日常の変容

 実際、これまでこのCOコンクエストオンラインでネカマプレイヤーのナユタを演じてきたのだ。

 一人称や口調を変えることに抵抗はない。

 ……と、思っていたんだけど。

 街中を行き交う人の群れがリアルな三次元なのだ。

 もしかしてこの先、生の人間としか思えない——もちろん中の人はプレイヤーなんだけど——彼らを相手に会話することになるのか。なんかハードルが上がった気がする。


「このゲーム、いつの間にバーチャルリアリティ導入したんだ?」

「違うよ、お姉ちゃん。レモニィたちにとってはずっとこんな風に見えていたけれど、PCを通じてこちらを覗き見ているプレイヤー様たちには二次元の世界に見えているだけなの」

「そ、そうなんだ」


 風が髪を揺らし、道に沿って植えられている木々の香りが鼻に届いた。

 ふと見上げると、薄い雲越しの穏やかな陽光に目を細める。

 この世界には五感があり、こうして会話できる存在がある。

 ならばバーチャルとリアル、どれほどの差があるというのだろう。


 もちろん、こうして歩いているだけでも、非現実的な光景があちこちから視界に入ってくる。プレイヤーたちが普段から発揮する物理法則を無視した身体能力やら、何もないところから火や水、風を起こす魔法の存在やら。それらはここがゲーム世界であることを意識させるに十分な特徴ではあるのだけれども。

 そうそう、ゲームと言えば。視界の端に時折現れるテキストウインドウもその一つだ。

 ごくたまに、プレイヤー同士の会話を示すテキストウインドウが空中に浮いている様子が確認できる。しかしその頻度が低いのは、ほとんどのユーザーが音声チャットで会話していることが理由なのだろう。


「あれ?」


 アユって——、テキストウインドウを非表示にできるんだっけ。自分自身がアユになってからというもの、テキストウインドウなんて一切表示されていないんだけど。

 ええと、どうだったかな……。

 さほど考え込むことなく思い出す。

 そういえばナユタとしてプレイしてたとき、アユの発言シーンはいつも音声とテキスト両方だった。


「お姉ちゃん。基本的にはNPCは、プレイヤーへの応答は定型文のテキストを表示するだけなの」

「そういえばそうだったね。あれ? でもレモニィは違うよね」


 出会ってから今まで、レモニィとの会話でテキストウインドウが表示されたことはない。


「お姉ちゃんはプレイヤーじゃないもの。それに今は、レモニィって素敵な名前を持つ、固有名詞もちのNPCだから」


 頰を染め、こちらを見上げてくる。

 ああもう可愛いなちくしょう!

 思わず、繋いでいない方の手でレモニィの頭を撫でてしまう。


「ナユタを演じてる間はずっとテキストチャットだったな……」

「固有名詞もちNPCは、音声でプレイヤーに応答するの。やっぱり、お邸の外で口調を変えるのって恥ずかしいよね。レモニィとしては、お姉ちゃんに無理強いしたくない……」


 口をつぐみ、目を伏せる。そんな彼女の頭を撫でていた手を止め、抱きしめた。

 アユもだけど、この娘も単なるAIなんかじゃないよね。公式に発表されてはいないだけで、人間そのものの感情を備えたAIは実用化されてるってことだよね、きっと。アユやレモニィ見てるとそう信じたくなるよ。

 だからあたしは柔らかく微笑んでみせる。

 実際のところ、もともとネカマを演じてたくらいなんだし、口調への抵抗感なんてほとんどないのだ。


「大丈夫、わかってるよ。あたし、きちんとアユとして振る舞うから」

「ごめん、お姉ちゃん。レモニィばっかりお願いしてしまって。ごめんなさい」

「妹ってそういうものでしょ。アユチには妹がいないからよくわかんないけど」


 そう言って片目を閉じてみせると、レモニィは安心したように笑ってくれた。


「それにね、あたしからもレモニィにお願いしちゃうから。おあいこだよ」

「うん! 何でも言って、お姉ちゃん」


 はい、言質とりました! なんて、可愛いレモニィに対してひどいお願いなんてしないけどね。

 突然の電子音に続き、目の前にテキストウインドウが出現した。


「な、なに!?」


 システムログだ。……なになに?


