第二部 第一章 三 公民館と新しい生活

 次の朝、どうしてもお礼を言いたくて、もう一度河村教授の墓を訪ねた。その場で佐野教授に電話して、「お世話になりたい」と伝えた。


 岩山市の市街地から幹線国道をしばらく南に走ると、新しくできたバイパスとの交差点に当たる。そこを内陸の方へ右に曲がり、国道よりも道幅にゆとりのあるバイパスを西へ向かった。

 バイパスの一部は山をくりぬいた長いトンネルだった。バイパスの完成している部分が終わる少し手前で、山に入っていく県道とぶつかる。その細い県道に入ると、何十年か遡ったように世界が変わっていく。やがて県道は、二つの山の間を縫うように続く山道へと入る。進行方向の右手にある北側の山が大気森林作用研究所のある高森山だった。道はやがてT字路にぶつかる。そこを右に上がって行けば研究所に至る。左に折れて南下すれば、あの公民館のある旧・里山中村に入る。その道はかつてバスで通った道であり、里山中駅の最終電車に間に合わせるために――結局、間に合わなかったのだが――森野さんが車を飛ばして歯を食いしばるほど怖かった、くねくねとうねる見通しの悪い山道だった。

 記憶ほど路面は荒れてはいなかったが、森が覆いかぶさり、狭くて暗い道であることに変わりはなかった。突き当たりのT字路を右折して、十五分ほど登っていくと研究所下のバス停があった。バスの路線は残っていて、わたしが取り残されたあのバス停もまだ使われているらしく、停留所の表示板も割と新しかった。

 そのすぐ先を左に曲がると一速に入れ、途中で止まりたくないと森野さんが言っていた研究所に入る急な坂道を一気に上がった。あの懐かしい建物の門の前に車を停めた。車を降りてみると街よりもずっと寒く、思わず身震いした。はるみは何か不思議なものを見るように建物を凝視して、疑問を抱えたような目でわたしを見た。はるかは「わたしが思っていた研究所のイメージとだいぶ違う」とつぶやくように言った。

 門には鍵がかかっていて、敷地の中には入れなかった。あの戦前に建てられたような風格のある建物は再開に伴って修繕されたらしく、見た目はそのままに、以前よりもしゃきっとしたような感じがした。ただ今のところ、まだほとんど誰にも使われていないようだった。せいぜい観測機材の置き場として使われているのだろう。

「ここはぼくの新しい職場になるかもしれないところで、そして、ここで木乃香ママと初めて会ったんだ」とわたしははるかに教えた。

 はるみをお母さんと呼ぶようになったあと、はるかが二人の母親を呼び分けるときにはそれぞれの名前に「ママ」を付けるというルールを提案した。納得はしたが、なんだかクラブとかバーのママさんみたかったので、家族以外の前では使わないというルールをわたしが付け加えたのだ。

 わたしの言葉に、はるかは「ふぅん」とだけ答え、周りを見渡した。それから目をつぶって、息を大きく吸い込んだ。目を開けてわたしを見ると、「森の温かい匂いがする」と笑顔で言った。もう冬に入りかけていたから、木々が放つ夏の森の香りとは違う、落ち葉や土壌が醸し出す森の匂いだった。森野さんが自己紹介をしたときに言った、「アウトドア好きの父親が付けてくれた冗談みたいな名前」という言葉を思い出した。二人とももうこの世にはいなくて、今は同じお墓で眠っていた。そのあとわたしが「森の妖精みたいだ」と言うと、森野さんはほとんど表情を変えずにわたしをじっと見て「ありがとう」と答えたのだ。十年という月日は長いようで短かった。そして森野さんと出会ってからの十年――正確には十一年か――という月日を具現化したのが、はるかだった。

 はるみは何も言わずにわたしに寄り添っていた。本当にきれいだった。わたしの無意識の中の理想を具象化したらこうなるのではないかと思えるくらい、美しかった。思わず、ぎゅっと抱き寄せた。はるみはわたしにそっと頭を預けてきた。はるかはシャッターチャンスに対して鋭敏な嗅覚を持っているらしく、素早く振り返ると、そんなわたしたちをカメラに納めた。

 わたしにとっては、天使と天女だった。こんな二人と森の中で静かに暮らすことができたら、どんなに素敵だろうと思った。そんな考えが頭に浮かんだとたん、新築の戸建てというはるかの願望はわたしの願望ともなっていた。それまで漠然と街中に暮らすことを想像していたが、研究所の近くに住むことに対して俄然やる気が出てきた。

