Chapter1-2「何もかもが唐突で」

椎奈が兵士から逃げ出し、兵士が街にウェステッド出現を伝え、門が閉じられる直前くらいに、彼女はどうにか街の中に逃げ込むことができた。

ぜえぜえと息を切らしながら椎奈は人ごみの中で長身を屈ませてこそこそと移動する。というのも顔を上げたらすぐ近くに先程の兵士と同じ格好をした人間が集まっていたからだった。

どうも何か(自分のことだろうが)あったようで門の周りには人間が詰まっていた。

「一体何がどうなってるの…?」耳に入ってくる言葉は明らかに英語のそれではないが、時々動画サイトで聞くような海外の言語にも聞こえない。

ここで彼女はようやくここが天国ではないと考えた。というより、多分ここは。

「異世界…?」異世界。主に剣と魔法の世界。子供を庇って死んだら異世界に転移していた。同級生が持っていた小説がそんな感じの展開が多かったような気がした。

しかし、思い返すと通り魔に刺されるか普通に事故で死ぬかが多かった気がする。

無職で家族に追い出された後に轢かれて死んだケースさえある。

そんな世界に、私が?と思った所で兵士がこっちを見た気がしたので顔を再び下げ、人ごみから逸れて路地裏へと入っていった。

喧噪が一瞬で消え去り、自分の足音と何処かにいる人間の小さな声だけが聞こえる。

さてこれからどうしよう。どうしたらいいのか。

「どうしてあの人たちは私を…」自分を殺そうとした男の顔が浮かんだ。

まるで化物を見つけたような表情だった。だがどうして?

格好と(自分の場合)体格を除けば何処にでもいそうな女の子なのに。

彼女はここである事に気づいた。目覚めた時に感じた背中の違和感がなくなっている。天使の羽(多分違うだろう)が引っ込んだのか消滅したのだろうか。


別の場所から外に出て、とりあえずほとぼりが冷めるのを待とう。

まあ、言葉が通じない以上行くあても打開策なんてあるはずもないのだけど。

そう考えて歩くが、自分から入っておきながら彼女は薄気味悪さを感じていた。

左右どころか上下前後からも見られている気がしてならない。生前は自意識過剰気味だと言われたのを思い出すが、これは過剰ではなく左右からは間違いなく気配を感じる。

を察した彼女は、足早に路地裏を去ろうと走る。しかしそれがまずかった。

それを見計らったかのように影から男が現れぶつかったが、想像以上の衝撃だったのかタックルを無防備な身体に受けたかのように飛んでいった。

その仲間だろうか、別の男たちがわらわらと出てきたがの因縁をつける前に尋常ではない勢いで飛んでいった男を囲んで起き上がらせた。

「?!akuboyziaD!iO」「!...uretiumemoriS」椎奈には分からない言語で吹き飛んだ男に呼びかけたり揺さぶるが、彼は白目を剥いたままピクリともしない。

「...ianayzignnE」一人がいつもの手口の演技ではない事に気づき、あわあわし出す。別の一人が二人に向かって何かを叫ぶと、その二人が男を抱えて走り去っていった。

そして、当の椎奈は「やっぱりか」とも取れる表情を浮かべたまま立ち尽くしていた。彼女本人はそんなつもりはないのだが、彼女は気持ちが表情に出やすいと周囲からは言われていたのだ。

そんなうんざりしたような気持ちがないのは、確かなのだが。


残った男たちが椎奈に近寄る。彼らはまず身長が自分らと同じくらい、中には自分よりも高い椎奈の身長に多少気圧されながらも、その豊満な胸に目が行った。この街の娼館ではまずいないサイズだし、彼らの記憶の中でも、このようなビッグサイズ(体格も)な女性は見たことがなかった。

だが彼らが次に気づいたのは、目の前の女の格好だった。「学都」の下級生徒の服にも似ているが、装飾が少なすぎる。しかしその服には見覚えがった。

「王国」では「テレビ」と呼ばれている、酒場に置かれた魔法機械で見た、転生者の若者の格好そっくりだったからだ。

つまり目の前の女は転生者。それも「学生」と呼ばれるもの。

だけど。一人は思った。目の前の転生者は、明らかにこちらの言葉が分かっていない。現に仲間たちが「どこに目をつけてんだ!」「どうしてくれるんだ?」と因縁をつけているが、当の本人は全く分かっていない、そればかりが何処かうんざりしたような表情をしている。

その様子を見ていると、死んだ祖母が言っていた言葉が脳裏をよぎった。

「言葉が通じない転生者に遭遇したら逃げろ」

続いてその理由を聞いたのだが、思い出せない…記憶の中の祖母は、酷く忌まわしいものを語るように、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

言葉が通じない転生者の何が、そんなに、のだろう?