「えっ、ナユタがログインしました……? アユのやつ、人のキャラでゲームするのかよ」


 パーティメンバーでもないのにこっちに通知が来るのは何故なんだろう。


『やっほー、アユ。ナユタだよー(笑)。暇でしょ?』


 フレンドチャットだ。びっくりだよ。

 なるほど、そういうことか。さては入れ替わりの時点で登録していたんだな。


「うるさいよ乗っ取り犯。何の用だよ」

『ご挨拶ねー。お、あたしが用意したメイドちゃんに早速名前をつけてくれたんだ。レモニィ、いい名前だね。彼女にはある程度の管理者権限持たせてあるから。困ったら何でも相談するといいわ』


 アユが……用意した?

 神にでもなったつもりか。たかが巫女風情がっ。

 思わず唇を噛む。


「お姉ちゃん」


 レモニィはあたしの服をつまみ、首を左右に振った。

 そっか、ここはゲーム世界。ある意味なんでもありな世界なんだ。

 見下ろし、首を縦に振ってみせる。


『ふふ。怒ってくれるんだ。やっぱりあなたを選んで正解だったわ』

「何を言ってる?」

『勉強とかクラスの人間関係とか、あたしたちが入れ替わってる間のことを把握しなきゃでしょ』


 こちらの問い返しには答えず、噛み合わない言葉をぶつけてきた。


「は?」

『連休が終わったら、定期的に報告に来てあげる。だから、あなたの権限でナユタに入室許可をちょうだい』

「入室許可?」

『アユの邸への、よ。……もちろん、半年後に元の生活に戻る気がないのなら、無理にとは言わないけどね。あ、メジャースたちがログインしてきた。じゃ、また連絡するわね』


 チャットから退室しやがった。


「なんて勝手なやつだっ」


 本当ならゲーム三昧の日々を送るのはこっちだったはずなのに。

 あれ? 言ってしまえば今のこの状態、ゲーム三昧と言えなくもないか。うーむ、混乱してきた。


 しかし、半年か。

 いくら情報共有できたとしても、その間家族ともクラスメイトとも会えないのか。

 それは……、さすがに寂しいな。


「お姉ちゃん大丈夫? もう帰ろうか」

「だーめ。こっちはこっちで楽しむの。ほら、行くよレモニィ」

「うん!」


 いけない、いけない。ほんと、こっちはこっちで楽しまなきゃ。

 妹ひとり笑顔にさせられなくて、何が姉か。


 COは対人戦メインのバトルゲームではあるが、対人戦闘のエリアは他の勢力と隣接した場所に限られる。

 稀に現れるモンスターも出現エリアは決まっており、制圧した領地内で突発的な戦闘が起きることはまずない。日常的な生活の部分も緻密に設定されたゲームなのだ。

 だから今日はレモニィと二人、この世界での日常を存分に満喫してしまおう。


 まずは食事だ。

 あ、この匂い。お好み焼きだ!