 体が冷え切る前に車に戻って、リアシートに三人並んで、どの辺りがよさそうか、地図を開いて話し合った。利便性だけを考えれば、幹線国道に近いバイパス沿いにできはじめていた新興住宅地が適当だったが、はるみもわたしも理想からは遠い選択だった。里山中地区まで行けば集落があるから不安は少ないし、鉄道を利用できる点では便利だが、はるかの通うであろう小中学校や大学キャンパスまでの距離が遠くなってしまうし、電車が終わるのも早い。それに狭い集落では人間関係が面倒くさいというのはよく聞く話だった。はるかはともかく、わたしやはるみにはかなり辛いだろう。

 住むことだけを考えれば、研究所の近くがわたしの理想に近い環境のように思えた。少なくとも研究所までは電気は通っていた。でもさすがにいろいろと不便だろうし、だいたい住宅地として使えるのかどうかもわからない。そしていずれにせよ、里山中地区を含めてこの周辺に暮らすことになれば、はるかが学校に通うためには電車を使うか、あるいは車で送り迎えするしかなかった。はるみも運転免許を取らなければならないだろう。ハードルは高そうだった。

 里山中地区に向かいながら、はるみに運転免許を取る気があるか聞いてみると、「わたし、前から車を運転してみたかったの」とはるみはやる気満々だった。ハードルは一段下がった。

 とりあえず、里山中駅に行ってみた。空の無料駐車場に車を停めた。駅舎はあのときと同じ素っ気ない一戸建てのような建物のままだった。またあの研究所を訪問する機会があったら、その時は最低でも岩山駅辺りでレンタカーを借りようと思っていたので、またこの駅前に立つことがあるなんて思っても見なかった。駅前の公衆電話ボックスはまだ存在していたが、中の電話は緑色から灰色に変わっていた。あの日の朝、何を言っているかはまるで分からなかったけれど、気持ちだけで言葉を交わしたあのおばあさんはいなかった。寒いからだろうか。それとも、あの時すでに九十歳は超えていそうだったから、もう亡くなってしまったのだろうか。まだ比較的新しい自動販売機で温かいミルクティとココアとコーヒーを買った。

 車で地区内を適当に走ってみたが、当時とさして変わらない様子だった。もっとも十年前はほとんど素通りだったので、どの程度変化があったかなんてわからない。人の姿もなかった。農業の最盛期ならともかく、どこの集落だって人がやたらと出歩いているわけではないから、とりたてて特別なことではない。最近建てられたような家もあるので、新陳代謝してそれなりに集落は維持されているようだった。でもここに住むのはちょっと気が重かった。はるかでさえあまり気乗りしないようだった。

 誰かに何か聞こうにも、公民館くらいしか思い当たらなかった。道路地図に公民館は見当たらなく、里山中地区交流センターというものしかなかった。あの時は、行きは暗い道を森野さんの車で公民館に送られ、帰りはミニパトで駐在所に連れて行かれたから、駅からの道順は覚えていないが、おそらくはそこが公民館のあった場所だった。駐在所は廃止になったらしく、もう地図には載っていなかった。ふと思いついて、車のナビを見てみると、なんと里山中村公民館も駐在所も存在していた。滅多にないことだろうが、古いナビはこういうシチュエーションでは役に立った。

 短い自己紹介をしながら、森野さんと駅から公民館に向かったこの道を、あの夜の結果、いや、あの夜からのプレゼントであるはるかを連れてここに来るなんて妙なものだった。バックミラーでちらっとはるかを見ると、ぼんやりとした顔で外の風景を見ていた。


 敷地には入らずにそのセンターの前に車を停めてみると、そこがその場所であることは確信できた。裏手に低い森がある背景は、記憶にある漠然とした風景と一致していた。でも、同じ場所のようには見えなかった。無愛想な鉄筋コンクリート二階建ての白っぽい建物が鎮座していた。建物の手前は全面的に舗装され、二台しか止まっていない広々とした駐車場と植え込みが整備されていた。わたしの知っている、木造の古い小学校校舎を改装した公民館とは異質なものだった。あの図書室の女の子は公民館が建て替えられたらもうここには住めないと言っていた、と森野さんの手紙に書かれていたが、こういうことだったのかと妙に納得してしまった。肩身が狭そうに立つ落葉樹の大木は、たぶんあの朝――火事で公民館を焼け出された朝――、雷の落ちなかった方の木に違いなかった。

 ここに住めなくなったあの図書室の女の子はどうなったのだろう? たぶんはるかが生まれたということは、あの女の子も生まれ変われたのだろう。でも、今はどこに住んでいるのだろう。

 すっかり変わってしまった建物を見るとなんだか立ち寄る気も失せたが、室内で動いた女性が、あのとき公民館でお世話になったあの山田さんと感じがあまりにも似ていたので、思い直した。

