第11話 科学的魔道


 半時間後。


 リョウとアリシアは、街道を一旦離れて、少し広い草地にいた。

 そばには小川が流れ、乗ってきた馬は草をはんでいる。遠くには山や森も見える。

 のどかな風景だ。


 だが、リョウは、それをのんびり眺めるどころではなかった。

 リズの力を使って『遠話』ができるなら、他の呪文も使えるのではないかというアリシアの意見を聞いて、実験することになったのだ。

 そして、これから彼女に魔道を実演してもらうところである。


 もし本当に自分が魔道を使えれば、歴史的大偉業である。自分の世界でこれを論文にすれば、いくつもの名誉ある賞と、輝かしいキャリアにつながるのは間違いない。科学史にも名を残すことになるだろう。ただし問題は、その功績を認めてくれるはずの自分の時代の人間など、もうどこにも存在しないということであった。


(自分にとっては世紀の大発見なのに、ここでは普通のことだなんて、不思議な話だ)


 しかし、それでもやはり彼の興奮が収まることはなかった。たとえ、この発見を自分の時代の人たちに伝えることができなくてもいい。これまでおとぎ話でしかなかった魔法を、科学者である自分の手で使えるかもしれないのだ。リョウは、好奇心旺盛な子供のようにワクワクしていた。


「どの術を見せればいいの?」

「そうだな……。一番簡単のがいいな」

「そうね、火の玉かな、やっぱり」

「ああ、あれか」


 リョウは、コボルドとの戦闘で彼女が撃った火の玉を思い出した。


 しかし、火を使うのは、初心者がやると暴発したりやけどしたりしそうである。少々不安を感じた。


「でも、やけどしないかな」

「ああ、そうね。なら氷柱つららの呪文はどうかしら。それなら自分を守る必要はないし」

「そんなのがあるんだな。じゃあ、それで頼むよ」


『リズ、アリシアの魔道をモニターして、後で再現できるよう記録してくれ』

『了解』


 リョウはリズに指示を出すと、数歩後ろに下がって、アリシアを見守る。


「じゃあ、いくわよ」


 アリシアは、少し気合を入れるようなしぐさを見せ、呪文を唱え始めた。


「大気に眠る水よ。我が捧げる祈りに応え、万物の根源である汝の力を、我に使わしめ給い、凍てつく氷柱となりて、仇なす者を貫け」


 同時に、両手を上に突き上げた。そのとたんに、薄青い光とともに、空中に十数本の鋭利な氷柱が現れる。


(おお、すげえ……)


「ハッ」


 そして、気合いの声を発して、両手を前に振り下ろす。それと同時にヒュンヒュンと風を切る音を響かせながら、氷柱が猛スピードで前方に飛んでいき、地面に次々と刺さっては消えていった。


 ふう、と一息ついてアリシアは振り返った。


「こんな感じなんだけど、どう? できそう?」

「いやあ、すげえな。この目で見てなきゃ信じられなかっただろうな」


 科学者として驚いたのは、氷柱ができたことではない。それはそれで大概な話なのだが、理論としては見当がつく。

 問題は、それが重力を無視して空中に浮いて、あまつさえ、物凄いスピードで飛んだということだ。しかも、地面に刺さった後、解けて水になることなく忽然と消えてしまった。

 あらゆる科学の法則を無視した挙動に、笑いがこみ上げて来る。

 それだけの力が、魔道にはあるということだ。


「ちょっと待ってくれ、リズに聞いてみる」


『リズ、今の魔道、分析できたか?』

『できたわよ』

『あの呪文の文言は何か科学的な根拠があるのか?』

『そうね。呪文の言葉の波形がオミクロン波と共鳴関係にあるのよ。おそらくそれを使って効果を変えてるんだと思う』

『ほう。それじゃ、空中に浮いて前方に飛ぶってのはどこから来た力なんだ?』

『もともとダークエネルギーは斥力、つまり引力とは反対の力を持ってるのよ。それの応用ね』

『なるほどな』


 リズの説明を反芻し、納得する。やはり、魔道はオカルトではなく科学なのだ。


『再現できそうか?』

『脳から放射される輻射波は再現できるけど、体内にマナがないから出力不足ね』

『それなら代わりに、お前のパワーを使ってブーストできないか?』

『うーん、脳に負担をかけない程度にあたしが出力を上げられるのは、数秒が限度よ。それ以上は、脳に損傷を来たすか、あたしの動作が不安定になる恐れがあるわ』

『そうか。じゃあ、ダメだな……』



 BICは脳に直接接続され、様々な脳の働きを制御したり補佐している。それゆえ、動作が不安定になると、脳に大きなダメージを与える可能性がある。そこまでの冒険はしたくなかった。


