Chapter3-4「事案13-3:オーク・ゴブリン襲撃3」

「このバカ鳥!馬車まで戻ってるとか言うから無駄な時間使っちゃったじゃないか!」

全力で走りながらカーネイジがミグラントの背中を叩く。

「いでで、藤森ちゃんのことだから戻ってるんじゃないかなって思ったんだけど、普通にそのまま洞窟に入ったみたいだね、今頃大暴れしているところじゃない?」

「その普通が困るんだよ!まだ一人分も返せてないんだから!死なれてたまるか!」

怒鳴りながら洞窟を目指す二人の前に、ボロボロになった若手の冒険者たちが現れる。格好からして、洞窟からどうにか逃げたのだろう。そう気づいたカーネイジが即座に立ち止まる。

「銀級の…ネージュとミグラント!?」「あのミグラント!?」

冒険者たちは救い主が来たかのような反応を示す。銅級ですらない彼らにとって、銀級である二人は雲の上の存在とはいかなくても吟遊詩人の詩に語られる勇者並みには話題の人物である。

「そ、ぼくはそのネージュさ。ここでレイドクエストが始まったと聞いてきたんだけどなあ…」いつも通りの気さくな笑顔で一行に言う彼女だったが、冒険者の一人が「洞窟にウェステッドが現れて…」と言ったところでカーネイジは一行を跳び越すようにジャンプした。

直後、突風が吹いたと思ったら、その冒険者たちが一瞬で上半身と下半身を切断され、ズタズタに引き裂かれた。

「教授、好みの子がいたからって手が出るのは感心しないなあ?」

「アキチじゃない!上から来るよ!」そうミグラントが背中に背負ったライフルを構えるのと、ミグラントが後ろに飛び退いたのは同時。

無数の花びらと蝶々が竜巻と共に地面に降り立ち、中から先程去ったはずの妖精女王(仮)、ティターニアが姿を現した。

「さっきの奴だ!いなくなってなかったザマス!」「王を見て逃げるほどじゃなかったか!」

ティターニアは変わらず蕩けるような笑みを浮かべながら、手にした若葉か若芽を模したような杖を振りかざす。

直後、杖の先から氷の雨がカーネイジ目掛けて放たれ、彼女のいた地面を一瞬で凍結させた。「氷使いか!?」「まだ来るよ!」

続いてティターニアは杖の先にピンク色の光を集めると自分の足元に光を落とす。

すると彼女の足元から人の脚ほどの太さはあるだろう茨の蔓が瞬く間に生えて急成長し、植物にしては速すぎるスピードで二人に襲い掛かった。ミグラントは鴉のように黒い翼で飛んで蔓を回避し、カーネイジは先程と同じく手から炎を放って蔓を焼き払い、槍を構えて一気に飛び出す。まるで狼のような敏捷さで蕩けた表情のままで浮いているティターニアに急接近して槍を振り下ろす。太い樹木に刃を叩きつけたような鈍い音が響いて、カーネイジの顔色が変わる。

何故ならティターニアは戦いどころか何が起きているのか、自分が何をしているのかさえ分かっていないような表情のまま手にした杖で槍の一撃を防いでいたのだから。

蝶の翅が羽ばたき、ゴウと風の唸り声がカーネイジの耳に入ったと同時に彼女から距離を取る。と一歩遅れてティターニアを挟むように竜巻が二つ現れて襲い掛かってきた。竜巻は地面に激突して消え、後には何重のも刃に切り刻まれたような跡が残った。

冒険者を細切れにしたのは間違いなくこの竜巻によるものだとカーネイジは勘づく。

攻撃が一向に当たらないティターニアは、表情を一切変えずに杖を振り回して次々と魔法を繰り出していく。杖の先に青白い稲妻を蓄えたと思ったら、空中で彼女に銃を向けたミグラントの頭上目掛けて雷が落ちてきて、危うく黒焦げになるところで彼は回避し、地面すれすれを飛行しながら銃に着剣された銃剣を突き出すが、今度は淡いピンク色の魔法障壁がこちらを見ることなく発動し彼の突撃を防いだ。

その隙を縫ってカーネイジは大きく息を吸うような素振りをして口から火炎放射を放つが、対するティターニアは向かってきた火炎よりも巨大な炎魔法を放って相殺。

それどころか打ち消し合った炎で視界が遮られている間に、正面に怪しくピンク色に光る魔法弾を放つ。しかしすでにその先にカーネイジはおらず、彼女の側面から槍を突き出すも、ふわりと形容するような浮き方で彼女は高度を上げて槍を回避。

その浮いたところを狙ってミグラントが発砲すると、今度は彼女の頭部に命中した。

しかし命中とは言え掠めただけで、鮮やか過ぎて逆に不気味な赤色の血を流すだけで彼女にダメージを与える事は出来てなかった。そもそもウェステッドに、弾丸が掠めた程度の出血で止まるということはそうそうないのだが。

お返しとばかりに杖を彼に向けると、紫色の輝きの後に太いビームを放つ。

「あわわわ!!」ミグラントは慌ててビームを回避し、その間に再装填してもう一度撃つが、今度は魔法障壁が弾丸を防ぐ。

遅れは取らないが相手を攻めることが出来ないという状況が出来上がっていた。

「駄目だカーネイジ!こいつ想像以上に強いザマス!」「攻防一体とは恐れ入るよ全く、ぼくもそうなりたいものだね!」

二人がそう話す間にティターニアは杖を掲げたと思ったら紫の光が強まり、無数の光線へと弾けるように分かれて二人の居る場所に降り注ぐ。

光の雨から先に飛び出したのはミグラント、遅れてカーネイジも脱出する。どうやって直撃を避けたのか、服が多少焦げた程度で済んでいる。

「君、この間相手の魔法やらスキルを封じる手段があるとか言ってなかった!?」

「あれは詠唱がある程度必要な上にあいつ、ぼくら二人が別角度からかかっても隙がない!きっと蟲種の複眼だね、今君が瞬時に背後に回っても、少し後ろを向いただけでぼくを捕捉しながら君を捕捉できるよ!」