思い出そうとしている内に、スキンヘッドの仲間が彼女に近寄っていくのが見えた。

言葉が通じない、女性にしては高すぎる身長に目を奪われるがやはりその豊満な胸は視界に入ってしまう。スキンヘッドが下卑た笑みで「このデカ乳で謝罪してもらわねえとなあ?」と胸を鷲掴みにした。瞬間。「きゃっ!?」と女が叫んで、咄嗟に腕を振るい、スキンヘッドを殴り倒した。

振り払ったではなく、言葉通りに殴り倒した。普通の彼なら逆上して襲い掛かるだろう。だけど、さっき運ばれた仲間と同じように殴り飛ばされ、そのまま壁にぶつかって気絶した。まるで自分と同じくらい、あるいはそれ以上の体格の大男に殴られたかのように。


あれ?私の感想はそれだった。はげた男の人がいやらしい顔をしながら何かを口走り、私の胸を鷲掴みにしたので振り払おうとした。するとあっさりと振り払えて、返す形で右フックを放ったら、漫画のようにその人は倒れてしまった。

少なくとも倒れた人は、実はガンか不治の病で身体が弱いとは思えない。世紀末ものに出てくる雑魚A~Zのいずれかにいそうな格好で、その身体も見た感じはがっしりしているように見えたからだ。

言葉が通じないように見えるし、さっきの兵士のことを考えるとこの人たちにも言葉が通じないだろう。つまり、弁明の機会や方法がない。

あの、こんなつもりじゃなかったんです。そう言おうと口を開いた時には、もう一人が腰に下げたナイフを引き抜き私に襲い掛かってきた。ナイフと言っても形がそう見えるだけで、大きさはベトナム戦争ものの漫画や映画で米兵やベトコンゲリラが持っていた鉈と同じくらいだろうか。

少なくとも刺されたり斬られれば普通に死ぬ。一瞬だけどそこまで考えた所で私は目を閉じた。ここが死後の世界だとするなら、ここで死んだら私は何処へ行くんだろう?


できれば、次は日本語が通じる世界がいいな…


アニメかゲームで散々聞いたような、刃物が何かに突き刺さる音と衝撃を感じた。

何だかゲームみたいだなあと思いながら気づく。痛くない。

そればかりか何か暖かい液体が顔に当たる。私から出てるとするなら方向がおかしい気がする。何より、

目を開けると、私は驚愕した。

目の前には苦痛に歪む男の顔。そしてその後ろには虫の腕のようなものが男の頭越しに見えていて、それは男の背中に深々と突き刺さっていた。

それはまるで手に提げたバッグのように男を上下に揺らしてから引き抜かれ、私の足元に男を落とした。ピクリとも動かないから、死んだのだろう。ゲームみたいに血だまりが出来上がっていくし。まあ人の腕くらいあるものが二本も背中に突き刺さっていて生きている方がおかしい。

むしろおかしいのは今の私の気持ちだ。殺されかかったと思ったら目の前で男が何故か死んだ。のに冷静にそれを見ている。あまりにも突拍子すぎるからだろうか?

私の代わりに、正しい表情や感情を向けているのは男たちだ。さっきまでニヤニヤしていた余裕は何処かへ行ってしまったのか、何か恐ろしいものを見ているような、恐怖に染まった以外で表現できないような表情で私の方を見ている。

中には何か叫んでいるものもいるけど、言葉が分からない私には何を言っているのか分からない。多分、化物とか、死にたくないとかだろうか。

彼らの視線で気づく。もしかして私の後ろに何かやばい化け物がいるんだろうか。

となれば、次に死ぬのは私?そう思った瞬間、急になくなったと思った恐怖が甦ってきたが、助けを求めようとする前に男たちが次々とナイフや剣を腰に下げた鞘から抜いたと思ったら斬りかかってきた。