 溜息をついて、アリシアに言った。


「マナがないから、無理らしい。最初のところまでは何とかできるみたいだが……」

「ああ、そうなのね。じゃあ、これを使ってみたらどうかしら」


 彼女は、リョウのそばまで来て、ベルトにつけていた小さなサッシュから小さなガラスのビンを取り出した。ビンには青色の液体が入っている。


「これは何だ?」

「マナ回復ポーションよ。飲むとマナが回復するんだけど、効き目あるかしら?」


『リズ、解析を頼む』

『解析中……。ダークマターと未知の物質が混在しているわ。視覚に映っているのはこの物質の方よ。こちらも完全な解析はできないけど、分子構造から考えてアレルギー反応を引き起こす可能性が高いわね。初めて飲むときは、あたしが反応を抑えられるから大丈夫だけど、たぶんそのときに体内に抗体ができるのよ。だから、二度目以降は、アナフィラキシー反応を引き起こしてショック状態になる可能性があるわね。そうなると、あたしでも抑えられないわよ』


『えっ? ちょっと待て。ということは、俺は、一生に一度しか魔道が使えないってのか?』


『このポーションでマナを補給する限りそうなるわね』

『なんだ……。それは、ちょっとがっかりだな……』


「どう?」


 アリシアはリズの声がうっすらと聞こえている。会話が終わったのを見計らって、尋ねてきた。


「ああ、これを飲んで何ともないのは一回だけで、あとは命に関わるんだそうだ……」

「へえ。そんなこともあるのね。まあ、でも一回だけは飲んでも構わないんでしょ。それなら、お守りに持っててよ」


 そう言って、アリシアはお守りの袋もリョウに渡した。


「ああ、ありがとう」


 リョウは、それを受け取ると、中にポーションを入れて、ハーフローブのポケットにしまった。


「それなら、魔道の練習してもしょうがないわね……」

「残念だな。せっかく、魔法使いになれるはずだったのに」


 そこで、リョウが気がついた。


「あれ? でも、リズが、最初のところだけなら手伝えるって言ってたな、そういえば」


『リズ、数秒なら、出しても大丈夫なんだな』

『でも、ダークエネルギーと同じってわけにはいかないわよ』

『まあ、いいさ。やるだけやってみよう』

『了解』


「なら、さわりだけでも試してみるか」

「うん、やってみてよ。ちょっとでも発動したらすごいんだから」

「へえ」


 リョウはアリシアから距離を取った。

 そして、彼女がしていた通りに足を肩幅に広げ、身構える。

 しかし、呪文を唱えようと口を開いたとき、ふと我に返り、気恥ずかしさがこみ上げてきた。


「へへっ。何だか、ちょっと子供みたいで恥ずかしいな」

「何で?」

「俺の時代って、魔道は使えないんだが、その代わり魔法使いが出てくる空想のお話とかはたくさんあったのさ。それで、小さい子供たちがそういうマネをして、魔法使いごっことかよくやってたんだよ」

「そうなのね」

「まさか、この年でこれをやるとは思わなかったぜ」


 思わず照れ笑いする。


「うふふ。でも、魔道は子供の遊びじゃなくて、本当の力だから」

「そうだな。ちゃんとやらないとな。じゃあ、いくぞ。えーと、まずは呪文だな」


『リズ、行くぜ』

『了解。オミクロン波、出力するわ』


「大気に眠る水よ。我が捧げる祈りに応え、万物の根源である汝の力を……」


 呪文を唱えると同時に、リズの声が聞こえてくる。


『出力上昇、通常の5万倍に達したわ。BICの許容限界値よ。呪文の詠唱による共鳴効果100%。大気中の水分が結晶化していくのを確認。効果発動まで、3秒前、2、1……』


 心なしか、高音の耳鳴りが微かに脳に響いてきた。だが、それに構わず、呪文の詠唱を続ける。


「…… 我に使わしめ給い、凍てつく氷柱となりて、仇なす者を貫け! うりゃあっ」


 リズの0という声と同時に、呪文の最後のフレーズを詠みきって、共に両手を上に突き上げる。その瞬間、薄い青白い光が発光し、後には1センチ四方の小さな氷の欠片がひとつ空中に現れ、浮かんでいた。

