第38話 爆突


 待ち合わせはすぐ近くのファミレスだった。「すぐ近く」というのが意外と厄介なもので、余裕を持ちすぎて時間ぎりぎりになってしまったのだ。もう少し早めに動けばよかったのになあと反省するも哀しいかな、もう後の祭りである。


「歩いて行っても間に合うと思ってたのに!」


 目的地まで優雅に歩いて向かうはずがほぼ全力疾走で駆け抜けていく。

 私の住むアパートから歩いて数分の大通りを渡った先にあるファミレスは、車で四車線の広い道路を渡るより歩いて横断歩道を進んだ方が時間も手間もかからないのだ。


「もっと早く起こして良かったですかねえ」

「いらん!」


 なんてダメ人間まっしぐらの回答を否定した。そんなこと認めてしまったら情けなさすぎる。あくまで私が余裕をかましてしまったせいだ。


「まあ落ち着いて。ほら、そんなに急いでも赤信号ですよ」

「急いでる時に限って……」

「そんなものです」


 どうでもいい時はすいすい青信号で進んでいくのに、こういう時はまるであざ笑われてるかのようにすべての信号に引っかかる。誰かこの現象に名前を付けてほしい。

 荒い息を抑えて歯を食いしばる私の真上でユウが楽しそうに笑っている。


「もうあきらめて遅刻の連絡するか……」

「情けないですねえ」

「……言い返せない」


 ケータイを取り出してメッセージを打ち込む。こういう時は変に焦るより早めにあきらめてしまった方が良い。遅れても五分か十分くらいだろうし。

 弟から「大草原不可避」などという不可思議な返信がすぐに来た。リア充のくせにどこでそんな言葉覚えたんだろう。


 とりあえず落ち着いて呼吸を整えることにする。久しぶりに走ったせいかひどく苦しい。


「大丈夫ですか? 帰ります?」

「いや、もう目と鼻の先だし」


 もうファミレスは見えている。あとこの信号を渡って少し歩けば着くのに。

 こんなに広い道路なら歩道橋でもつけてくれないかなあとぼんやり考えた。


「はあっ……はっ、あれ?」


 さっきからずっとこんな調子で息が整わない。さすがに疲れすぎじゃないか? 運動不足にもほどがある。


「ほんとに大丈夫ですか?」

「――っ……」


 呼吸をすればするほどに息が荒くなっていく。まるでここが標高の高い山のように酸素が薄く感じる。


 あれ、これやばい?


 視界がちかちかして立っていられない。思わずうずくまって何か――多分電柱――に寄りかかった。目の前で行き交う車の音がひどくうるさい。


 ふと、視界が暗くなった気がした。ユウが覆いかぶさるようにして私を見下ろしているようだった。何度か私に話しかけてくるけど返事ができない。


「帰った方がいいですよ」


「無理して行くことないじゃないですか」


「もしかして、立つこともできないんですか? どうしよう……」


 さすがにここでずっとこうしてるわけにもいかない。電柱に寄りかかりながらなんとか立ち上がってユウを見た。すごく心配そうな顔をしている。

 それにしても耳鳴りがすごいな。ユウ以外の声や音が何も聞こえないくらいだ。

 これはなにかの病気の兆候かもしれない。


「帰りましょう」

「うん、そうする」

「……良かった」


「きゃああああああああああ!」


 は? 背後から女の人の悲鳴が聞こえて条件反射で振り返る。

 けれどなんだったか確認することは出来なかった。


 ドンッ!


 重い衝撃が走り、私は息ができなくなった。



 ***



「ねえちょっと! しっかり!」


 耳元で遠慮なく叫ばれて眉をしかめる。なんだよもう。

 ……そういえば視界が暗い。目をつぶっていたのか。


「ああよかったわ! 救急車は呼んだからね、あっ動かない!」


 目を開けると中年の知らない女性が私を覗き込んでいた。身体を動かそうとするとやんわりと押さえつけられる。

 ええ、嫌だなあ……よく見たら私歩道で仰向けに寝てるし、汚いな。


「奈々子さん……奈々、さ」


 体は動かさずに視線だけを動かすと、女性の後ろで頭を両手で抱えたユウが凄まじい顔で見下ろしていた。遠くで壮年らしき男性がうろうろしてるのも見える。


 えええ……といつもの困惑声を出そうとしたけど声が出ない。擦れた空気が漏れただけだったので今度はおなかに力を入れ……ようとしたら右足に激痛が走った。


「いいいだああ」

「大丈夫よ、大丈夫」

「どうしてこんな、ことに」


 ユウに話しかけたつもりが女性の方に目を向けてしまった。見ず知らずなのに謎の安心感である。さっきの悲鳴もこの人だったのだろうか。


「あのおっちゃんの車が細道からすごいスピードで走ってきたのよ! あたしは避けられたけどアナタが巻き込まれて……!」

「ブレーキが急にイカれちまったんだ!」


 右足の先が激痛で脈打っている。ああいやだ、どのくらい大きなケガなんだろう。死んだらいやだなあ。

 死んだら……


「ごめんなさい きっと僕のせいです」


 遠くで救急車の音が聞こえる。女性の励ます声と、男性の半泣き声と、サイレンと。

 色んな音がけたたましく渦巻く中でも、ユウの呟く声は何よりもはっきりと聞こえてくる。


「帰ってほしいと思っただけなんです。でも、こんなことまで望んでなんか」


 ああ、だからそんな思いつめた顔してるのか。茶化したいけど声が出ない。


「帰ってほしいと思ってましたが、引き留めるつもりなんてなかったのに。ただついて行こうと思ったのに。貴女の体調も、事故だって、」


 いつの間にか私の周りに人が集まってきた。救急車が到着したようだ。


「これじゃ本当に悪霊ですね。はは、恐ろしい」


 両手でぐしゃぐしゃと頭をかきむしりながらユウが泣いている。あんな顔は初めてだった。

 いつも気軽に「呪う」だとか「道連れ」なんて言ってはいたけどきっと本気ではなかったのだろう。私を困らせたかっただけのふざけた冗談。本当は私に嫌われるのも恨まれるのも怖がる小心者の悪霊だ。


 ばかだなあ。

 私はユウに向かって手を伸ばした。周りの人たちが騒いでも気にしない。真っ直ぐユウを見つめて、


「ユウ。おいで、ユウ」


 周りから見れば変な幻覚でも見てると思われているだろう。まあ、意識がもうろうとした患者の世迷言だと思って気にしないでほしい。


「これは、後で、説教しなきゃ」

「こんな時までふざけないで下さいよ」


 私がふざけないで誰がふざけるというのだ。今私が何も言わなかったらユウがどこかへ消えてしまう気がして、私は激痛の中必死で言葉をつなぐ。


「だいじょぶ、おいで」

「奈々子さん……」


 もしものもしも、本当に死んでしまったら道案内はよろしく頼むよ。

 ……あ、こいつも現世をさまよう幽霊だからあの世なんて知らないか。


「ダーリン、一人にしないでよ」

「ほんと貴女ってばかですね」


 伸ばした手にユウの指が絡みつく。私の意識がおかしくなっているからだろうか、冷たい氷の感触がした。


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