人工の河のその汚泥の中を行けっ!

にっちがぷちかわいいシナモンバニラとキュートな杏ジェラートの箱から取り出した鍵をぷらぷらさせると、スマホにばあちゃんから着信が入った。


『課長。かわいらしいのう』

「・・・なんだ、この鍵は?」

『ハッチの鍵じゃよ』

「ハッチ? トラックか?」

『さあての。行けば分かる。あと15分で着くぞい』


ウインドウを開けていたので風の質の変化を鼻腔に感じた。


海の匂いだ。


でも、それだけじゃない。


なんというか、泥の匂いもする。

せっちが、


「ヘンな匂い。なんか、生臭い」


そう言ったので、僕は瞬時に記憶が蘇った。実は、匂いというのは記憶を辿る高純度の足がかりかもしれない。


「ウグイの匂いだ」

「鶯? 鳥?」

「違うよ、せっち。ウグイって魚だよ。僕が小学生の時、父親が釣りに連れてってくれたんだ。その時に僕が初めて釣り上げた魚さ」

「へえ。大きいの?」

「それは30cmはあったな」

「すごい! じゃあ、持って帰って食べたんだね」

「いいや。ウグイはね、淡水と海水の境目に住んでるんだ。だから泥をいっぱい吸っててさ。匂いも臭いしじゃりじゃりして食べらんないんだよ」

「ふーん。じゃあウグイの匂いがするってことは」

「そうさ。河口さ」


その通りだった。


まるで走行経路を線で繋ぐと魔法陣になるのではないかという複雑怪奇なルートを走り続けたお陰か、御坊たちの刺客は軒並み駆除できたようだ。


多くのアクション映画や刑事ドラマのクライマックスシーンと言えば埠頭の倉庫というステレオタイプを持っていたけれども、そうではないらしい。

僕らがポルシェでたどり着いた河口は岸壁や埠頭からは程遠い、防波堤しかないエリアだった。


到着と同時に船影が防波堤の陰からのそっと現れた。


「で、でかい!」

「ふむ。ポートサービスのタグボートだな。おそらくクルード・タンカーかコーストガードの巡視船かを港内に曳航するやつだ。本船のエンジンを停止してな、それでタグの動力だけで押せるぐらいのサイズ感だな」


課長の解説が詳細かつ丁寧なので僕らは状況把握が瞬時にできた。


「じゃあ、あの中に」

「ああ。二千億が積まれてる。ただ、一隻じゃ無理だな」


課長の言葉通り、遅れて二隻、同じ大きさのタグボートが近づいてきた。


ド・ド・ド・と、いう重低音のエンジン音と燃料の重油の匂いが雰囲気を醸し出す。先頭のタグボートの舳先へさきに人影があった。


課長が持っていたトランシーバーにコール音が入った。

ジッ、というノイズをトーキー・モードで遮断して課長が応答する。


「こちら課長」

『‘ポメラニアンはとてもよい犬だ’』

「・・・‘チワワはビッチだ‘』

「よし、今迎えを出す」


なんてセンスのない合言葉だ。

僕の表情を見て課長が呟いた。


「ばあちゃんの趣味だ」


・・・・・・・・・・


先頭のタグボートに5人で乗り込む。ほどなくしてエンジン音が再び大きくなり、推進の波を作りながらまずそのまま河口を突き抜けた。

流れに抗って上流へと進む。


「船長のチョッサーだ」


トランシーバーの相手は重油まみれのブルーのツナギを着た大男だった。顔の黒さは日焼けなのか排気の煤なのかは分からなかった。


「まずは確認したいだろう」

「ああ。頼む」


にっちが持っていた鍵を課長がチョッサーに渡す。それは配電盤の隅にあるもう1つの小箱を開ける鍵だった。

スチール製の箱を開け、チョッサーはその中のスイッチレバーを、くん、と上げた。


デッキの鉄板の一角がギゴギゴギゴと錆混じりの音を出す。


「バラストの代わりに積んでるのさ」


なるほど。

通常は船体を適正な喫水まで沈めるための重しとしてバラスト水を積むけれども、札束をその部分に積み込んだってことか。


僕らはチョッサーに先導されて、カネのバラストが置かれた空間に吊られた鉄梯子をカン・カン・と降りていった。えた残油のような匂いのする鉄板で仕切られた部屋にあったのは無数の段ボールだった。


「1カートン開けてみろ」


チョッサーからナイフを渡された課長はごついナイロンで包るまれた段ボール一箱に、ぴーっ、と切れ目を入れる。無造作に上蓋をべりん、と開けると綺麗に詰め込まれた一万円札の表面が箱の高さ目一杯まで詰められていた。


「確かに」

「課長。残り2隻も同じだ。鍵も共用だ」

「OK」


上界に上がった僕らはデッキであぐらをかいて・・・にっちだけは体育すわりで・・・輪になってこの後のスケジュールを確認した。


「課長。市街地のエリアに入る手前で一旦待機して夜を待つ」

「チョッサー。どこまで近づけるんだ」

「運河に入る。コヨテの臨時株主総会の会場はゴミ処理場とハイテク火葬場が誘致された、『エンディング・テラス』だ。誘致じゃなくて、’押し付け‘かな」

「ああ。まあ、嫌な場所だな」

「そう言うな。市長の施策さ。そのまあ人の忌み嫌うものを集めたエリアになぜだかエコ・コンベ・センターがある。ゴミ処理場の余剰熱量と巨大コンポストの熱エネルギーを使って運用する巨大会議施設、という謳い文句だからな」

「で、どこまで近づけるんだ」

「慌てるなよ。運河を使ってを運ぶためにテラスの東の駐車場の真横まで入り込んでるんだ」

「なるほど」

「タグボートはこの図体だ。運河を他の船舶とすれ違うのはかなりしんどい。が、今日・明日の夜ならば他船の通行がないことを確認している」

「移動は夜だけか」

「運河に入ったらな。まず、このまま河口を上流に向かって航行して運河手前の緩流帯まで行く」

「うん」

「そこで一旦繋船して夜を待って・・・コウモンへ向かう」

「え? 肛門コウモン!?」


せっち。女の子とは言ってもさすが小学生。いい質問だよ。

そしてまたチョッサーが顔のシワ1つ動かさずに真顔で答える。


「違う。閘門こうもんだ。スエズ運河の映像を観たことはないか?」

「ああ・・・そういえば」

「それだ。その閘門こうもんで運河を堰き止めて、水を注入するとそれがエレベーターになるのだ。そして一隻ごとに一段下って河から運河に入る」

「へー。楽しそう!」

「・・・こういうことを楽しめるのは才能だ。小学生か?」

「うん」

「お前は大成する」


なんだかよく分からないけど、せっちとチョッサーが共感し合ってる。

ただ、課長はまだ腑に落ちないようだ。


「どうやってその閘門の通行許可を得るんだ」

「ああ。オペレーターたちは、ばあちゃんに懐柔されてる」

「ほお。カネでか?」

「まさか。あのばあちゃんが他人にカネをサービスするわけがなかろう。その代わり自分の持ってる金融ネタでトレードしてくれたらしい」

「はっ。あのばあちゃんがか!? 大サービスだな!!」


課長がはしゃいでいる。


課長だって楽しんでるじゃないか。

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