「ここはなに?」とはるかが聞いた。

「ここはもう建て替わってしまったけど、お父さんと木乃香ママが踊りを踊った場所なんだ。でも、そのことは他の人には内緒だ」

「へえ、そうなんだ」

 はるみを見ると、珍しくけだるそうな顔で肘をドアのところに乗せていた。

「どうかしたの?」

「うんうん。ただ、なんか、頭がぼぉっとして」

「寒いから、風邪でもひいたのかな」

「違うと思う。大丈夫」

「ちょっと、寄ってみようか」と聞くと、はるみは笑顔で「はい」と答えた。

 中はしっかりと暖房が効いていた。すぐ右手に事務室があって、人が二人いた。

「こんにちわ」と話しかけると、山田さんに似ていると思った女性職員が近づいてきた。当時たぶん五〇歳前後だった山田さんよりもずっと若く、三十代のようだった。

「こんにちわ。なんにかご用でしょうか」

 ちょっと訛っていたが、駅前のあのおばあさんのように聞き取れないということはなさそうだった。

「実は以前、ここに来たことがあって、ちょっと懐かしくて寄ってみたんです」

「はあ、そうですか。いんつごろのことでしょうかねぇ」

「十年ほど前です。そのときはまだ木造の建物で、ずいぶん変わっていたから驚きました」

「ああ、あんの雷で燃えちまった」その女性はよく知っているというように何度か頷いた。「よんく覚えてます。わたしも通った小学校だったしねぇ」

「ああ、そうなんですか。以前は小学校だったと聞いていましたが、あなたも通われていたんですか」

「ええ」女性は嬉しそうに笑みを浮かべた。そして後ろを振り返り、わたしたちには無関心とばかりに背中を向けたまま机に向かう男性職員に声をかけた。「なりたさん、こんの人たち、ここらの昔のことが聞きたいって言うから、ちょっと談話室でお茶でも出しますね」

 男性職員は振り向きもせず手を挙げた。

「じゃあ、こちらへどうぞ」

 何か話が違うと思ったが、せっかく言ってくれているのに断るのも悪いし、この辺の情報を聞くこともできると思って、素直に従った。はるかは面白がっていたが、はるみは微妙な感じだった。はるみは今まで風邪ひとつひいたことがないということだったが、もしかすると体調が悪くなりかけているのかもしれない。短く切り上げよう。

 建物の内部も外見と同じく役所然としていて愛想がなかったが、談話室だけは、壁に間伐材を使った板が張られ、テーブルも椅子も木製だった。地元の材木をアピールする役割を兼ねているようだったが、訪れるのはせいぜい地元の人たちだけで、たぶんほとんど効果は上がっていないはずだ。テーブルの上には電気ポットや湯飲み茶碗やお菓子が置かれ、ご自由にどうぞと書いてあった。

「んまあ、珍しいねぇ、わざわざ訪ねてきてくれる人がいるなんてね」とその職員は言った。名札を下げていたが、裏返っていて名前が見えなかった。お茶を入れてくれ、はるかに菓子を勧めた。

「山田さんっていう女性はもうこちらにはおられないんでしょうか。公民館だったときにお世話になったんですけど」

「やまだ? だったらそれはトシコおばさんのことじゃねえかねぇ? この辺は山田って姓が多いもんでね、わたしぃもやんまだだけんども」

「あなたも山田さん? でも下の名前までは知らないんです。ちょっと、こう恰幅のいい感じの」

 さすがにあなたのようにとは言うことができずに、手でその感じを表現した。

「ああ、間違いないね。それは公民館の館長さしていたトシコおばさんだわ」

「館長さんだったんですか。それに、おばさんというとご親戚ですか」

「はいぃ。わたしは姪ですぅ。今はもう、市内の方さ越してしまって、ここにはおりませんけど」

「そうなんですか。お元気でしょうか」

「ああ、もう、元気は元気。せっかくだから電話してみましょうかぁ?」

「いえ、お元気なら、それでいいです」

「失礼ですけど、おたくさん、お名前はなんと言いますか。もしよかったら、今度おばさんに会ったら、伝えておきますけんども」

「わたしは太田といいます。十年くらい前に向こうの山にある研究所に河村教授を訪ねてきたとき、お世話になりました」

 名刺に携帯電話の番号を書き入れて、山田さんの姪の山田さんに渡した。

「太田貴文さんね。学者さんなの。それで河村先生を。わぁかりました」

 姪の山田さんにこの辺りの冬の気候について聞いてみた。市街地に較べると冷え込みは厳しいが雪はそれほど深くはないということだった。一冬に一度くらい降る大雪を除けば、車の運転も大変ではないらしい。

