美しき仮面の少女

にっちが目を覚ました。


個室に移って包帯もようやく取れた。包帯が取れた後の肌は却って保湿され、みずみずしく色づいている。


外傷は鼻の骨折だけ。相手へのダメージもコントロールできる高瀬社長は恐るべき達人だという逆説的な言い方もできるだろう。


「キヨロウさん」

「にっち・・・よく頑張ったね」

「負けちゃいました」


高瀬社長に一撃で倒されたことはしっかりと記憶しているようだ。

せっちにも語りかける。


「せっち・・・ごめんね。守ってあげられなくて」

「ううん・・・十分守ってくれたよ、にっちは。ゆっくり休んで」

「ありがとう・・・でも・・・」


にっちがリクライニングから背を離し、自分の力だけで座ろうとする。僕とせっちでにっちの余分な肉のない肩甲骨から背骨あたりに手を添えた。


「キヨロウさん、お願いがあるんです」

「なんだい?」

「メッサ先生を呼んでください」


・・・・・・・・・・


僕がメールした瞬間にジムを出てきたんだろう。メッサ先生はフィットネス用のスポーツブラの上にウインドブレーカーを羽織っただけの出で立ちだ。

このひともにっちを愛している。


「はい。ノーズガード」


思わず僕は目を背けた。


メッサ先生がにっちに渡したのはノーズガードと呼ばれる鼻のプロテクターだ。鼻を骨折したサッカー選手やプロ野球選手がこれを装着して出ていた国際試合を見たことがある。

鼻だけのダメージならばそれでいいだろう。

けれどもにっちは高瀬社長の一撃で死ぬ一歩手前までいったのに。


それでもにっちは一緒に行きたいと言った。


「メッサ先生、にっちを止めて頂けないんですか?」


僕が言うとメッサ先生は包帯を外したばかりのにっちの頬を手のひらで包むように撫でながら言った。


「キヨロウさん。この子はね、おばあちゃんが亡くなって以来はじめて義務じゃなく人と一緒にいるのよ」

「・・・・はい」

「わたしがにっちを止めることは、かわいそうでできないわ」


かわいそう、という基準はその人の主観によって十人十色なのか。

僕はまだまだ人の心の機微がわからないひよっこだ。


「医者にはなんて」

「転院します、と」


鏡さんが訊くと、課長は医師の紹介状をヒラヒラさせて答えた。質屋のばあちゃんの手配で虚偽診断・書類偽装、何でもござれの町医者を受け入れ医療機関として提示したんだそうだ。


・・・・・・・・・・・・


モニタリング課5人、これで全員揃った。


課長は2千億円の受け取り場所にポルシェを走らせる。

怪我人のにっちは助手席。

ノーズガードが痛々しい。


「課長。受け渡し場所は?」

「さあな」

「え」


僕が声を出すのと運転席にセットした課長のスマホが音声を発するのとが同時だった。


『課長、今どこじゃ?』


質屋のばあちゃんだ。


「市役所通りを南に向かっている」

『よし。あと5km道なりに走れ。速度は50km/h。いいな、制限速度いっぱいじゃ。1kmたりとも減速しなさるなよ』

「分かった」


ハンズフリーでばあちゃんとやりとりする。課長がみんなに説明した。


「2千億の受け取り場所を東北の御坊たちに気付かれないように、街中を走りまくる。ばあちゃんがミリ単位で位置を指示しながらな。ばあちゃんの指示通りにたどり着いたところが指定場所だ。いつ着くか私も分からん」

「え。あのばあちゃんが指示を?」


煤けた古典的なビジネスフォンに紙の閻魔帳が顧客リストのあのばあちゃんが?


「キヨロウ。表面だけで判断しちゃダメだ。ばあちゃんも進化してるのさ」


ばあちゃんも進化。

よく分からないけれども限りなく隠微な響きがする。


「課長。輸送手段は?」


せっちの疑問に僕が反応した。


「ん? 手で運ぶんじゃ?」


そう答えるとせっちが軽蔑し切ったように半開きのジトジトした目で見上げてきた。僕はなんとなく映画やドラマで見たことのあるアタッシュケースをイメージしていたんだけれども。

鏡さんがフォローしてくれた。


「キヨロウ。2千億円って1万円札何枚?」

「えっと。百枚で100万円、千枚で1,000万円・・・」

「二千万枚よ。じゃあ、一枚1gだとして重さは?」

「う・・・20,000kg=・・・20トン!」

「そういうことだ。ばあちゃんがどんな差配をするのか私にも分からない」


課長はインディケーターを50km/hピッタリでポルシェを駆り続けた。


「課長。右車線のバイク、動きがおかしいわ」

「早速来たか」


鏡さんが言った通りBMWの排気量の大きそうなバイクがサイドミラーに写り込んでいる。そのまま急加速してポルシェを追い越したかと思うと、くいん、と、ライダーがシフトウェイトして僕らの前に出た。


「ぶつかる!」


減速も、加速も、車線変更もせずに、課長はただ、クラクションを鳴らした。


ズガン!!


僕らは思わず耳に手を当てて座席でふせった。

それは、通常車のクラクションではあり得ない音量だった。

BMWのバイクは態勢を崩しズザザっ、と路肩に滑り込んで行った。


「え!? え!? 撃ったんですか!?」

「まさか。いくら私でも街中でぶっ放す厚かましさはないよ。クラクションの音量だけさ。音の波動、とでも言おうかな」

「な、なんでそんな仕掛けが!?」

「チューンしてるからな」


それは、以前聞いた。


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