緩と急の境界線

 それは、空手の型稽古に近い。

 自分には格闘技の経験などない。だからこれは、伝統空手の型稽古の動画を見て、自分なりに動きを真似てみたものだ。

 緩から急へ。急から緩へ。

 静から動へ。動から静へ。

 とくに、激しい動きの後にぴたりと止める美しさ。

 それは「見せる」イコール「魅せる」動作における一つの完成形だと思う。

 空手との大きな違いの一つは、これを笑顔で行うこと。

 もちろん、アバターを操作するプレイヤーたちにとっては、自分の表情がそのままアバターに反映されるわけではないのだけれども。

 体全体を使う、計算され尽くした動きの美しさ。それは男女共通のもの。そこに僅かばかりのエッセンスとして女性的な表現や男性的な表現を加える。

 それが振付師の仕事だ。

 ここは、アユの邸の中庭。


「ナユタ、股を開いて! もっと腰を落とすの」

「いやん」

 AIのくせに過剰なぶりっ子演じないでよねっ。


「メジャース、肘が曲がってる! まっすぐ伸ばしなさい」

「はは、厳しいねお姫様」

 巫女だってば。しかし選考のときにこっそり管理者権限を使ったせいで知ってしまった、あなたの正体……。やるなら完璧に演じ切ってね、山本舞奈さん。


「ジェイツー、反転遅い! みんなに合わせて」

「ひええ」

 あなたには驚かなかったわよ。やっぱりって感じだわ、城島二郎くん。まさか、あなたと舞奈さん、付き合ってたり……。いえ、今は関係ない。それよりダンス、もう少しだけがんばってね。


「ミルキーはいい感じ! でも今やってるのは基本の基本よ。アレンジ入れるのはまだ我慢して」

「はあい」

 流石は現役の人気モデルさん。メジャースたちのギルドでもなく『剣戟の円舞』でもないギルドのメンバーだけど、まさかこのCOをプレイしてたなんて。願わくば全員を彼女のレベルに近づけたいところ。

 

「リッキー、左腕下がってる! 脇を締めなきゃだめっ」

「押忍!」

 だから空手じゃないってば。それにしてもあなたが中学生だったなんて。とりあえず、大物実業家の息子ってことはわかった。お姉さんびっくりよ。


 あの待ち伏せ事件から数週間経ち、まもなく五月も終わりを迎える。

 結局、『剣戟の円舞』団長リッキーのお願いを、こうして引き受けることとなったのだ。


 あの日、彼はこう告げた。


*****


「モーションセンサー?」


 某有名ゲームに実装済みの、プレイヤーの動きをそのままアバターに再現させるデバイスだ。それをCOにも実装するという。

 それ、噂レベルの情報としてネットに上がってたことは知ってるけどさ……。

 おや、視界の端に情報ウインドウが。なになに……?


 夏の大型バージョンアップ。ゲームシステムの3D化。これによる将来的なVRMMOへの移行を目指す。

 なお、バージョンアップ前のイベントとして、四大勢力それぞれから五名ずつメンバーを選出。選出されたメンバーにはモーションセンサーの操作感をレポートするための無料モニターとなっていただく。

 二か月後、センサー装着プレイヤーによるダンスバトルを開催。それぞれ自勢力のドラゴンを呼び出してもらう。このとき、四チームのダンスの出来によってドラゴンが発揮できる力に優劣が生じる。


 次の説明文に目を剥いた。

『優勝したドラゴンのみが生き残り、バージョンアップ後も継続。その他は消滅する』

 消滅!? 消滅って何だよ。しかも夏だなんて。ドラゴンによる世界魔法はどうなるんだ。

 あ、続きがあった。

『新たに幼竜が生まれるため、各勢力は消滅しない。だが成長までの一か月間、多少不利な状況に陥ることは避けられない』

 一応ゲームバランスへの配慮はあるんだな。でもこのイベントで負けたら、元に戻るのが延期になっちゃう。下手したら一年では済まないかも。

 まあ、今考えても結論は出ない。あとでアユの奴に問い詰めてやる。

 でもこれ、運営から一般ユーザーへの告知はまだのはず。なんでリッキーが知ってるんだよ。

 こんなとき、AI的にはどう受け答えるべきか。半秒ほど悩み、昔ながらのAIよろしく知らんぷりを決め込むことにした。


「まだ、知りません」

「アユ様。貴女が人格AIだということは承知しています。ですから、相談に乗っていただけるものと確信した上で参りました」


 人違いです! だって中の人、ただのプレイヤーだもん!


