第4話

 『絶望』という感情は、普段生活していて抱くことはまずないであろう。

 どんな場合でも「次」というものはあり、「いま」は1秒後には「過去」になる人間にとって、「次が無い」ということ、穿った言い方をするならば、「望みが絶たれる」というのは即ち「死」を意味する。

 「ただ生きる」ということは、人間には不可能だ。かならず生きる事には理由がある。死にたくない。苦しいのは今だけ。明日はきっといいことがある。

 毎日、外敵の恐怖もなく、決まった時間に十分な量の食事を与えられ、清潔な衣服をまとい、睡眠も十分にとれる。ただし白い壁の箱の中から一歩も出ることができない生活を想像してみて欲しい。テーブルの上には何も置かれていない。ベッドは白いマットに白いシーツに白い毛布に白い枕。衣服も白1色。そのよな生活を送る人間に対して、「お前は今、幸せだろう」と断言することが出来るだろか。

 否。

 希望とは暗闇の中で見える光の事であり、その光の中にいることが「幸せ」と呼ばれているものだ。

 では、絶望とは何か。


光の中から覗きこんだ暗闇、その奥底のことである。



 こちらは14人。向こうは1人。慢心がなかったといえば嘘になる。

 最後に車が通ってから100年経ったと言われても信じられそうな、崩れかけの二車線道路に、腰の高さ程度までの防弾バリケードを築いた。このバリケードを拠点として敵戦力の撃滅を図るのが今回の任務だ。

 冬も本番だ。今日も寒い。かろうじて最高気温は2度と0度を上回っている。吐く息が凍りそうだった。

 2重に築いたバリケードの前、間、後と3列に陣を構えている。最前列に6人が配置され、近接武器を持つ。前後をバリケードに挟まれる中間地点には弾薬や予備の装備が置かれ、ライフルを持った射撃班のうち2人がサポートとして座り込む。そして俺たち6人は最後尾からライフルでの援護射撃を任されていた。俺が使った銃はIR-177。連射を捨て、射撃精度を高めるコンセプトで作られた銃で、30発装填されたマガジンを使用する。引き金を1回引けば1発の弾が出る。射撃班の残り7人は連射の効くTVR-3を使っていた。

「女1人に大袈裟だろ、なぁ。俺帰っていいか」

 真っ赤な髪の男がぼやいた。近接班のリーダーで、喧嘩っ早いカムイがそんなことを言うと、

「うるせえな。黙って準備してろ」

 射撃班リーダーのモーゼフがたしなめる。こちらは対照的に禿頭だった。

 今回の作戦は、今までの戦闘の中でも割合に和やかに進んでいた。圧倒的数的優位と、カムイの存在が俺たちを安心させていた。カムイはこれまでに30人以上を斬り殺しており、そのどれもが単騎突撃による正面突破だった。真正面からぶつかってカムイに勝てる人間などこの世にいないと思った。相手は剣を持っていたり銃を持っていたり様々だったが、カムイにはそんなことは関係なかったからだ。

「へいへい」

 しぶしぶ、といった様子でカムイが愛刀・マサムネ(おそらく適当に名づけただけだろう。マサムネがあんなまっすぐな直刀であるわけがない)を研ぐ。剣光は鈍い。だが、あふれ出る殺気は鋭かった。

 俺たち14人はそれぞれがバラバラに準備を進めている。同じ組織『タイタン』に属しており、同じ目的のために戦っているが、元をたどれば寄せ集められた人間同士だった。14人での独立活動に限界を感じたとき、手を差し伸べてくれたのが『タイタン』。そして『タイタン』経由で俺たちに武器を供与してくれるのがソーンだった。彼のおかげで俺たちの戦いは変わった。全員に最新式の武器が与えられる。『タイタン』の財力も凄まじかった。

 俺たちはその期待に応えるように戦果を積み上げていったんだ。

 作戦時刻1540。

 カムイが両の上腕に着けた筋収縮加速籠手の電源を入れた。キーンとモーターの回る音が一瞬だけ聞こえた。モーゼフは端末を操作し、コンタクトの機能を切り替えている。恐らくスポッティング。モーゼフの癖は『初撃は脚』。右か左の太ももに攻撃目標が設定されているはずだ。俺たち全員の視界にそれは共有されるだろう。

 日が傾いた。道路左右の崩れたビル群の隙間から、オレンジ色の夕日が差し込む。奇妙なスポットライトのようになった。そこに目標が道路をまっすぐに歩いてきた。退色した髪を適当に切ったショートカット、釣り気味の目、そして顔の左半分を覆う包帯。事前に入手した身体的特徴とすべて合致している。

 差し込んだ夕日に照らされて、気のせいではない。カシミヤは笑っている…!

 目標"カシミヤ”の行動パターンを研究し、誘い出すための策略を巡らし、10日間かけて練り上げられた作戦。「依頼がある」とメッセージを飛ばせば、ほぼ必ず一人でやってくることを確認していた。カシミヤが駆るバギーの音で近づいたことを悟られぬよう、ある程度の距離から歩いてくることも。ある程度道幅のある道路を選んでくることも。計算がすべてうまくいったと、俺は内心でほくそえんでいたのだが、その笑みに嫌な予感が走る。

 散歩するかのような足取りでこちらに歩いてくるカシミヤ。まさかこっちが見えていないなんてことはない。で、あるならば、この人数を脅威と思っていない可能性がある。ここは撤退すべきだ。俺はモーゼフを見やる。奴も迷っているようだった。「撤退」と言ってくれ。俺の願いとは裏腹に、モーゼフが指示を出す。