「その上で第四形態の複眼か!こめかみの辺りに赤い目みたいのが一瞬見えた!後ろを向くどころか、アキチを元ある目で見ずに捕捉してるだわさ!」

ティターニアの隙のなさの理由を見つける二人だったが、分かった所で二人が出来ることは魔力切れを狙うくらいであった。

それほどまでに、ティターニアの魔法攻撃が熾烈なのだ。

こうして話している間にもティターニアは一方的に様々な魔法を発動してはマシンガンのように放ってきていた。

巨大な氷柱を発射してきたと思ったら、着弾箇所に生えた氷の花目掛けて落雷が落ちたり、ピンク色に光る魔法弾を言葉通りマシンガンめいて無数に連射してみせたりとまるで魔法の見本市か、魔法の見世物を見せられているようであった。

問題としては全てが殺傷能力に優れているのと、魔法の標的が自分達、なのだが。

しかし二人も数々の戦いを生き延びたベテラン。彼女の魔法に掠ることはあっても直だけは避けながら再び徐々に距離を詰めていく。

すると広範囲の魔法は自分にも被害が及ぶのか、二人を狙うように魔法弾で狙い撃つようになる。がカーネイジは気づいた。

ティターニアは遭遇した時から、二人を強襲した時も、今も。

蕩けるような笑みを浮かべたままだということに。

そもそも、魔法を次々と放ったり、一度は離れた相手を再び襲ってみせたり、距離や状況に応じて魔法を使い分けるということは、それなりの知性は残っているはずである。

そうなれば、普通は何らかの感情を見せたり何かしら喋ってもおかしくないのだ。

例えば嘲笑、例えば苛立ち、例えば怒り。

なのに、ティターニアはただ優しい姉か、母のような笑みを浮かべたまま何もしゃべらない。

「笑いだけが残った感情かな?」「あるいは喜びだけかも」そう二人が言った時だ。

彼女は二人を見ると、その笑みを浮かべたまま口を開いた。

二人の耳に入った彼女の言葉は、いやになるほど優しく、甘えを許す姉のような声色だった。


「もっと、あそぼ?」




一方、ゴブリン視点で四体目のウェステッドだと発覚した椎奈は起き上がりざまにまず正面のオークに渾身の頭突きを繰り出してその顔面を頭蓋骨で粉砕。

オークが後ろのめりに倒れ、続いて大剣を振るって周りにいたゴブリンたちを一掃するように切り捨てた。

チーフがおとぎ話か転生者の無双を見ているような光景を一瞬見て、直後に精神が戦いに戻る。自分に出来る事、それはウェステッドをここで倒す事。

鞘から引き抜くはロングソード…ではなく、剣のような形をしたメイスだ。

ソードメイスには札のようなものが何枚も巻き付けてあり、まるで封印された武器のような雰囲気を醸し出していたが、勿論そんな逸話がありそうな武器ではない。

魔物もまたウェステッドと転生者という天災への対抗策を編み出しており、これはその内の一つである。

左手には円状のシールドを持つ。小型で取り回しがしやすく、チーフとは言え一般のゴブリンよりやや大きい程度の彼でも十分使いこなせるものだ。こちらも高級でもない、鉄と木製のありふれた盾だ。多少は見栄を張るように、双頭の鷹の絵が描かれており、実際彼は気に入っていた。

ハッ!と声を出して彼はウェステッド、椎奈に向かって飛び出す。後ろで先ほど椎奈に弾き飛ばされたゴブリンが何か言っているが、彼の耳には入ることがなく、代わりに触手に絡め取られて脚のような棘に身体を削られながら締め付けられるゴブリンの悲鳴が入っていた。

逆に椎奈が彼の掛け声に気付いてそちらを向き、両手を広げて彼に立ち向かう。

多くのゴブリンがそうするように彼も狭い洞窟内で跳び上がって、椎奈目掛けてメイスを振り下ろした。しかし椎奈の動きが間に合い、左腕が一撃を防いだ。

響いた音は鈍く、椎奈も痛みで顔が歪むが左腕が折れた様子はなく、防いだことで勢いを殺された彼の腹に触手が向かっていく。

次の瞬間、刀身が爆発した。爆発と言っても小さなものだったが、その爆発は椎奈の左腕を吹き飛ばなかったのが不思議なほど無惨な状態に変えた。

爆発によって生じる激痛で椎奈が悲鳴を上げて剣を落とす。そして右手で左腕を押さえた。

ゴブリンを締め上げていた触手が慌てたような動きで彼に向かって捕らえたゴブリンを投げつける。ゴブリンは彼が着地した時に彼にぶつかって、勢いに負けた彼が倒れる。死体となった仲間を押しのけながら左腕に与えた効果を見て、苦い顔をする。

確かに左腕は酷い状態だった。骨が折れていないのが不思議なほど肉が剥げ、少々焦げた赤黒い断面が幾つも出来ていた。勿論ウェステッドでもここまでの損傷で動じないということはないし、事実椎奈は悲鳴を上げて転げ回っている。

しかし、彼が本来狙ったのは頭だったし、このメイスに巻き付けた爆発札なる、魔法アイテムは低品質のものであるため強靭な生物を倒すのに使うなら、なるべく多くの札を接触させる必要があった。