「下世話な話ですが、この情報はモーションセンサー購入者に対し、センサーのメーカー側がリークしたものらしいです。他の三勢力にも、俺みたいな先行購入者がいるみたいなんで、あんまり余裕ないと思います」


 リッキー、話し方に素が出てるよ。一人称も俺になっちゃってるし。


「メーカーとしては、要はダンスバトルが盛り上がり、デバイスが売れればよいと考えているようですが……」


 要するに、売れるかどうか未知数なのに無料モニター用に二十セットものデバイスを用意する気はない、と。そこで先行購入者にはリーク情報という形の特典を与えて無料分を減らした、ということね。


「俺はあなたの舞が大好きなんです! ハニィドラゴンにも消えて欲しくありません!」


 いずれ、COでは珍しいクエストシステムにより、全ユーザーに向けてダンスバトルの開催が告知される。

 五人のうち一人は、出来レースとなってしまうがリッキーに務めてもらうことになる。

 しかしリッキーはダンスが不得手だという。多数集まるであろうクエスト受注希望者に認めてもらえるよう、ダンスが上手くなりたいとのこと。


 そこで、リッキーにはアユ邸への入室許可を与え、翌日から早速特訓を重ねた。

 つい先日、エルドール領内で開催された選考会を経て、冒頭の五人が晴れて代表となったのだ。

 しかし、領内の選考会においては、メーカーのモニター用端末が用意されるわけではない。あくまでキーボード操作によるダンス選考だった。


 ——実機を使わせてもらえたら、自分こそが選ばれたはずだ。


 そう主張するプレイヤーは当然ながら一定数存在する。

 たらればなど言っても詮無いことなんだけれど、それを納得できる人ならそもそも文句を言ってきたりはしない。

 そういった人たちを黙らせるのは無理だとしても、最低限、内心で認めざるを得ないような成果が必要だ。そこで来週、領内のプレイヤー向けに、センサー実機による五人のダンスを披露する運びとなり、現在に至る。


