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 アモとミサの隠し部屋の書棚には、グロテスクな表紙の、なかなか人を選ぶタイトルの書籍がずらりと並んでいた。



「もしかして同じ趣味かな」というと、ギーは思いっきり顔をしかめた。



「馬鹿なことを言うもんじゃないぞ。お前の読書趣味とこいつらのは別物だ」

「『連続殺人鬼の半生』、『犯罪者の心理』、『サイコパスの誕生』――少し変わったファンクラブに入ってみたいだね」


 そう。

 鍵付きの部屋に隠されていたのは、陰惨な猟奇殺人だとか、犯罪者について書かれた大量の書物だったのだ。

 一冊の本を取り出す。

 表紙は髭面の、とある白人男性の似顔絵だった。

 その似顔絵を引き延ばしたものや、別の角度から描いたものが壁のあちこちに貼りつけられている。

 僕には、彼についていくらかの知識があった。


 少し前に流行した伝説の連続殺人鬼だ。被害者の数が百とも二百ともいわれてる、いわゆる人殺しのカリスマ。それだけの事件を起こしながら一度も捕まらず、四年前に忽然と姿を消した……。いまでも世界中に信者がいる。


 落ちているぬいぐるみに目をやる。

 ジュリは簡単な読み書きを教えられていたみたいだけど……。

 こういった部屋に一日中閉じ込められる経験というのは、子供にとって、どれほどのストレスになるのかな。


「こういう危険思想はミルドタウンじゃ御法度だろう。物流の制限されたミルドタウンで、これだけの書籍を集めるのは難しいぞ」


 ギーの言う通り、ミルドタウンでは宗教ですらあまり歓迎されていない。

 小さな街の中によけいな争いを呼びこまないためだ。

 アモとミサの場合も、こういう趣味があるのだとわかっていたら、普通は審査段階で弾かれていたはずだ。

 図書館に行き、ここに並んでいるタイトルのうち一冊でも、購入の申請をしたならば、その人物は病院に呼びだされる。

 そして調査とプロファイリングが行われて、翌週には街を出ることになる。


「難しいどころか、不可能だよ。外の世界と接触できる特別なルートがなければ……」


 さらにくわしく部屋の中を調べていて、ギーが思いがけないものをみつけた。

 彼は本を棚からごっそりと抜きだし、現れたものを凝視している。


「どうしたの?」


 僕も同じものを見て、どうしてギーが返事もせずに固まったままなのか正確に理解した。


 本で隠された一面にメモや写真、地図が貼ってあった。


 地図はミルドタウンのもの。

 そして写真を一枚、手にとると……そこにはアパートの窓辺がうつっていた。

 窓枠の向こうにミントグリーンの壁紙がある。そしてマグカップを傾けている十八歳の若者――つまり僕がいた。

 隠されていたのは僕こと《ミモリ》の写真であり、住所、行動記録などのメモだったのだ。

 僕はアモとミサのことを知らない。

 でも、彼らは違った。

 部屋の中には望遠レンズと高性能なカメラもしまってあった。

 こういうものを使って、こちらを観察していた。


 何故? なんのために?


 ギーはしかめっ面を崩さなかった。


「……僕のファンクラブと掛け持ちしてたみたいだ」

「ただのファンじゃない」


 ギーが大量の写真の中から一枚を外し、僕の顔の横に並べてしげしげとみつめた。

 写真には六歳くらいの少年がうつっている。


「これは、お前にそっくりだ」


 ギーが神妙な顔つきでそう言った。

 そう、すごく似ていた。

 髪の色も、瞳の形も、自分で言うのもなんだが、ぼんやりとどこを見ているのかわからない表情がとくによく似ていると思う。


「いいことに気がついたね、ギー。僕も新発見があるよ」


 混乱する心を押さえつけて、なんとか平静を装う。


「何だ?」


 僕は本棚に画鋲でとめられた、本人ではなく殺人現場のミニ・ポスターという趣味の悪いそれを外し、ギーにみせた。


「彼らが崇拝するこの殺人鬼は七年前、某国の地方議員の息子を惨殺した。有名人や著名人を狙った犯行は、その一度きりだったけど、殺害現場に彼のサインが残されていて、それで一躍人気者になったんだ。――彼の名前はダダ。サインはDAだ」


 ダダ。


 彼はときにはプロの暗殺者のように、ときにはただ残忍に人間をただのミンチにかえた。何度も、何度も。

 戦争とはなんの関係もなく、国境を越えて殺人を繰り返し、ただの一度も捕まらず、犯罪現場に残された共通点やプロファイリングがその存在が現実のものだと裏づけた。

 本人のものとまことしやかに囁かれ、後にまったくの赤の他人の不幸な誤報だとわかったチャーミングな白人男性のピンナップはネット上を駆け巡り、ファン達は別人と知ってなお定期入れの裏にそれを忍ばせたりしている。

 その間違われた別人は、ずっと前に自殺していた。

 ダダと疑われたことで仕事や家族をうしない、殺人鬼を愛する頭のおかしい狂人たちが自宅に押し掛けてくるようになったからだ。

 ダダはある種の都市伝説と同じだ。

 彼は愛情や思いやりという人間らしい感性をひっくり返して、その裏側に何があるのかを良識ある人々にみせつける影法師なのだ。







 セブンスの乾いたセピア色の空気を吸うと、やっと落ち着いた気分になった。

 平静というものがどんなものだったかを、おぼろげながら確認した気分だ。

 僕のたよりない精神の不安定さに拍車がかかったのは間違いなくギーと二人で夫妻のアパートに行ってからのことだ。あの不気味なコレクションを目にしたら、誰でもそうなる。


 ギーと待ち合わせまであと十五分くらい時間がある。まだ彼は来ていない。

 テーブル席に座りコーヒーを注文するととたんに暇になる。

 そうなると人の常というやつで、つい必要のない邪魔なことを考えてしまう。

 あの夢のこととか……。

 あれが実体験なのか、それとも映画や犯罪テレビドラマのワン・シーンなのか、まったくの妄想なのか、それは記憶のない僕自身には区別がつけられない。

 だけどあの場面を夢にみると、つい恐ろしい想像をしてしまう。

 自分の手があの女の子の血で真っ赤になっているところだ。

 夢の中にはないのに……。

 どうしても想像してしまう。

 横たわる遺体のつめたさや、その髪のやわらかさ、ぬるりとした血の感触、足の下に感じるボートのゆれを。

 そしてその感覚を、僕はどこかで知っているような……あと少しで思い出せる、そんな気がするんだ。そんなはずはないのに。

 もう一度忘れたほうがいい、と言ったクレアの言葉はただの感傷ではないような気がした。

 クレアは僕の過去を知っているだろうか。その可能性はある。

 あの夢は、僕が忘れてしまった過去のことと関係があるのではないか……。それで、忠告をしてきたのかもしれないと思った。

 ありそうな想像だ。

 忘れた記憶を取り戻してしまったら、ここにはいられない。

 それは自分の望みではない。

 そのはずなのに、忘却した記憶のことをつい考えてしまう。


 僕は、むりやり違うところに意識を向けることにした。

 

 マスターがラジオを聞いている。

 遠い国の、そして少し古いロックバンドの曲が流れている。そのノイズが聞こえてくるのは、逆に落ち着きをとりもどすのに一役かってくれた。

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