待って私ごと?と思うよりも早く、まず一人の頭が消えた。勿論、私の背後にいると思しき何かからの一撃で首を刎ねられたのだ。二人目は頭を貫通され、頭部を急に固定されて停止した。そこで気づいたが、それは虫、それも普通の虫よりは蟲型のモンスターの腕に似てる。小さい頃に見た宇宙映画に出てくる虫型宇宙人の兵士があんな感じの腕を持っていたのを思い出した。

三人目は、影しか見えないけどゆっくりと持ち上がっていくそれを震えながら見上げている。まるでギロチンが落ちるのを待つ民衆か、死刑囚のように。

そして、一方が彼の左目を貫き、もう一方は左肩から斜めに胴体を突き刺した。

悲鳴が少し響いて、すぐに聞こえなくなった。動かなくなった死体から鎌を引き抜いたそれは、私の頭上でぷらぷらと揺れている。何故私を襲わないのかは分からない。もしかしたら助けてくれたかもしれないけど、虫型宇宙人(仮)は流石に色々ときつい気がする。でもお礼くらいは言わないといけないと思ったので、出来る限り人に近い形であってくれることを祈り、振り返ってみた。


そこには何もいなかった。そう、あると言えば死体二つとさっき殴られて気絶した男の三つだけ。死体を産みだしたものの持ち主は、影も形もなかった。

そればかりか、死体を産みだした鎌さえも。ファンタジー(仮)なら転移魔法でもあるんだろうけど、それだって転移する時は何かしら音か光がある。

やはり宇宙人で、無音で姿を消す事が出来る装置を持っていたんだろうか…

そんなくだらないことを考えていたら、気絶した男が意識を取り戻して起き上がった。そして転がっている死体を見て、次に私を見て、悲鳴を上げて逃げ出そうとした。その時、再び私の背後からあの鎌が姿を現して男を貫こうとして背中を引き裂き、男はその勢いで前のめりに倒れていきながらも表路地に飛び出していった。私の仕業だと言われたら弁明のしようがないしさっきの兵士たちまでやってきてしまう。それはまずいとかやばいとかの言葉で済む話じゃない。死ぬ。

さっきは生きるのを少し諦めたけど今は違う。それにぶつかったのは悪いと思ったし振り払おうとして殴り倒したのは悪かったけど因縁をつけてきたのはあっちだしいきなり胸を鷲掴みにしてきた方も悪いはずだ。

そりゃ、人を殺そうとしたからってあんな無惨な死体にされるのはあんまりだけど。

だから私じゃなくて後ろにいる何かがやったんです。と言うために追いかけて、死体に躓いて思いっきり転んだ。私が転んで地面に倒れた直後くらいに男の悲鳴と外から大勢の悲鳴が聞こえた。


ウェステッド出現の報せを聞いて慌ただしくなっていた町民たちの前に唐突に現れたのは背中を切り裂かれた男だった。裏路地にたむろしている、ゴロツキの一人だと思われる出で立ちの男は何かに弾き飛ばされるように人々の前に姿を現した。

「たっ助けてくれ!やつが、奴らが現れたんだ!たの…っ!」驚愕の表情のまま固まっている民衆に手を伸ばして助けを求める男。しかし言葉を遮って悲鳴を上げる。

そして何かに引きずられるように裏路地に消えていき、悲鳴と、何度も何かを突き刺すような音だけが路地から響いてくる。時々地面か壁に何かが当たるのか、金属質の物が強烈な勢いで硬いものに当たったような音も聞こえた。

悲鳴が聞こえなくなって民衆の前に飛び込んできたのは切断された男の頭。

それが正面にいた女性の胸に飛び込んできて、服を血で汚した。

それから間を開けずに腕、足、何らかの臓物、そして最後に四肢を失った胴体が飛んできたところで、唐突な解体ショーを目の当たりにした人々は絶叫し、パニック状態になって逃げ出した。後に残ったのは、無残なバラバラ死体になった男だけだ。


その様子を街一番の屋敷から見ているひとりの青年が居た。

彼の名前はアルバート。この街では知られた貴族で父が優れた剣士、母もまた優れたゴーレム使いだった。彼は母からゴーレムの技術を、父から剣を教わり「王国」直属の騎士、またはゴーレム使いとして将来を有望視されている。