*****


 お披露目会が四日後に迫ったとき、少しだけ張り詰めた空気に包まれた。


「あのさ」


 リアル側でマニキュアでも塗っていたのだろうか。爪をいじる仕草のあと、息を吹きかけているのはミルキーさん。

 モニターさんたちには、普段もデバイスをつけた状態でログインしてもらっている。したがって、リアルでの動作がそのまま反映されているのだ。


「もう、リッキーさんには降りてもらって、誰か別の人に踊ってもらった方がよくない?」

「てめ、ふざけんなよ。さんざんみんなと違う動きを入れやがって」

「あらあら。その目は節穴かしら? きちんと要所で音楽と合わせているわよ。乱れてるのはそちら。責任転嫁はみっともないわね」

「なんだと。そっちこそ協調性のかけらもねえだろうがっ」

「抑えてください、リッキー」


 はいはい落ち着こうね中学生。その年齢で団長を務めているのは立派だけど、こんな言い方されちゃキレるよね。わかるわかる。


「メンバーを選んだのはあたしです。身勝手かも知れませんが、この五人での優勝を諦めたくはありません。もう少しだけ、仲間を信じてあげてはもらえないでしょうか」

「ありがとう、アユ様。キレて悪かった、ミルキー。あんたの言う通り、この中で俺が一番できていない」


 偉いね、リッキー。きちんと居住まいを正して反省してみせるなんて。それもこんなに素早く。


「まだ三日も練習できるぜ。諦めるには早いって」


 ジェイツーのフォローに、あたしも頷いて見せた。

 ミルキーはと言うと、リッキーをまじまじと見つめている。


「見直したわ。大手の団長さんだからもっとこう、プライドの塊かと思ったけど。それだけ素直なら上達が見込めるわね。こちらこそ悪かったわ」


 あたしとしてはあなたこそプライドの塊だと思っているけれど。きちんと引いてくれる大人で助かった。


「ミルキーやナユタと比べたら、男性陣は全員まだまださ。ミルキーのレベルを基準として、一人ずつ問題点を挙げていこうじゃないか」


 メジャース、助かるよ。

 その言葉を受け、まずナユタが手を挙げた。


「はい。あたしはポジショニングが苦手。よくメジャースやジェイツーとぶつかりそうになっちゃう」

「ナユタはダンスの経験がありそうだけど、これまでは一人で踊ってきたんじゃないかな。目を閉じる癖をもう少し抑えて、周りをよく見なよ」

「わかったミルキー、そうする。ありがと」


 へえ、的確なアドバイスだ。流石は売れっ子モデル。


「あ、ごめーん! ちょーっと用事があるの。続きは明日ね!」


 言うが早いか、ミルキーはログアウトしてしまった。


「なんだよあいつ。見直したところだったのに」

「リッキー。ミルキーにはミルキーの大切な時間があります」


 彼女、人気モデルなのよ。多分これから仕事。わかってあげて、とは言えないし言うつもりもないけどね。


「みなさんも、今日の練習は終わってますので、無理せずいつでも落ちてくださいね」

「なんかアユ様に落ちるとか言われると複雑な気分だぜ。現実に引き戻されるような」

「あら、ジェイツー。今回のクエストに限れば、あたしもプレイヤーの一人です。みなさんの仲間ですよ」


 ん、んん? どした、ジェイツー。リッキーに、メジャースまで。

 そんなに見つめられると居心地悪いってば。

 え? 今度は男キャラ同士で牽制しあうように視線をぶつけあってる。何がしたいのよ、一体。

 それであなたは何をにやにやしているのかな、ナユタ。


「こほん。次、俺な。俺はみんなより動作が遅い。自覚があるから早めに次の動作に移ろうとして、みんなより雑な動きになってしまう」

「ジェイツー。その鎧、たしかジャイアントタートルの甲羅だったな。脱いだらどうだい?」

「鎧……。そうか、重量か」


 ジェイツーに意見するメジャースの言葉を聞き、リッキーは何かに気づいた様子だ。


「どうしました、リッキー?」

「俺の動きが悪いのもジェイツーと同じ理由に違いない。俺のプレートアーマーはミスリル製で結構軽い方なんだが、体重がね」

「ふむ。団長さんはリアルよりも随分大きな体に設定している、ということかな」

「当たり前さ、メジャース。リアルでこの体格なら、相撲取りだぜ」

「リッキー。それ、言っちゃって大丈夫なのか。多分、メジャースは無自覚に聞いてるだけだと思うぜ」


 ジェイツーがすかさず割って入った。へえ、意外と気がきくんだ。

 メジャースが慌ててる。口に手を当てたその格好、舞奈さんになってるよ。


「すまない団長さん。リアルを詮索する気はなかったんだ」

「問題ない。さっきアユ様が言ってくれた通りだ。俺たちは仲間さ」


 大手の団長であるリッキーが中学生と知って驚いたけど、なんか納得。彼、不思議な魅力がある。


「じゃあリッキー。あなたは、アバターをダイエットさせるか、リアルの方をアバターに近づけるかした方がいいかもしれませんね」

「後者は勘弁してくれ、アユ様。アバターをダイエットさせる」

「そうですか。しかし、ダイエットの場合、三日や四日では間に合いません。経験値がいくらか犠牲になりますが、アバターの再設定を検討してみませんか?」

「ああ。ちょうどそれを考えていたところだ。その上で、一つ提案だが」


 そう言うと、リッキーはメンバーたちを順に見回した。


「鎧を脱ぐついでだ。本番は揃いのコスチュームで踊ろうぜ」

「いいけど、リッキー。あなたアバター再設定するのよね。その後に採寸するとして、四日後に間に合うかしら。ここCOでは服の縫製は手縫いよ。五人分、本番に間に合うとは思えないわ」

「いやいや、四日後のは領内でのお披露目会だろ。俺が言ってるのは約ひと月後のダンスバトル本番さ」


 会話のためにナユタへと振り向いたリッキーの背後で、あたしはドヤ顔で微笑んだ。


「大丈夫ですよ、ナユタ。縫うのは一人分だから。……持ってきて、レモニィ」

「はい、お姉さま」


 うにゃー、こそばゆい。

 レモニィってば、他のプレイヤーがいる前ではお姉ちゃんって呼んでくれないから。

 丁寧に折り畳まれた衣装をワゴンに載せ、レモニィが入室してきた。衣装を目にしたメンバーたちが一様に感嘆の声を漏らす。


「すごい。アユ様、どうしたの、これ」

「前回、ドラゴンを呼び出した後の手慰みにね。布地と裁縫セットを購入したんですよ」


 皮肉を込めて睨んでみたけど、ナユタったらどこ吹く風だ。


「決めた。俺、ジェイツーと同じ体格に再設定するよ。それならアユ様、採寸の手間が減るし」

「こら。変な気を遣わないの。リッキーが動かしやすい体格に再設定してくださいね」


 頭の片隅では「あざといかな」と思いつつ、リッキーに片目を閉じて見せた。


「はう」


 はう?


「ひふへ、ほ、ほれてしまいまふー!」

「だめー!」

「きゃ」


 レモニィ、急に抱きついてきてどうした? 恥ずかしい声が漏れちゃったじゃない。

 あ、あれ? 部屋の中の空気が……緩みまくってる?


「こほん。ナユタからていあーん。ダンスバトルってさ。プレイヤーは五人って決まってるけど。NPCの追加は認められていないのかしら。アユ様とレモニィちゃんも加えてさ、七人で踊りたいなー、なんて。みんなはどう思う」

「賛成!」


 どうした男キャラ三人組。練習のときより息ぴったりじゃないか。


「みなさんがそう仰るなら、運営に聞いてみますね」


 送信、っと。わ、返信はやっ!


「運営から返事ありました。合計人数の上限七人までで、NPCよりプレイヤーの人数が多いという条件であれば追加を認めるそうです。どうやら、不意の欠員対応という名目における補足ルールのようですね。……たった今、正式発布されました」


 ちょんちょん、と服の裾を引かれた。レモニィと目が合う。おや、瞳が不安げに揺れている。


「お姉ちゃん。レモニィも、踊る……の?」

「ええ。一から教えてあげるわ。あなたならできるわよ」

「……うん、がんばる!」


 ふと、プレイヤーたちの視線を感じた。

 ナユタは口をぽかんと開け、男キャラたちの頰は緩みまくっている。


「え……なに?」

「なんでもなーい」


 返事をくれたのはナユタただ一人だった。

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