「ところで、あの河村先生のいらした研究所の辺りというのは、住むことは可能なんでしょうか」

「なぁに、オオタさん、こっちに住もうと思ってるの?」

「まだはっきり決めたわけではないんですけど、こっちの方に転勤する話がありまして、どうせならちょっと山の静かなところに住みたいと思っていまして」

「だけんど、山の方はそりゃ不便で大変だよ。店もなにもないし。まあ、この里山中だって、小っちゃい商店が一軒あるだけだけんども、せいぜい日が暮れるまでしか開けてねえし。研究所のある高森山はほとんどが県有地じゃなかったかなぁ。手前のコモリ山だったら、たしかここの地区のもんが持っとるところもあるけどねぇ」

 叔母の山田さんと知り合いだったためか、若い山田さんはわたしたちに親近感を憶えたらしく、まだどの辺りに住むかははっきりしていないからと断ったにも関わらず、「いいがら、いいがら」と言って、コモリ山の一部を所有しているという持ち主に問い合わせてくれた。土地を一部貸してもいいが、林業用の山林なので電気も通っていないし、人が住むのは難しいのではないかということだった。

 はるみはすっかりいつもの柔らかな表情に戻っていた。どうやら体調は大丈夫そうだったが、センターは相当暇らしく、山田さんの話は尽きそうになかったので、当人は残念そうにしていたが適当なところで切り上げさせてもらった。


 車に戻って地図を見ると、里山中地区のすぐ北東、高森山の南に位置するのが小盛山だった。里山中から高森山に向かって一度T字路まで戻った。そこを右折して、行きに通ってきた道をバイパスの方へ引き返し、途中の岐路で小盛山の東側を回り込むように南下した。その辺りが山田さんが問い合わせてくれた持ち主の土地らしいのだが、この県道に面した斜面はところどころ急で、しょちゅう土砂崩れを起こしているようだった。あまり住みたいという気は起きなかった。県道をそのまま進むと、里山中駅を通るローカル線の線路にぶつかる。踏切を渡って道なりに左折して、線路と川に沿った、小さい山を挟んでバイパスと並行して走る細い県道を東へ向かうと、岩山駅に通じる幹線国道に出た。ここまで来ると山の麓の雰囲気はもう完全に消え失せていた。

 ずいぶん変わってしまったとはいえ、やはりあの公民館のあった場所は、わたしの人生において掛け替えのない特別な場所、わたしたち三人の結びの端緒となった本当に特別な場所だ。しかしいずれにせよ、総合的に考えると、研究所の近くやあの集落に住むのは相当の覚悟が必要なようだった。しばらくこっちに住んでから、考えた方がよさそうだった。

「やっぱり、山の方は住むのは難しそうだな」

 独り言のようにわたしは言った。

「山の中は別荘みたくて素敵だけど、やっぱり住むのは大変そうよね」

 はるみもまたつぶやくように言った。

「お父さんはあんな山の中に住むことを考えていたんだ。わかんないなー。なんか、あの記事のことから逃げてるみたい」はるかは後部座席から身を乗り出すようにして、わたしたちの顔を交互に見ながら言った。「だったら、市街地からちょっとだけ離れたところとかはどうかな。まだ木がいっぱい残っているような。そんなとこ、あるかどうかわかんないけど。山の中には小さい別荘を建てたりするのもありかも」

「そうだな。そのくらいが妥当だろうな」

 はるかの言うとおりかもしれない。あの記事のことで少々人間というものに疲れ、家族の中に逃げ込もうとしていたのかもしれなかった。

「お母さんは絶対に木の家がいいんだって。ね?」

「うん。そう。木の温もりが感じられるような家が好き。柱とかに、きれいな材木がむき出しになっているような」

「へえ、そうなんだ」

 はるみがそんな家を好むとは知らなかった。

「お父さんてさ、お母さんのこと、ほんと、なんにも知らないよね」

「そうだな。ほとんどまだ何も知らない。はるかのことだって、ほとんど何も知らない」

「でも知らなくても、こんなふうに好きになれるんだね。わたしもお父さんのこと、たくさんは知らないけど、大好きだもん!」

 そんな風に思っていてくれたなんて……。思わず涙が出てきた。「ありがとう」と言ったわたしの声は震えていた。

「泣いてもいいけど、ちゃんと前を見て運転してね。はるかはまだ一度も恋をしたこともないんだから、そんなんで死にたくない」

「ああ」わたしは涙声で答えた。

 ちょうど前方の信号が赤が変わり、穏やかに車を停止させると、左手でセミオートマのシフトレバーを自分の側に引き寄せて、ギアをニュートラルに入れた。はるみの柔らかな右手がわたしの手に重なった。はるみを見ると、そっと微笑んでくれた。