ならば本来狙うなら胴体で、小柄な彼の身体なら大柄な椎奈の胴体に一撃を加えれる可能性はあったが、触手の存在があった。下手に飛びこめば、触手にやられる。

ならば多くのゴブリンがそうするように跳躍からの頭部への一撃を選択したのであった。

激痛と怒りと苦痛に歪んだ椎奈が左腕から手を離すと、触手が左腕に巻き付き、まるで触手で傷を塞ぐようになった。いや、違う。のを、彼は見た。

まるで傷を塞ぐようにではない、に自分の一部を使っているのだ。まず触手が腕よりもやや太い程度の太さになり、続いて黒い甲殻にヒビが入り、脚のような棘が腕に食い込んだところで修復が終わったのか、悶えていた椎奈が悪趣味なデザインのリストブレードと大剣の二刀流のような状態で再びこちらを向いた。

その様子に息を飲むが、彼もまた覚悟はずっと昔から決めている。

どんなウェステッドだって、油断してはいけないのだと分かっていた。

椎奈が暴れているのに乗じて、女性たちが逃げていく。クローンたちがそれを追おうとするのを彼は見て声を上げる。

「お前ら!女は放っておけ!こいつを倒せ!」

「俺たちの、転生者ののけ者を!」

上位個体からの直々の命令を受けた彼らは即座に武器を取り、敵に向かった。


そして現在に至る。


「フーッ、フゥーッ!!」息を切らしながらオークとホブゴブリンと斬り合う椎奈。

爆発を受けた左腕は、内側から蟲に変じようとしているような異形の形になっていたが、傷は回復したようだ。しかし最初に述べたように椎奈は追い詰められている。

「ゴブリン隊、槍でもう一度突撃せよ!それで追い詰めれる!」

チーフの命令を受けたゴブリンが槍を構えて一斉に椎奈に突撃する。

足や脇腹に次々と槍が突き刺さり、更にゴブリンごとオークが押し出して槍が折れる前に椎奈を壁に叩きつけた。その衝撃で槍も折れるが、遂に状況的に追い詰めた形となった。ビクッビクッではなくビキビキッと表現されるような、痙攣するような動きをしながら触手が震えながらオークに前に押し付けられても兵士としての役目を果たすべくナイフを構えたゴブリンたちを薙ぎ払うが、ホブゴブリンが触手を掴んで抑えた。その二匹を人間の脚サイズの蟲の脚のような器官が殴ったのか蹴ったのか分からないがとにかく致命的な打撃を与えてそれぞれくの字と逆くの字に曲げて吹き飛ばすが、別のゴブリンがそれにしがみついて動きを封じる。自由になった触手がゴブリンを排除しようとして、死体の山に隠れていたゴブリンが折れた槍の穂先を掴み自らを釘めいて触手に突き刺して壁に押さえた。

最後に背中からカマキリの鎌のような鉤爪が飛びだして脚を押さえているオークの頭蓋を割ろうと振り下ろされ、オーク損害を防ぐため犠牲精神が働いたゴブリンが一撃を自分の身体で防ぎ、最後に大剣で斬られ絶命していたはずのオークが低い体勢でタックルを繰り出し、椎奈の胴体を掴んで完全に動きを封じ込める。

「いいぞ!そのまま押さえていろぉっ!!」チーフが今度こそトドメを刺すべく、オークの背中を駆け上って今日一番の跳躍からの、全力でソードメイスをクローンたちによって無防備になった頭部へ振り下ろした。当の椎奈は組み付いたオークの頭を右腕で殴っていて、飛び出した彼には気づいていない。

「死ねえぇっ!化物ウェステッドぉっ!!」雄叫びと共に放たれた一撃は、確実に椎奈の頭部へと向かい――彼女の頭上で爆発が炸裂した。

「!?」チーフは見た。鉤爪がゴブリンを貫いたまま持ち上がって一撃を防いだのを。しかし変わらず拘束されたままで、まだ自由に動かすことができた鉤爪は粉々に砕けていて、以前として彼女の危機は去っていなかった。

だが、無理矢理修復されたとしか見えない左腕が持ち上がって彼に原形を留めた拳を繰り出す。その時だった。

袖を引き裂きながら雄叫びと共に腕を食い破るかのように、巨大な爪のようなものが飛び出してきたのだ。その内一本は人差し指と中指の間から飛び出しており、巨大なリストブレードめいた爪は、真っ直ぐ彼の顔面へ向かう。

寸でのところで盾での防御に間に合うが、ウェステッドの死に物狂いの一撃を、ありふれた盾で防ぐのは容易ではない。

決死の表情を浮かべている彼の前で、盾は無残に叩き割られた。その衝撃だけで彼は吹き飛ばされ、クローンたちの死骸の下に落下した。

「んぎぎぎぎぎぎぎぎいぃっ!!!!」歯を食いしばるような声の後、椎奈が胴体に組みついたまま絶命したオークの身体に両手を回し、逆さまに持ち上げて胴体から引き剥がした。そのままパイルドライバーめいて地面に頭部を叩きつけて粉砕。

オークが持ちあげられたという光景を目の当たりにしたゴブリンたちの力が緩み、まず抑えられていた脚型器官、後に「巨蟲の脚」と名付けられた器官が暴れてふるい落としたゴブリンの頭部を砕く。続いて「双頭の蟲龍」と名付けられるムカデのような触手が壁に釘づけにされた部分を切り離して拘束から解放され、横薙ぎにゴブリンを振り払う。