「全員用意はいいな」

 モーゼフがカシミヤの心臓にスポットを設定した。バリケードの下でモーゼフが端末を掴む。彼が端末を操作した瞬間、俺たち全員の視界のスポットが赤く光る。それが攻撃の合図。

 二車線道路のセンターラインを、綱渡りするように踏んで歩いてくるカシミヤ。すでに銃弾は薬室に装填されている。グリップを握りなおす。頬に当たるストックが自分の体温で熱い。カシミヤのこちらまでの距離は100メートル。コンタクトのメジャーが距離を計測して視界に表示している。

「ははははは…なるほど、そういうことだったのか、あの不可解な人の動きは」

 背筋が凍りそうなほど冷静な標的を見て、俺は思わず正気を疑った。

「私を殺す気だった?この人数で?」

 十分だろう。手練れが14人集まった。お前など瞬殺だ。

 しかし、諦めたような、消えそうだが確かに笑い声だった。この状況下で笑う、カシミヤの持つ余裕の雰囲気が俺たちを硬直させた。誰一人動けなくなったなかで、カシミヤだけが歩を進めている。これは異常だ。アイツはデータに載っていないヤバさがある。

 俺の第4世代コンタクトがカシミヤの表情筋の動きを捉える。演算が一瞬で終了し、表情筋を動かしているのが理性ではなく感情だということが表示された。背筋が凍る。

「私はてっきり瓦礫撤去会社の連中だと思ってたんだが。まさか狙いは私だったなんてな!」

 瓦礫を撤去することで周辺の住人から金を貰って稼ぐ会社がある。それもいくつも。奴らは自分たちの工事区域にバリケードを作り、武装した人間で警備する。俺たちの装備はそれを模した物だった。

(本気で楽しいと思っているのか、この状況を…!)

 俺がカシミヤの立場だったなら、間違いなく逃げの一手を打つ。それ以外にない。

 80メートルの距離まで縮まった。カシミヤは包帯を外した。正確には、包帯の外見をした眼帯だったが、そんなことはどうでもよかった。

「2つ忠告しておく。まずひとつ。残念ながら私は殺されてやる気はまったくない。もうひとつ。その倍の数を持ってきても私は殺せない」

 息をするのも忘れて、カシミヤの動きに見入ってしまった。流れるような、という言葉では足りない。なんといえばしっくりくるのだろう。「流麗」という言葉が似合うだろうか。一切の無駄がなかった。

 右手が右腿の銃を引き抜いている。それを左手に持ち変えた。空いた右手が、左腰のポーチのような箱のボタンを押す。飛び出てきたグリップを掴み引き上げると、どんな仕組みになっているのか、刀が出てきた。あまりに自然な動きに、俺たちは反応することができなかった。

「クソッタレ。援護しろ」

 カムイがバリケードの前に舞い立つ。左手に持った刀を抜刀して、構える。両手で持ち、切っ先を地面に向けて、半身で腰を落とした。

「行くぜこのクソ女」

 その声を聞くや否や、俺含め後方のライフルを持った射撃班がカシミヤの左右への退路を断つように射撃を始めた。カムイが飛び出す。矢のような速さだ。

 呼応するようにカシミヤも走り出した。カムイが矢とするならば、カシミヤは弾丸だった。圧倒的に速い。

 俺との距離が30メートルの地点で二人は切り結んだ。

 と同時に、カシミヤの左手の銃口がこちらに向いている。

「伏せろ!」

 俺は叫んだが、対応が遅れた3人が続けざまに撃たれた。近接班の2人と射撃班の1人。モーゼフはまだ右手が端末を掴んでいた。

 鍔迫り合いは一瞬だったが、カムイは150㎝の大太刀、しかも両手で持っていたのに対し、カシミヤは60㎝ほどの刃物を右手一本で握っていた。

 カシミヤは体ごと刀を左に倒し、カムイの刀を受け流す。金属の擦れる音が聞こえる。

 その瞬間、受け流されて体勢の崩れたカムイの頸椎を後ろ手にぶった斬った。

 速すぎる。

 カムイの死体を蹴飛ばし、血飛沫が自分に飛ばないようにしている。

「……」

 つまらなそうにこちらを見るカシミヤの眼。左目が何かおかしい。射撃班の1人が背中を向けていたのを撃たれる。近接班がカシミヤに対し時間差での連携攻撃を試みる。上段、下段、中段をランダムに繰り出されれば、この化け物にも隙が生まれ――


「ギャッ――」


 瞬く間に4人が殺された。近接班全滅。左手の銃でのゼロ距離射撃で2人。右手の短刀で2人。

「撤退だ!」

 モーゼフの叫び。(おせえよクソが)と毒づくのは後にすることにした。俺たちはバリケード最後尾に沿って路地へ駆け込む。最後尾がモーゼフ。路地の先には軍用ジープ。瓦礫を飛び越えながら30メートルほど走って、先頭のヤマモトが運転席に飛び乗る。2番目を走っていた俺は荷台に駆け込むと同時には銃を構え、撤退の援護。最後尾にモーゼフの首が路地に飛ぶのが見えた。いまにも荷台にあがろうとしていたアカドの頭蓋骨から血が吹き出したのが見えたと思ったとたん、荷台に膝をついていたビーズとチャリオットが倒れた。

「まて、お前、なんで殺しなんてやってるんだ」

 苦し紛れにそんな言葉が俺の口から零れた。我ながら何を言っているんだ。

「最後までお前たちは私の事を見ていなかった・・・・・・・んだな」

 何を言っているのか、わかった瞬間に短刀が振られていた。ジープは発信している。

(ああそうか。コイツは殺しているんじゃない。生きて――――)

 俺の意識はそこで途絶した。ヤマモトの命もあと数秒だろう。

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