。しかも……微妙に笑っている。まさにホラーである。


「なんだ、そんなことですか」


 そう言うと、テルコは眉一つ動かさず僕の生首を手にとった。そして事もあろうか、手にした生首を僕に向けて放った。


 放物線を描きながら落下した僕の首は、地面に着地してコロコロ転がってくる。その不気味な情景に僕は全力で後退りする。しかし、例の基本仕様のせいで後ろには見えない障壁が発生しており、後ろに退がることができない。


 迫り来る自分の生首。口元が少しにへらっと笑っている。これこそ……モンスター。クリルンルンなど比べるべくもない恐怖の怪物が、今、僕の目の前に迫っていた。


 そしてとうとう、生首が僕の体に直撃する!


 その瞬間、ピロリ~ンと一際甲高い音が鳴ったかと思うと、直後、不気味な生首は消滅してしまった。


「あれ……消え……?」


 呆気に取られる僕の元へ、テルコが済ました顔で歩み寄る。

 健も何が起こったのかわからず、テルコに問う。


「な……今、何が起こったんだ!?」


 ふぅ、と息をついてから、テルコが滔々と話し始めた。


「全く……二人共真っ青な顔してるから何があったのかと思えば……あれはただの1アップアイテムですよ」


「「1アップアイテム!?」」


「そうです。今回はテストプレイですから残機は無限ですが、実際にはこのアイテムを取ることで残機が増える仕組みになっているのです。言ってみればお助けアイテムですね」


「…………」


「おや、日向さんどうかされましたか?」


「趣味が悪いんだよ、趣味が! なんだ生首って!? なんで残機増やすのに自分の生首に触れなきゃいけないだよ!?」


 ったく……僕の身にもなってみろってんだ。自分の生首が転がっているなんて気色悪い。しかも、微妙に笑ってたし。うう……思い出してだけでも寒気がしてきた。

 この先、また出てこないことを願おう。



   ☆



 不気味な生首で1アップを果たした僕達は再びゴールを目指して進む。

 途中、今度は健の生首が現れて、健が悲鳴を上げる事になったり、頭上から僕の生首が落ちてきてショックで失神しそうにもなったがどうにかゴールの目前までやって来た。


「このブロック塀を超えればゴールです」


「でもよぉ……なんだよアレ。ゴールの前になんかいるぞ?」


 健がゴールの前に立ちふさがる怪物を指差す。

 クリルンルンではない。顔は相変わらずブサイクだが、頭にはヘルメットをかぶり、手には広辞苑が握られている、クリルンルンのように馬鹿みたいに横長の体型ではないが、動きは比べるべくもなく俊敏だ。

 テルコがブサイクヘルメット野郎について説明を始める。


「……あれは、ブリュブリョス。このステージのボスと言いましょうか、クリルンルンとは一線を画する強敵です。ジャンプして踏みつければ倒せるのですが、プレイヤーが近づくと、手に持った広辞苑を投げつけて攻撃してきます。彼の攻撃を避けながら、ジャンプして踏みつけるというのはなかなか難しいでしょうね……」


 ブリュブリョス……なんて言いにくい名前だ……。それに武器が広辞苑って……

 広辞苑って……。


 …………。


 製作者のセンスには失笑せざるを得ない。とはいえ、テルコの説明を聞く限り強敵であろうことは間違いない。


「おい、健。どうする、ボスだってさ」


「ああ。だが奴を突破すればやっとゴールだ。ここで死ぬわけにはいかねえ」


「でも……奴の動きはだいぶ素早い。あれを掻い潜るのは厳しいよ」


「問題はそこだな。だが、踏めば倒せるんだ。何とか隙をつくれればいいんだが……」


 健が思案顔でぶつぶつとつぶやく。その様子を横で見ていて、僕は今日の体育祭で行われた騎馬戦のことを思い出す。


 僕と健は同じ組で、僕が馬、健が乗手だった。仲間が次々と頭の鉢巻を取られる中、健は隅っこで目立たないよう待機することを命じた。どんどん味方の騎馬が減っていって、こんな状況で勝てるのか心配だったが、健は余裕の表情で戦場を見つめていた。

 そして、とうとう残る味方は僕らだけ。敵軍がジリジリと迫る中、僕は敗北を確信した。多勢に無勢。こんなに大勢の騎馬を相手に勝てるわけがない。


 しかし、健は双眸をぎらつかせ、楽しそうに笑っていた。


 やがて敵軍が僕らに押し寄せてくる。しかし、健は落ち着いた動作で次々に敵の鉢巻を取っていった。その様子は圧巻だった。まるで敵がどう動くか知っているかのように攻撃をかわしながら、無駄のない動きで鉢巻をかっさらう。結果、ほとんど全ての敵軍を健一人で倒してしまったのだ。


 終盤まで隅の方にいたのは健の作戦だったのだ。それまでは観察に徹し、敵の動きや癖を見つける。味方が全滅したその時がチャンス。敵は当然、残った僕らを潰しに来るのがわかっている。来るとわかっていれば、対処は容易い……らしい。僕には分からないけど。


