外伝Ⅰ 不死の魔女/2

 雪を雪、冬を冬と表すのと同じように、『響』と名乗ったその魔女は、その日から幼いヴェイルを連れ回した。自分たち以外は獣か精霊しかいない森の中を歩きながら、それまでヴェイルがふわふわとしか理解していなかった魔術について、世界ことの起こりから語ってみせた。

「世界ははじめ、混沌の渦だった。そこへ双子の女神レリアとオリアが訪れ、世界を黎明と幽寂に切って分けた。これが太陽と月、天と地、朝と夜、過去と未来、生と死の根源になった。女神たちは万物に宿る霊素を掌握し、ネハシュスフラムラケルダオルニス、四大の大精霊をこしらえると、霊素を支配しその均衡を保つ存在に据えた」

 これがこの世のことわり、と響は言って、ヴェイルの頭の上に乗っかっているトカゲの鼻先をつついた。

「君に懐いている精霊たちは、その大精霊の眷属だ。見えないものには見えないし、聞こえないものには聞こえない。そして嘆かわしいことに、この地における神秘は枯れかけている」

「響も、見えたり見えなかったりするのですか」

 精霊たちと違い、人や物と変わらぬはっきりとした輪郭を持つ響に、ヴェイルはおずおずと尋ねた。響は首を横に降ると、誇らしそうに胸を張ってみせる。

「私にはがあるよ。私を作った人が用意してくれた、特別製のものがね」

「響を作った人……お父さんやお母さんですか」

 ヴェイルの問いに、響は首を傾げて考える素振りをする。

「……父といえば父かな。でも私は母親の胎から生まれたわけじゃない。泥から作られた泥人形なんだ」

「泥人形?」

 ヴェイルは目を見開いて響を見た。泥で遊んだことはあるが、泥ではこんな人そっくりの姿を形取ることはできない。人でもなく精霊でもない気配を持つ理由としてはそれらしいが、簡単に飲み込むことはできなかった。

 響はてごろな切り株に腰を下ろすと、目を白黒させているヴェイルを膝の上に乗せた。

「契りを結んだ相手が死ぬ時、代わりに泥となって朽ちるんだ」

「ちぎり?」

「約束のことだよ」

 せっかく作り上げた泥の城や人形が崩れるときの侘しさを思い出し、ヴェイルは眉尻を下げた。また作り直せばいいというものではない。それにかけた時間もまたともに崩れ去るのだ。

「……かなしいやくそくですね」

 俯くヴェイルに、響はなんでもないように肩をすくめてみせる。

「そうかな? 私は素敵な話だと思うのだけど。ただ役割を果たすだけの存在より、命を賭しても守りたいものが見つけられたら……私は幸せだよ」

「でも、あなたがいなくなってしまったら、その人はさみしいと思います」

 契りを結ぶということがどれほど大事なことなのか幼いヴェイルには計り知れないが、その代償が、不死を標榜する彼女に死をもたらすことだというのなら、契りによって結ばれる絆の強さは分かる。

 命を賭しても守りたい相手というのは、きっと約束を交わした者にとっても、そうであるはずなのだ。

 もし、そんな絆を彼女と結ぶことがあったなら、とヴェイルは考えた。

「僕は、響がいなくなってしまったら、さみしい……」

 また一人になってしまう恐ろしさも相まって、ヴェイルは響から離れられないでいた。それを知ってか知らずか、響は曖昧に笑った。

 今にも泣き出しそうなヴェイルを、響は小さな人形であやそうとする。それに、ヴェイルはどこか気恥ずかしくなって、頬を膨らませて拗ねた。

「もう、人形遊びをするような歳じゃありません」

「そうなのかい? でも、これは君のお気に入りだったじゃないか。君とずっと一緒にいた子だ、そんなふうに言ってはかわいそうだよ。さみしいじゃないか」

 響にそうたしなめられ、ヴェイルはじっと響の手の中にある人形を見つけた。それはヴェイルが精霊たちと遊ぶようになっても、響から魔術を学ぶようになっても、物心ついたときから彼の手の中にあったものだった。

 他よりも感受性の強いヴェイルも、さすがに動かぬ物の言葉は分からない。しかし、さみしいじゃないかと響に言われ、確かにそうだと腑に落ちるものがあった。

 この人形が動いて、喋ったりするのなら、ヴェイルは自分のことをどう思っているのか聞いてみたかった。別れる時が来たら、寂しいと思ってくれるだろうか。ヴェイルと一緒に過ごしてきて、幸せだっただろうか。ヴェイルは響の手からそっと人形を手に取ると、腕の中へ大事そうに抱え込んだ。

「だいぶ寒くなってきたね」

 響はローブを広げてヴェイルを包むようにすると、空を見上げた。空は相変わらず灰色で、雲は分厚く、晴れ間は遠い。

「いつか旅に出ようか。この狭くて寒い世界を抜け出して、遠くへ行こう」

 温もりに包まれ、うとうとと船を漕ぎ始めたヴェイルに、魔女は優しく語りかけた。

「私が連れて行ってあげよう。君一人を抱えて飛ぶくらい、わけもないことだ」

 魔女は鳥の翼を持っていた。そうして今までの長い間、暗い時代に取り残されることを嫌って、方々をめぐり、いくつもの出会いと別れを経験してきた。彼女は腕の中の幼い子供に、自分が見てきた美しい景色を見せてやりたいと思い始めていた。

、小さきアールダイン」

 その約束は、ヴェイルが十歳の誕生日を迎えた日に果たされることとなった。その日、ノールハルドのある街から子供が一人、魔女に連れ去られたと伝えられているが、特に大きな騒ぎになることもなく、魔女がいたという森が焼かれることもなかった。やがて人々の記憶から事件は薄れ、雪の下に埋もれていった。

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