拘束を振りほどいた椎奈に、生き残ったホブゴブリンが食い下がるように彼女に棍棒を振るう。だがそれより早く左腕に乱雑に生えた爪が彼の顔面を殴り裂くように引き裂き、拳の殴打によって決して高くない知能を抱えた脳を無意味な肉塊へと作り変えた。

有利から再び一転。チーフが従えていたゴブリンたちは拘束を振りほどき、新たな器官と、より強靭な力を発揮した椎奈によって無残な死骸へと変わり、生き残ったのは数匹の槍を構えたまま震えているクローンゴブリンと、彼だけだ。

「ば、化け物が!」彼は心底忌々しく叫ぶと、両手でソードメイスを握り締めて彼女に斬りかかる。上位個体を援護するべく、クローンたちも甲高い雄叫びを上げて本日何回目かの突撃を行った。

椎奈も転がっていたバスターソードを死骸の山から引き上げて力任せに振り上げた。

それを見た彼は咄嗟にメイスで一撃を防いだ。金属同士が激しくぶつかる音が響き、続いて爆発音。渾身の一撃後にも残っていた爆発札が偶然にも大剣がぶつかった箇所に残っていて爆発したのだ。

盾がない中での至近距離での爆発で彼は左側に火傷を負ったような染み入る痛みを感じる。更にメイスも規格外の激突を受けた事で折れていた。

だが、椎奈の無謀な使い方に限界をむかえつつあった大剣も爆発とその激突で折れてしまった。爆発で折れた刃が彼の身体とは逆方向に飛び、暗闇で金属音を鳴らして消えた。

しかし椎奈は構わず折れた大剣を着地直後で隙だらけの彼の胴か、頭目掛けて突き出す。

それをクローンゴブリンが彼を突き飛ばして庇い、他のゴブリンが彼女から剣を奪おうと一斉に彼女に飛びかかる。一匹が椎奈の手に噛みつくと、少女らしい悲鳴を上げて大剣を落とす。しかし次の瞬間には、体液を撒き散らしながら先端部を再生させた触手が噛みついたゴブリンの胴を食い破るように貫き、そのまま大蛇めいて大剣に群がったゴブリンたちに飛び込み、振り回す事でそれらを薙ぎ払うが、椎奈自身は大剣が最早使い物にならないことに気付くと、顔を覆うような素振りをして、それから何回目かの雄叫びを上げた。

苛立ちか、怒りか、クローンたちを蹴散らされたチーフには何故目の前のウェステッドが吼えているのか分からなかった。

だが彼には、この後殺されるのは自分自身なのだとすぐに分かった。

手下も、武器もない。相手はウェステッド。自分は手負い。

その時、彼と椎奈の耳に少女の悲鳴が飛び込む。先に振り向いたのはチーフだった。

見ると、この状況で、あるいはこのか、一匹のホブゴブリンが逃げ遅れたのだろう、一人の少女に覆い被さり、襲い掛かろうとしていた。

何らかの勝機をはじき出すより早く、彼がそのゴブリンに命令を与えて行動を中止させようとするよりも早く、椎奈がホブゴブリンを後ろから抱き締めた。

いや、抱き締めたのではないと彼はすぐに気づいた。


少女、メア・グリムスの眼前でホブゴブリンの巨体が、自分よりやや太い程度の女性の両腕に抱き締められるように持ち上げられ、そのまま凄まじい力で締め上げていた。

チーフと彼女の頭に浮かんだのは、ベアバッグという抱き締めるような拘束攻撃だ。

だがメアは女性がホブゴブリンほどの体格の魔物にその技を繰り出すなど聞いたこともなかったし、チーフもまた、ホブゴブリンほどの体格が、ほぼ同じ身長の人型生物に持ち上げられてベアバッグを決められるなんて話など聞いたことがなかった。

ゴブリンから絞り出されるような悲鳴が聞こえ、それを掻き消すように骨や内臓が潰れ砕け折れるような音が二人の耳に入る。

そして、ゴキンッ!と一際大きな音が鳴り、椎奈がようやくベアバッグを辞めて、膝から崩れ落ちたゴブリンの頭を、両方から殴り潰した。飛び散った脳漿と歯がメアの顔面に降り注ぎ、自分を襲ったゴブリンの血で真っ赤になったメアが再び大きな悲鳴を上げた。

次の瞬間、今度はチーフの前の地面が大きく盛り上がったと思ったら、人間のような悲鳴を上げながら巨大なネズミの化物が飛び出してきた。

魔物に巨大ネズミの姿をしたものがいるが、チーフの前に現れたこのネズミは魔物ではない。

六つの目を忙しなく振り回すその怪物はバイトマウスであった。罠でムレガタリと共に地下水脈に落とされたはずだが、何らかの方法で戻ってきたのだろう。

彼は椎奈を見ると何かの記憶が甦ったのか、続けた。

「ききっ君!もっモデルに、モデルにッ!興味、興味ありませんかあぁぁぁっ!!」

そう叫んで椎奈の前で大きく口を開けた。異能を使うつもりだとチーフは気づく。

対する椎奈は頭を叩き潰したゴブリンの遺体を掴むと、マウスに投げ飛ばす。

マウスに向かって投げられたゴブリンの遺体に、見えない怪物に食われたかのような円状の穴が空いて、次の瞬間椎奈の拳が遺体の胸を貫くと、心臓に残された大量の血がマウスの顔面を覆った。血が自分に降り注いだとマウスが理解すると、別の記憶が呼び起されたのか悲鳴を上げた。

「わああああ!知らない!おじさんの車の中身なんて知らない!知らなかったんだあああ!」何を思い出したのか、マウスは叫びながら異常に発達した、刀のような鋭い爪を振り回してその場で暴れ狂った。血で前が見えていないのだ。

