1結婚生活をするにあたり~一緒に住むための条件②-2~

 私は二階の自分の部屋をノックした。グリムに部屋に入ることを知らせることにした。彼は頭がいいので、きっとドア近くまで近づいてきて、私たちを歓迎してくれるだろう。


「グリム、部屋に入るからね。」


 ドアを開けると、私のペットであるグリムは私の部屋の中央にいた。彼の正体はグリーンイグアナ。私が大学生の時にテレビで見て一目ぼれしてしまい、ペットショップで購入を決めた愛しのペット。


 グリーンイグアナの寿命は15~20年ほどといわれている。大学1年生の頃に飼育を始めたので、それから12年が経過している。すでに人間でいう高齢者である。当然爬虫類なので、死ぬまで成長は続いていく。最初はちょっと大きなトカゲくらいのサイズだったグリムは、今では1メートルを超える巨体となった。さすがにケージで飼い続けるのは可哀想だったので、今では室内で放し飼いをしている。


 両親にはもちろん反対されたが、私が責任をもって面倒を見るからと必死で頼み込んでやっと手に入れたのだ。エアコンや餌代などは当然私が全額払っている。


 グリムは私と目があうと、ゆっくりと私に近づいてきた。私が手を差し出すと、これまたゆっくりと彼も手を差し出してきた。大鷹さんをさっそく紹介する。


「彼は私の旦那の大鷹攻さん。グリムは会ったことがなかったと思うから、紹介しようと思って連れてきたんだよ。」



 グリムに紹介したら、今度は大鷹さんの方に近づいていく。大鷹さんはなぜかドアの前で固まっていた。もしかして、爬虫類は苦手だったのだろうか。


「おおた、攻君、大丈夫ですか。顔が青いようですが、もしかして……。」


「だ、大丈夫ですよ。ま、まさかイグアナを飼っているとは思っていなかっただけで、驚いているだけですよ。」


 声がしどろもどろになっている。いつも冷静で、あまり慌てた様子を見せたことがない大鷹さんのこんな顔は見たことがなかった。それに、慌てているのか、私が呼び間違えても、指摘してこないので、相当イグアナに苦手意識を持っているようだ。


 のそのそとグリムが私の前を通り過ぎて、大鷹さんのすぐ手前で歩みを止めた。彼は、きちんと大鷹さんの表情を読み取っていたようだ。大鷹さんと目を合わすと、そのまま再度私に近づいてきた。


 私はグリムを引き寄せて、抱っこしてベットに腰かける。


 さて、この慌てぶりでは、一緒に住むことはできないと思った方がよいだろうか。少し残念に思っている自分がいるのに驚いた。とはいえ、大鷹さんよりもグリムの方が今の私にとっては優先度が高いのは事実である。


 グリムを一緒に連れていくことができなければ同居はできない。両親にも言われていることだ。自分が飼育したいと言い出したのに、結婚して飼育できないというのは無責任にもほどがある。



 青い顔をしながら、私とグリムを交互に見つめていた大鷹さんだったが、ついに覚悟を決めたのだろう。口を開いて何かを私に伝えようとした。


「お、おれは実は爬虫類が……。」





「ただいまあ。」


 大鷹さんの言葉は一階からの声に遮られた。どうやら、両親が買い物から帰ってきたようだ。タイミングが悪いことこの上ない。せっかく、大鷹さんが何か大切なことを言いかけていたのに。


「ご、ご両親が帰ってきたみたいだね。」


 話を中断してしまったのに特に不機嫌になる様子もなく、一階の両親のもとに向かっていく大鷹さんに仕方なく私もついていくことにした。グリムはそのままベットに置いておくことにした。


 それにしても、さっきは、一人称が「おれ」になっていた。もしかしたら、素の一人称は「おれ」なのかもしれない。いつもの一人称は「僕」であり、私に対して敬語が多いので、これまた新たな大鷹さんの一面を見ることができた。



「大鷹さん、うちによくいらしました。自分の家だと思ってゆっくりしていってくださいね。」


 リビングに集まった私たちに、両親はお茶とお菓子を出してくれた。有り難くいただくことにする。


「そういえば、あなたたち、結婚したのに一緒に住まないの。まあ、問題があるのはうちの紗々だと思うけど、どうする予定なのかしら。」


 帰ってきて早々、いきなり核心を突く質問をしたのは母親である。それについてはグリムをみせて、これから話し合おうとしていたところである。




「ぼ、ぼくは一緒に住みたいと考えています。先ほど、紗々さんのペットのグリムとあってきましたが、一緒に連れて行っても問題ありません。僕が我慢すれば済むだけなので何も支障はありません。」


 母親にはっきりと一緒に住む宣言をしてくれた大鷹さんに思わずうれしくなった。いや、ここでうれしいと思うのはおかしい。いずれ離婚を考えている身としては、うれしいと思ってはいけないのだ。なぜうれしいのか考えるのは放棄して、大鷹さんの言葉を反芻する。


 気になる発言があった。我慢とはいったい何のことだろうか。やはり、爬虫類にトラウマでもあるのか。それとも、アレルギーでもあるのか。もし後者であるならば、我慢で済む問題ではない。


「じ、実はおれ、僕は昔、蛇にかまれたことがありまして、それ以来、爬虫類を見るとどうしても足がすくんでしまって、お恥ずかしい限りです。」


 我慢という発言をしたので、私たちが気になったのかと思ったのか、自分から理由を話していく大鷹さん。そうか、それでは青くなるのも無理はない。そんなトラウマ持ちの彼に、グリムとの生活は無理ということか。私と一緒に住みたいとは言っていたけれど、さすがにトラウマと一緒の生活は耐え難いだろう。



 結婚生活もここまでということか。一緒に住むことはなかったけれど、なかなか楽しい結婚生活だった。先ほどのうれしいという気持ちは一気になくなり、今度は悲しい気持ちになった。気持ちの浮き沈みが激しくて嫌になる。大鷹さんの発言にはいちいち振り回される。それが嫌ではないと思っている自分がいる。


「仕方ないですよ、そんなことがあったら、誰だって足がすくみます。それなら、ここで終わりにしましょう。私のことは気にしなくていいですよ。」



 離婚の話を持ち掛けようとしたら、母に話を遮られた。自分で離婚という言葉を口に出そうとしたのだが、言わなくてほっと安どしている自分がいた。さらに、離婚の話を言う前なのに、なぜだか涙が出そうになった。



「それなら、無理に連れて行かなくても大丈夫です。もともと、娘が欲しいといって買ったのですから、この家を出ていくときには一緒に連れて行けと言っていました。しかし、こんな素晴らしい旦那を捕まえてきて、それが爬虫類一匹で離婚していてはもったいなさ過ぎます。グリムは私たちが責任もって面倒見ますから、あなたたちは一緒に住みなさい。」


「確かに攻君は娘にはもったいないくらいにいい男だ。グリムのことはお母さんの言う通り、こちらで預かっておくから心配しなくていい。」


 

 今まで黙って話を聞いていた父親にも言われてしまった。こうして、母と父の言葉により、私と大鷹さんは一緒に住むことが決定してしまった。グリムは今しばらく実家で預かることになった。




 それでも、大鷹さんは将来的にはグリムを私たちの家に引き取りたいようだ。そのために日々、爬虫類に慣れるために何かしらの努力をしているようだ。本当に私にはできすぎた素晴らしい旦那である。

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