 はるかは特殊な育ち方をしてきたせいか、いろいろな出来事に対してクールであっけらかんとしているように見えた。わたしを感激させるようなこともさらっと言うし、逆にはるか自身は感激して泣くようなことがほとんどなかった。三人で映画を観ていてわたしとはるみが泣き出しそうなときでも、子どもが一番感動しそうな場面で、真剣に観て内容も絶対に理解しているはずなのに、はるかはけろっとしていた。でも本当の心の中はどうなのかわからない。実はひとりで泣いていることもあるのかもしれない。今度、はるみに聞いてみよう。

 今のようなわたしとはるかのやりとりを、はるみは口を挟まず、面白そうに聞いているというのが、まだ歴史の浅いわが家の、典型的なパターンのひとつだった。はるみの体調はもうすっかり大丈夫そうだった。いつものはるみと変わりなかった。ちょっと寒かっただけなのかもしれない。

「ねえ、お父さんはどんな家がいいの?」とはるかが訊いてきた。

「そうだな、ぼくも木の家が好きだな」

「ありゃ、またのろけですか?」

「そういうわけではないけど、好みが似ているのかもしれない」

「やっぱり、のろけだ」

「いや、そういうわけじゃ」

「まあ、いいけど。ほかには? ほかにはどんな家? 書斎がほしいとか、あるでしょう? 今の家では、はるかが書斎を取っちゃったし」

「そんなことは気にしなくていいよ。そうだな、強いていえば、ガレージかな。車を入れる車庫のある家があこがれだな」

「へえ、ガレージか。この子をそこに入れてあげるんだ。雪が降っても寒くないように」はるかは自分の横の座面を愛犬にでもするように優しく撫でた。

「そう、そんな感じだ。シャッターとか扉も、リモコンで開いたり閉じたりするとか」

「けっこう、具体的なイメージがあるんだね。じゃあ、家の中は? リビングとかキッチンとか」

「うーん、その辺は使いやすくて、リラックスできればいいという漠然としたイメージしかないな。でも、こういう少し寒いところに引っ越してきたら、暖炉か薪ストーブは欲しいな」

「へー、あるじゃないですか、いろいろ」大人っぽい口振りではるかは言った。

「はるみはどうなの? 木の家という以外に、こういう家がいいというのは?」

「えー、それ、わたし、知ってるもん!」はるかが得意げに言った。

「それ、はるかの誤解だから」はるみが顔を赤くして否定した。はるみが「はるか」と呼び捨てにすると、親子だか姉妹だか友だちだか、まだ区別が付かない感じだった。

「なになに?」わたしは興味を惹きつけられた。

「お母さんはね、お父さんとふたりだけで静かにいちゃつける部屋が欲しいんだって!」

 わたしは思わず吹き出し、まじまじとはるみを見た。

「だから、違うって言っているじゃない」一層顔を赤くしてはるみは言った。「違うの。外界と隔絶されたような静かな部屋が欲しいってわたしが言ったら、この子が勝手にそう解釈して」

「えー、だって、そうとしか思えないじゃん」はるかは都会っ子の口調で楽しげに言った。憎まれ口のようだが、結局、この子はわたしたちの仲がいいのが嬉しいのだ。そういう気持ちが伝わってきた。

「それって、どういう感じ? 茶室とか、あるいは屋根裏とか、そんな感じなの?」わたしは真面目な気持ちで聞いた。

「そうだなぁ、どっちも近いかな。茶室くらいの広さで、もっと強固な感じ。ほら、茶室って、イメージの世界で外と隔てられている感じだけど、わたしが思うのはもっと物理的に強く、遠くに切り離されている感じかな」

「えっ? 宇宙に浮かぶ茶室とか?」突拍子もないイメージにさすがにわたしもおかしくなった。

「そう! そういう感じ!」

 冗談で言ったつもりだったが、はるみは我が意を得たりというように嬉しそうに頷いた。

「でも、それって、家じゃないよね」はるかはあきれたように言った。

「まあ、そうかもしれないけど、そういう静かでじっとしているような空間が好きなんだもん。仕方ないじゃない」はるみはちょっとふくれた。こういう会話の時はほとんど歳の離れた姉妹のようだった。