 けど、事実健はそれをやってみせた。だから、今回もきっと健が素晴らしい作戦で何とかしてくれる。僕は彼の友達として、そう、信じていた。

 だから僕に出来る事は、健に観察させること。

 すっくと立ち上がり、ブロック塀を登りはじめる。


「おいバカ! んなことしたら奴に見つかるだろ!?」


「それで結構。健は奴の動きを観察してくれ。僕はどうにかその間の時間を稼ぐ」


「ちょっ……待てって!」


 止めようとする健の手を振り払い、僕はブリュブリョスの眼前に踊出る。


「ブサイク面め……これが最後だ、かかってこい!」


 ブリュブリョスはニヤリと笑って、僕に広辞苑を投げつけ始める。後ろには障壁が発生しているため、横に跳んでかわすしかない。反復横跳びの要領だ。

 しかし、だんだんと疲れが貯まっていく。なにしろ奴は恐ろしいほどのスピードで広辞苑を投げつけてくるのだ。いったいどこに隠し持っているのやら、無限にさえ思える量の辞典を投げつけてくる。


 僕のスタミナも限界に近づいていた。健、頼む! 早くしてくれ!


 願いが届いたのか、その時、健が立ち上がり叫ぶ。

「わかったぞ鷹志! 五回目だ! 奴は広辞苑を五回投げた後、一瞬動きが止まるんだ!」


「五回って……んなこと言ったって……」


 体力はすでに限界だ。僕はそもそも体育会系じゃないし、もとから体力がある方ではないのだ。避けられてあと四回が限度だろうと思われた。


 一回、二回……と、もはやガクガクになった足でやっとの思いで避ける。しかし、四回目に跳んだ時、足がもつれて転んでしまった。すでに限界を超えてしまっていたのだ。


「鷹志ッ!」


「くっ……これまでか……」


 南無三……。そう思った時、不意に頭の中が閃く。


『まずは日向さんから。日向さんの能力はずばり【反撃のカウンター】です。敵の攻撃を受け流すことができます』


 テルコは言っていた……かすり傷程度なら受け流せる、と。避けてスキを作れないなら、自分から作りに行けばいい。


 そうか……まだ勝ちの目は残っているかもしれない!


 ブリュブリョスが五回目の広辞苑を放った。その瞬間はひどくスローに映った。時間感覚がずれているような、奇妙な錯覚を覚える。

 僕は咄嗟に右に横転。しかし、奴のコントロールは恐ろしく正確で、どういうわけか辞典にはカーブがかかっていた。地面に着く瞬間、広辞苑はぐぃっと僕の方に曲がる。

 寸前、僕は健に目で合図を送る。再び横転しながら、辞典が一瞬僕の頬をかすめた。


 ここだっ!

「【反撃技カウンター】!」


 頬をかすめた衝撃が、光の線となってブリュブリョスに飛んで行く。光の軌跡はブリュブリョスに衝突し――それは本当に小さなダメージだっただろうが――奴を一瞬、怯ませることに成功した。


 しかし、僕には跳び上がる体力はすでに残されていなかった。

 だが僕の友人は期待を裏切らない。


「【転移法トランス】」


 健の能力、瞬間移動。一瞬にして僕と健の位置が入れ替わる。

 そして、僕は見た。健がヘルメットブサイク野郎を踏みつぶしたのを――。



   ☆



「やった~ゴールっ!」


「いやぁ、最後はちっと危なかったな」


「ともあれこれでゲームクリアですね。日向さん、雨宮さん。お疲れ様でした」


 そっか……これでもうテルコとお別れなんだ。ここまで一緒にやって来たのに、彼女とは別れなければならない。テルコは単なるNPCのはずなのに、別れが不思議と寂しかった。


「なぁ、テルコ」


「なんでしょうか?」


「ありがとな。ここまで僕達に付き合ってくれて」


「…………」


「君と冒険できて、ステージをクリア出来て嬉しかったよ。もしもまた――」


「はいはいはい……。そんな湿っぽいのは要らないですから。うう、蕁麻疹が出てきました。日向さんのせいですよ。それでは私はこれにて」


 矢継ぎ早にそれだけ言うと、彼女は現れた時と同じように、光の線となって何処かへと消えた。


「テルコは最後までテルコだったな」


「ちっ、可愛くないやつ……」


 テルコが消えたすぐ後、突然に僕と健の体が淡い光を帯び始める。


「な、なんだ!?」


 光はやがて僕らの全身を包み、視界が真っ白になった。



   ☆



「やあ、お帰り」

 僕を目覚めさせたのは、バカ教師のそんな一言だった。


「せ、先生……? じゃあ、ここは……」


「そ。もとの物理室。ゲームクリアおめでとう二人共。……して、早速だが感想を頂きたいのだけれど」


 僕は健と顔を見合わせコクリと頷く。そしてふにゃっと笑っている桜井先生に向けて言った。


「「こんなクソゲー、二度とやるかバカ教師!!」」


 言い捨てて、物理室を飛び出した。あらぬホモ疑惑を解くため、僕は初めて廊下を全力で駆け抜けた。





 物理室に一人取り残された櫻井先生は、パソコンの画面を見つめてつぶやく。

「日向に雨宮か……。また、テストプレイヤーになってもらおうかな……」

 そう言って、先生は再びキーボードを打ち始めた。




 ――はてさて次のクソゲーはいかがなものか。




   おしまい 

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クソゲーのすゝめ 秀田ごんぞう @syuta_gonzo

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