 だが、すぐに、地面に落ちて消えてしまった。


「お、おお、すげえ。俺にもできた!」

「リ、リョウ、すごいじゃない……」


 アリシアが感嘆の声を出す。


『これ以上は危険よ。照射を停止したわ』


 リズの声が脳裏に響く。


「でも、やっぱり最後までは無理だったな……」


 リョウは、すこし残念な気持ちで空を見上げた。


 だが、途中まではちゃんと発動し、実際に氷柱とは言えないほどのサイズだったが、氷の欠片を出して宙に浮かせたのだ。それだけでも満足だった。


「まあ、いいさ。何にもないところから氷の欠片ができたうえに、ちょっとだけでも浮かせたんだから上出来だ。なあ、アリシア、ちゃんと見てくれた……」


 リョウは最後まで言い終えることができなかった。いきなり、大はしゃぎでアリシアが飛びついてきたのだ。


「すごいじゃない、リョウ!」

「おっと……」


 しっかりと抱き止める。

 彼女の髪が頬に触れ、甘い香りが鼻孔をくすぐり、鼓動が一気に飛び跳ねた。そして、華奢だと思っていた彼女の体が、信じられないほど柔らかいことに気づかされる。


「見ただけで、呪文が出せるなんて信じられない! こんな人初めてだわ」

「お、おい……」


 これは単なるハグなのだと、何度も自分に言い聞かせる。

 だが、彼女はそんな彼の気持ちはお構いなしに、抱きついたまま大喜びだった。


「私なんて、この呪文を覚えるのに何年もかかったのに。あなたにはホントに驚かされるわ!」

「そ、そうか?」

「ちょっと、リョウ。どれだけすごいのか分かってないの?」


 彼の今一つな反応に不満があったのか、体を離してアリシアが力説した。


「あのね、普通は頑張って修行しても、一番簡単な火の玉でも数年、氷柱の呪文はさらに数年かかるものなのよ。それをあなたは、火の玉を飛び越して、氷柱の呪文を初見で発動させたんだから」

「まあ、氷柱というか、氷の欠片だけどな」

「また、そんなこと言って!」


 じれったげに、言葉を重ねる。


「こんなこと言っても誰も信じてくれないぐらいのことなんだから!」

「そうか? でも、ほら、今の呪文は俺が出したわけじゃなくて、リズが出したようなものだし……」

「もう。リズはあなたの使い魔なんでしょ。使い魔なんて、自分より強力な術者にしか従わないじゃない」

「うーん、そういうわけでもないんだがな」


(リズを作ったのは俺じゃないし、脳に埋め込んだのも俺じゃないし……)


 だが、リョウはそれは口に出さず、曖昧な返事をした。どのみち説明しても分かってもらえないのだ。


「まあ、たぶん、俺が旧文明人だからってことかな」


 それを聞いて、腑に落ちたようにアリシアがうなづいた。


「ああ、そっか。そういうことなのね。旧文明人ってすごいのねえ。修行無しで魔道が使えるんだから。びっくりしちゃった」

「いやいやいや」


 リョウは苦笑した。

 彼にとっては、たかだか数年修行したぐらいで、生身の人間が何のタネもなく炎の玉を出したり、氷柱を飛ばしたりするほうがよほど驚異である。

 しかもそれが、ダークマターとダークエネルギーを使いこなしているからと知ればなおさらだ。

 彼の基準で言えば、アリシアこそ、おとぎ話レベルの魔法使いなのだ。


「まあ、今はこれだけできれば上出来だろ。後は帰ってからだな。なら、そろそろ行くか」


 魔道の実験が成功に終わり、満足な気持ちでリョウがアリシアに声を掛ける。


「……」

「アリシア?」

「あ、そ、そうね。行きましょう」


 何か物思いから引き戻されたように、リョウを見上げてうなづいた。微かに頬が染まっているのは、もしかすると、喜びのあまり彼に抱きついたことを思い出したのかもしれない。そして、そそくさと少し足早に馬に戻る。


「……」


 リョウは、その様子を見て、彼女に抱きつかれた感触と彼女の香りを思い出した。

 

(やべえ……)


 もはや自分の想いが抑えられない気がしつつ、自分も馬に戻る。


 こうして、二人は、それぞれの想いを抱えたまま、再び馬上の人となったのだった。


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