「まあどの程度実現できるかはわからないけど、建築家に相談してみれば、意外とイメージに近い部屋を設計してくれるかもしれないよ」

「そう?」はるみにしては珍しく艶っぽい目でわたしを見た。

「あーあ。また、いちゃついてるし」はるかが不満げに言った。

「ねえ、はるかから見たら、こういうのもいちゃついているように感じるわけ?」

「うん。もうラブラブで見てられないよ。だって、目だけで気持ちが通じ合っちゃってる、って感じだもん。ああ、わたしも早く彼氏がほしいな」

「まだちょっと早いだろう」

「じゃあ、いくつになったらいいの」はるかは前席に身を乗り出すようにして訊いた。

「いや、いくつになったらということはないけど」

「でもわたしは意外となかなか彼氏とかつくらないかもしれないな」

「なんで」

「わかんないけど、そう思うだけ。ずっと父親がいなかったからかも」

「ふーん」

 納得できるような、できないような、そんな答えだった。この子はどんな風に成長して、どんな女性になって、どんな男と付き合うようになるのだろう。普通の父親だったら、娘がもうこのくらいの歳になっていたら、一度くらいはそんなことを考えているのかもしれない。


 ホテルに戻ると、佐藤さんというフロントの朗らかな女性に事情を説明して、良心的な地元の不動産屋を知っているか聞いてみた。そのホテルはこじんまりとしていて、外観も部屋の内装もレトロ調でまとめられており、どこかあの研究所の風情と共通するものがあった。清潔感もあって、落ち着けるいいホテルだった。宿泊料金も妥当なものだった。規模が大きくないせいか、チェックインの時も追加で泊まるお願いをした時も、その佐藤さんが対応してくれていた。ホテルの良さをそのまま映し出したようなフレンドリーなホテルウーマンだったから、ちょっと訊いてみたのだ。すると、自分は知らないからと、奥からわざわざ上司の男性を呼んできてくれた。

「こちらに移転していらっしゃる可能性があって、お出でになったついでに住宅用の土地をお調べになりたいということですね」その上司はわたしの目を探るように見ながら、職業的な愛想笑いを浮かべて、そう言った。

「ええ」

「不動産屋は何軒か存じておりますが、良心的といわれましてもなかなか」

 歯切れの悪い答え方だった。高い買い物だけに下手に紹介してあまりよくない業者だったら困ると思ったのかもしれない。上司の方はどちらかというとビジネスライクで、ホテルや佐藤さんの印象とはすこし違っていた。でもまあ、こっちが普通なのかもしれない。

「すみません。突然そんなこと聞かれても困りますよね」

「いえ、まあ」と男性上司はあいまいに答えた。すると何かを思いついたような顔をしてフロントの佐藤さんを見た。「そうだ、君の友だちで工務店に勤めている子がいるって言っていなかったっけ? ほら、地元産の木材で家を建てることを売りにしている」

「ええ、いますけど、家を建てる会社で土地の方はやっていないんじゃないかと」

「そういうところなら、そういう業者にも詳しいだろう。ちょっと聞いてみてあげたらどうかな」

「ええ、はい」

 男性上司は失礼しますというように頭を下げると、奥に消えていった。

「お役に立てるかどうかわかりませんけど、ちょっと連絡してみますね」と佐藤さんは言い、自分の携帯で番号を調べ、電話を掛けてくれた。

 漏れ聞こえてきた内容から察すると、男性上司の言ったことは的外れではなかったようだった。電話をする佐藤さんが段々と笑顔に変わっていった。

「お客様の求めていらっしゃる水準かどうかはわかりませんが、少なくともまっとうな不動産業者をお教えすることはできるとのことでした」佐藤さんはほっとしたように言った。そして「できれば、そこの工務店で家を建てることも検討して欲しいということでしたが」と笑いながら言い足した。

 フロントのパソコンでその工務店のホームページを見せてくれ、連絡先や地図をプリントアウトしてくれた。その工務店の建てる家は、無垢の木材を生かした、木の温もりを感じられるような素朴なもので、はるみのイメージに近いはずだった。はるみを見ると、明らかに強く惹かれている目をしていた。わたしも好みだった。いきなり工務店とは話が具体的になりすぎると思ったが、河村教授も縁や偶然を大事にしていたというし、せっかくだから行ってみようという気になった。

 電話をしてから訪問すると、社長自ら出てきて不動産業者の情報を親切に教えてくれた。五十代半ばの、大工さんというよりは会社勤め風の、実直そうな男性だった。自分のところの営業は控えめだった。こちらからモデルルームがあれば見たいと言うと、自社の展示住宅と、急にもかかわらず近所にあるお客さんの家も案内してくれた。はるみが家の雰囲気を気に入っていたのは言わなくてもわかった。はるかはその流れを逃さず、事務所に戻ると即座にこちらのリクエストを社長に伝えた。森の中のような静かな場所に、家族四人が快適に暮らせて、ガレージがある家を作りたい、とはるかは言った。そして、はるみの希望である、茶室と人工衛星を足したような外界から隔絶されて落ち着ける静かな部屋も一つ欲しいのだと付け加えた。