だが、彼の心中はここ数年ずっと曇っていた。そして今、更に彼の心に陰りをもたらしている。ウェステッド出現。何処から現れるのか分からない凶悪な怪物どもが、この街に逃げ込んだかもしれないと兵士たちが言ったが、今まさに現れたようだ。

既に兵士たちや、街にたまたまいた冒険者たちが集まって討伐を試みようとしているようだが…

「果たして、勝てるのだろうか…」王国に近く、学都にも近いこの街だがそれゆえに駆け出しの冒険者や入隊直後の兵士が多いだけでベテランは別の場所や王国に固まってしまっている。いくらウェステッドとはいえ、人を殺したこともそうそうないような人間たちに通用するのだろうか。

少なくとも、この街にいるウェステッドは人を殺した。ゴロツキと言っても腕っぷしの強さや「戦える」ものでいったら一般人よりは大きい。

だがもし、ピンからキリまでいるウェステッドの「強いもの」や「第四形態」だとしたら。その場合は間違いなく聖騎士団やゴールドクラスの冒険者でもなければ歯が立たないだろう。自分の父親のように。母親のように。

父がウェステッドに殺されたと聞いたのは昨日のことだった。

若いころから父に仕えている騎士が、泣きながら報告した。蛮族との戦いの際に、突如姿を現したウェステッドは、讃えるなら白銀の如く、それ以外で例えるなら白い毛並みを持つ獣種だったと。

そしてそれは、本来暗黒大陸にいるはずの「王」のウェステッド、カーネイジに間違いないと。

ウェステッドが誰であるかはどうでもよかった。だが隻腕とはいえ大剣を片手で振り回し、魔物も蛮族も切り伏せてきた父がことの方が彼の心に響いた。何故なら、母もまたウェステッドに、まるで赤子の手をひねるかのように殺されたからだ。彼女の場合は、言葉通りに

最後に母親を見た時は、そのあまりにも悲惨な死体となり、第四形態の機械種のウェステッドに食い殺される所だった。そのウェステッドは母のゴーレムをパイルバンカーで易々と粉砕すると、ゴーレムの破片を磁力で操り、彼女を叩き潰してから舐めとるように捕食した。後に残ったのは、その後ウェステッドが吐き出した指輪と、髪飾りの一部だけだった。

父は敵討ちにと腕利きの冒険者を募ってウェステッドを追い、そして片腕と冒険者を失って帰ってきた。機械種のウェステッドは、魔王や神がいなくなったこの世界では最強の存在。父はそれを片腕を引き換えに思い知らされたと、悔し涙を流しながら語った。人の身で習得できる最高位の魔法を耐える装甲、身体から放つミサイルと呼ばれる射出物はエルフの矢よりも素早く、ガンナーの狙撃よりも正確に目標を追尾し粉砕し、母のゴーレムを穿ったパイルバンカーと呼ばれる杭打ち機は大地の神の加護を得た鎧をいとも簡単に貫いた。この世界の技術ではまだ作れない基準の自動連射銃マシンガン、その上位と言われる連射砲は、一撃で人体を粉々に粉砕したと。

そしてそのウェステッドは、同じウェステッドに倒れたと言った。

王のウェステッド。世界が認めた絶対悪。皆が望む根源的災厄。その内の一体に倒されたのだと。

「蒼天覆う巨影の竜王」。帝国軍の空軍ルフトヴァッフェを壊滅に追い込んだ空の絶対支配者。あれほど歯が立たなかった機械種のウェステッドを倒したのは、同じ機械種のウェステッドだった。ウェステッドを殺せるのはウェステッドのみ。その言葉は、機械種のウェステッドという存在が証明していた。

ウェステッドは決して恐ろしいだけの怪物じゃない、奴らはこの世界の法則に囚われない存在なのだと、父は締めくくった。

そしてその父もまた、ウェステッドに殺された。従者が言うには、蛮族を後方から蹴散らしながら姿を現したカーネイジは、父が操るゴーレムのコアを的確に雷の槍で貫くと、戦技が加わった父の一撃を左腕で振り払い、空いた胴に剣のような刃を持った槍を突き刺し、落雷を落として消し炭にしたという。