「きゃあ!」少女の悲鳴をチーフは聞いた。悲鳴の方を見ると、メアの顔のすぐそばに遺体に空いた穴と同じ穴が空いていた。続いてマウスを見れば、見えていない中で顔を振り回しながら異能を発動しているようで、彼の付近の壁や遺体に次々と穴が空きだしていた。

それに気づいた瞬間もチーフの頭の数センチ上にも穴が空く。「目が見えていなくてもがむしゃらに出せるのか!なんて化物だ!」

叫びながら噛みつきを繰り返していたマウスが急に停止する。その胴体に椎奈の腕から生えた爪が、彼の胴に突き刺さっていた。彼は腕を振り払うように自分の爪を振り回すが、彼女の腕はそれより先に引き抜かれ、薄暗い洞窟でも、彼から血が噴き出すのが見えた。マウスは自分の血が爪に付いて、またも悲鳴を上げた。

自分が傷ついたことによるものではなく、それによって再び記憶が甦ったからだ。

「あああああ!父さん!父さん!どうして、どうして自分を!あああああ!!!」

そう叫び、彼は椎奈へ飛びかかる。その口はこれまで最も大きく開かれている。

悲痛な悲鳴を上げていても、ウェステッドとしての性質は血を望むかのように、チーフは見えた。マウスが何を言っているのか彼には分からなかったが、その獣の声を人間が真似ているような叫び声を、彼はどこか悲痛なものに聞こえたのだ。

そのマウスの顔面に、椎奈は右ストレートを打ち込んだ。チーフの方からは見えなかったが、ハムスターよりは普通のネズミのようなその顔の顎が拉げ、砕け、皮膚と歯茎を破壊する。その一撃で勢いが完全に止まり、続けて左腕の爪が再び胴に突き刺さると、そのまま抉るように彼の胸を引き裂いた。

「ぎゃあああっ!!あ、ああ…しゃ、社長…!」マウスが自分の胸を抑えながら何事かを言い始める。彼が彼になる、最期の記憶が激痛でよみがえったのだろうか。

「救急車、救急車を…社長、社長…救急車…呼んで…」そう言って、一際大きな叫び声を上げたマウスは、そのまま足元に広がった自分の血の海に倒れた。

そして数回痙攣して、動かなくなった。

バイトマウスがバイトマウスと呼ばれ、冒険者や魔物に知られていたのは、異能により一撃死の危険性を有していたからだった。それでなくても、彼の爪や牙は全金属製の鎧を引き裂き、噛み砕くことが可能であり、彼の手にかかった人間の中には訓練を受け鎧に守られた兵士や、経験と装備が整っているはずの銀級の冒険者も含まれている。

それは魔物側でもほぼ同じ事であった。おまけに、彼もまた多くのウェステッドと同じように潜伏生活を送っており、こうして姿を現す事は珍しいことであった。


そんな事を思いながら、チーフは反射的にマウスの死骸に近寄って死体から血液や、体毛を採取する。魔物も人間も、ウェステッドを調べるという発想があることから起こした行動だった。

近くに椎奈がいることも、恐怖と驚愕で忘れ、彼はサンプルを一通り回収して、それから椎奈の存在を思い出して、思い出したかのように腰を抜かした。

そんな中でも彼は彼女の種族が気になっていた。

始め、彼は椎奈を蟲種だと思っていた。しかし、蟲種は他種族に比べて膂力、即ち身体能力が低いとされている種族と言われている。

その膂力は蟲種が出すにしては強すぎたのだ。そもそもゴブリンの頭蓋骨を殴り潰せる時点で無茶苦茶である。ならばと彼は続いて、蟲種と獣種の「複合種」と考えた。

これなら虫のような器官を発生させながら、獣種のパワフルと呼ぶにはあまりにも暴力的すぎる膂力を発揮することもできるのだ。

しかし、彼の何処かで、数あるウェステッドの遭遇経験がと言っていた。

そして、行きついた答えは一つしかなかった。

「あ、あぁ…」頭の中で驚くべき冷静な思考をめぐらしている中、自身の口からは情けない、蚊の鳴くような悲鳴が漏れていることに彼は気づいた。

彼女の顔がゆっくりとこちらの方へ降りていくのが、薄暗い中でもよく分かるゴブリンの夜目の強さを、彼は生まれてきて一番後悔した。

そうして目が合い、反射的に彼は目を閉じた。その時、奥の方から何回も聞いた雄叫びが聞こえた。オークチャンプ、カブラカンの理性を失った叫び声だ。

その叫びを聞いた椎奈が顔を上げて、対抗するように叫んだと思ったら、いつの間に手に取っていたオークのロングソード(人間の物に比べるとやや短い大剣に見えるサイズ)を握り締めて声がした方へ走り去っていった。


カブラカンがいる先には負傷者もいる。そんな思考が彼の中に去来するが、身体が動かなかった。自分より遥かに巨躯を誇るオークチャンプと、同サイズのホブゴブリンやオークの肉体を破壊できるウェステッドの戦いに飛び込んだところで、どちらかの攻撃を受けて木っ端みじんにされるのがオチだと、全神経が告げていた。

ふと、ゴブリンに襲われていた少女の方を見る。

顔面にゴブリンの血を浴びた事で放心状態になっていた少女の頭部からは、犬のような耳が生えていた。人間の耳も生えているのも見えたので、彼はすぐに少女が獣人族と人間のハーフなのだと気づいた。