「茶室に人工衛星ですか」社長は困惑の混じった顔ではるかに笑いかけながら言うと、設計士も呼んでくれた。設計士の方もさすがにすぐにはイメージが湧いてこないようだった。「それは少し考えさせてもらうとして、森の中のような感じということであれば、たしかちょうどいい物件がひとつありました」と社長は言い、フロントの佐藤さんの友だちという事務の女性に土地物件情報の印刷を頼んだ。

 社長はあくまでも参考までにと前置きをして、わたしたちの方にその紙を差し出した。

「ご予算は総額で三、四千万円ということでしたね。今お聞きしましたご要望ですと、広さにもよりますが上物には二千から二千五百万円かかると思います。ここでしたら、駅からは少し遠いですが、静かですし、広さも十分にありますし、予算的にも収まると思います。ただ下水道が通っていないので浄化槽になってしまいますし、ガスもプロパンになります。スーパーなど買い物も車でないとちょっと大変です」

 一千万円を少し超える程度だったが、百九十坪という東京では考えられないような広さだった。社長が前から目を付けていた物件がたまたま売りに出たので、わたしたちのように静かな環境を望む客に譲るか、もしくはモデルルーム用に使うか、あるいはいずれ自分で住もうかと思って、購入しておいたのだという。ご覧になりますかという社長の慎ましやかな言葉に誘われ現地を訪れた。区画がぎっしりと詰まった新興住宅地を抜けてから車で十分ほどの、わずかに山に入ったところにその土地はあった。周囲にはぽつぽつと家がある程度だった。そこを見たとたん、わたしたちは顔を見合わせた。わたしの決意はほとんど固まっていた。社長はそんなに慌てなくても大丈夫ですよと言ってくれたが、わたしはその土地の仮押さえをお願いしていた。


 東京に帰ってからは、慌ただしい日々となった。向こうの大学は来月からでも受け入れてくれることになった。もう少しすると雪が多くなるので、引越しは早めの方がいいと言われた。現在の上司に相談すると、その話をまずは喜んでくれ、そして研究の引き継ぎは手短に済ませて、わたしの都合のいい時に移って構わないと言ってくれた。

 例の記事への対応は大学本部を気にする必要はなくなった。それにもう、ある意味、どうでもよくなっていた。訂正と謝罪の記事を載せ、妥当な額の損害賠償請求をしてくれるよう、弁護士にお願いした。訴訟をちらつかせるまでもなく、出版社側はすぐに和解に応じた。弁護士は、出版社はこうなることを想定して記事を出したのではないかと言っていた。あのような、人々の下世話な好奇心を煽るような記事は受けがよく、それなりに部数が伸びたらしかった。まったくひどい話だった。もちろん取材源は明かさなかったが、弁護士が追求すると、出版社側は賠償金で腹が痛むことはないらしいことを匂わせていたという。たぶん何らかの形で後藤が肩代わりするのだろう。そうだとするならば、自分に利益を生まないことに少なからぬ金まで払ってあんなことをするとは、狙っていた遺産をかっさらわれた形になって、恥もかいて、おまけに長年付き合ってきた女からも捨てられることになり、奴もよほど頭に来たのだろう。そしてこんなことができるくらいまで金回りがよくなったのだろう。

 記事の一件がほぼ片付いたところで、転居の挨拶も兼ねて、三人で沢田さんの事務所を訪問した。短い時間だったが、沢田さんの部屋で二人だけで話をした。沢田さんは、長い時間――たぶん三十秒か、あるいは一分近く――深々と頭を下げた。顔を上げると、少し涙目になっていた。そして、自分も後藤に言いくるめられ、森野さんの遺産を横取りする手助けをしそうになっていたのだ、と打ち明けた。それから、後藤はすぐに前のようになって、いずれ破産せざるを得なくなるだろうと言った。

「わたしもはるかちゃんを可愛いと思っていたし、あの子は独立心も強いし、それに春美ちゃんも助けてくれていたから、わたしでも育てられると思っていたし、だから本当に引き取ってもいいと思っていたの。そうね、義務感だったのかもしれない。でも、木乃香からは断られた。だけど、木乃香が亡くなった後、あの男が遺産の額を知って、目の色を変えたの。わたし、恥ずかしいけど、あいつのことはほんとに愛してたの。だから、こんなの言い訳だろうけど、あいつからそうけしかけられて、別れまで持ち出されて、渋々協力してしまった。太田さんもあいつの狙いは気づいていたんでしょう? わたしだって、もしあの遺産を投資に回したりしたらまずいことくらい分かってたわ。でもあいつとも離れられなかった。本当に変なことに巻き込んでごめんなさい。それにありがとうございます。あれでやっとあいつともきっぱりと縁を切ることができました」

