クレアを呼ぼうか?

17 クレアを呼ぼうか?



 指先が無意識にコートのポケットを探っていた。

 セブンスの暖房は心もとなくて、窓際のテーブル席は上着が必要だった。

 遅れてやってきたギーに古い新聞の切り抜き記事を見せた。

 連続猟奇殺人、ダダの報道記事だ。

 掲載されている白黒写真は、遺体が発見されたホテルの一室で撮られたものだ。

 壁に大きくDAの血文字がおどっているのが見える。

 それはアモとミサのアパートにあったポスターと同じカットで、書かれているサインは僕のアパートの壁にあるものと同じだった。


「こんな記事、よく手に入れられたな」


 ミルドタウンに入ってくる情報は厳しく精査される。海の向こうの新聞ひとつ、手に入れるには代償が必要だ。


「後で説明するよ」


 そのことについて考えると、僕は雨で湿った洗濯物みたいに、とても重たくて憂鬱な気分になった。


「その前に話を整理しよう。リドは自殺だと言っていたけど、東ブロックで起きた夫婦の事件は不審な点が多い。ふたりが亡くなったのは睡眠薬を飲み、非常階段から落下したせい。アモとミサは殺人鬼ダダの信者で、しかも娘がいた。名前はジュリ。ジュリは、おそらく事件のあと隠し部屋から逃げ、僕に手紙を送った……。そして誰かがDAという署名で家にラクガキをしていった」

「大切なことを忘れてる。お前の写真をアモとミサがかくし持っていたことだ。これは、お前がここに来る以前のものだよな。もちろん」


 ギーの指先が、部屋から持ちだして来た写真を滑らせる。

 電話口でバルは「だから、お前には見せたくなかったんだよ」と言っていた。

 最初から気がついていたのだ。だけど処分もしなかった。

 何故、僕の写真を、それも自分ですら覚えていない幼いときの写真を彼らが所持していたのか。そして現在の僕のことまで調べていたのか――バルたちは調査中だと言っていた。調査がおわったら、何もかも僕に話してくれるとは言わなかった。そうするとも思えない。


「でも昔の写真なんか一枚たりとも、この街にもってきてないんだよ。彼らがどこでそれを手に入れたのかはわからない」

「けっこう、かわいく撮れてるよ」


 ギーがめずらしくつまらないジョークを言った。本人もわかっているようだ。

 こんなときに何を言っても、おもしろくはならない。


「これが自分だとは、とても思えないよ」


 ギーは写真を裏返しにして、どこか別のところにやってしまう。


「気もちはわかる。俺だって、あのいかれ野郎ども……失礼、特殊な趣味をお持ちの方々が、俺も知らないような昔の写真をもっていたら吐き気がするどころじゃない。ぶっ殺してやりたくなるだろうさ」


 僕は曖昧に頷いた。

 目の前に、忘れてしまった僕がいる。

 それはとても居心地の悪い経験だった。


「確認だが、ダダってのは、この街では有名なのか? 隠れたブームだってことはないだろうな」

「ここは都会ではないからね。住民たちも街のシステムも彼らみたいな思想の持ち主を受け入れないし、本人たちもその上で隠し部屋を作ったんだと思う」

「ジュリを生んだのは、まさかいかれた趣味につきあわせるためだとか?」

「うーん……」


 もちろん、僕だってかれらが娘を虐待したことを否定するつもりはない。

 暴力も振るったはずだ。

 だが、あの部屋をひと通り見た感触として、何かが違っている気もした。

 ジュリが閉じ込められていた部屋は……彼らが信奉するダダのための部屋だ。尊敬する殺人鬼のピンナップにくらべれば、夫妻の娘に向けられている感情は無関心に近い。

 ギーが、唐突に訊ねた。


「ミルドタウンには学校ってあるのか?」

「どうして?」

「日記を提出していたってことは、だ。ジュリは字が書けるんだろう」

「ああ……なるほど。学校はないよ。僕にはよろこばしいことだけど」


 ミルドタウンには、学校はない。

 その代わり読み書きや計算程度のことならば通信教育をうけることができる。

 ただし、義務ではない。

 ジュリはまだ幼いし、日記を書かせるためにアモかミサが教えたのだろう。日記さえ提出していれば、基本的にミルドタウンは個人の生活に干渉してこない。

 彼女は記憶喪失ではないのだから、カウンセリングの必要もない。


「学校がきらいなのか?」と、ギーがにやにやと、おかしそうに言った。


 僕は自分が学校に通ったことがあるかどうかも忘れている。

 それなのに嫌いなのか、という意味だった。

 ギーは超能力者みたいに察しがよく、思いやりもあるが、ときどき面白いほど不躾になることがあった。

 それは、どちらも切り離すことのできない表裏一体の能力のようだ。


「きらいだよ。僕は本が読みたいんだ。時間が許す限り、ずっと」

「学校に行ったら死ぬほど読まされるぜ」

「自分が何をいつ読むか口出しされるなんて最悪だよ。それに、ずっと同じ椅子に座らないといけない」

「それはそれは……。ミモリが学校に通ったら、鞭うちの刑に処されるかもしれないな」

「ここがミルドタウンで幸いだと思うよ。鞭うちの刑で死ななくてすむし、先生が殺人罪で逮捕されることもなくなるわけだから」

「学校ってのは教師の話を聞きにいくところだなんだ」

「手持ちの本よりもおもしろければ聞くかもしれない」

「つまりお前の頭のなかには、どうにかして、ありったけの本を読む、それだけしかないってこと?」

「そうかも」


 ギーが、もうこらえきれない、というふうに吹きだした。

 白い砂糖入れがかたかた蓋をゆらした。

 それから、わざとらしくせきをして、失礼、といった。そのとおりだと思った。

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