身体を引きずるように少女に近づくと、彼はひとりでに話し始めた。

カブラカンか、ウェステッドが倒れれば恐らくどちらかが他に生き残ったものを探しにくる、そして殺す。

あるいは遅れたヒーローこと転生者がやってきて、自分を殺す。

だから、その前に、助けられるであろう少女に自分が思ったことを話しておきたかった。


「おい、おい…生きているか。生きていなくてもいいんだが、俺の話を聞いてくれ。俺はきっともうすぐ殺される。俺たちを率いたオークは、女神の矢に射られて化け物になってしまった。敵と味方の区別もついているのか分からない、粗暴な、吟遊詩人の詩うオークになってしまったからな。俺もミンチにされるだろう」

「だがもしお前が生き延びたら…そのオークが本当は聡明なお方、カブラカンというオークだということを覚えてくれ。そして俺の名前も。お前たちがハイ・ゴブリンと呼ぶゴブリンの高知能個体。実際は本物のゴブリンと言うべきか。その本物のゴブリンだ。俺はグエンと言う。これでも戦争の時代に武勲を上げて名を持つことを許された、立派なゴブリン貴族の末裔なんだ。いいか?俺の名前はグエンという」

ゴブリンチーフことグエンは度々少女の顔を見て、続ける。

「転生者が現れ、続けてウェステッドが現れて以来、この世界は大きく変わってしまったし、お前たちの戦争は元に戻った。人間対魔物から、人間同士の争いになった。知っているか?お前たちと俺たちが殺し合う前、お前たち人間は人間同士で戦争をしていたんだ」

「もし生き延びて俺の話を聞いていたら、吟遊詩人に歌ってもらうか図書館で歴史書を開いてみろ、人間視点でどう書いてあるか知らないが、俺の言っている人間同士の戦争と言うのはちゃんと記してあるはずだ。王立図書館だと怪しいが」

「さて、俺が一番聞いてほしいのはウェステッドだ。そうだ、お前を助けるようにゴブリンの頭を殴り砕き、大勢の魔物を一体で叩きのめした奴の種族だ。お前がどこまで奴らについて知っているか知らんが、奴らには七種類の種族がいる事は知っているだろう。最も数が多く、最も汎用性が高いという獣種から最も数が少なく、最も強いとされる機械種まで、鳥、蟲、水棲生物、竜、植物の七種類だ」


「だががいる、というのは実はあまり知られていない。俺はさっきの奴は、その八番目の種族だと思っている。いいか、ウェステッドに関するまやかしは半分は当たりだが半分は全てデマだ。奴らと遭遇して生き延びたいなら、奴らを知れ。だから生きているなら、八番目の種族について覚えてくれ」

遠くの方で叫び声が聞こえる。ゴブリン特有の甲高い悲鳴と、オーク特有の野太い雄叫び、そして人間が化物の鳴き声をまねているような叫び声。辿り着いてしまったんだなとグエンは思う。

「俺たちの努力で得る事が出来たウェステッドからの証言によれば、八番目の種族の名前は深淵種というらしい。転生者が、またはに住まうと信じられる、の存在。異形の者共」

「ウェステッドからもウェステッドを体現する種族だと言われている。でもどんな力があるのか分かっていない。奴らも知らないらしいんだ。なんせ今まで目撃された深淵種はどれもで、暴走状態のウェステッドは同士討ちも躊躇なくやるから、同族でも話も聞けない。ただ分かっているのは、いるらしい、だそうだ。二種類の種族が混ざった複合種というのがいるのは人間の間でもよく知られているが、深淵種は一種類多い。だから三種類の得意な身体能力を発揮できるから強いんだと知る事が出来た」


「さっきの奴は、獣種の膂力に、蟲種の器官。そして、水棲種の滑らかで艶やかな動きを見せていた。お前は見てないが、奴の動きには妙な艶があったんだ。そして間近にしてそれが錯覚じゃないと分かった。あの頑丈さも、恐らく蟲種の特徴だ。奴らの甲殻は転生者の銃火器も場合によっては弾くからな」

そこまで言うとグエンは大きく息を吐く。喋り終えたよりは、肉体に溜まり切った疲労が息として漏れてきたのだ。

「…さっきの戦闘で体に無理をさせ過ぎた。こう見えて歳でな、本当なら俺は逃げるべきだったんだ。だができなかった。仲間が…カブラカン様の癇癪に巻き込まれて重傷を負ったんだ、見捨てる事が出来なかった。…結果的に見捨ててしまったが」

「最後の話だ。生き残って転生者や冒険者に助け出されたら…特に前者に助け出されたら…動けるようになったらすぐにこの辺りを離れろ。奴らの女になるのは…俺たちの孕み袋になるのと同義だと思え。奴らの独占欲は、男も女も桁違いだ。後者だったら、ゆっくりしてから故郷に帰るか、冒険者を続けるか、選ぶんだ」

「この世界で生き延びて、人並みの幸せを得たかったら、何かを捨てて、何かの流れに任せるしかない。それは人間も、魔物も一緒なんだ。たとえその幸せが、一瞬で消えてしまうものであっても」