 「自分たちも結局はいい方向に話が転がったのだから気にしないでください」とわたしは言った。沢田さんの目からは今にも涙がこぼれだしそうだった。何と声を掛けていいか分からなかったので、「これからも今までと変わらずお付き合いください」と小さく頭を下げ、沢田さんを残して部屋を出た。

 結局、半ページ分に、間違った情報を元に裏付けを取らずに記事にしたとの謝罪文とともに、乾さんや沢田さん、三上さんの匿名の談話も交え、実際には遺産目当てではなく、互いに親子になりたいと思ったから養女としたこと、また女子高生といっても通信制であり、年齢も二十歳で、こちらも互いに好きになったから結婚したなど、わたしたちの特殊な家族のあり方を強く肯定するような、それでいて感情的にならないような立派な訂正記事が載せられた。三上さんによると、すごく真っ当な記者が取材に来たとのことだった。賠償金は弁護士費用を引いて二百六十七万円が振り込まれた。それが多いのか少ないのかわたしにはわからなかったが、どうやら、著名人でもなく具体的な氏名も出ていなかったわりには、高額の賠償金を引き出せたらしい。もしこれで失業して、精神的苦痛がさらに増していたら、それでも少ないと感じただろうが、今となっては、引越しをするには充分な額が残ったとしか思わなかった。その訂正記事が今度は感動的な話として別の女性週刊誌の目に留まったらしく、お願いしていた弁護士を通して取材の話が来たが、もちろん丁重に断ってもらった。

 森野さんと河村教授の墓参りをしてから二週間後には岩山市の住人になっていた。はるかが転校しなくてもすむように、工務店に紹介してもらった例の土地と同じ学区の賃貸マンションを探して、とりあえずの新居を構えた。

 新しい大学とは大気森林作用研究所の主任研究員として契約をした。名目上の所長である佐野教授は、わたしが河村教授と同じで静かな環境で研究をしたいということを知っていたので、いずれは学生も常駐するようになるらしいが、しばらくはわたしがあの研究所を好きに使っていいことにしてくれた。わたしは初夏から早秋にかけた暖かい季節を研究の対象にしようとしていたので、真冬以外は山の中の研究所を主体にして、キャンパスには佐野教授のゼミが開かれる日を含め週に一、二回行くことした。

 研究所は、常に現場を感じていられるし、研究に没頭できそうだったので、環境としては申し分なかった。再開するに当たって、やはりあの由緒ある建物は外見を変えずに耐震補強がされていた。そのため内部はやや狭くなったようだが、完全にリフォームされて、河村教授の遺した植物のサンプルや書籍などもきれいに整理され、教授がデスクを置いていたあの部屋は独立したものとなっていた。電気設備なども最新のものに置き換えられていて、大学にあるデータサーバーや計算サーバーに高速でアクセスできるよう光ファイバーも通っていた。建物の奥の方は、観測機材などを置く資材室として棚などが新設されていた。こんなところをしばらく独占できるなんて、まったく夢のような話だった。バス停のところから研究所に上がるあの急な坂道は以前のままだが、バイパスも途中まで整備され、家を建てるあの土地から、研究所までは車で四十分ほど、キャンパスまでは二十五分ほどだったから、どちらも通うのに辛いということはない。春になるのが待ち遠しかった。

 土地はすでに手付け金を打っていた。はるかのお金を預金担保にして問題はないかと沢田さんに相談すると大丈夫だということだったので、資金の方も目処が立った。家の方は設計士からいくつか案を出してもらって、間取りなどがだいぶ具体的になっていた。はるみの要望については、敷地内の樹木を生かしたツリーハウス、屋根裏内の宙づりの部屋、それに地下室の三つの案を出してくれた。

 ようやく新しい土地や職場に慣れてきたころには、もう年の瀬だった。はるみは引っ越してすぐに自動車教習所に通い始め、もう仮免許を取って、路上教習に入っていた。年明けには免許が取れそうだった。クリスマスには住宅ローンを組むことができ、土地も購入して、あの工務店に正式に設計と建築を依頼していた。そして初めて三人で新しい年を迎えた。すこし遠出して古い神社に初詣に行った。

 すべての歯車が噛み合ったように、なにもかもが順調に動き始めていた。これまでの人生で最高の正月だった。

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