クルージング・パーティー

「これ、貸してやるよ」


チョッサーが全員にサングラスを配ってくれた。

そして、ストレッチ・マットも。


「くつろぎな」


チョッサーの言葉はごく短い。

けれどもそれは決して冷たいのではなくって、必要以上の干渉は悪だという哲学の持ち主だってことが彼の暖かな態度から見て取れる。


「チョッサー、ありがとう。さあ、みんなお言葉に甘えて・・・」


課長は信じられない言葉を告げた。


「トレーニングだ」


・・・・・・・・


「うっ・・・」

「ほら、キヨロウ。にっちを見て」

「鏡さん・・・にっちを引き合いに出すのは酷ですよ」

「キヨロウさん。ゆっくりでいいんです。その方がインナーマッスルに負荷がかかりますから」


にっちはかわいらしい顔してるクセに僕の腹筋をイジメようとより厳しいアドバイスをくれる。

ただ、確かにゆっくりゆっくり体を起こして行った方が、腹の奥の筋肉に効いてるようだ。


「手足の筋トレは翌日に繰り越して動きが鈍くなるからな。腹筋ならばどれだけやっても稼働に影響はない」

「課長。言っていいですか」

「キヨロウ。何だい?」

「今日・明日しかないのに付け焼き刃すぎるでしょう?」

「キヨロウさん。そうじゃないですよ」

「? そりゃあにっちみたいに普段鍛えてればまあ筋力維持の意味もあるんだろうけど、僕なんかはお腹は出てないけど筋肉のないぺったんこだからね。今更でしょ」

「いいえ。『刺激』を入れるんですよ」

「刺激?」

「はい。トップレベルのマラソンランナーはレースの何日か前に、全力の短距離ダッシュを何本も繰り返すんです」

「へえ」

「つまり、筋肉にカツを入れるんです。そうすると逆に筋肉が目覚めて疲労を抜く効果もあるんです」

「なるほど。じゃあ、ダルさの残らない腹筋トレーニングもそういう効果があると」

「はい。それから筋肉が目覚めるフィジカルな効果だけじゃなくって、メンタルな効果も」

「そうなのかい?」

「ええ。丹田たんでんって分かりますか?」

「ごめん。分からない」

「おへそのこのあたりです」


あ。

にっちがTシャツをお腹からめくり上げた!


「この下腹部の手前あたりが丹田たんでんと言って、体の中心なんです。こうやって腹筋して力を集めると」


にっちのお腹もぺったんこだ。

けれども僕みたいに筋肉のないスカスカじゃなくって、Tシャツに遮られずに露わになったお腹とウエストはきゅーっ、とインナーマッスルが引き締まった実態のあるお腹。


「あー、キヨロウ、やらしーっ!」


あ、しまった! ついついにっちのお腹の素肌を覗き込むみたいにして見てた。


「はっ、キ、キヨロウさん! わたしそんなつもりじゃ!」


急に恥じらいの声を上げてTシャツをずり下ろすにっち。その仕草すらかわいかった。

一瞬だけ目を逸らして、それからまたついちらっ、と見てしまう。


「せっち。これが自然の摂理なのよ」


鏡さんがフォローのようで恥ずかしさを加速するようなセリフを吐いてくれる。


「筋肉をいたぶった後は、これだ」


チョッサーがまたも端的な言葉で場面を変えてくれた。あー・・・これぞフォロー。


せっちがチョッサーの方を見てはしゃいだ。


「わ! BBQバーベキュー!?」

「そうだ。筋肉を痛めつけてから20分以内にタンパク質やアミノ酸を摂取すると回復と増強に効果抜群だ」


デッキにお洒落なBBQコンロとテーブルが並べられた。大皿に盛られた食材を操舵室にある大型冷蔵庫からチョッサーが次々と運んで来る。


「フィットネスウエアでサングラスかけてBBQなんて、雰囲気出るわね」


鏡さんがこういう出で立ちだと絵に描いたようなカッコいい大人の女性だ。

せっちはせっちで小学生のサングラスというのもキュートさが倍増してる。

課長とチョッサーがサングラスで並んでるとハリウッドの硬派A級アクションのダブル主演みたいだ。


そして、にっちは・・・


「サングラスなんて、初めてです・・・」


意外にも、ステイショナリー・ファイターの仕事としての変装の時にもサングラスを使ったことはなかった。

こうして、ノーズガードに初サングラスというのは人によってはグロさとかなにかハードコア・パンクっぽいきわどさを醸し出すことがあるけれども、にっちのピュアさをもってすれば、これすらかわいい。


僕の主観でしかないかもだけど。


この段階では流石にアルコールはご法度なので、飲み物はフレッシュジュースの炭酸割り。


「あー。トマトジュースに炭酸って意外と美味しい」

「ほんとに? せっちの味覚が特殊なんじゃないのかい?」

「キヨロウも飲んでみなよ」

「いーよ、僕は」

「じゃあ、にっち、飲んでみて?」


せっちからグラスを受け取って唇をすぼめるようにして縁にくっつけて、すっ、と野菜ジュースの炭酸割りを口に含み、こくん、と喉を鳴らすにっち。


「あ、ほんとだ。美味しい!」

「でしょう? さあ、キヨロウ」

「え」

「にっちお墨付き。ついでににっちのリップつき!」


言われてグラスのにっちが唇をつけた部分を見ると、入院中に呼吸用の管で荒れた唇を潤すために塗っていたリップ・クリームの光沢が夕日に反射してキラキラと煌めいていた。


「せ、せっち、やめて・・・恥ずかしいからっ!」

「おーっと。キヨロウは飲みたいみたいだよ? ねえ、キヨロウ?」


せっちがにっちに意地悪してグラスをひょいひょいと動かして避けてる。


「はいっ!」


とせっちから手渡されて思わずグラスを受け取る僕。


僕は自分の心に素直に振る舞う。

右手にグラスを持ったまま、にっちの目をじっと覗き込んだ。


『にっち、いい?』

『は、はい・・・どうぞ・・・』


にっちと合意の上で、僕は間接キッスをした。


『甘酸っぱい・・・』


リップ・クリームの味なんだろうか、それとも、にっちの唇の味?


そんな気がするんじゃなくて、本当に甘くて爽やかな香りがした。


「さあ、運河への突入に備えるぞ」


ささやかなクルージングを楽しんでいる僕らをチョッサーが引き締めた。


夜を待って、閘門こうもんをエレベートするんだ。

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