 あまりにもリアルなのでゲーム世界だってこと忘れそうなんだけど、味覚はあるのかな。あ、その前に。


「レモニィって、食事できる?」

「うん。……真似事だけどね」

「あ……」


 ゲームキャラだもんなあ。食事の必要はないってことか。それにしては、今感じている空腹感はやけにリアルなんだけど。


「そうか、真似事かあ。味覚は期待できそうにないな」

「待ってお姉ちゃん。もしかしたら」


 レモニィは碧眼を見開くと、繋いだ手を引いて屋台へと引っ張っていく。


「世界魔法による入れ替わりの時、プレイヤー様の世界の情報がこちらに大量に流れ込んで来ているの。情報の密度としては、やはりプレイヤー様の世界の方が圧倒的」


 水は高い方から低い方へと流れる。それと同じように——。

 COという世界を構築するのに不十分だった情報、曖昧だった部分。それらを、一瞬だけ繋がった現実世界の情報によって補完したのではないか。

 静かに、しかし興奮気味に、レモニィは説明してくれた。


「せーの」


 購入したお好み焼きを、同時に囓る。


「んんんんーっ」


 ソースの香り、肉の歯ごたえ、その肉を包む生地と玉子によるハーモニー。


「おいしい……っ!」


 あたしたちは目尻を下げて見つめ合うと、頰に手を当てて頷きあうのだった。

 その後も食べ歩いたり、レモニィに怪訝な顔をされつつ布地と裁縫道具を購入したりして過ごした。

 途中、不意に催してもじもじしていると、気づいたレモニィがそのときだけはお姉ちゃんと化して、個室までついてきて細かくご指導してくださった。マジ天使。

 ……ってか、排泄に関する日常動作なんて、入れ替わり前までは実装されていなかったはずなんだけどね。

 そうこうするうちに時間は過ぎてゆき、日が落ちる頃になってようやく帰宅の途についた。


 夕闇迫る街はずれ。商店も民家も途切れたが、アユ邸は視界に入っている。

 その一本道を遮り、そいつらが立っていた。屈強な男たちが三人だ。

 うっわ、柄悪そう。PKかな。

 でも、ここは戦闘禁止区域だし、そもそもこちらは二人ともNPCだし。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。レモニィがついてる」


 あちゃ、顔に出てたかな。しっかりしなきゃ。


「ありがと。あたしも大丈夫」


 男たちのうち一人が一歩近づいた。

 レモニィを背にかばい、こちらも一歩前に出る。

 それにしてもなんて極端なキャラメイクしてんの。二の腕の太さ、アユあたしの胴回りくらいはある。身長なんて、二メートルくらいに設定してるんじゃないかな。

 もとパーティ仲間のジェイツーと比べても、縦にも横にも前後にも大きいよ、この人。

 あ、凝視してたらステイタス覗けちゃった。これって管理者権限ってやつなのかな。

 わあ、レベル五十。初めて見た。現状での上限レベルじゃん。とんだ廃プレイヤーだわ、この人。

 なるほど、エルドールの最大手ギルド、『剣戟の円舞』の中心メンバーなのね。


「我こそは『剣戟の円舞』団長、リッキーと申す。貴女様は喜悦の巫女、アユ様とお見受けした。その上で、失礼を承知でお声がけいたした次第」

「あら。いつもと違う服装ですのに、よくお気づきですわね」


 あ。テキストウインドウだ。

 今しゃべった通りの内容が表示されてる。なるほど、これなら会話の相手がプレイヤーかどうか、確実に見分けられるね。


「無論。アユ様は我らエルドールの戦士にとって大切なお方」


 そう告げて片膝をつく。

 その自然な動作に視線が吸い寄せられる。じっと見入ってしまった。

 日常の動作選択の中に、片膝をつくなんて選択肢、あったっけ?


「今宵、お願いしたい儀があって、我ら一同参上つかまつった」

「わたくしに——」


 危ないところだった。初対面のプレイヤー相手の会話では、アユは『あたし』とは言わないのだ。そう、友好度を高めない限り、口調を崩すことはない。

 まてよ。ということは、アユのあたしに対する友好度、最初から高かったのかな。いや、でも最初にアユが話しかけたとき、中身はともかくガワはすでにこの体——アユ自身だったわけで。え、あれ。やばい、これ今は考えない方が良さげ。


「——できることはそんなに多くはありません。そのお話、長くなりそうですか?」


 場合によっては邸への入室許可を与え、じっくり話を聞くべきかと思っての発言だったのだけれども。


「い、いえっ! 単刀直入に申し上げます」


 リッキーさん、汗が飛び散るエフェクトとともに上擦った声で否定した。

 あたし、そんなに威圧するような態度じゃなかったよね。失礼な。

 というか、会話の最中に感情モーションを選択する余裕があるってことは本気で焦ってはいないってことなんだろうけどさ。


「我らに、舞のご指導を賜りたいのです!」

「————!?」


 理解が追いつかない。あたしは言葉を失った。

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