更に周りにいた騎士たちに炎の塊と形容するしかない火の玉の魔術を繰り出して焼き尽くすと、遠方に控えていた射手や魔術師には光か魔力の奔流とも見える光線を放って消滅させ、悠々と去っていったそうだ。


そのウェステッドを倒す事が出来ると言われているのが、同じ転生者から成る勇者だ。確かに勇者は強大な力を持ち、転生したにも関わらず複数の魔術や戦技を持ち、中には素質ステータスの時点で常人を上回る者もいる。

だが勇者たちは妙な事に性格に難がある事が多い。またギルド制度に対して異様なまでの関心を持ち、身分を隠して新人冒険者として活躍するものもいれば、勇者ではなく冒険者として活躍し出す者もいるほどだ。だが前者の、性格に難ありが最大の曲者だった。初代と二代目の勇者は勇者に相応しい熱血漢、人格者だと歴史書は語る。しかしそれ以降の勇者は性格や素行に問題が目立っていた。

特に女性関係の奔放。敵対者もしくは敵に対する異常なまでの徹底的な攻撃、反撃。が悪い形で大きく目立っていた。しかし誰も注意することができないし何故かしない。どうした事か正論なのに暴論だと言われ、かつ暴論で押し返されるし挙句「嫉妬」という言葉で片づけられてしまう。最悪敵と判断され物語の悪役よりも苛烈な攻撃にさらされる。

それだけではない、魔王亡き今が存在しないのか“女神の矢”が特定の人間や魔物、組織を“悪”にしてしまうのだ。

そう、自分の恋人のように。

そこまで考えた所で、彼は窓から見える焼け落ちた屋敷を見つめた。自分の恋人が住んでいた屋敷を。忘れもしない。去年の「勇者の旅」が始まった時、勇者が最初に倒すべき悪として恋人とその一族が選ばれたのだ。

悪となった彼女は悪徳令嬢となった。そして同じ女神の矢で幼馴染をいじめるようになった。それを勇者が助けるという形だった。

しかしその助け方が異常だった。勇者は暴論を重ねた暴論で彼女をまくしたてたと思ったら、そのまま略式裁判を開かせて、一族徒党を処刑したのだ。一人残らず。雇われていたメイドさえも。

自分の目の前で、彼女は絞首刑に処された。勇者の旅が始まらなければ、来年結婚するはずだった。勇者を強く憎んだ。そしてこの世界も憎んだ。

こんな狂った世界なんて、ウェステッドに破壊されてしまえばいいと。父はそんなこと思ってはいけないと言ったが、彼はそう出来なかった。

その祈りが通じたのか、その勇者とヒロインはあっさりとウェステッドに殺され、勇者の旅が中断となった。そのため、十数年から数十年に一回ほど行われる勇者の旅が、今年も始まったのだ。


ふと路地に目を戻すと、見慣れない格好の女性が歩いているのが見えた。

いや見慣れないのではない、だ。

それは転生者の多くが着ている、制服。つまり彼女は転生者だろう。

彼女が勇者なのだろうか、しかしそれなら何かしらの装備が王国から与えられているはずだ。なら、野良の転生者だろう。ただこの世界に送られただけの存在。

ウェステッドならば、今頃破壊と殺戮の限りを尽くしているはずなのだから。


アルバートが女性こと椎奈を見つける数分前

転んだ瞬間悲鳴が聞こえて、何事かと顔を上げたらあの腕に足を刺されて引きずられる男の下半身が見えた。引きずったことで飛び散った砂が目に入った瞬間、あの振り下ろす音と悲鳴と水分を含んだ何かをめった刺しにするような音が聞こえた。今度は何か癇に障ったのか、地面か壁にまで当たっているような、鈍い音や金属音が聞こえている。矛先がこちらに向かないよう頭を抱えて蹲っていると、外から聞こえる悲鳴も男の悲鳴も聞こえなくなっていた。顔を上げると、何かを解体したかのように目の前は真っ赤に染まっていた。