そこまで話して、グエンの疲労が限界に達し、彼は息を引き取るように気絶した。




一方、ティターニアの声を聞いた二人の前に放たれたのは特大の大木だ。

何らかの方法で急速成長させた木を、念力のようなもので持ち上げて高速で投擲したのだ。

「物理まで披露するとはね!本当に遊んでるつもりザンスか!」

「全く、ムカつく奴だよ!と思ってるところとかさ!」

言いながら回避したカーネイジが手を組んで目を閉じ、何やら唱え始めた。

「きゃははは!あそぼう!遊びましょう!みんな一緒に、お姉ちゃんと一緒に!」

突然知能指数が上がったようなことを喋り出したティターニアも、杖を魔法少女のように可愛らしく振り回し、ピンク色の妖しい光を撒き散らし始めた。

何をする気だ、とミグラントが思った次の瞬間、視界の端から何かが襲い掛かったのを見て、回避できずに激突した。

「な!?」ミグラントが衝突してきたものを見ると、それは女性だった。

それが先程ティターニアの攻撃を受けて死亡した冒険者で、身体中にツルや根が張り、花まで咲いている死体であることを除けば、女性だ。

見ようによっては妖精の国の騎士と名乗ってもいいような様相であった。

「こいつ、死体まで操れるのか!なんでもできるって羨ましいよねカーネイジ!」

「今集中してるから話しかけるな!」男口調で怒鳴るカーネイジとは裏腹に、ティターニアは魔力か何かで浮遊している死体を侍らせて笑っている。

そして、再び杖に魔力を充填したかと思いきや、とてつもない大きなの氷塊を産み出して放った。

「カーネイジッ!」ミグラントが叫ぶが氷塊はまっすぐカーネイジに激突した。

が、次の瞬間、まるで時間が撒き戻ったかのように氷塊は彼女の目と鼻の先で止まり、ティターニアに跳ね返り、避ける間も障壁を張る間もなかった彼女に直撃した。氷の結晶の形をした魔力が周囲に舞い散る中、カーネイジは正面に展開した虹色に煌めく壁を前にいつもの笑顔を見せていた。

隠しておきたかったんだけどね」

「相変わらずウェステッド同士の殺し合いやりたがるザンスね。それで、その隠し玉は?」

「ぼくは虹色の障壁と名付けたよ。効果は見ての通りさ。でも本当に腹立たしいのは」


妙に長い間滞留していた霧が振り払われると、そこには身体の花々が多少萎れたティターニアが、といったような笑みを浮かべて漂っていた。侍らせていた死体は、直撃に耐えられなかったのだろう、元の物言わぬ死体に戻っていた。

「…奴はそれなりにできる奴だってことだよ」

「自分自身の一撃を受けたはずなのに、全然効いてない…」

数多くの魔物や猛者、ウェステッドを見てきたと自負する二人だが、ティターニアのような大物は実のところ珍しい存在だった。

「これ以上隠し玉は使いたくないんだけど、仕方ない…」そう言って次の隠し玉を出そうとしたカーネイジの、胴体と顔に斬撃の線が入った。

一拍遅れてそこから鮮血が噴き出してから「へ?」と自分でも間の抜けた声だと思うような声が口から出たことと、攻撃を受けたことを彼女は認識した。

即死しなかったのは、ひとえに彼女がウェステッドであり回復能力が高いおかげだった。もし常人であれば、気づいたころにはバラバラに切断されていただろう。

「カーネイジぃっ!?」「なんだ、何を食らった、ぼくは何を喰らって…っ!?」

混乱する頭の中で必死に彼女は考えるが、ティターニアはニコニコと笑いながら、トドメとばかりに杖の先を向ける。

禍々しさまで覚えるほどに煌めく紫色の光が限界まで輝き―――


その直後に突然消滅した。「!?」二人が同じ反応を示すと、彼女も予想外だったようで杖を戻してまじまじと先を見る。すると「仕方ないなあ」のような笑みを二人に見せると「また、お姉ちゃんと遊ぼうね」と言って、自身を竜巻に包み込んだと思ったら、その次には影も形もなくなっていた。

「なんだったんザンスか…」「多分、魔力切れだ。運が良かった、良かった…」

流石の彼女も死を覚悟したのか、へたりこんだ。



一方、声を追って辿り着いた椎奈の前にいたのは、仲間であるはずのゴブリンやオークに八つ当たりするように攻撃を繰り出し、絶命させている一際大きなオークだった。

乱暴を体現しているとしか言いようのない状態だが、オークは背中に船のマストのようなものを背負い、そこには暗い中でもよく映える赤と緑の旗が暴れる度に揺れているのが見えた。彼女はどこか、このオークは自分が殺したものとは違うものだと思った。

これはカブラカンを表すマストだ。日本で言う旗指物で、オークの強力な戦士は自ら背負うことで自分の存在を敵に知らしめる。

椎奈を視認したカブラカンが、両刃の大斧を掲げて咆哮を上げた。

椎奈も負けないような叫び声を上げ、奪ったばかりのオーク用のロングソードを地面に叩きつけた。その激しい金属音が開始の合図となり、まずカブラカンが地面を揺らすような足音と走り方で飛び出しながら斧を横に振るう。

その攻撃で彼を止めようとしたオークの一体が胴を切断され即死し、椎奈は後ろに飛んで回避して、着地と同時に刃先を向けて突進を繰り出す。

その突進に巻き込まれたゴブリンが身体を貫かれながら剣と共にカブラカンへ叩きつけられた。しかし、彼は自分の腕でその一撃を防ぎ、屈強な腕と強烈な突進の衝撃に挟まれたゴブリンはどうしたことか破裂した。

椎奈が剣を引き抜こうとして、彼の腕が剣を掴んで止めたため抜くのを諦めたように彼女は手を離し、せめてと言わんばかりに深く刺しこもうと柄を蹴飛ばした。

再び距離をとった彼女が今日何度目かの怪物めいた叫び声を上げ手を振るうと今日発現した新たな器官である、巨大な爪が腕を引き裂くように飛び出した。

続けて再生を終えた尖爪も背中から飛び出し、威嚇するように持ち上がった。

彼もまた洞窟が崩れそうな咆哮と共に斧を振り上げ突進する。

椎奈は突進を避けずに直撃を受けて壁に叩きつけられ、動きを止めたところにカブラカンが斧を振るう。それを反射的に身体から飛び出すように生えた脚が受け止め、勢いを殺しながら砕かれ、水で薄まったような赤色の体液と蟹の身のような筋組織が砕けた甲殻と共に宙を舞う。

