第6話

“死は世界にばら撒かれている。健常な社会が形成されていても、死を否定することはできない。それは生命の否定につながる。裏を返せば、死のばら撒かれている世界こそ、健常な社会でなくとも「正解」なのかもしれない。食物連鎖とは即ち死の連鎖なのだから。”


                                   『アルスの日記』33ページより抜粋




 コンクリートと植物のブレンドされたひときわ大きな森をを潜り抜け、周囲の建物だったもの達の身長が低くなったころには、日も大きく傾き、西南西の空はオレンジ色になっていた。

(ようやく1人目…)

 年齢も性別もわからないほど腐敗の進んだ死体を漁る。ベストの内ポケット、ズボンの右ポケットと確認し、最終的に左手付近で粉々になっているのがこの死体の携帯端末だとわかった。肝心の記憶素子は生きていた。タヌキはその小さく透き通った立方体の記憶素子を摘まむと、自分の端末の外部接続端子に挟んだ。

(外れか。まあそうだろうな)

 スキャニングし、カシミヤの身体的特徴に合致するログデータが無いかを確かめた。5年近いログが残っていたため、スキャニングにも時間がかかった。結果の出た2分後、カシミヤのデータは見つからなかった。

(方角は合ってるはずだけど…。ちょっと慎重になったほうがいいか)

 次の死体探しに行こうとしたそのとき、視界右隅にメッセージの新着を知らせるポップアップが出てきた。

(…は?情報屋?なんで?)

 情報屋への依頼は、「情報屋専用のOCEAN」にプールされている。一般的に、OCEANというのは日常の調べ事をしたり、友人とコミュニケーションを取ったり、娯楽を享受したりするもののことを指す。だが、本来はSEA社の持つ巨大サーバーのひとつのことを便宜上「OCEAN」と呼んでいるに過ぎない。OCEANごとに手に入る情報や出会える人間は異なり、個人でOCEANを運営している者も数多く存在する。タヌキの使う情報屋もOCEANの持ち主だった。


To タヌキ


:至るところで逆探知がかかる。

:お目当ての情報は手に入れられそうにない。

:こちらの既に持っている情報をやる

:依頼料の6割は返す

:これ以上は手を貸せない



サーチ避けのプログラムの名残で、文頭にコロンが残っている。

 両脇を瓦礫に囲まれた中で、タヌキは呆然とした。

 情報屋が手を焼くのか?

 漏れ出した電気がバチバチと鳴る音が聞こえる。弾けた水道から漏れだした水がブーツの下の地面を濡らしている。

(四大組織の情報さえ軽々と扱っているんだぞ…?どうしてそんな奴らが手を焼く?それ以上の人間なのか?カシミヤというのは?)

 戦いのログデータから想定していたカシミヤの人間像が崩れていく。狂戦的な部分はカシミヤの恐ろしさの一端でしかないということか。

 情報屋からのメッセージに添付されているファイルを開く。


・カシミヤは四大組織を単独で潰そうと動いているらしい

・本拠地は四大組織の勢力図のほぼ中心、トコロザワ付近

・このファイルを見たらすぐに受信ログごとOCEANに投げろ


とだけ書かれている。正確には、文章をビルを撮った風景写真のなかに紛れ込ませてある。タヌキは指示された通り、「受信した」というログごとOCEANに投げ込んだ。しかし、遅かったようだ。




私を嗅ぎまわすのはやめろ

それ以上近づくなら殺す



 文字のメッセージではない。恐らく、カシミヤの肉声、あるいは声紋から合成された音声で飛んできた。コールも鳴っておらず、タヌキは通話開始のボタンも押していない。イヤーギアから突然聞こえてきた音声に、思わず戦慄した。


(ソーン暗殺の依頼をしてきたバカから、トランシーバーを回収していない)


 低報酬に怒るあまり、忘れていた。本来であれば、収入のやり取りの後、何らかの方法で返却させる依頼人とタヌキを繋ぐ唯一の連絡手段を、カシミヤに抑えられたのでは、という疑惑。

(いやまて、落ち着け。イヤーギアの周波数はランダム。それを掴めれば直接音声を俺に送ってくることは可能だ)

 冷や汗が噴き出す。久しぶりの感覚。この感覚は、初めて依頼を受けたときに初弾を外し、標的に追いかけられていたとき以来だった。愛銃を手に入れてからすっかり忘れていたこの感覚。

(いやでもギアの周波数を掴むなんて物理的に不可能だろ?俺とイタチしか知らねえんだぞ。イタチはコンタクト上に一切の情報を流していない、あの家にコンタクトできるものは一切ない!どう考えてもトランシーバーを物理的に奪われているとしか…!)

 タヌキの身近に感じるカシミヤの気配。きっと、腹を空かせた獣が目の前に現れたときはこんな感覚になるのだろう。大きな手に体全体を握られているような感覚。脳天から血が噴き出しそうだ。イヤーギアを毟り取り、電源を落とす。コンタクトの音声通話のマイク兼イヤホンとしての役割も持っていたギアを外したことで、タヌキの外部との繋がりがひとつ失われた。

(落ち着け、まだカシミヤに狙われているわけじゃない)

 思考を回す。止めてはならない。フィジカルに劣っているものが思考において負けては全て負ける。

(『それ以上近づくなら』という言葉から考えられるのは2通り。まずはこちらの居場所を把握しているパターン。だがそれは無い。俺の居場所がわかるのは衛星だけだが、俺の姿は上空からはフードに隠されていてわからない。もうひとつは、メッセージ送信の瞬間に俺の居場所を補足するために走査されているパターン。俺がいまから混乱させる動きをとれば、俺の捕捉時間は後ろにずれ込む)

 冷静だった。いまタヌキの持つ知識から最適解を導き出す。いかに近づいていることを悟られずに近づくか。

(やるしかない)

 冷や汗が流れる。もうここで手を引くべきなんじゃないか。そんな考えがしきりによぎる。

 左腰にくくったイタチを見やる。すでに数人を葬っている拳銃が鎮座している。それは微かに「自分を信じろ」と言っているような気もした。

「やるぞ」

 ぽつりとつぶやく。

肩ひもが背中の愛銃の重みを伝える。

踵を返し、先ほどくぐったばかりの森の中に入る。

まだ生きている水道を見つけ、そこで一夜を明かした。

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