そして起き上がってふと横を見ると、そこには大きな鏡が捨てられていた。

鏡はヒビが入っていて、見るからに捨てられた然としているがそれよりも椎奈の目に留まったのは鏡に映った自分の姿だった。

「なに…これ…」兵士の顔と、ゴロツキたちの顔が同時に浮かぶ。

驚愕と恐怖に染まった表情。鏡の中の椎奈も、同じ顔をしていた。

何故なら、天使の羽か何かが生えていると思っていたら、本当に生えていた。

ただしそれは天使の羽ではなくて、悪魔の羽でもない。

例えるならそれは虫。先端は鎌のようになっていて、昔読んだ虫の図鑑の解説を参考にすれば節足に見えた。それが二本、肩の裏側から生えている。

まるで触角のようにゆらゆらと揺れ、その先端の鎌からは血が滴っていた。

彼らの表情と行動も納得できる。少なくとも身体からこんなものを生やしている人間なんて存在しない。散々聞いてきた悲鳴が、口から微かにこぼれた。

だけど不思議なことに、精神の何処かではこの状態を受け入れていた。


暫くすると、背中から生えていた鎌はずるずると戻っていった。

敵意を感じなくなるか、危機を脱したと判断すると勝手に戻っていくようだ。

近くにあったボロ布で身体を覆うと、誰もいないことを確認してから表路地に出た。


それから兵士の目に注意しながら街中を歩くが、見れば見るほどファンタジーの世界にしか見えない。椎奈は建築様式は全く分からなかったが、よくある異世界ファンタジーもので見かける建物がそこかしこに見えていた。地面も整っている場所はアスファルトではなく石を敷き詰めたように見え、建物にコンクリートらしきものは見えるが基本はレンガや木製で、夏休みの課題で建築史を調べる事にした際に知ったゴシック建築、またはロマネスク建築に近いものに見える。だが奇妙な現代臭さを感じた。例えるなら、現代の技術で当時の建物を作ったような雰囲気だった。

また、街を往く人々や兵士の格好も中世時代の風刺画や絵画、図鑑で見たようなものばかりだ。少なくとも現代人のファッションではないし、兵士のそれは全身鎧もあれば、軽装のものもいる。現代の兵士のような迷彩服はいない。

それとは別に、武装した人間を見かけた。格好は皆バラバラで、中には兵士よりも強そうな外見の者もいた。共通しているのは、全員必ず首にドッグタグのようなものを下げていた。どうも階級制でもあるのか、色が異なっており、一番多いように見えたのは白、続いて黒。銅色がやや少なめで最も少なかったのが銀色。そして、最も強そうに見えたのがその銀色のタグを下げた人間だった。

加えてこの世界が天国や地獄ではなくファンタジー世界だと思った根拠として、時々見かけるがいる。

それもよく漫画やゲームで見たエルフのような金髪に長い耳の女性、ドワーフのような小柄な髭男、猫や犬の耳を生やした男女、リザードマンとしか言いようのない二足歩行するトカゲ人間、子供にしては妙に大人のようなふるまいの子供が時々人間に混じって見えた。逃げ込んだときは全く見えなかったが、落ち着いて見ると様々なことが分かった。


しかし今、椎奈には問題がいくつもあった。

一つは、自分が分かる言葉を発しているものが誰一人存在しない。

もう一つは。

「お腹空いたなあ…」危機を脱した安心感からか、今度は空腹感が頭を支配していた。しかもどうも昼飯時なのか、食事店らしき場所や家々から香ばしい焼いた肉の香りだの美味しそうな匂い、時々米の炊けた匂いまで漂ってきて、鼻孔をくすぐっては空腹感を増してくる。しかし言葉が分からないし譲ってもらうことなど不可能だ。

背中に意識を向け、邪な考えが浮かぶが自ら浮かべたそれを振り払って歩き続ける。

リンゴの木でも見つけたら一個ほどくすねて腹を満たそうと思いながら歩いていると、広場のような場所に出た。

顔を上げると、目の前には見るからに権力者が住んでいそうな屋敷があった。

城や何人人が住んでるんだろうと思うような大きさではないが、少なくとも他の家屋に比べると明らかに豪華だった。


見上げて建物を見ていたその時。


落雷のような凄まじい轟音と閃光が彼女の耳と目を覆い尽くした。

「!?」それは音と光に相応しい衝撃を伴っていた。「な、なに!?」そして衝撃が去って彼女が建物を見上げると。


神々しさを感じるような、輝く矢のような光の柱が屋敷に突き刺さっていた。

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