斧をやり過ごした椎奈が自分の形に凹んだ壁から剥がれるように離れ、尖爪を向けて槍兵めいて突進をやり返し、大剣が刺さったままのカブラカンの腕、左腕に尖爪が大剣とは比べ物にならないほど深々と突き刺さった。

強烈な激痛が彼の野蛮化した脳を駆け巡り、本能から椎奈を振りほどこうとするが、彼女自身も予想外に深く刺さってしまい、振り回されると一緒に椎奈の巨躯も振り回されるだけで終わった。

結果、抜ける前に尖爪が千切れてしまい椎奈は天井に叩きつけられ勢いよく落下、加えてカブラカンのサッカーボールキックが脇腹を直撃し水平に飛んでいき、またも壁に激突する。しかし、その間にゴブリンが挟まっていたおかげで彼が椎奈と壁の間でプレスされたことで最初の激突よりもダメージはなかった。

血と吐しゃ物が混じったものを大量に吐き出した椎奈だが、それでも動きを止めることなく再びカブラカンに突撃。今度は大きくジャンプして、彼の顔面に渾身の右ストレートを打ち込む。彼女の拳から感じてはいけないような感触と音が響くが、構わずもう一撃、今度はカブラカンの額が割れて血が噴き出した。右手は複雑骨折以外の言葉で表現できないような幾何学的な形状へと変化していた。彼の骨の硬さだけでなく、強引な彼女の一撃に耐えられなかったのだ。

その一撃に流石のカブラカンも悲鳴を上げて顔を覆う。対する椎奈は満身創痍めいた状態でありながら勝利を宣言するように吼えて彼が手を離す直前に、脚が巨大な虫がストレートを打ち込むかのように彼の腹に重い一撃を叩き込む。

椎奈よりも巨体が、浮いた。

体勢を大きく崩された彼の右鎖骨の付近に、ボロボロになった右腕、そこから生えた大爪を突き刺して、なんと襟を掴んで持ち上げるかのようにカブラカンの巨体を半分ほど持ち上げたではないか。

そして、その顔面を狙って、椎奈の左腕が狙いを定めると、今度は左腕からどういう感情が働いたのか、歪な進化めいて三本の大爪が左腕のバラバラな部分から飛び出した。

更にビキビキと痙攣のような動きをしながら、彼女は強く、強く拳を握りしめると、感情に任せてトドメとばかりの一撃を彼の顔面に叩き込んだ。

今度は左手ではなくカブラカンの顔面、鼻が砕けた。続けてもう一発、すさまじい力で殴ったのか、カブラカンが大きく後ろに殴り飛ばされ、倒れ伏す。

動かなくなった彼に馬乗りになり、椎奈は何度も拳を打ち込む。

それを五回ほどやって、今度こそトドメを刺すように大きく拳を振り上げると、大爪も狙いを定めたように縮む。

そして、雄叫びと共にトドメの一撃を彼の顔、頭部に叩き込んで完全に叩き砕いた。

下顎から上を粉砕されたカブラカンの頭部から脳漿と血飛沫が噴き上がり、椎奈の身体に降り注いだ。


カブラカンを倒した椎奈は、そのまま彼の死体の上に座り込んだ。

またも体力を大きく消耗しての戦いだったため、竜騎士との戦いでも起こしたように、急激な栄養失調で身体が言うことを聞かなくなっていた。

肩を上下させ激しい呼吸を繰り返しながら、椎奈は未だに戦う相手を探しているように忙しなく辺りを見回すが、目に入ったのは死体と、死体だけだった。

ようやく安堵したように下を向いたと思ったら、突然顔を大きく上げて大声で笑った。

何もかもが楽しいか、おかしくてたまらないように。

それが終わると、カブラカンの横に寝転がった。やはり体力は限界であった。

満ち潮が引いていくように、楽しさも、闘争本能も去っていくと、次に湧き上がってきたのは。


「お、お腹空いたぁ…」

強烈な空腹感であった。


隣で何故か気絶しているゴブリンを放置し、道なりに進んだメアが見たのは辺り一面血の海、しかも他のオークより巨体のオークが頭上半分を失った状態で死んでいて、その隣でお腹空いたと呻く、満身創痍にしか見えない状態の椎奈ことシーナだった。

「シーナさん!?」「あ、無事でよかったあ…見ての通りわたし今、お腹空いて動けないんだ…右手の感覚もなくなっちゃってるし、起こしてくれるか、何か食べるものとか持ってない…?」

彼女が言うように右手を見ると、見るも無残な状態になっているのをメアは確認してめまいで倒れそうになる。しかし踏みとどまって彼女を抱き起こす。

彼女より大きな椎奈の身体を多少手こずりながら起き上がらせる。

「力、強いんだね…」「ギルドの方でも驚かれたんです、筋力を表すステータスが極めて高いって言ってました。シーナさんは、見た目通り重たいですね…」

「背が高いのとおっぱいが大きいだけが取り柄だからね…でも」

「でも?」


「とても、とっても、怖かったんだ。だけど、同じくらい、凄い楽しかったよ」

「楽しい、ですか…私は、怖いだけでした。ウェステッドが現れてから何があったのか、実はあまり覚えてないんです。後ろからオークに襲われて…」

「怪我はない?」「シーナさんに比べれば軽いものですよ、どんな戦いしたんですか、こんなボロボロになって…」「バイオレンスファイトかな…」

何を言ってるんだろうこの人は、と言う顔をしながら、メアは椎奈を担ぎながら出口へと向かった。

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